学問、それとも、実践力

『地方消滅 創生戦略論』(増田寛也・冨山和彦 共著 中公新書 2015年8月発行)を読んだ。その中に冨山氏(株式会社経営共創基盤代表取締役CEO)の提言の一部として、L型大学、即ち、地方大学(含む専修・専門学校)では、「学問」よりも「実践力」を学んだほうがいいと説いている。 
 たとえば、英文学部では、シェイクスピア、文学概論ではなくて、TOEICスコアアップ、観光業で必要となるレベルの英語、地元の歴史・文化の名所説明力を学ぶべき。
 経済学部では、サミュエルソン経済学、マイケル・ポーター競争戦略論ではなくて、簿記会計、最新の会計ソフトの使い方を学ぶべき。
 そうかもしれない。この提言に異論はない。だが、学ぶ側の生徒はいろいろな希望を持って大学に入って来るわけだから、片一方だけでは物足りないと思う。
 問題解決には、学問を解くのが得意な先生と、実践重視の先生と、両方のタイプの先生を用意すればいいわけだ。だが、大学側にはたくさんの教師を雇う余裕がない。実践を教える先生は非常勤でということにしてもいいわけだが、非常勤講師は報酬が安すぎて生活が苦しい。要は、学生次第。やりたいものを専攻し、ひたすら実践力、そして、思考力をつけるのみ。

会津五街道

 会津若松駅に着いた時、構内で販売している駅弁にチェックを入れると、真っ先に目に飛び込んで来たのは「小原庄助弁当」であった。「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで」のあの庄助さんだ。こんな贅沢三昧するのはまだまだ10年先にしようと思い、蕎麦を食べることにした。磐越西線の沿線で見たどこまでも続く蕎麦の白い花畑がとても印象的であったからだ。
 帰路、またまた会津若松駅の駅弁コーナーに寄ってみた。弁当はわずかに一つだけしか残っていなかった。まるで私を待っていたかのよう。
 それは「蔵出弁当」といい、由緒ある漆器店の容器に入っていた。それには会津五街道(越後街道、米沢街道、二本松街道、白河街道、そして、下野街道)に関する解説書がついており、会津若松が参勤交代の要衝の地であったと説明してあった。
 山、また、山を越えて行った会津若松。不便なところだと思ったが、とんでもない。昔はあらゆる産物がここから江戸へと向かって行ったわけだ。解説書には、佐渡の金山の金もこの地を通ったと書かれている。ますます興味が増してきた。

鶴ヶ城 と ボランティア・ガイド

 会津若松では是非とも鶴ヶ城へ行ってみたいと思っていた。ボランティア・ガイドが観光客を待っていたので、私もお願いすることにした。
 ところが、何と、希望者は私一人。観光客は城内をゆっくり歩いて歴史を聞くよりも、いち早く天守閣に登りたいようであった。
 広大なる敷地。「松の緑が美しいですね」と言うと、「若松の松ですからね」と、ガイドさん。
 千利休の養子であり女婿である千少庵が建てたという茶室で、ガイドさんと一緒にお茶を一服。彼と私の呼吸が不思議なほど合った。
 天守閣から見た会津若松の市街。四方八方、穏やかそのもの。しかし、歴史は違う。もっと勉強しなければ、会津の方達に悪い。

磐越西線と会津若松

昨日、会津若松へ日帰りで行って来た。元生徒のお母様の葬儀に参列するためである。
 大宮から新幹線に乗ると、郡山はあっというまであった。昔は黒磯までが遠かった。ましてや、郡山は…..。しかし、今は東京への通勤が可能だ。
 郡山から磐越西線に乗り換えて各駅停車で会津若松へ。警笛を鳴らしながら走る電車。実にレトロであった。
 今から50年前の1965年7月、大学1年生の時、私は猪苗代湖湖畔の翁島で開催されたESS(English Speaking Society)の合宿に参加した。それが初の東北。
 昨日、その猪苗代や翁島の駅を通過した時は感慨深いものがあった。私の青春の名残りを探した。
 会津若松は初めてであった。かねてより行きたかったところであるが、まさか葬儀のために行こうとは….。亡くなられたお母様は私と同い年であった。

目覚め

今年6月からタイ語を教えに来てくださっているP先生はすでに日本語が上手である。しかし、漢字の読み方は複雑だから、まだまだいくらでも勉強していかなければならない。
 昨晩、一緒に帰る道すがら、高田馬場駅構内にある広告コピー「内なる灯の目覚め」を指さし、果たして彼女が「目覚め」という漢字が読めるかどうかをチェックしてみた。
 すると、「め、おぼえる」と読みだした。なるほど、「覚」という字は、「おぼえる」と読むのが通常だ。「目が覚める」の場合は、「めがさめる」。それを、「めざめ」と読むまでには、これまでの生活によって培われた経験というものが必要だ。
 だが、ここでふと考えた。高齢者はよくこう言う。「この頃、さっぱり覚えが悪くなって….」、と。
 学んだことを覚えると、ものごとの事象に気づき、それが「目覚め」の効果をもたらすのであろうか?
 いや、待てよ、逆かもしれない。「目覚め」が明晰であればあるほど、「覚え」がよくなるのではなかろうか。
 いずれにせよ、感性が大切という結論に行き着いた。

