7月末から、昼休みの時間帯を利用して、個人レッスンを受け始めた方がおられる。自転車で通って来られる距離にお住まいなので、いわばご近所さんである。彼は言った。「いやあ、こんなに近くて便利なところにタイ語教室があるとは!」
彼の場合、タイでの仕事が頻繁にあるため、授業内容も即戦力が要求される。顧客はタイの日系企業だから、工場まで行けば、もはや日本と全く同じ雰囲気で仕事がこなせるとのこと。
問題は、タクシーに乗って、バンコクから150キロ離れた工場まで、ぼられることなく、安全に行きつけるかどうかが、いつも心配の種だそうだ。それを聞いて、彼の心配をやわらげるための授業をしている。
昨日は、第2回目の授業であった。ところが、何としたことか、私が授業があることをすっかり失念してしまっていた。12時15分頃、彼が電話をかけてきた。「あのー、教室で待っているのですが..」
私はあわてて教室まで飛んで行った。彼は「マイペンライ」と、優しく言ってくださった。微笑みを絶やさない彼は、とてもタイに適している方だ。
和三盆がかかったかき氷
昨日、仕事が早く終わったので、十条銀座を歩いた。かき氷屋の前に人が並んでいるので、私も並んだ。待つこと10分。宇治金時を注文した。値段が3種類あったので、一番安い¥880のを選んだ。使われている氷は長野県の天然氷。そんじょそこらのかき氷とは違った。
氷にはさくさく感はなく、代わりに、ふわふわ感があり、口の中に入った時はもう溶けている感触であった。吊り下げられているメニューの中に、和三盆のかき氷が有ったので、追加注文した。¥1,000也。
店の人に言われた。「氷、好きなんですね」 私は答えた。「和三盆のかき氷が珍しいからです。私、香川県出身なものですから」
それを聞いた店の人は、「息子が香川県へ行って、和三盆の一番おいしい店を探してきているんですよ」、と付け加えた。その店は1年中、かき氷をやっているそうだ。
「かき氷の美味しさを味わうのであれば真夏はだめ。もっと涼しくなってから、また来てください。氷がひきしまっていますからね。真夏は氷がすぐ溶けますもの」
それを聞いて、なるほどなあと思った。たしかに、話しているうちに、氷はあっというまに水になってしまった。
今日から8月!
今日から8月。新しい月を迎えることはうれしい。7月は夏休みを取った生徒達が多く、タイからのお土産をたくさんいただいた。皆さんで仲良くいただくタイの伝統的な菓子は限りなく美味しい。
昨日、見学された2名が、今月から補充クラスである中級クラスと上級クラスに入会してくださることになった。この真夏にタイ語に挑戦とは、その心がけが素晴らしいと思う。
そして、7月だけ休学されていた生徒も、復帰する予定なので、クラスが賑わいそうだ。
そうそう、昨日から、ものすごく明るい性格の男性が入会された。彼が入ったことにより、おとなしめのクラスの雰囲気がパッと変わった。みんな、やる気が出た感じだ。
高田馬場駅前の F1ビル
どうしても買いたい本が有ったので、昨日、高田馬場駅前のF1ビルに入っている芳林堂へ行った。芳林堂へ行くと、いつも帰りに地下にあるカンタベリーという喫茶店に寄ることにしている。そこで各紙の新聞を読み、情報収集をするわけである。
F1ビルは実に面白いビルだ。1階正面にはドン・キホーテが構えている。聞くところによると、高田馬場で一番高いテナント料を支払っているそうだ。1階にはサンジェルマンのパン屋が頑張っている。奥には不動産屋が入っているが、泰日文化倶楽部の部屋の仲介をしてくれた不動産屋だ。2階には、小豆島出身のオーナーが経営している讃岐うどん店が有り、ちょくちょく食べに行く。韓国料理店、キリンのビアホール、そして、老舗のロシア料理店も大いに賑わっている。
地下にも老舗のイタリア料理店「文流」が有り、イタリア語の講座もやっているようだ。モンゴル・ラーメン店の前はいつも行列ができている。もちろん、中華料理屋も健在なり。一度、インド料理店が開店したことがあるが、半年で店を閉じた。
旅行に行かなくても、F1ビルを上がったり降りたりするだけで、安上がりではあるけれど、旅行した気分になれるから不思議だ。
○○所 vs ○○署
学生の試験問題に、「สถานีตำรวจ を訳しなさい」と出題すると、回答に、「警察所」と書いた学生が20%もいた。最初、一人、二人なら、まあ、致し方ないなあ、と思ったが、学生の20%もが「警察所」と書いたものだから、もうびっくり。
警察署にお世話になるようなことがあってはならないから、漢字が書けなくてもいいかもしれないが、少しは意識してほしいものだ。こうなると、消防署は消防所、税務署は税務所と書くかもしれない。大学を卒業して、立派な社会人になるには、どうか、警察署、税務署くらいは正しく書けるようになってもらいたいものだ。
