今朝、NHKのニュースで、2004年12月26日にインド洋津波で被害をこうむったパンガー県の現在の様子が伝えられた。16年前に津波を体験した小学校教師が子供達に津波の際の逃げ方を訓練しているのを見て、その若い教師の熱意がひしひしと伝わって来た。
だが、いかんせん、子供達は津波を知らない。海岸の木にロープを結んで、ブランコ遊びをしている景色はくったくなくて可愛い。
災害はいつ襲って来るかわからない。場所も選ばない。災害に遭遇するということは、願わくば有ってはほしくないが、もはや運命だ。日頃からの訓練や心構えで、非常事態に対処するしかない。
一方、コロナは日常化し始めている。延々と自粛生活を強いられるのは楽しくない。自分で愉しみをみつけないと、生きる力が湧いて来ない。「自粛」という暗い言葉を、「自愉」に変えて、プラス思考で過ごしたいものだ。
土佐の言葉
『歴史を紀行する』(司馬遼太郎 文春文庫 1976年)の中に、「竜馬と酒と黒潮と(高知)」という章が最初に出てくる。土佐の古名は、『古事記』の中では[建依別(たけよりわけ)の国]と書かれているということを初めて知った。この命名の由来には、「剽悍でたけだけしいひとびとの棲む地帯という印象がすでにあったのであろう」と司馬氏は評している。
さて、土佐の言葉であるが、本居宣長の『玉勝間』の中には、土佐人の発音の正確さについてほめて書かれているとのこと。これまた驚きだ。土佐の人は、水を<midu>と発音し、<づ>と、<ず>の違いができるそうだ。<ぢ>と、<じ>の違いもできるとのこと。
「維新後、奥州会津の小学校で発音矯正教育がおこなわれたとき、その教師は東京から呼ばれず、僻地の土佐からよばれたという。こういうことから考えても土佐弁の明快さは世間の常識になっていたのであろうし、幕末の土佐系志士たちが田舎からいきなり政論の中央舞台に出ておめず臆せずに罷り通りえたのも、また維新後自由民権運動の中心的存在になり、荘士たちが各地を演説してまわれたのも、こういうことがかれらを大きく力づけているようにおもわれる。東北人にとって生涯つきまとう自己差別の意識から、土佐人は最初からあかるく開放されていたのである」
引用が長くなったが、我々も明確に発音することをこころがけ、相手に伝わりやすい発声をしよう。
今日の語彙
今日はChristmas Eve。そこで、キリスト教関連の単語をタイ語で書いてみよう。
1. Christ
2. Christian
3. Christmas
4. Christmas gift
5. Christmas card
6. Christmas cake
7. Santa Claus
8. church
9. Bible
10. hymn
11. pastor
12. prayer
“as” & ”is”
昨日の日本経済新聞に、12月20日に亡くなられたエズラ・ボーゲル氏(東アジア専門の社会学者)に関する記事が掲載されていた。『ジャパン アズ ナンバーワン』を書いた彼は、日本人が『ジャパン イズ ナンバーワン』と早とちりして有頂天になったことをずっと遺憾に思っていたらしく、かつてインタビューを求めた記者に対して、「私の日本語のほうが、日本人の英語よりも上だと思いますから、インタビューは日本語で結構です」と言ったそうである。
as は前置詞で、「~として」の意味である。片や、isは be動詞で、「~です/~である」。確かに両者は違う。「ナンバーワンとしての日本」という場合、「もしもナンバーワンとしての日本を想定するならば、どんな条件が課せられるであろうか?」という文章も考えられる。一方、後者の場合は、「日本はナンバーワンである」と断定しているわけである。
ところが、タイ語の場合は、前置詞「~として」も、be動詞「~です/~である」も、同じเป็น を使う。タイ人のほうが誤訳しそうだが、文法できちんと判断できるようになっている。
最後に余談だが、E.ボーゲル氏が逝去された病院はマサチェーセッツ州ケンブリッジに在るマウント・オーバーン病院だそうだが、この病院で、1927年12月5日、ラーマ9世が御生誕された。
2020年の授業総括
今日(12月22日)が来ることを待ちに待っていた。何故ならば、明日から3週間弱、授業を持続していかなければならないという責任感からしばし解放されるからである。2021年の授業は1月9日(土曜日)からスタートする。
今年は1月中旬よりコロナのニュースに踊らされ、非日常に近い空気感におとしいれられて行った。だが、4月と5月に於ける東京都の休業要請の期間を除き、なんとか頑張って授業を続けることができた。これはひとえに講師達と生徒達の頑張りによるものである。
高齢者が減った。だが、それを補うかの如く若い人達が増えた。教室の空気が変わった。タイ語を勉強したいという若者を見ると、彼らからの熱意と刺激が跳ね返って来る。何ごとにも言えよう。勢いには「時」が関係している、と。
若いだけが良いのではない。年をとったらもう駄目、というのでもない。自分自身に与えられた「時間」をいかに生かすかが大切だ。講師達は誠実に指導した。生徒達も自分なりによく頑張った。今年の総括は99点なり!
