イベット・ジロー

昨日は台風が四国と関西に上陸したため、全国的にいろいろな祭りや催事が中止された。東京湾の花火大会も順延無しの中止と発表された。
 昨晩、友人達と食事をしながら、私は言った。「イベントが中止になると、弁当屋が儲からないわよね」
 私としては、イベントと弁当(ベントウ)の両方の音を列挙し、音遊びをしたつもりである。さらに続けた。
 「そうそう、イベット・ジローが亡くなりましたね」
 これを聞いて、若い人が、「イベント・ジローって誰ですか?」と言った。
 「違いますよ。イベット・ジローですよ。フランスのシャンソン歌手。日本によく来ていたのよ」
 イベット・ジローは行年97歳。イブ・モンタンと同世代で、「愛の賛歌」が得意であった。

鴻巣の由来

昨日、急な仕事で鴻巣へ行った。池袋から湘南新宿ラインでわずか47分。乗り換えも不要だから、らくらく行ける。ホームに降り立つと、草の匂い。おお、なつかしい。
 鴻巣の人口は約11万6千人。そのうちの16%が東京へ通勤しているそうだ。東京から50キロ圏内なので、住宅がいっぱい。
 私の関心は「鴻巣」という漢字にある。ネットで調べてみると、昔、ここに「国府の州 こくふのす」が有り、それがやがて「こふのす」と呼ばれるようになったが、時間が経つうち、「鴻巣」と書かれるようになったそうである。めでたいコウノトリにあやかったみたいだ。
 旧中山道を車で通ってみたが、夜はチェーン店の灯りばかり。人は全く歩いていない。日系ブラジル人がたくさん働いているとのこと。
 昨日のことを思い出しながら、ベトナムの蓮茶を一服。何故ならば、中国人やベトナム人の名前には、「繁盛」を意味する「鴻 ホン」という漢字がたくさん使われているから…。

ポチ と ハチ公

『二葉亭四迷の明治四十一年』(関川夏央著 文藝春秋刊 1998年)の中に、次なるくだりがある。
 「二葉亭の犬猫を好むことは尋常ではなかった。官報局に勤めはじめたばかりの頃、役所からの帰り道についてきた狐に似た醜い犬を飼い、ポチと名づけてかわいがった。居留地のフランス人が飼い犬を<プチ>と呼び、そのなまりの<ポチ>が明治日本に広まり、以来日本の犬の代表的な呼称となったのである」
なるほど、明治の人には、<petit>というフランス語が、<ポチ>に聞こえたというわけか。だが、「a, i, u, e, o」という母音しか無い日本語においては、そう呼ぶしかなかったのであろう。文明開化の明治時代、フランス人が話すフランス語は相当におしゃれに聞こえたはずである。
 ところで、昨日のニュースで、渋谷駅周辺の開発が本格的に始動し始めたものの、ハチ公の今後の設置場所が決まっていないそうだ。純日本風の立派な名前のハチ公。今では、珍しい名前になってしまっているが、忠犬ハチ公よ、永遠なれ!

泰日文化倶楽部の1週間

泰日文化倶楽部は、8月12日(火)から18日(月)がお盆休みです。この期間は授業がありませんから、生徒の皆さん、どうかメモしておいてくださいね。
 ところで、泰日文化倶楽部の8月度における1週間の状況を簡単にご紹介しましょう。
 グループ・レッスンに限って言えば、月曜日2クラス、火曜日7クラス、水曜日5クラス、木曜日6クラス、金曜日3クラス、土曜日5クラス、そして、日曜日1クラス、計29クラスを開講しています。これらの数字から言えることは、火曜と木曜、生徒達が一番集まりやすいということです。逆に、月曜、金曜、日曜は通学して来ることが、何となく面倒くさいということでしょうか…..。
昨日、「タイ語入門 木曜日17:30ー19:00」というクラスを新規に開講いたしました。この時間帯にクラスを開講したのは初めてです。会社勤務の方はまず無理でしょう。しかし、そこを何とか時間のやりくりをして入会された方がおられます。有難いことです。
 タイ語の必要性は、年々、増してきています。今、勉強しないと損です。今、この時をを大切にし、<タイ語の貯金>を始めましょう! 利息? それはタイ人の笑顔です!!

タイ女性と代理出産

最近のニュースとして、タイ女性(21歳)の代理出産が話題になっている。代理出産であれば他国でも実施されているであろうから、それだけならニュースにもならない。しかし、タイ女性が産んだ双子のうちの一人がダウン症であったため、依頼主のオーストラリア人夫婦がその子の引き取りを拒否したことに端を発し、オーストラリア首相までがコメントを出し、さらには、多額の寄付が集まっていることに対して、当該のタイ女性が明るく会見している姿をテレビで見て、これから先のことをつい案じてしまった。
 30年前の話になるが、その頃、幼児誘拐が多発し、ヨーロッパへ売り飛ばされて行った事件があった。何とかわいそうなことであろうかと思ったが、今回の事件は代理出産業というビジネスが問題だ。依頼する側にとっても、そして、依頼される側にとっても、リスクが大きすぎる。問題が発生すれば、仲介業者はおそらく責任をとろうとはしないであろう。
 私は仕事上、複雑な家庭環境で育ったタイ女性と接することが多々有るが、いつも願うこと、それは、タイ人の持ち前の明るさを維持し、普通の生活をしてほしいということだ。代理出産をしたタイ女性は、「貧乏だったから」と答えた。この言葉を私はこれまでにいやというほど聞かされてきた。貧乏から逃れるために、女性であることを売り物にしてはいけない。やむを得ずやってしまっても、十分に反省をし、それを繰り返してはならない。タイの少女達には教育の機会をできるだけたくさん与え、判断力のある女性に育ってほしいといつも願っている。

