温湿度計

先月末、留守中に民生委員が我が家にやって来たようだ。何かが入った封筒をドア横に置いていた。中身は温湿度計。直径7.5ミリ。とても軽い。だが、文字が小さすぎて読みにくいのが欠点。

快適温度(18℃~25℃)は緑、食中毒注意(25℃~35℃)はオレンジ、そして、熱中症注意(35℃~45℃)は赤。一方、湿度はといえば、乾燥・風邪注意(20~40 オレンジ)、快適湿度(40~64 緑)、そして、食中毒注意(80~100 赤)となっている。このような色分けはわかりやすくて助かる。

温湿度計が届けられた2日後、区の高齢者センターから安否確認の電話が入って来た。本来であれば、私が民生委員になって高齢者宅を回ったり、電話をかけたりしたいのであるが、あるがままを受け入れて過ごすのが一番と思い、丁寧に感謝の言葉を伝えた。

今日の語彙

1. 8月上旬     2. 家8軒

3. ベンツ車8台   4. セイコーの時計8個

5. ボーイング8機  6. 8角形の皿

7. 人口の8割    8. 8時間労働

9. 8x8=64  10. 88÷8=11

11. 七転八起   12. 七転八倒

ヒトノロジー

大阪万博へ行って来たM子さんが、昨夜、久々に個人レッスンにみえた。タイ・パビリオンは予約が出来なかったために入れなかったそうだ。「高校生の文化祭程度の展示みたいでテクノロジーが全く感じとれないそうだから、見なくてもそんなに気にしなくてもいいんじゃないの」と私が言うと、彼女は次のように自分の意見を述べた。

「いえ、テクノロジーが無いほうがいいんです。他のパビリオンを見て歩き疲れた最後に、タイ・パビリオンでタイマッサージを受けると、一番の癒しになります。それが素晴らしい!」

それを聞いて、私も納得。「何と言っても、人の手にまさるものはないということですね。テクノロジーよりも、ヒトノロジー。なるほど、これこそがタイが誇り得るもの。あらためてタイの良さがわかったわ!」 そして、M子さんも私もにこにこ微笑んだ。

知ることの面白さ

もう6年もタイ語を習いに見えているY氏が昨日の授業で、「初めて知りました。面白いです」と興奮気味に言った。それは、月称の略書きのことである。例:1月=มกราคม → ม.ค. / 2月=กุมภาพันธ์ → ก.พ. 等。 

彼の興奮ぶりを見て私は考えた。6年間で一通りのことは学んだであろうと思っていたが、漏れているものがたくさん有るということだ。「知らなかったことを知る」ということこそ、「学び」である。

我々は勉強する過程に於いて、これから先も同じような経験を重ねて行くはず…..。基本に戻って確認作業を怠らず、その上でさらに学びを進めることが肝要。「知ることの面白さ」は「知ることの幸せ」と表裏一体である。

今日の翻訳

『จริยศึกษา』(タイ小学校3年生向け พ.ศ.๒๕๒๑)の第10章「ทำดีได้ดีทำชั่วได้ชั่ว」から出題する。

๑. “วันนี้มีผู้โดยสารลืมถุงกระดาษใส่เงินไว้ในรถสามล้อที่ผมถีบ นับดูมีเงินถึงสี่หมื่นบาท” สงบเล่าให้ตาและยายฟัง มีพี่ส้มแป้น พี่สาวของสงบนั่งฟังอยู่ด้วย

๒. “อย่าพูดดังไป เดี๋ยวคนอื่นจะได้ยินเข้า เอ็งโชคดีแล้ว ต่อไปนี้คงจะมีเงินซื้อสามล้อเป็นของตนเองเสียที ไม่ต้องเช่าเขามาถีบอีก เงินที่เก็บได้อยู่ไหนละ” ส้มแป้นถาม

๓. “ผมไปแจ้งความที่สถานีตำรวจ และมอบเงินให้แก่เจ้าหน้าที่ตำรวจเพื่อประกาศหาเจ้าของแล้วครับ”

๔. “ทำไมต้องไปแจ้งความ หรือว่าขณะที่เอ็งเก็บเงินได้มีคนเห็น” ส้มแป้นสงสัย

๕. สงบ “ไม่มีคนเห็นหรอกครับ แต่เงินนั้นเจ้าของเขาไม่ได้ให้ผม เขาลืมไว้ ผมก็ต้องคืนให้เขา”

๖. “เอ็งนี่ช่างโง่จริงๆ ฉลาดสู้เจ้าบุญทิ้งก็ไม่ได้ เมื่อเดือนที่แล้วเก็บปืนพกได้ ก็นำมาให้พ่อของฉัน พ่อเจ้าบุญทิ้งเอาปืนไปขายได้เงินเกือบหมื่นบาท” ส้มแป้นพูดเพราะไม่พอใจการกระทำของน้องชาย

今夏、還暦です!

