寮友からのメール

昨日、寮友から同窓会に参加するというメールをもらった。彼女とは卒業以来、3回しか会っていない。ということは、平均して15年に1回の計算になる。
 「おかげさまで医者知らずのビンボー生活を満喫しています。今頃、社会運動に目覚め、デモやら集会に行っております、その合間をぬって、ペンキ塗りやら、韓国語の勉強をしています。毎年変わるのですが、今年の私のテーマは沖縄とソウルです」
 彼女と個人的な話はしたことがない。それだけに、これだけ書いてくださったことに感激。そして、韓国語をやっていることにも声援を送りたくなった。
 それにしても、毎年、テーマを決めて活き活きと生きておられるとは! さすが我が寮友だ。

5月8日に無料体験クラスを開講

5月8日に、「タイ語入門 金曜日19:00」クラスを、706号教室に於いて、無料体験クラスとして開講する。
 一般的に何かの勉強を始める場合、日本人は4月から始めるという習わしがあるが、最近はあまりにも忙しく、4月はそれどころではない。何故ならば、会社が忙しすぎるから。
 だが、ゴールデン・ウィークでやっと一息つくと、周囲は新緑だし、何かを始める気持ちの余裕も出てくる。五月病を防ぐためにも、日常生活において、週に一度は異なる環境に自分を置くのはいいことだ。そのうちの一つとして、外国語はいかが?
 『<新ことば>の課外授業』(西江雅之著 白水社刊 2012年)の中に、次なる文章がある。
 「その人自身が日常的に、たとえば五千単語以下しか使っていないとしたら、外国語を学習しても、それぐらいの数までしかいかない。第二言語だけ急に一万語身につくということはあり得ないことなのです」
 これを読んで、なるほどと思った。外国語の上達以前に、日本語の語彙力、表現力をつけなければ。そして、それと並行して、外国語を学べば、平衡感覚のある自分を創造できること、間違いなし。

会話力をつけたい!

 目下、タイへ旅行中の生徒さんからLINEが送られてきた。それには、「会話力の無さを実感している」という内容が書かれてあった。私はすかさず、「สู้ สู้ สู้ 頑張って! タイ人とたくさん話してください!」と書いて返信した。
 はてさて、会話力を高めるにはどうしたらいいか?
 それには、おしゃべり屋さんであることだ。積極的にしゃべる性格に自己改造しなければすべては始まらない。そして、好奇心の塊であることだ。一番いいのは恋愛だが、そういう恋の季節を通り越してしまった年齢層の方達が意外にもたくさんタイ語を習っている。とすると、タイへ行き、自分ひとりで武者修行の旅をすることである。親しい友人に甘えていてはいけない。友人はあなたのタイ語力を向上させてあげようとは思っていない。一緒にいるだけで自然な時間が流れるわけだから、あまり勉強にはならない。
 友人に頼ることなく、知らないタイ人の中に自分を置き、言いたいことを言って、聞きたいことを聞く。そうすれば、会話する勇気と自信がおのずから身につくはずだ。

洋品店の店主の夢

昨日、浅草へ出かけた。雷門周辺は外国人でいっぱい。傘屋の店先には、タイ語で書かれた傘の説明も有った。
 私は国際通りを真っ直ぐ進み、それから千束商店街に入って行くと、閉店を知らせる洋品店の貼り紙が目にとまったので、その店の中へ。店主が言った。
 「息子がやめろというので、私も決心がつきました。ここで60年間、商売をやって来ましたが、これでやっと大好きな絵に没頭できます。84歳!」
 店内を見回すと、入賞した油絵が飾られていた。沖縄の海、そして、田舎の風景、等が描かれている。風景が好きなおじいさんだ。
 私が感化されたのは彼の意気込みである。彼はこれからが<我が真の人生>と言い切った。

タイ語を書こう!

風薫る5月。散歩に出かけるもよし。だが、タイ語をひたすら書くのもいかが? いつも書いていないと感覚が鈍るから….。
特に、末子音の文字に注意して書いてみてはどうだろう。
 ① ~kで終わる単語= โลก(世界) สุข(幸福な) โรค(病気) เมฆ(雲)
 ② ~tで終わる単語= ตัด(切る) เขต(区) เสร็จ(終わる) บวช(出家する) บาท(バーツ)ชาติ(民族) เหตุ(原因) บัตร(カード)
 ③ ~pで終わる単語= ตับ(肝臓) บาป(罪) ภาพ(状態) โลภ(欲)กอล์ฟ(ゴルフ)
 特に、上記の中に見られるパーリ語、サンスクリット系統の単語には要注意。何度も書いて、末子音に強くなっておこう。

繙く(ひもとく)