蝉の大合唱

毎朝6時前に目が覚める。学習院の森から蝉の大合唱が聞こえてくるからだ。窓を開けて空気を換える。すると、蝉がマンションの木に飛んで来て、ミンミンと鳴き始める。
 蝉という漢字は、「虫」+「単」だから、イメージ的には静かな感じがするが、なんのなんの、うるさいったらありゃしない。「うるさい」は、「五月蠅い」と書くが、蠅のほうが断然、静かだ。
 タイ語で蝉は「จักจัน ヂャッカヂャン」。鳴き声から由来していると思われる。そう思えば、ヂャッカヂャンとも聞こえないでもない。
 しかし、8時を過ぎると、蝉の声は聞こえなくなる。朝寝の時間かもしれない。
 その代わりとして、車の往来の音が聞こえる。東京の中でも大動脈の環状4号線。すなわち、明治通りだ。外国人観光客に人気のある明治神宮の静寂さとは対照的なる経済活動の音! 一日の始まり、始まり。

滝 or 池ポチャ

昨晩、「タイ語初級 18:00」のクラスを手伝った。生徒の一人が、「13日からタイへ旅行します。チェンマイのドイインタノン山にも登ります。滝を見るのが楽しみです」と、嬉しそうに言った。
 そこで私は白板に、「น้ำตก nam-tok 滝」と書いた。
 すると、Hさんが、「私は ตกน้ำ tok-naam 池ポチャでしたよ」と言った。どうやらタイへ行って、ゴルフ三昧の休暇を過ごして来られたばかりのようであった。
 滝というタイ語は、「水+落ちる」、そして、ゴルフの池ポチャは、「落ちる+水」。語順が変わると、別の意味になるわけだ。
 この日は、扇風機の話も出た。扇風機は、「พัดลม phat-lom 扇+風」。もし、「ลมพัด lom-phat 風+吹く」だと、風が吹くになる。語順が変わると異なる意味になる場合がタイ語には山ほど有るから、こつこつ勉強していくしかない。
 授業後、いつもの通り、東京で一番安い居酒屋へ行き、反省会かたがた皆でワイワイやり、頭の疲れをとった。

自然の中の生活

昨日、池袋西武デパート内のリブロで行われている古本市に行った。多くの人が暑さを逃れて、いえいえ、叡智を求めて、古本を物色していた。たくさん買い過ぎると持ち帰るのが重いので、5冊にとどめた。
 そのうちの1冊は、『ソローとアメリカ精神 米文学の源流を求めて』(日本ソロー学会 2012年 金星堂)。ヘンリー・ソロー没後150周年を記念して、日本の米文学研究者達が書いた論集である。
 2006年9月、私はプミポン国王の生誕地を取材するため、ハーバード大学近くの病院へ行ったり、実際に住んでおられたアパートの写真を撮ったりした。そして、ソローが住んでいたボストン近郊のコンコードまで足を伸ばし、レプリカではあったものの、<ソローの小屋>の様子を見、自然を愛したソローの生き方に少しばかり触れてみた。さらには、近隣に住んでいたオルコット(『若草物語』の作者)の家へも行き、彼女の執筆デスクも目におさめた。
 あまりにもスピード化された現代。東京の生活は疲れる。だが、避暑に行く時間が無い。せめて、この本を読んで、「自然なる生活」を取り戻さなければ….。

「絶対に通じる旅のタイ語」 & 土曜日の新規クラス

昨日、11時から「絶対に通じる旅のタイ語」に、1名の参加者が有った。彼はもう10回以上もバンコクへ出張しておられるそうだが、これまで独学であったため、そろそろ発音を磨かなければという意識がめばえてきた時期であった。若いので、発音はいくらでも矯正可能とみた。
 12時30分からは、予定通り、「タイ語入門 土曜日12:30」を開講した。これには4名の見学者が参加された。90分、丁寧に教えた。だが、このクラスに正式の生徒として学ぶ予定であったKさんは現れなかった。
 私は見学者達に言った。「このクラス、生徒さんがいないので、今日限りです。幻のクラスとなりました」
 彼らは状況がつかめず、きょとんとするばかり。住んでいる場所を尋ねると、一人の女性は「鎌倉です」と答えた。
 「鎌倉は遠いですね。通ってくるのが大変。お住まいの近くでタイ語教室を探されたほうがいいかもしれません」と、私。
 すると、彼女はすかさず応じた。「あの、実を言いますと、私、7年前にもここに見学に来たことがあります。その時も全く同じことを言われました」
 それを聞いて、相変わらず商売っ気が無いなあと、思わず苦笑した。
 いずれにせよ、授業後、見学者達は全員、泰日文化倶楽部に入会することを表明してくださった。

てるてる坊主

 日本語を習っているタイ人から、「これ、何ですか?」といって見せられたのは、てるてる坊主であった。
 「ああ、これはですね、てるてる坊主と言います」と答えると、彼はさらに尋ねた。「何のため?」
 そこで、私は説明してあげた。「子どもが遠足に行く時、雨が降らないようにと願って、てるてる坊主を作り、縁側につるして置く習慣があります」
雨といえばスコールのイメージが強いタイ。そのタイから来た彼には、私がいくら説明してあげても、納得がいかず、ただただ気味わるがるばかりであった。
 そういえば、最近、てるてる坊主を見なくなった。いつも庇のところにぶらさげていた民家があるが、もはやその家は朽ち果ててしまい、はたして住んでいる人がいるのかどうかも怪しくなった。子供達が成長し家を出たようだ。
 大正ロマンの香るお屋敷も解体され、マンションとして生まれ変わった。鉄骨の窓枠に〝てるてる坊主″はもうみられない。