水仙

 昨日、「アジア女性のための生け花教室」を実施した。生けた花は水仙。中国人の生徒さん3名が参加していたため、華道講師は授業の冒頭、こう説明された。「水仙は別名、金盞銀台(きんさんぎんだい)と言います。白い花弁を白銀の台に、そして真ん中の黄色の部分を金の盃(盞)に喩えております」
 スマホで検索した「金盞銀台」を中国人達に見せると、皆さん納得。金(ทอง)と銀(เงิน)の話ならタイ人にもよく通じる。いろいろな格言が有るから、時間が有ったらタイ語の辞書で調べてみてはいかがだろう。
 中国人が生け花を習いに来初めてから7年が経つ。昨日も新しい生徒さんが一人加わった。日本人的な態度にびっくり。日本に住んでもう長いのかもしれない。いずれにせよ、生け花を習う彼女達には金銭的にも精神的にも余裕が感じられる。

今日のタイ語作文

1.5月の略語はพ.ค.、そして、11月の略語はพ.ย.である。

2.タイ国有鉄道の略語はร.ฟ.ท.である。

3.タイでは日本の古い車両が走っているので郷愁を覚える。

4.日本で捨てられた古着、家具、人形、雑貨がタイ人には人気だそうだ。

5.今月初旬に観光で来日したタイ人男性に会ったが、色合いがよくて、おしゃれなウールの上着を着ていた。

晩秋

 紅葉も盛りを過ぎ、錦秋は晩秋へと移行している。天気がいいので日光浴にはもってこいだ。ビタミンDをたくさん体に取り込み、冬に備えたい。
 新宿でバスを待っていたら、バス停の近くに洋裁教室を見つけた。ちらしには「2時間で縫えます!」とキャッチコピー。2時間で縫えるものといえば、せいぜい簡単なスカート程度。しかし、出来上がった時の達成度や満足感を味わえると、さらにやる気が起きるであろう。
 先週、問い合わせの電話が有った。「入門クラスに関心が有りますが、どのくらいでタイ語が話せるようになりますか?」と訊かれた。私はこう答えた。「習う方の語学センス次第です」と。

「ดีด」という動詞

 或る生徒さんに趣味を聞くと、「เล่นกีต้าร์ ギターを弾く」ことであった。そこで、他の表現も教えてあげた。「ดีดกีต้าร์とも言います」、と。すると、タイ人講師が「เกากีต้าร์とも言います」と教えてくださった。これは辞書にも載っていない。こういうプラスαが勉強していて面白い。
 今日は「ดีด はじく、弾く」の動詞を使った表現をさらに追加しておく。使用頻度は少ないが、余裕の有る人は覚えてみよう。
 1)ดีดพิมพ์ タイプを打つ、 2)ดีดนิ้ว 2本の指を合わせてパチンとはじく、 3)ดีดลูกคิด 算盤をはじく → 皮算用をする、 4)ดีดเปียโน ピアノを弾く  5)ดีดกลับ 跳ね返る 6)ดีดดิ้น (女性が)しなをつくる、 7)ดีดสีตีเป่า  演奏する

今日の翻訳

 かつて授業で勉強した教材を出題する。่辞書を引くことなく、すらすらと訳してみよう。

1. หนูไปเข้าค่ายลูกเสือที่ต่างจังหวัด บรรยากาศในค่ายลูกเสือ ตอนกลางคืนน่ากลัวมาก หนูรู้สึกอยากเข้าห้องน้ำแต่ไม่กล้าไป จะปลุกเพื่อนก็ไม่กล้า หนูจะทำอย่างไร

2. หนูถือหลอดแก้วทดลองของคุณครูวิ่งขึ้นบันไดเพื่อจะไปเรียนวิชาวิทยาศาสตร์ด้วยความรีบทำให้หนูก้าวพลาด หลอดแก้วทดลองตกแตกกระจายไปทั่วพื้น หนูจะทำอย่างไร

3. เมื่อหนูมาถึงโรงเรียนหนูเพิ่งนึกขึ้นได้ว่าหนูลืมนำกล่องข้าวมาด้วย ที่บ้านหนูไม่มีใครอยู่เลย และหนูก็มีเงินไม่พอซื้อข้าวมื้อกลางวันด้วย หนูจะทำอย่างไร

