自分があたったら答えられない

 グループ・レッスンの場合、生徒の人数分だけ、平等にあてて答えさせなければならない。生徒数が3人だと、回転が早いから、あせるのは生徒。昨晩のクラスで、冒頭に月の呼称をタイ語で言わせたが、皆さん、うろ覚えで。即答率、悪し。
 生徒達は自分があたるとすかさず緊張。頭の中がパニック状態。思い出そうとすると、横から別の生徒が答えている始末。しかし、横にいる生徒も、自分があたるとすぐには答えられない。
 答えられないのは仕方がないが、そういう状態から抜け出すためには、とにもかくにも単語をしっかりと覚えることだ。CDを聞くだけ、テキストを見るだけ、こういった勉強方法では生きた表現が身につかない。教室で大いに発音して、失敗しながら、タイ語力を伸ばして行こう!

反応して、すぐ反射

 生徒の皆さんはまじめに通って来ておられる。その姿を見ると、勉強の環境だけはきちんと整わせておかなければならないと、裏方である自分に言い聞かせる毎日だ。
 授業を補佐していると、いろいろなことが見えてくる。いつも思うことは、皆さん、タイ語に対する反応があまり芳しくないが、御自分の得意な分野に及ぶと、反応がピピッと有り、そして、反射がいいということだ。
 たとえば、男性ならゴルフ、そして、女性なら料理。何故、反応がいいかというと、それらに関係するタイ語の単語をたびたび聞いて、そして、よく使っているからだと思われる。
 そういう好きな分野を少しづつ増やしていこう。反応力と反射力。これは脳の老化防止に絶対に役立つ。語学の勉強はあまりお金のかからないいい趣味だと思う。

เลี้ยง (育てる、ごちそうする)という動詞

 昨晩の授業で、<เลี้ยง>という動詞が出て来た。この動詞は日常生活において使用される頻度数がきわめて高いので、しっかりと覚えて、自信をもって発音してほしい。
 ①ごちそうする=タイ人のお客様が多い人は、เลี้ยงแขก
 ②宴会=งานเลี้ยง、 歓迎会=งานเลี้ยงต้อนรับ、 送別会=งานเลี้ยงส่ง
 ③子供を育てる=เลี้ยงลูก
 ④動物を飼育する=เลี้ยงสัตว์、ペット=สัตว์เลี้ยง、犬を飼う=เลี้ยงหมา、 馬を飼う=เลี้ยงม้า、牛を飼う=เลี้ยงวัว、豚を飼う=เลี้ยงหมู、鶏を飼う=เลี้ยงไก่、鳥を飼う=เลี้ยงนก
 ⑤僧侶を供応する=เลี้ยงพระ
⑥タイボクシングのセコンド=พี่เลี้ยงนักมวยไทย、保母=พี่เลี้ยง
 これは昨晩のテキストの復習である。<เลี้ยง>の語源は中国語の「養」。「養う」の精神を持って、大いに使ってみよう!

長寿の親戚

 先日、55年も会っていない横浜在住の「はとこ」から電話が有った。去年から私に会いたいと言ってきているが、私の都合がつかなくて、いまだに実現していない。
 「あのね、あなたのお母さんの従妹がなくなりましたからお知らせします。99歳でした」
 彼女の父親と私の母親が「いとこ同士」。亡くなった方は、彼女の叔母らしい。
 そのようなことを言われても、私にはピンと来なかった。親戚付き合いがどんどん減ってきているからだ。
 だが、話を聞いていて参考になったのは、97歳まで頭がはっきりしていたということ。現在も、私の親戚には96歳と95歳の女性ががんばっている。話し方も明晰。あやかりたい親戚だ。

「マットな」という単語

 今朝、NHKの「イッピン」という番組で、徳島県鳴門市で生産されている大谷焼という焼き物のことを知った。レポーターの若い女性が、「マットな感じ」という言葉を連発した。しかし、この「マットな(matte)」という形容詞が私にはピンと来なかった。
 調べてみると、化粧関係で使われていることがわかった。たとえば、「マットな仕上がり」という使われ方をするそうだ。意味は、「つや消し」、「光沢がない」。したがって、「てからせない」ということらしい。
 化粧に興味がない私は、化粧業界の表現についていけないことが判明。しかし、伝統の焼き物にまで、このような外来語が使われるとは…..。どうにも落ち着かない。
 若いレポーターの皆さん、伝統美に対してはもう少し美しい日本語を使ってくださいな。