『もの食う人びと』
『もの食う人びと』(辺見庸 角川文庫 1997)の冒頭部分である「旅立つ前に」の最初の文章を引用させていただく。
「人びとはいま、どこで、なにを、どんな顔をして食っているのか。あるいは、どれほど食えないのか。ひもじさをどうしのぎ、耐えているのであろうか。日々ものを食べるという当たり前を、果たして人はどう意識しているのか、いないのか。食べる営みをめぐり、世界にどんな変化が兆しているのか。うちつづく地域紛争は、食べるという行為をどう押しつぶしているか….それらに触れるために、私はこれから長旅に出ようと思う。」
巻末に、執筆当時の期間は1992年末から1994年3月であったと書かれてある。ということは、まだインターネットが流行る以前の時代だ。作者はジャーナリストだから、単なる料理の話を書いたわけではない。
2020年、コロナで、世界中の人達があえいでいる。「食べる」ということは、まず、「口探し」から始めないといけない。働いて収入を得、スーパーで買い物をし、料理を作って、家族で食べる。この繰り返しが、この先、果たして確実にできるのか否か?
今日の作文
「問(とい)」という漢字には「口」が入っている。そして、「答(こたえ)」にも同じく「口」が入っている。
今年、我々はコロナによりマスク生活を強いられているが、来年もまたマスク、マスク、の毎日であろう。よくよく考えれば、食べるという行為以外に於いて、果たして我々は「口」という器官を思いっきり使ったであろうか? 「問」や「答」の漢字から考えるに、「口」は食べる以外に、自分の考えや意見を発する器官でなければならない。
いささか、理屈っぽいことを言ったが、では、以下の日本語をタイ語に訳してみよう。
(1)問:会社人間とは何か?答:(自分の考えを述べよ)
(2)問:結婚生活とは何か?答:(自分の考えを述べよ)
(3)問:人間関係とは何か?答:(自分の考えを述べよ)
(4)問:語学を学ぶ利点は何か? 答:(自分の考えを述べよ)
日本語の清音・濁音
昨日、生徒さんの翻訳を添削していると、「通りかかる」という動詞が出てきた。私はふと、「通りがかる」ではないかと思い、ネットで調べてみた。ネットではNHKが採用している「日本語発音アクセント辞典」から、次のように説明していた。
動詞は、「通りかかる」と発音し、名詞では、「通りががり」と濁音になる。
他にも例が上がっていた。「帰りかける」vs 「帰りがけ」、「着替える(キカエル/ キカ゜エル」vs 「着替え(キガエ)。
興味深く思ったのは、「着替える」の読み方で、「キカ゜エル」と書いてある部分だ。「カ」の右上に小さな〇をつけて、「カ゜」と表記しているが、こんな発音表記を見たことがない。これって、タイ語で言うところの「無気音」だ。
翻っておも我々日本人も「濁音」の一歩手前の「無気音」を発音している。それは方言によく見られる。悪い言い方をすれば、なまっているとも言われるが、「清音」ばかりを発音していると、音がカチカチになって、発声上、疲れてくる。「濁音」や「無気音」も必須の音なのである。
シンガポール便り
シンガポールの歯科医院に勤務しているY子さん(元生徒)から、このところ、「仕事がくたくた」というラインがよく届く。その理由はこうである。
「日本で夫婦別姓が議論されていますが、クリニックの客はいろんな民族や国籍で、夫婦も親子も別姓が当たり前。名前が5つや6つの単語で構成されており、どれが姓やら、そして順番もめちゃくちゃ。そういう人達が家族3~5人で、同時に2~3人の歯科医師を予約して、連れ立って歯のクリーニングに来ます。発音不可能な子音の羅列とかもいっぱい。みんな、名前が長すぎ。こういう人達を次々とさばいていると頭が疲れます」
外国人の名前は難しい。だが、外国人にとっても、同じく日本人の名前は難しいはず。いずれにせよ、人の名前は正しく発音できないことが多い。カタカナに書いた場合も、書く人によって統一が見られない。
今日の翻訳
今朝(5時)の東京の温度は零下2.6度。とても寒いが、気合いを入れて勉強しよう。
以下の2つの段落を翻訳しなさい。その際、タイ語の構文をそのまま直訳するのではなくて、訳文を3回くらい練り直し、こなれた日本語にしてくみてださい。(出処=タイ国小学校国語教科書5年生)
ผู้ใหญ่จะต้องมีหน้าที่แนะนำ สั่งสอน ช่วยเหลือเกื้อกูล และมีความเมตตาต่อเด็ก พร้อมที่จะให้อภัยเมื่อเด็กทำผิด ดังพระราชดำรัสในพระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู่หัวที่ได้พระราชทานได้ว่า
“ผู้ที่เกิดมา ผ่านชีวิตมาก่อน จะต้องสงเคราะห์ผู้เกิดตามมาภายหลัง ด้วยการถ่ายทอดความรู้ ความดี และประสบการณ์อันมีค่าทั้งปวงให้ด้วยความเมตตา เอ็นดูและด้วยความบริสุทธิ์ใจ ให้เด็กได้ทราบได้เข้าใจ และที่สำคัญที่สุดให้รู้จักคิดด้วยเหตุผลที่ถูกต้อง จนสามารถเห็นจริงด้วยตนเองได้ในความเจริญและความเสื่อมทั้งปวง
