インドネシアの英断

 先週、インドネシアの大統領が「高速鉄道は不要。むしろ中速鉄道でよろしい」という英断を下した結果、インドネシアでは新幹線建設案が白紙撤回された。
 そのニュースを見て、私は「ああ、よかった」と思った。
 日本企業はビジネスとして日本の高度な技術をインドネシアに売ろうとしているが、東南アジアの人々に高速化を押しつけるのはやめたほうがいい。ビジネスとして急ぎたい人達は飛行機を利用すればいいのであって、庶民が高い料金を支払って、なにも急ぐ必要はない。第一、彼ら固有の生活時間を狂わしてはならない。
 先日、郡山駅の新幹線ホームで東京行きの新幹線を待っていたら、ノン・ストップの新幹線が稲妻の如く通過した。いや、稲妻よりも速かったかもしれない。仙台や青森へ急いで行く新幹線。磐越西線の各駅停車と比べると、雲泥の差だ。
 各駅停車に乗ると、「人生、急ぐなよ。あわてなくていいんだよ」と教えられる。走るだけの人生は疲れる。走らないことも必要。いろいろな時間が有っていいと思う。

ジェットコースター

先週、「タイ語中級 土曜日14:00」の会話クラスで、タイ人講師がジェットコースターを話題にした。タイ語で、<รถไฟเหาะ ロットファイ・ホ>と言いますと教えながら、ホワイトボードにタイ語を書いた。
 生徒は<เหาะ ホ>という単語に首を傾げた。聞いたことがない単語だから。
 <เหาะ ホ>は、「飛ぶ」という意味です、と、タイ人講師は解説を加えた。
 生徒達の頭の中には、<บิน ビン 飛ぶ>という単語は定着しているが、この新しい単語はまだであった。
 <เหาะ>は、訳すと、「飛翔する」。したがって、天に向かって舞い上がるような雰囲気を醸し出す単語だ。
 アップ&ダウンを遊びとして楽しめるジェットコースター。まるで人生の如し。
 人生、沈んだ時はつらい。だが、飛翔する時だってある。とはいえ、その繰り返しが激しく連続すると苦しい。地上に足を踏みしめ、平坦な道を行くのが一番いい。

久しぶりの観劇

昨晩、新宿へ行き、久しぶりに観劇をした。30年前の生徒さんである「文芸思潮」編集長五十嵐勉氏が原作を書き、かつ、企画した戯曲『核の信託 -原爆をだれの手にゆだねるかー』は2時間15分(途中休憩無し)の大作であった。五十嵐氏は私を招待すると言って来られていたが、私は黙って出かけ、そして、きちんと入場券を買って入った。
 場内は満席であった。原爆被爆70周年、終戦70周年、特別企画演劇公演ということで、多くの方々の関心を集めているのがすぐにわかった。
 劇の内容は重厚なものであった。そして、台詞がものすごく有ったので、真面目に聞いていると、もうそれだけで疲れた。出演者は誰ひとり、とちることなく、立派に演じきった。
 それはそれですばらしいことだが、アンケートには「台詞だけではなくて、内面の苦悩をもう少し演技で示してほしかった」と書いた。
 台詞だけ覚えてもそれは演劇ではない。演じることは何と難しいことか….。そう思いながら、劇場をあとにした。

学問、それとも、実践力

『地方消滅 創生戦略論』(増田寛也・冨山和彦 共著 中公新書 2015年8月発行)を読んだ。その中に冨山氏(株式会社経営共創基盤代表取締役CEO)の提言の一部として、L型大学、即ち、地方大学(含む専修・専門学校)では、「学問」よりも「実践力」を学んだほうがいいと説いている。 
 たとえば、英文学部では、シェイクスピア、文学概論ではなくて、TOEICスコアアップ、観光業で必要となるレベルの英語、地元の歴史・文化の名所説明力を学ぶべき。
 経済学部では、サミュエルソン経済学、マイケル・ポーター競争戦略論ではなくて、簿記会計、最新の会計ソフトの使い方を学ぶべき。
 そうかもしれない。この提言に異論はない。だが、学ぶ側の生徒はいろいろな希望を持って大学に入って来るわけだから、片一方だけでは物足りないと思う。
 問題解決には、学問を解くのが得意な先生と、実践重視の先生と、両方のタイプの先生を用意すればいいわけだ。だが、大学側にはたくさんの教師を雇う余裕がない。実践を教える先生は非常勤でということにしてもいいわけだが、非常勤講師は報酬が安すぎて生活が苦しい。要は、学生次第。やりたいものを専攻し、ひたすら実践力、そして、思考力をつけるのみ。

会津五街道

 会津若松駅に着いた時、構内で販売している駅弁にチェックを入れると、真っ先に目に飛び込んで来たのは「小原庄助弁当」であった。「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで」のあの庄助さんだ。こんな贅沢三昧するのはまだまだ10年先にしようと思い、蕎麦を食べることにした。磐越西線の沿線で見たどこまでも続く蕎麦の白い花畑がとても印象的であったからだ。
 帰路、またまた会津若松駅の駅弁コーナーに寄ってみた。弁当はわずかに一つだけしか残っていなかった。まるで私を待っていたかのよう。
 それは「蔵出弁当」といい、由緒ある漆器店の容器に入っていた。それには会津五街道(越後街道、米沢街道、二本松街道、白河街道、そして、下野街道)に関する解説書がついており、会津若松が参勤交代の要衝の地であったと説明してあった。
 山、また、山を越えて行った会津若松。不便なところだと思ったが、とんでもない。昔はあらゆる産物がここから江戸へと向かって行ったわけだ。解説書には、佐渡の金山の金もこの地を通ったと書かれている。ますます興味が増してきた。

