昨晩、高田馬場駅近くのさかえ通りにある回転寿司屋へ行った。ところが4月19日で閉店したという貼り紙が貼ってあった。ものすごく流行っていたから、まさか閉店するとは思ってもみなかった。
何故、閉店したのか理由が知りたくて、すぐ近くの青果店へ行く。果物を買いながら、店主に尋ねてみた。
「天下寿司、どうして閉店したんですか?」
「消費税8%がきつかったらしいよ。みんな、安いものばかり食べるからね。15年間、頑張ったけど….。でも、また新しい寿司屋が入るみたい」
青果店はさかえ通りの主(ぬし)である。周辺の店舗に関してならかなりの情報をつかんでいるから、時々、果物を買ってはおしゃべりをしている。
「ところで、猫ちゃんは?」と訊くと、「遊びに行ってばかりよ。どこへ行くんだか知らないけど」
そう言ってからほんの数分で、黒猫が現れた。我々の会話を聞きつけて存在感を示したかったらしい。だが、すぐに店から出て行ってしまった。雌猫とのデートだ。猫は気楽でいいにゃあ。
タイ人からの呼ばれ方
初めて会ったタイ人は私のことを、「พี่ ピー 年上」と呼ぶ。年上の人を呼びかけるには無難な呼び方だ。だが、私が先生をしていることを知っているタイ人からは、もちろん「อาจารย์ アージャーン 先生」と呼ばれる。
ところが、数年前から、「ป้า パー 伯母さん」と呼ばれるようになった。私の年齢から言って、これまた受け入れざるを得ないのは当然なことであろう。
そして、最近は、「แม่ メー お母さん」と呼ばれることのほうが多くなった。何の血縁関係も無いタイ人から「お母さん」と呼ばれるのはいやではない。むしろ、親しみがわいていい。ああ、このくらいの息子や娘がいるといいなあと思っている。
そのうち、「ยาย ヤーイ おばあさん」と呼ばれることになろうが、願わくばそういう日が来るのは、どうかあと10年後であってほしい。
Fons Gtatiae ~恵の泉~
昨日、大学の食堂に入ってみた。12時前だったのですいていたからである。春野菜が乗ったアサリ・ピラフ ¥400を注文。だが、一口食べただけで塩分過多が感じられた。若い学生にはいいかもしれないが、高齢者にはやはり気になる味だ。
12時半、午前の授業が終わった学生が次から次にやって来て食券を買う列が長くなった。早く退散しないといけないなあと思いながらも、私は若者のパワーの中にひたっていた。ランチはまあまあでも、それ以上のパワーをもらったことに満足。
食堂の横に、小さな庭が有った。庭の名前は、Fons Gratiae 恵の泉。立札の説明に拠ると、「自然と歴史に想いを馳せる空間として創出されたものです」と書いてあった。夏にはホタルが飛ぶらしい。こういう庭の空間はすばらしい。ほんの少しだけ佇んで、何かを想う。時々、そのような時間が欲しいものだ。
7年前の雑誌から
収納ケースを整理していたら、7年前の雑誌が出てきた。『週刊ダイヤモンド 特大号』(2008年4月12日号)の特集は、「後悔しない老後」。おそらくこの見出しに惹きつけられて購入したものと思われる。
その他の見出しは何かとチェックしてみると、①ベビーパウダーも危ない! アスベスト被害急増の恐怖。②スタンド淘汰を加速させる列島ガソリン値下げ競争。③格安航空に参入するANAが日本を‟バッシング”するとき。④三洋電機 業績V字回復の裏側で進む経営失速と士気低下の深刻、等々。
わずか7年前の雑誌だが、いずれの話題も遠い過去の話みたいに思われる。何故ならば、毎日、次から次に新しいニュースが更新されているから、数年前のことはもう忘れている。三洋電機はもう無い。
雑誌の中で取り上げられた「時の人」は、ゴルファーの石川遼君だ。プロになってから3ヶ月。16歳の顔はとてもういういしい。しかし、今は苦戦中。
一般的には10年単位で過去を振り返り、現在と比較するものだが、それよりも短い7年ですら、世の中の動きは予想以上に激変している。
日曜日の授業から
日曜日は2クラスを実施しているが、タイ人講師の出講は無い。吉川に習いたいという生徒達の要望を受けての個人レッスンのみである。
その個人レッスンに昨日、見学者が有った。そこで、授業の組み立てとして、①自由会話(30分)②即時通訳(30分)③講読(30分)の3本立てで授業をした。私自身はとても楽しかったが、果てさて見学者の満足度はわからない。だが、間違ったまま発音している発音の矯正、タイ人講師が直してくれない発音を矯正してくださり勉強になったという感想をもらして帰られた。
最近、通訳になりたい、ガイド試験を受験したいという方達が見学に見える。そういう方達はすでにかなりのタイ語の学力を有しておられる。グループレッスンに入って、のんびり勉強することはしたくない。となると、個人レッスンしかない。だが、個人レッスンは学費が馬鹿にならない。かくして、独学で受験勉強なさることを助言している。