神奈川県の寒川神社近くから長年通って来られる生徒さんがいる。一昨日、彼に暑中見舞いのラインを送ったところ、すぐに返信が有った。「私は今夏、還暦です!」 それを知って私はびっくり。「泰日文化倶楽部に通い始めたのは34歳でした」と彼。 私はまたもや驚いた。

ということは、彼は26年間、仕事が終わったあと、高田馬場まで通学したことになる。彼が還暦とは! 歳月が経つ早さに3度目の驚きを覚えた。

「今年もシークワーサーの木にたくさんの実がなりました。熟したら教室に持って行きますからね」と彼はラインに追加。沖縄から持って帰って来たシークワーサーの種を植えたら、数年前から実をつけ始めたそうだ。「体力が続く限り泰日文化倶楽部に通いますよ」と言う彼の意思表示に対して、私は奮起せざるを得なくなった。

タイ人夫婦+日本人1名の旅行

今年6月に入会したM子さんはとても積極的にタイ語を吸収している。7月上旬、タイから日本に遊びに来た友人の若いタイ人夫婦と5日間、彼女は京都へ。旅行前に私は激励した。「いいチャンスです。大いにタイ語を話して来てくださいね」

ところが、八ッ橋のおみやげを持って教室に現れた彼女の表情がいまいちであった。「タイ語、どうでしたか?」と尋ねると、彼女はますます落ち込んでいった。理由は、ほとんどタイ語を喋らなかったから。

そんなこと、有り得るかしら? だが、M子さんの次なる説明で納得した。「奥さんが日本語のガイドをやっていて、日本語ペラペラ。だからタイ語を喋るチャンスが無かったのです。タイ人夫婦の会話は速すぎて全く聞き取れなかったし….」 

なるほど、日本語が達者なタイ人とタイ語で話すのはなかなかできないものだ。タイ人の日本語能力を上回るタイ語能力を持たない限り、タイ人とタイ語で真面目に喋るのは気おくれがしてうまくいかない。

今日のタイ語作文

1.ゆりかもめ線の優先席は2人掛けである。

2.先日、レスラーのような欧米人がその優先席を一人で占拠していた。

3.本人の正面に置いたキャリーケースの上にタブレットを乗せ、彼は動画を見ている。

4.彼の隣りにほんの少しだけ空間を見つけたので、私は兎のように体を丸めて座った。

5.その欧米人は私を無視し、びくりとも動かなかった。

6.「ここは優先席ですよ」と注意したかったが、喧嘩になってもいけないから、私はこらえた。

瀬戸内寂聴と塾

『寂聴・猛の強く生きる心』(梅原猛・瀬戸内寂聴 講談社 1994年)の中に、「少人数の塾で個性を引き出す」という箇所が有る。興味深い文章を以下に抜粋する。

梅原:「日本の大学は、受験システムのうえに偏差値教育が主になっているから、大学がまったく個性がなく、独創性もない。<中略> 瀬戸内さんかついで塾でもつくらんといかんか」

瀬戸内:「私は徳島でも塾を開きました。寂聴塾というのを。それから京都でも嵯峨野塾を開きました。徳島では、私が塾で教えた連中が今、社会へ出て、要所要所でそれぞれ活躍してます」

だが、寂聴さんは徳島の塾を閉じた。「塾は長くするもんじゃないの。二羽さんの[文学者]じゃないけど、してくれて当たり前になるの。私は全部手弁当ですからね。そうすると当たり前になるの。だから、それはあるときにぱっと解散して、もうお前たちにはやり方教えたから、自分たちでやんなさいと言って。そうすると、またそれぞれやりますよ」

風炉の話

今日は風炉(ふろ)の話をします。風呂ではありませんよ。風炉は茶道において、5月5日頃(立夏)から11月8日頃(立冬)の間に使う炉のことです。暑い季節を迎えると、客人の心地よさを考えて、客人から炉を遠ざけるように工夫されたのが風炉の始まりだとか…..。

冬期、しゅんしゅんと沸く釜の湯の音(=松風の音)を聴くのもいいですが、風炉に替わった途端、季節の移り変わりをはっきりと感じ取ることができ、意識が見事に夏向きになります。こういう感覚はタイでは無理ですね。

その風炉ですが、私が所属している茶道教室の風炉は、最近、沸き具合が非常に悪く、熱くなったり冷めたりと一律ではありません。肝心の茶を点てる時に温度が下がっていることがよく有ります。原因は電気コンロにあるとは思いますが、不可抗力にもめげない精神、すなわち、「四の五の言わずに、あるがままを受け入れる自然体」を鍛えられています。