4. ขณะที่หนูเดินผ่านมุมอาคารเรียน รุ่นพี่กลุ่มหนึ่งเข้ามาล้อมหนูไว้และข่มขู่ว่าจะทำร้าย ถ้าหนูไม่ให้เงินพวกเขา หนูจะทำอย่างไร

七五三

 今日11月15日は「七五三」。最近は前撮りが盛んだから、すでにお詣りは済んでいるご家庭が多いはず。昔は呉服屋の店先にたくさんの七五三グッズが並び、店自体がとても華やいでみえた。今は貸衣装で十分。買っても無駄。いずれにせよ幼い子供達の着物姿は可愛い。是非とも写真に残しておきたいものだ。
 今年もあと1ヶ月半となった。果たして何ができるか? 予定したことの7%がまとめられるであろうか? 5%? 3%? 人生にたとえれば、70%はもう終わった? いやいや丁度50%?
 今日は母の命日。86歳で亡くなった母まであと10年となった私。あと何をして、何に情熱を傾け、どうやって心身共に健全で暮らして行くべきか…..。最後のコーナーを回った。

炉開き

 昨日は茶道教室の炉開きであった。茶道では正月にあたる。そこでいつもより格の高い着物を着て生徒達は炉開きのお祝いをした。茶道講師と生徒4名の計5名が着物を着て教室に向かう姿はかなり目立ったようである。
 私は2日前から二重太鼓の帯の結び方を練習し、当日にはすいすいと結べるように時間を計った。その他、いろいろと緊張して炉開きに臨んだ。しかし、自分がお点前をしている時、指が変に動いて棗を倒してしまい抹茶の3分の1が畳にこぼれ落ちてしまった。
 緊張に緊張を重ね、慎重にお点前をしているにもかかわらず、最悪の場面となり、自分の心身の平衡感覚が崩れてしまったことを恥じた。茶道講師曰く、「そういうことが一番の勉強になりますよ」、と。

今日のタイ語訳

1.若い人は耳がいい。一度で聞き取れる。そして記憶力もいい。

2.老人は何度も聞き返すが、どうしても正しい発音ができない。

3.中年は多くの悩みをかかえている。とりわけ金銭問題が大きい。

4.中小企業の経営者は年末に向けて資金繰りが厳しい。

5.賃上げは容易にできるものではない。

間取り

 東京の新築マンションは非常に高い。よって中古のマンションを購入し、間取りを変更するケースが増えている。「タイ語で間取りは何と言いますか?」とボン先生に尋ねると、「แผนผัง」と教えてくださった。しかし、彼女はすぐに「floor plan」と言い換えた。私は内心、「あっ、また英語か」と思った。
 タイ人留学生のシーン先生は来日して2年が経った。泰日文化倶楽部で教えて1年半。20代だから考え方が実に若い。「自我が強い」という表現だが、彼女によると、タイ人は「อีโก้ สูง」というそうだ。「อีโก้=ego」。果たして全てのタイ人がわかるとは思われない。バンコク在住の裕福な家族にのみ通用するのであろう。
 いずれにせよ、タイ社会における英単語の益々の浸透に注目。日本人以上にバンコクの人々は洋風化しているかもしれない。

ไม่ใช่พระอิฐพระปูน

『タイ語辞典』(冨田竹二郎編纂)の中で面白い表現を見つけた。それは「ไม่ใช่พระอิฐพระปูน」。

冨田訳=煉瓦やしっくいで作った仏ではない。→ なにも金仏石ぼとけでもあるまいし、おれは生身の人間だ。→ もうこれ以上黙って辛抱してはおれぬ。→ 堪忍袋の緒が切れた。

 訳文の過程が傑作だ。このような例は探せばまだまだあるが、何分にもタイで生活をしていないから、洒落た言い回しを使う機会がないのが残念だ。「葉梨(はなし)法相のぼやきは話(はなし)にもならない」という程度の駄洒落しか言えないなあ。