タイ製のタオル

 先日、目白通りでローマ法王を2回もお見かけすることができた幸運をブログで書いたが、その帰路、雑貨店の前を通った時、次なるお知らせが目に止まった。
「長い間(25年間)有難うございました。感謝の気持ちのセールです」
 その店は欧米のアクセサリーや中古の洋服のほかに、ブランド品のシーツやタオルも売っており、なかなか夢のあるお店なので、数回買ったことがある。
 店主の女性に閉店理由を尋ねると、「通院することが多くなりまして…..」とのこと。私は褒めてあげた。
「25年もお一人でやって来られたのはすばらしいことです!」
 私はローマ法王に会えた記念に、タックピン(tackpin)を2個買った。1個は長靴下の形でクリスマス色。もう1個はフクロウで、ピンク色の水晶でできている。
 さらに日本で有名なリネンの会社のタオルも買ってみた。帰宅して開けてみると、何と「タイ製」であった。

未来を切り開く包丁

 結婚式に出ると引き出物としてカタログ本を頂くが、最近は葬儀に出てもやはりカタログ本が送られて来る。欲しい物が無いので品物選びに困ってしまう。
 先日、堺市で造られている包丁が届いた。包丁なら場所をとらないし、何本有ってもいいだろうという思いで選んだ。
 商品の説明書きに書かれた冒頭の文章が気に入った。
 「包丁が贈り物に選ばれるのは、<未来を切り開く>と言う意味があるからです。包丁は結婚式のケーキ入刀など新しい門出に縁起物として使われます! 包丁を頂いた方の<未来を切り開き幸せ>を願って贈ります!」
 しかし、何故、堺市なのであろう? 調べてみると、江戸時代にポルトガル人が煙草をもたらし、その煙草の葉を切るために刃物造りが始まったが、煙草の葉を切る機械が出来た後は、包丁造りへと生まれ変わったそうだ。日本人の未来を切り開く知恵は止まることを知らない。
 堺の職人達は、「SAKAIからSEKAIへ」を目指しているとのことだ。

エコバッグ・シェアリング

 今週届いた『野鳥 2019年12月号』(日本野鳥の会 発行)の特集は、「海洋プラスチック問題と私たちができること」である。写真を見ると、海の中で生きる動物だけではなくて、海面すれすれを飛んで餌をさがす海鳥も大迷惑をこうむっているのがよくわかる。
 京都府亀岡市では、スーパーでのレジ袋有料化だけではなく、個人商店でのマイバッグ・シェアリングの取り組みが始まっていると上記の特集で紹介されていた。客がいろいろなサイズやカラフルなエコバッグを余分に持って来て、店頭に置いて行っている光景を見て、次のように思った。
 タイへ旅行される生徒の皆さん、僧侶が托鉢時に使う頭陀袋(ย่าม ヤーム)を数枚買って来て、それをお土産にしよう。そして、懇意なお店が有れば、エコバッグとして使ってもらおう。雨の時はちょっと困るなあと思うならば、折りたためるビニール袋もある。しっかりしているから何回も繰り返して使える。

二束三文

 正月に備えて、新しく足袋を買った。テレビドラマで有名になった埼玉県行田市の会社の足袋であった。
 袋の中に、「たびのサイズの由来」が書かれてあり、「一文銭は古来、日本では度量衡(長さや重さのものさし)のもととして使われておりました」という説明と共に、和同開ほう(王偏+称の右側)の古銭の絵がついており、直径24m/m 重さ3.75gとあった。例)足のサイズが22.5cmは九文半、24.0cmは十文。
 現代社会において、「二束三文」という言葉はまだまだ通用する。昔、高額で買ったものでも、一回使えば、もう商品価値は落ちる。もしも売却しようものなら涙をのんで二束三文で売り飛ばすしかない。
 そういう場合があまりにも多いから、要するに高額な買物は控えるにこしたことはない。

気さくな表情のローマ法王

 昨日の午前10時過ぎ、私は手紙を投函しようと思って目白通りにあるポストへ行った。天気がいいので、椿山荘まで散歩することに決め歩き出したところ、警察車輛がたくさん目に止まった。天皇陛下の警備の数倍だ。一体何が起きるのかと思ったが、「あっ、ローマ法王にちがいない」と推察。そこですぐに東京カテドラル教会へと向かった。
 教会のそばの沿道はすで熱烈なるカトリック教徒達でいっぱいであった。フィリピン人達は国旗を持っていた。ベトナム青年も首を伸ばして待っていた。私のそばの女性は、「38年前も、前のパパ様のお写真を撮ったのよ」と言って、見せてくださった。
 法王が到着なさる30分前に、青空なのににわか雨が降った。聖水かとつい思ってしまった。
 小さな車に乗られた法王。お顔をはっきりと見ることができた。威厳というよりも、とても気さくな感じが伝わってきた。気さくなほうが13億人の教徒達の心をとらえると思う。
 法王がお帰りになられる時にも、またお顔を見ることができた。一日に2回もチャンスが有り、教徒ではなくても、とても幸せな気持ちになった。
 