 読書をしていると、『万葉集』を繙く、という表現が出てきた。私は翻訳の仕事もしているので、翻訳の「翻」という漢字に興味があるが、「繙く」という漢字もなかなかに面白い。
 「繙く」は、もともとは「紐解く」と書いていたそうだ。何故ならば、昔の書物は巻物になっており、紐をほどくことが、即ち、本を読むという意味になっているからとのこと。
 日本列島、黄金週間に突入している。どこかへお出かけの方は大いに旅を楽しんでもらいたい。
 東京に居残り組は、果てさて何をしようか? 新宿中央公園で焼肉大会が行われているから、出かけて行ってみてはと言われた。それはそれでいいが、やはり書物を繙くことが心おだやかに過ごせて、思考力を鍛えることになる。

田舎紳士(country gentleman)

『遊鬼』(白洲正子著 新潮文庫 平成11年)の中に、彼女の御主人でる白洲次郎のことが書かれており、英国で身につけてきた「田舎紳士」を実践したことが書かれている。
 「鶴川にひっこんだのも、疎開のためとはいえ、実は英国式の教養の致すところで、彼らはそういう種類の人間を<カントリー・ジェントルマン>と呼ぶ。よく<田舎紳士>と訳されているが、そうではなく、地方に住んでいて、中央の政治に目を光らせている。遠くから眺めているために、渦中にある政治家には見えないことがよくわかる。そして、いざ鎌倉という時は、中央へ出て行って、彼らの姿勢を正す」
 この文章を読んで、白洲正子にとっては、<田舎>という訳し方に疑問をいだいたことが暗黙のうちにわかる。翻訳の仕方に問題があるとつい思ってしまう。
地方の大地主、素封家、と訳している辞書もあるので、そのほうがいいと思う。
 田舎という単語は、とかく馬鹿にした意味合いで使われることが多かった。田舎侍、いなかっぺ、等々。 しかし、今は違う。都会よりも田舎暮らしのほうが、はるかによさそうだ。

我が寮友

大学時代の寮友達が集まって、当時の寮監先生(90歳)に会いに行くことになり、目下、私が幹事をつとめている。今思えば、個性的な乙女達ばかりであった。コマーシャルで、「昔は乙女、今は太め」というのを見るにつけ、つい苦笑しているが、とにかく元気であればよい。
 R子さんは歴史学者だ。過去の同窓会の期日に関しては、彼女がすべて覚えてくれている。民生委員としても社会の奥深くを観察中。
 A子さんは調停委員を30年やっている。「先日、最後(定年70歳)の辞令をもらったばかりよ」と、彼女は言った。
 M子さんはコーラス・グループで、近々、オペラの聖地であるイタリアへ遠征するそうだ。
 S子さんは謡と能。能舞台での発表会には50万円の参加費がいるそうだ。
 寮友はまだまだたくさんいるが、今、列挙した寮友達の共通点は、社会の中で、頭を使ってしゃべったり、歌ったり、あるいは、うなること。即ち、大いに発声することである。認知症になる危惧は全くない。

ด(子供) 対 ต(亀)

 中国語専攻の生徒さんから、ด(ดอ เด็ก 子ども)と、ต(ตอ เต่า 亀)の発音の違いがあまりよくわからないと言われた。たまたま美容院へ行って髪をカットしてきたばかりであったので、次なる単語を例に挙げた。①「パーマをかける ดัดผม dat phom」 ②「散髪する ตัดผม tat phom」
 中国語の発音表記の「d」が、タイ語の無気音である「ต」に相当するから、彼の悩みは理解できる。
 「ดี 良い」が「ตี 打つ」と聞こえると大変だ。「ตัก 膝」が「ดัก 待ち伏せする」に聞こえてもおかしい。「ดอน 丘」が「ตอน ~頃」に聞こえても、意味をなさない。
 自分にとって弱いと思う発音が有るならば、矯正のための発音訓練を早めにしたほうがいい。タイ人にとって、これらの音は全く異なる音として、自然に身についている。したがって、発音はできるが、発声の仕方(調音)を説明することは難しいと思われる。タイ人講師に何回も発音してもらった上で、最後は自分の耳で納得するしかない。

中華料理店の生け花

高田馬場3丁目に気に入った中華料理店がある。そこへ行くと、いつも入口付近に生け花を活けている。その花をしっかりと見ている客はいないと思う。だが、私はいつも見る。何故ならば、生け花を習っているので、知らず知らずのうちに批評の眼が出来上がってしまっているからである。
 中国女性の女将さんが活けていることは間違いないが、日本の華道から観ると、バランスが全くとれていない。色の配置もバラバラ。
 だが、生け花を習ったことがなくても、花を活けることに意義有り、と、私は思っている。したがって、心の内でその女将さんを讃えている。
 泰日文化倶楽部では、「アジア女性のための生け花教室」を月に1回の割りで開催しているが、最近、ミャンマーの女性達が来なくなった。ミャンマーから来る親族や友人達が多くなり、皆さん、観光案内で多忙だと聞く。
 何の稽古事でもいいが、我流は我流。やはり師匠について、こつこつと学ぶことをお勧めしたい。