今日は大雨。のんびり過ごすしかない。だが、少しは頭を語学脳にするべく、英単語を書いてみよう。
1. 感染拡大
2. 感染拡大の予兆
3. 規制強化
4. 外出制限
5. 生活必需品
6. 罰金
7. 病床使用率
8. 空港検疫
今日は大雨。のんびり過ごすしかない。だが、少しは頭を語学脳にするべく、英単語を書いてみよう。
1. 感染拡大
2. 感染拡大の予兆
3. 規制強化
4. 外出制限
5. 生活必需品
6. 罰金
7. 病床使用率
8. 空港検疫
明日(3月21日)で「緊急事態宣言」が解除されますので、22日からは通常授業に戻します。
去年の第1回目の「緊急事態宣言」(4月7日から6月30日まで)の時よりも長かったため、生徒の皆さん、休み癖がついてしまったのではないかと危惧しております。
休みの間、いろいろなツールを使って勉強なさったかとは思いますが、タイ語は声調言語ですので、一人で勉強するのには限界が有ります。やはり教室に通うことが肝心。
タイ語は対面授業がベター(ดีกว่า)。絶対にお勧めです。そして対面授業は泰日文化倶楽部で!
今日も幼児向けの本である『ทำเอง เก่งจัง』から出題する。簡単そうに見えても、一つの単語の意味を知らないと、ちょっと戸惑ってしまうものだ。そんな経験を繰り返しながら、辞書無しでもすらすらと訳せるようになろう。
1.เทแป้งเล่นฟุ้งกระจายทั่วห้อง
2. รอให้คุณแม่มาสวมเสื้อให้
3. กินมูมมาม ใช้มือหยิบอาหาร
4. ทิ้งขยะเกลื่อนกลาด ไม่ช่วยเก็บให้เรียบร้อย
5. ฉีดน้ำเล่น ไม่ช่วยรดน้ำต้นไม้
6. ตะโกนเสียงดังเวลารับโทรศัพท์
7. ทำหน้าบูดบึ้ง พูดสอดแทรกขณะผู้ใหญ่คุยกัน
8. ค้อมศีรษะทุกครั้งเมื่อผ่านผู้ใหญ่
昨日、タイ語の「แปด 8」が出て来る慣用句を書いたが、今日は、日本語の「八」について書く。たまたま『街道をゆく 34 大徳寺散歩 中津・宇佐のみち』(司馬遼太郎著)の中の「八幡大菩薩」を読み始めたら、司馬氏が次なる蘊蓄と解説を書いていたからである。
~八幡(やはた)の語源は、古代、この神(八幡神)をまつるときに、たくさんのハタ(幡)をたてたからだという。「や」とは、数多くの、という意味の古語である。
~さきにふれたように″八(や)”とは、古代、数の多いさまをいう。用例としては、雲の多いことを八雲、種類の多いことを八種(やくさ)、たくさんの種類の草のことを八千草(やちぐさ)、道がいくつにもわかれているさまを八衢(やちまた)….。
そう言われれば、いくらでも思いつく。 八百屋、八百万(やおよろず)の神様、嘘八百。
先日は「เจ็ด 七」が出て来る慣用句について書いた。その流れで、今日は「แปด 八」について書く。引用は『タイ辞典』(冨田竹次郎編纂)からである。
1. มืดแปดด้าน =(直訳)八面が暗い
(意訳) 八方ふさがり、五里霧中
2. ร้อยแปด =(直訳)108
(意訳)種々様々
3. ร้อยแปดพันเก้า = (直訳)百八・千九
(意訳)種々様々
4. แปดเหลี่ยมแปดคม แปดเหลี่ยมสิบสองคม
(直訳)八角八刀 八角十二刀
(意訳)策略の多い、手練手管の多い、狡猾な
昨日、桜の開花宣言が有った。今週末が満開だとか…..。
以下の短文をタイ語で書いてみよう。
1. 友人の息子さんが東京の大学に合格した。
2. 彼は経済学部で経営学を勉強するそうだ。
3. 卒業後、帰郷し、いずれは父親の会社を継ぐことになるであろう。
4. 4年後の2025年、日本の経済はどうなっているであろうか?
5. 東京一極集中の時代は終わり、地方がより活性化していることを望む。
3月21日(日曜日)で、1都3県の緊急事態宣言が解除されるか否か、あと7日となった。
そこで、タイ語の「เจ็ด 七」を『タイ語辞典』(冨田竹二郎編纂)で調べてみると、次なる慣用句が書かれてあった。
ชั่วเจ็ดทีดีเจ็ดหน 悪事七回善事七回。禍福はあざなえる縄の如し。
タイ語は母音や子音の数が多いから押韻(=韻を踏む)された表現が好まれる。この慣用句の真ん中にある、<ที>と<ดี>が見事に韻を踏んでいるのも、その一例である。
我々も語彙数を増やして、韻を踏んだタイ語が書けるようになりたいものだ。
昨日は一日中、土砂降りであった。時々、春雷も聞こえた。しかし、春に向けての恵の雨と思えば、苦にならなかった。何故ならば、植物にとって、水こそは大いに伸びる栄養源であるからだ。
翻訳の添削をしていると、「อู่ข้าวอู่น้ำ」という表現が出て来た。直訳すれば、「米の源、水の源」だが、その意味するところは「米どころ」。
「อู่」という単語は「ゆりかご」とか、「源」という意味があるから、この言葉自体、とても優しい印象を与える。
日常でよく使われるのは、「อู่เรือ 船のドック」とか、「อู่รถ 車の修理工場」。ある時、「อู่หมู」というタイ人に会ったことがある。状況から判断して、「養豚場」だった。
そろそろ春本番に向けて、農家の方達は準備万端の一歩手前であろう。
『ทำเอง เก่งจัง』という小学1年生向けの本から引用する。良いことと悪いことが書いてある。我々日本人が学ぶべきことは、日常生活における動詞の使い方である。
1 ดูโทรทัศน์จนดึก ตื่นสายร้องไห้งอแง
2. เข้านอนหัวค่ำ ตื่นเช้าด้วยความสดชื่น
3. จัดที่นอนเป็นระเบียบเรียบร้อย
4. ไม่เก็บที่นอน ปล่อยรกเกะกะ
5. ดึงกระดาษชำระในห้องน้ำเล่น
6. บีบยาสีฟันใช้แต่พอควร
7. ปิดก๊อกน้ำให้สนิททุกครั้ง หลังจากใช้น้ำเสร็จแล้ว
8.ปัสสาวะให้ตรงโถ และกดน้ำทุกครั้งหลังปัสสาวะเสร็จ
昨日の午後2時半頃、有楽町線に乗っていると、次なる内容のアナウンスが流れた。
「2時46分から1分間、全線を止めて、東日本大震災の被災者のために追悼をいたします」
私はその時間には電車を降りることになっていたので、地上に上がってから黙祷をした。
10年の歳月は誰にとっても長い。だが、過ぎてしまえば短いと思ってしまう。ご苦労の連続の被災者を除いて…..。
10年で老化は進む。これだけは否めない。だからこそ、若者に期待したい。陋習にとらわれない新たなる発想を持って、自分に最適の場所でしっかりと働き、家族と仲良く生活するのがいいと思う。
昨日、テレビを見ていると、そういう若者が出て来て、明るい気持ちにさせてくれた。