昭和は遠くになりけり

  昨日、日本橋室町に在る三井記念美術館へ行き、「茶の湯の名椀 高麗茶碗」を鑑賞した。そのあと「ふくしま館」に寄り福島の産物を購入。神田駅に向かって歩いていると、間口の広い立派な店の前に貼り紙がしてあった。

 「閉店のお知らせ 昭和2年以来90余年にわたりお引き立ていただきました大塚屋靴店ですが この度 前社長が代を終えたことに伴い閉店することとなりました
 皆様の温かいご支援の中での苦渋の選択となりましたが何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます 永年にわたるご愛顧に心より感謝申し上げます」

 想像するに、おそらくご子息が書かれたものであろう。靴というタイ語は、「รอง(支える)+ เท้า(足)」という2語で出来上がっている。90年余の長きに亘り神田の人々の足元をしっかりと支えて来られたこの靴屋さんに乾杯!

 宿題:この「閉店のお知らせ」をタイ語に訳してみよう。

「口」が入っている漢字

 私は仕事で「通訳人 吉川敬子」と署名する機会が多々有る。36年以上、このように署名しているわけだから、目をつむっていても書けそうなものだ。ところがうっかり気をゆるすと「通行人」と書き損じそうになったことがある。その時はあわてて気を引き締めなおした。
 「訳」という漢字には、「口」が2個、見える。しっかりと口を動かして、はっきりと通訳しなければならないと、何年経っても心がけている。
 私は50年間、働き続けて来た。失業することなく、ここまで来られたのは、名字の「吉川」にも「口」が入っているし、名前の「敬子」にも「口」が入っているから、食べるには困らない。と、そう思っている。
 キラキラネームをつける傾向が有り、画数が多すぎる漢字を使う若い両親がいるが、名前に使用する漢字はシンプルなほうがいい。そして、漢字の中に、「口」が入っているものを選ぶと、その子は一生、食べていけると思う。
 例1)和、知、智、京、福、高、信、保、品、周、浩、岩、若、向、
 例2)日、明、目、田、見、白 自、中、音、昌、晶、里、東、英、

『森の生活』のソロー

 昨日は二十四節季の「小雪」。寒いはずだ。冷たい雨まで降ると、とても出かける気にはなれなかった。そこで、アメリカの作家であるH.D.ソロー(1817~1862)が書いた『森の生活』(飯田実訳 岩波書店 1995年)を読んだ。
 私は大学で英文学を専攻したが、アメリカ文学も読まされた。その中でソローが気に入ったので、2006年9月、実際にその森(マサチューセッツ州コンコードにあるウォーデン湖のほとり)まで行き、彼が建てた丸太小屋を見学した。
 彼が何故、その小屋に2年間、籠ったか? 『森の生活』の一節を以下に引用したい。

 私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。生きるということはそんなにもたいせつなのだから。また、よほどのことがないかぎり、あきらめるのもいやだった。

今日の宿題

 一昨日の「タイ語中級 水曜日18:00」の授業で、パック先生(医学生)から病院関係の単語や表現を習った。だが、生徒達は、คนไข้(患者)と発音すべきところを、คนไข่と間違って発音した。それでは、<卵人間>になってしまう。
 そこで、ไข/ ไข่/ ไข้/と合成語になった動詞や名詞が使われる文章を以下に列挙するから、作文してください。

 1.政治や社会の問題を解決する(แก้ไข)のは難しい。
 2.脂肪(ไขมัน)が多い食品はできるだけ避けよう。
 3.祖父伝来のネジ巻き(ไขลาน)時計を大切にとっている。
 4.金庫の鍵の開け方(ไขกุญแจ)がわからない。
 5.卵(ไข่)を使った料理は何種類もある。例:茶碗蒸し
 6.蟻の卵(ไข่มด)はどんな味がしますか?
 7.卵を5個割って(ต่อยไข่)それをボールの中で掻き立てる(ตีไข่)。
 8.インフルエンザ(ไข้หวัดใหญ่)が流行り始めた。
 9.この病院は規模が小さすぎて大勢の患者(คนไข้)を収容することができない。

「もみの木」という喫茶店

 十一月も下旬に入ったので、喪中はがきが各方面から届いている。その中の一枚は、大阪在住の元生徒さんからであった。お父様が83歳でお亡くなりになったと書いてあった。
 私はそのお父様が経営していた喫茶店へ25年前に行ったことがある。大阪の十三という場所にあり、町の雰囲気はとても庶民的であった。「もみの木」という名前で、素朴さを感じた。
 店の自慢はカウンターが分厚くて長い一枚板であること。お父様の説明によると、大阪万博(1970年)で使用された材木を譲り受け、以後、長きにわたり、気合を込めて磨き上げて来られたそうだ。コーヒーもおいしかったが、それ以上にカウンターの一枚板の存在が印象的であった。
 店主は死ぬまで喫茶店をやり抜くおつもりであった。しかし、ついに寿命が尽きた。