消防訓練
昨日、自宅のマンションで消防訓練が有った。私は環境理事なので参加をして、消防署から来た消防士4名の実演と説明を聞いた。簡単に終わるのかと思いきや、2時間も要した。
やはりベテランの消防士の説明は非常にうまい。4名くらいの人数で各マンションを訪問し、消防訓練を行っているようだが、同じことをしゃべって飽きはしないのであろうか。
いつも思う。保険外交の方達、はとバスのガイドさん達、その他、いろいろな職業に従事している方々は、同じ説明ばかり繰り返さなくてはならない。
そんなこと言うならば、各種教師達も全く同じ。1年間のサークルで動いていると、しゃべる内容がそうそう変わるものではない。
飽きを感じないように本人の工夫もいるが、何よりも相手が変わるから毎年、毎回、仕事として励むことができるのであろう。
流れる花
『美と破局』(辺見庸著 毎日新聞社刊 2009年)の中に「名残の桜、流れる花」という随筆が所収されている。一部を抜粋すると、こうである。
「散り残った花がなま暖かい風にのり、いままさに最期の舞を舞っていた。いっときは見わたすかぎり白んだであろう桜吹雪のすごみはすでになく、ほろほろとまばらに散る花弁は、むしろうら寂しい里の風花を思わせた。息を整えつつ落花の軌跡をぼんやり眼で追っていると、花びらが<いま>と<昔>をひとすじの白い残像でつないでいる気がしてくる。花が枝を離れ、細かく旋回して、ひたりと川面に着水するまでの、ひどく緩い数秒間。それが何年もの時の移ろいにそのまま重なってくる」
美しい描写である。桜は悠久。幾年を重ねようとも、日本人はまた来る年の桜を待ちこがれ、そして、淡い色合いの花びらに己が心を鎮める。
タイ料理店「เป็นไท 自由である」
昨日、仕事で押上の方へ出かけた。仕事が終わったのが5時過ぎ。街を歩いていると、タイ国旗がひらひら。それに誘われるがごとく店の中へ。店は小奇麗であった。
店の名前は「ペンタイเป็นไท 自由である」。なかなかに粋な名前だ。注文したのはパッタイ(ผัดไท)。語呂合わせのために頼んだわけではない。あくまでも偶然の一致。
しかし、値段が消費税込みで¥1,188。高い。会計を済ませたあと、大通りに出ると、東京スカイツリーがそびえている。近くで見ると、高い、高い! なるほど、パッタイが高いわけがわかった。
「ペンタイเป็นไท pen-thai」の発音だが、「ペンタイเป็นไต pen-tai」になってしまうと、「自由である」が、「腎臓である」という意味になるから、くれぐれも気をつけよう。
番号の押し間違え
今朝7時過ぎに自宅の固定電話が鳴った。何事であろうと思いながら受話器を取ると、FAX音であった。コピーしてから見ると、都内の某会社が大企業の東京支社に宛てた確認書であった。
私の固定電話はその大企業の東京支社の電話番号と、番号が一つだけ異なるだけなので、こうした間違いFAXはたびたび有る。そのたびに送信元の会社に電話をかけて、送信ミスを知らせてあげている。無視してもいいのだが、ビッグなビジネスだから、子会社の損失を考えると気の毒だと、つい同情してしまうのである。
世の中はすでにメールの時代。今朝のFAXの内容も、「注文は、<注文書の書面>ではなくて、これからは電子データーにて確認する」というものであったが、その用件がFAX送信ミスにより全く伝わらないということになっているのだから、どうにもならない。番号の押し間違えはくれぐれも要注意だ。
帰国子弟多し
長い長い春休みが終わり、昨日から上智大学での講義が始まった。一番に心配していたのは体調。風邪をひいては大変。語学講師は声が商売道具だから。あとは精神的安定度。だが、体調も気力も万全な条件で教壇に立つことができた。
初級クラスの受講生は32名。それに公開講座から参加している大人が4名。計36名なり。いやあ、多いなあ。だが、そこは私。45年間の実績を持っている。学生の人数が多かろうが少なかろうが、なんとでもなる。その証拠に、教室では笑いがよく聞こえてきた。覚えがいいのは上智大生だから当然だが、とても明るいのには救われる。
「タイからの帰国子弟の方、手を挙げてください」と言うと、10名位の学生が挙手した。一番前に坐っていた女子大生に「何年間?」と訊くと、「15年間」と答えた。それにはびっくり。だが日本人社会の中だけで暮らしていたようだ。だから、タイ語の勉強はこれから。体の中にしみついているタイ語の音を目覚めさせてあげるのが私の役目。2015年度の授業が楽しみになった。