海外駐在と親

昨日、古本屋でいると、電話が鳴った。元生徒のK氏からであった。
 「あら、今、日本に帰っているの? それとも、バンコクから?」と、私。
 「母が亡くなりました。成田に着いたばかりです」と、彼。
 タイ駐在を希望していたK氏は、その希望がようやく叶い、今年4月にバンコクに赴任したばかりである。それなのに、お母様の急逝により、ご家族であわただしく一時帰国せざるを得なかった。
 K氏のお母様とは彼の結婚式の時に一度だけお会いしたことがある。K氏のご両親は会津若松に住んでおられ、福島の果物をいつも送ってくださっていた。しかし、東日本大震災以来、それがストップした。
 したがって、電話で話すこともここしばらく途絶えていたが、訃報に接し、お気の毒でたまらない。私よりも3歳もお若いのに….。
 K氏に聞くと、ご両親はまだタイへ遊びに行かれておられなかったそうだ。一人息子である彼の活躍をバンコクで見てほしかったなあと思うと残念至極である。

『地方消滅』を読んで

昨日、泰日文化倶楽部の隣りにある書店で『地方消滅』(増田寛也編著 中公新書 2014年初版)を買った。私が買ったのは2015年8月10日 第18版であるから、相当の方達が購入したことになる。おそらく、公共自治体が主たる購入者かもしれない。
 東京都において、諸島部や奥多摩にある山の町を除くと、将来的に見て、豊島区が消滅第一号になることがデータで示されている。この本では若年女性の人口変化率というものが基礎データとして問われており、由々しき警鐘として、かなりのインパクトがある。
 2008年のリーマン・ショック以来、人口減少は徐々に進んでいるとのこと。東京は高齢化現象が顕著。若い女性が地方から流入して来ても、人口の増加には至らないらしい。たしかにそうだ。結婚しても、子どもをたくさん産むわけではないから。
 泰日文化倶楽部も高齢化現象が見られる。結婚対象者である若い女性の比率は少ない。世の中の数値と見事に平行している。若年女性よ、タイ語を習いに来たれ!

ラオス絹の傘

 一昨日、久しぶりに御茶ノ水にある「エージア・パニック」へ行った。タイ製品はもちろんのこと、ここには、インドネシア、ベトナム、ラオス、バングラデシュ、インド、そして、ネパールのものが、それこそパニック状態で自己主張をしている。
 夏の終りに際して、はてさて何を買おうか? 夏物の洋服は要らないし….。はっきり言って、私の部屋の中にはタイであつらえた洋服が有り過ぎ….。もうこれ以上、買ってはいけない。その前に断捨離だ。
 結局、ラオス絹を張った日傘を買った。今年はおそらく使わないであろうが、来年の夏のために買っておくことにした。
 この日傘は浅草の傘職人に作らせたものである。したがって、骨組みは断然しっかりしている。傘をさす時の快感。やはり傘張りは日本職人の手が一番だ。
 いずれにせよ、このような日本とアジアの合作(コラボ)が私は大好きである。

船場ことば

私は昆布が大好きである。小さい時から食べている。鳴門の渦潮で鍛えられたワカメも好きだが、大阪の昆布が好きだ。なかでも小倉屋山本店の「えびすめ」が…..。小倉屋と聞いただけで食が進む。
 その小倉屋山本店が、作家である山崎豊子氏の実家であることを知ったのはつい最近のこと。
 『山崎豊子 スペシャル・ガイドブック』(新潮社 2015年7月)の中に「船場ことば」というのが、以下の如く紹介されていた。
 ①標準語=見なさい大阪弁=見なはれ船場ことば=見ておみやす
 ②標準語=あります大阪弁=ありま(あ)船場ことば=おます
 なるほど、大阪弁ともまた違うんだ。船場ことばは、「船場商人が京都御所へ出入りしているうちに取り入れたもの」だと、上記の本は説明してある。「おます」は御所の女房が使う「御居座(おいま)す」の略とのこと。御所の雅(みやび)が船場ことばの底辺にあるとは! そろばん勘定だけではなくて、環境に適応させようとする商人の言葉に対する感度が面白い。

事件 or 実験

昨晩、タイ人講師のD先生が早めに教室にいらしたので、8月分の講師料をお支払いしながら、しばし雑談をした。
 「先生、今年はいつタイへお帰りになりますか? 冬休みですか?」
 すると、彼女はこう答えた。「事件がなければ帰ります」
 「ああ、そうですね。事件がまた起きるかもしれませんからね」、と、私。タイ人は先日の爆発事件を気にしているのであろうと思った。
 だが、やがて気がついた。
 「先生、事件ではなくて、実験のこと?」
 彼女はうなづいた。理科系の大学院生として、毎日、実験に追われているので、そうだ、実験と言いたかったわけだ。
 タイ人のみならず、外国の方達には、拗音が難しい。jiken と jikken。 まだまだいくらでも例が考えられる。派遣と発見、事項と実行、等々。