「オイ アクマ」という掛け声

 藤本義一氏の『歎異抄に学ぶ人生の知恵』(PHP文庫 2008年)の中に、彼の祖父(職人)に関する描写が有る。
 「祖父は起きると顔を洗い、拭わずに鏡の中の自分に向って絶叫した。オイ、アクマ。オイ、アクマ。オイ、アクマ!」
 幼かった藤本氏は怖くてたまらなかったが、その意味は、オ=怒るな、イ=威張るな、ア=焦るな、ク=腐るな、マ=負けるな、だそうだ。
 4月に入ってすでに1週間が経過した。仕事をしている人も、家庭でいる人も、皆、それぞれにストレスが溜まってきているはずである。「オイ、アクマ」と唱えながら、マイペンライ精神で過ごせば、なんとか乗り切れるのではなかろうか。
 私の場合、いろいろな職業、いろいろな立場、そして、いろいろな境遇の中にいる人達と、毎日、接している。皆さん、よく我慢しているなあと思う。だが、「がまん、がまん」と自分に号令をかけると、それだけでストレスが溜まって来そうだから、「まんが、まんが、すべては漫画」と思うことにしよう。

マスターズ開幕

 マスターズが開幕した。美しいオーガスタに魅せられること40年。今年は第81回大会。そのうちの半分はテレビ中継で観ていることになる。タイガーの大活躍の時が何と言っても一番印象的だ。もちろん、日本人選手への応援は毎年のこと。
 中嶋常幸氏の解説がとてもいい。わかりやすい。経験に基づいているから安心して聞いていられる。だらだらとしゃべるのではなくて、めりはりが効いたしゃべりをするから好きだ。
 初日は強風。松山、池田、谷原の3日本人選手は苦戦。2日目に期待したい。
 中嶋氏の助言:「流れを良くしよう!」

詩人 大岡信氏

 詩人の大岡信氏が、昨日、逝去された。私は彼の署名入りの本を持っている。それは、『世紀の変り目にしやがみこんで』(思潮社 2001年)という本だ。第一章の最初の詩のタイトルは「FRAGMENTS」。その冒頭の詩を引用すると…..

   アナログ時計の秒針にうちまたがり
   同じ場所を飽きることなく回っている人。
   デジタル時計の数字の階段を
   あへぎあへぎジャンプしつづけてる人。
   「時」はかれらの外側で いつも
   豊かに溢れつづけてゐるのに。
   —この人びと かれらは
   わたしだ。

ゼンマイ(蕨)の芽

 先日のお茶の稽古の時、先生が一本の帯を生徒に見せた。それはおたいこの部分にゼンマイ(蕨)の芽が絵柄として入っている帯であった。
 風呂敷の唐草模様は、長寿、延命、子孫繁栄という意味を持つが、ゼンマイの芽も同じく目出度い柄だそうだ。
 「どなたか余裕が有る方、この帯、要りませんか?」と茶道講師が言った時、私はすかさず手を挙げた。理由は、ゼンマイの芽が、タイ数字の「๑」に見えたからである。
  ๑ =1。 1はすべての始まりだ。「和の帯にタイ数字の柄」と思えば、誰も知らない遊び心が生じて楽しい。こういう形における「日本とタイの折衷」をこれからも見つけよう。

発音が上手な駅員さん

 昨日、即刻の仕事が入って来たので、大急ぎで浅草まで向かったが、乗換え地点である上野の地下鉄の改札で勢い余ってスイカが反応しないまま通り抜けてしまった。したがって、案の定、銀座線浅草駅の改札口でひっかかった。
 「駅員がいるところへ行ってください」という表示が出たので、すかさず駅員がいる窓口まで行った。
 ところが、欧米人がその駅員に道を尋ねているところであった。早く終わってほしいなあという思いがつのる一方、その駅員の英語についつい聞きほれてしまった。英語の発音がものすごくきれいであったからだ。
 思わず、「さすがは浅草だ」と感心した。彼はどのようにして英語を学んだのであろうか? 落ち着いて話す態度も実にすばらしかった。