鶴ヶ城 と ボランティア・ガイド

 会津若松では是非とも鶴ヶ城へ行ってみたいと思っていた。ボランティア・ガイドが観光客を待っていたので、私もお願いすることにした。
 ところが、何と、希望者は私一人。観光客は城内をゆっくり歩いて歴史を聞くよりも、いち早く天守閣に登りたいようであった。
 広大なる敷地。「松の緑が美しいですね」と言うと、「若松の松ですからね」と、ガイドさん。
 千利休の養子であり女婿である千少庵が建てたという茶室で、ガイドさんと一緒にお茶を一服。彼と私の呼吸が不思議なほど合った。
 天守閣から見た会津若松の市街。四方八方、穏やかそのもの。しかし、歴史は違う。もっと勉強しなければ、会津の方達に悪い。

磐越西線と会津若松

昨日、会津若松へ日帰りで行って来た。元生徒のお母様の葬儀に参列するためである。
 大宮から新幹線に乗ると、郡山はあっというまであった。昔は黒磯までが遠かった。ましてや、郡山は…..。しかし、今は東京への通勤が可能だ。
 郡山から磐越西線に乗り換えて各駅停車で会津若松へ。警笛を鳴らしながら走る電車。実にレトロであった。
 今から50年前の1965年7月、大学1年生の時、私は猪苗代湖湖畔の翁島で開催されたESS(English Speaking Society)の合宿に参加した。それが初の東北。
 昨日、その猪苗代や翁島の駅を通過した時は感慨深いものがあった。私の青春の名残りを探した。
 会津若松は初めてであった。かねてより行きたかったところであるが、まさか葬儀のために行こうとは….。亡くなられたお母様は私と同い年であった。

目覚め

今年6月からタイ語を教えに来てくださっているP先生はすでに日本語が上手である。しかし、漢字の読み方は複雑だから、まだまだいくらでも勉強していかなければならない。
 昨晩、一緒に帰る道すがら、高田馬場駅構内にある広告コピー「内なる灯の目覚め」を指さし、果たして彼女が「目覚め」という漢字が読めるかどうかをチェックしてみた。
 すると、「め、おぼえる」と読みだした。なるほど、「覚」という字は、「おぼえる」と読むのが通常だ。「目が覚める」の場合は、「めがさめる」。それを、「めざめ」と読むまでには、これまでの生活によって培われた経験というものが必要だ。
 だが、ここでふと考えた。高齢者はよくこう言う。「この頃、さっぱり覚えが悪くなって….」、と。
 学んだことを覚えると、ものごとの事象に気づき、それが「目覚め」の効果をもたらすのであろうか?
 いや、待てよ、逆かもしれない。「目覚め」が明晰であればあるほど、「覚え」がよくなるのではなかろうか。
 いずれにせよ、感性が大切という結論に行き着いた。

海外駐在と親

昨日、古本屋でいると、電話が鳴った。元生徒のK氏からであった。
 「あら、今、日本に帰っているの? それとも、バンコクから?」と、私。
 「母が亡くなりました。成田に着いたばかりです」と、彼。
 タイ駐在を希望していたK氏は、その希望がようやく叶い、今年4月にバンコクに赴任したばかりである。それなのに、お母様の急逝により、ご家族であわただしく一時帰国せざるを得なかった。
 K氏のお母様とは彼の結婚式の時に一度だけお会いしたことがある。K氏のご両親は会津若松に住んでおられ、福島の果物をいつも送ってくださっていた。しかし、東日本大震災以来、それがストップした。
 したがって、電話で話すこともここしばらく途絶えていたが、訃報に接し、お気の毒でたまらない。私よりも3歳もお若いのに….。
 K氏に聞くと、ご両親はまだタイへ遊びに行かれておられなかったそうだ。一人息子である彼の活躍をバンコクで見てほしかったなあと思うと残念至極である。

『地方消滅』を読んで

昨日、泰日文化倶楽部の隣りにある書店で『地方消滅』(増田寛也編著 中公新書 2014年初版)を買った。私が買ったのは2015年8月10日 第18版であるから、相当の方達が購入したことになる。おそらく、公共自治体が主たる購入者かもしれない。
 東京都において、諸島部や奥多摩にある山の町を除くと、将来的に見て、豊島区が消滅第一号になることがデータで示されている。この本では若年女性の人口変化率というものが基礎データとして問われており、由々しき警鐘として、かなりのインパクトがある。
 2008年のリーマン・ショック以来、人口減少は徐々に進んでいるとのこと。東京は高齢化現象が顕著。若い女性が地方から流入して来ても、人口の増加には至らないらしい。たしかにそうだ。結婚しても、子どもをたくさん産むわけではないから。
 泰日文化倶楽部も高齢化現象が見られる。結婚対象者である若い女性の比率は少ない。世の中の数値と見事に平行している。若年女性よ、タイ語を習いに来たれ!