インターネットの時代だから、直接、その場所に出かけて行くこともなくなりつつある。税務署も e-tax で済ませられる。保健所へ行く必要が無い場合は、漢字を書くことも無い。いずれ、保健所も、保険所と書くようになるかもしれない。交番を公番と書く人もいる。KOBAN というふうに看板が出ているから、漢字がわからなくなっている始末だ。
第77回 アジア女性のための華道クラス
7月27日、第77回 アジア女性のための華道クラスが実施された。6年半前から開講されたこのクラスのことは、ブログでたびたび取り上げているが、この第77回はまことにおめでたい回数であった。
何故ならば、7月であり、27日であり、この実施日にも、ラッキー7が入っているので、全部で、7の数字が4つも重なり、考え方によっては、まことにおめでたいと思う次第である。
このような数字が並ぶことは、これから先、もう無いと思っているので、ここに書きとどめておこう。
一昨日のクラスには、ミャンマー女性が3名、参加された。最近は、タイ女性が全く参加しなくなったので、泰日文化倶楽部としては、いささか残念に思っている。
稽古事は本人の意思を尊重するのが大切であって、強制するものではない。アジア諸国の女性が日本の生け花に親しんでくれることを、いついつまでも願っている。
悲しくも信じられない話
昨日、歯医者の卵であるタイ人講師が、「タイ語中級 土曜日14:00」の自由会話クラスで、次のような話をしていた。
「私の大学の先輩が、新婚旅行で行ったグランドキャニオンで、二人とも雷に打たれて亡くなりました。結婚してわずか10日目のことでした。ご主人は文学博士です」
それを聞いた我々は皆、一瞬、あっと息をのんだ。そして、お二人の冥福を祈った。旅先におけるタイ人の事故については日本の新聞に出るはずもないから、タイ人講師がしゃべらなければ、我々日本人は知る由もない。
悲しい話、不幸な話を自由会話の時間に取り上げるのは不謹慎かもしれないが、話題にのぼらせることで、その人達への思いが伝わればいいという考え方もある。
タイは仏教国であるから、タイ人は、悲しい話、不幸な話は鷹揚に受け止める自助作用を有している。人生はいろいろ、何でも有り。しかし、明日が来ない日はない。合掌は心の中でずっとなされ続けているのである。
好きな漢字を書きなさい。
日本語学校で夏期講座を受けている太陽君は、一日も休まずに学校に通っている。学校では毎週、小テストが課されているようだが、彼は「簡単です」と言って、いつも合格点を取ってきている。
答案用紙を見せてもらうと、空白の部分に、「松尾牛丼、牛肉、焼肉、焼鳥」と書いてあった。「これは何なの?」とたずねると、「先生が、好きな漢字を書きなさい、と言ったから書いた」と、答えた。「松尾?って、松屋のことじゃないの?」と指摘すると、「うん」と返事した。
それにしても、彼のセンスが愉快だ。肉が好きな彼は、頭の中は肉、肉、また、肉である。漢字を書いても、肉シリーズ。
それを見て、タイ語の生徒さんにも言いたい。好きなタイ語をいつも、どんどん書いていくといい。すると、タイ文字に関する抵抗も薄れて、タイ語の勉強が楽しくなるであろうから。
タイ語の「歩く」という動詞を使った表現
日本語でも、「歩く」という漢字は、進歩、闊歩、譲歩、というように、合成語としてお目にかかることがあるが、タイ語もまた同様である。
例を挙げると、① 歩く+道=旅行する、 ② 歩く+遊ぶ=散歩する、、③ 歩く+行列=デモをする、 ④ 歩く+呪文=呪文を唱え続ける、 ⑤ 歩く+海=航海する、 等々。
私はかつて目茶目茶、忙しく働いたことがある。その姿を見て、タイ人から、「電線をはりめぐらしながら歩いてていますね。 เดินสาย 」と言われたことがある。その意味は、掛け持ちで働く様子を表現したもののようだ。
昨晩、中級の授業を見学していると、「埃を蹴って歩く เดินเตะฝุ่น 」という表現が出た。その意味は、「仕事が無くて、ニートに近い生活をしている人」、だそうである。仕事を求めて、道路上の埃を蹴飛ばしながら歩く姿を表現したものだという。
ペットボトルのふた
ペットボトルのふたを集めて廃品回収に出すことができるため、各所で集めているので、私もその動きにできる限り参加している。たとえば、大学へ行く時には1週間に集まったふたをビニール袋に入れて持って行っている。
ところが、先日、回収のかごの中に入れる時、持って行ったビニール袋が破けて、かごの中に入る前に地面に散乱してしまい、拾うのに大変であった。すると、近くを通りかかった女子学生が一緒になって拾ってくれたのである。見て見ぬふりをして、そそくさと教室へ向かうこともできたであろうに、ごくごく自然に手を差し伸べてくださった。
ペットボトルのふた自体には大した価値があるわけでもない。しかし、ペットボトルのふたが一人の女子学生の優しさを教えてくれた。その日、私はとても嬉しかった。