แวววาว ピカピカ

昨日土曜日の午前中の授業で京都のインバウンド弊害が話題になった。そこでかつてタイ人達を金閣寺に案内した時の話を私はした。「金閣寺、きれいじゃないね。ピカピカしていないから」と彼ら。それを聞いて、彼らがタイの黄金の仏塔と比較しているのがわかった。

ピカピカというタイ語は「แวววาว」。タイ人講師はこの単語を白板に書いたあと、面白い感想をもらした。「わあ、ว (แหวน)ばかり!」

タイ語を勉強していれば、แวว+วาวという2音節から成り立っているのがわかるから判読可能だが、タイ語を知らない人にはチンプンカンプン。「ว」という文字は、子音としての発音は「w(=ワ行)」。しかし、複合母音として使われると、「ua(ウア)」になったり、「~w(ウ)」になる。

6年前に「ピカピカ先生」というタイ人講師がおられた。彼女のニックネームが「แพรว(=光輝く)」。この単語は黄金のピカピカではなくて、人間としての輝きを意味するそうである。

今日の翻訳

前回に引き続き、『タイ国語教科書(小5年生 第1章 พ.ศ.๒๕๕๑)から出題する。平易な文章に親しむことで、これらを日常会話に応用しよう。

๑. แม่เล่าถึงบ้านป้านิดและลุงวินให้ฟังว่า มีอะไรน่าสนใจแตกต่างกับบ้านในเมืองบ้าง เมฆและฝนฟังแล้วตื่นเต้น อยากให้ถึงเร็วๆ

๒. พ่อบอกว่า “ใจเย็นๆ ลูก เดี๋ยวก็จะถึงแล้ว”

๓. “เมฆอยากขี่จักรยานเล่นครับ” เมฆบอกดัวยความดีใจ

๔. “ฝนไปด้วย ขึ่จักรยานดูรอบๆบ้านเลยนะ” ฝนรีบบอก

๕. “แม่กับป้านิดจะทำอาหารกลางวันอร่อยๆ ให้ทานกันนะ” แม่หันมาบอกลูกๆ

๖. พ่อบอกว่า “ขอพักสักหน่อยนะ ขับรถมาหลายชั่วโมง รู้สึกเมื่อย”

๗. ทุกคนเห็นด้วยเพื่อให้พ่อออมแรงเอาไว้ขับรถกลับ

雑排水管清掃

一昨日、教室が入っている雑居ビルで雑排水管清掃が実施された。年に1回だから、この日をはずすと来年の今頃まで待たなくてはならない。ということは2年間、清掃しないということになってしまう。私は毎年、協力しているが、どう見ても全ての部屋が応じているとは思われない。何故ならば、不在者もいれば、入室拒否の人もいるからである。

雑排水管清掃の場合は下の階から始めていく。理屈から言って当たり前のことだが、全ての部屋を清掃できないと、効果のほどやいかに? 今回は若者が3名もやって来た。バイトをしたい人が増えたということ? あるいは手際よく済ませるために業者がバイトを増やしたということ? 

3名の若者はいずれも手際よく仕事をこなした。「去年もお会いしたかしら?」と一人に声をかけると、「いえ、今年からです」と答えた。「それでは、来年もいらしてくださいね」とやさしく言うと、彼はにっこりした。こういう何気ない会話ができたこと、それが我ながら嬉しかった。

『冬のうた』

雪のニュースが多いので、『冬のうた』(大岡信書きおろし うたの歳時記 学習研究社刊 1985年)を開き、「雪」の章に収められた俳句や短歌に目を通す。室町時代に編まれた『閑吟集』の中から、大岡氏は次なる小歌を紹介し、以下の如く評している。

世間は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさっと 降るよなう

大岡:「降る」に同音の「経る」をかくして、世の中は、あられが笹にさらさらさっとあとも残さず流れ落ちるようなもの、と謡う。<中略> 庶民感情が微妙な陰影をもって歌われ、無常感や、そこから生じる諦念、享楽主義などが、俗語、擬態語、擬声語などを用い、省略技法を駆使して鮮やかに表現されている。

大岡氏の解説を読むと、室町時代の庶民が急に現代にあらわれて来た感が有る。歌は時代の垣根を取っ払う。

今日の作文

1.今は情報過多の時代である。

2.明るいニュースは心がなごむ。

3.暗いニュースはもううんざりだ。

4.フェイクニュースには要注意だ。

5.趣味に関するニュースには、俄然、興味を覚える。

慣用句・故事成語

昨夜、「ねりま演劇を観る会」主催の第236回例会 劇団青年座公演「時をちぎれ」(作:土田英生)を鑑賞した。この劇の特徴は、慣用句や故事成語が台詞の中にたくさん散りばめられていたことである。ただし、わざと間違いだらけにしているから、観客は一瞬、首を傾げるばかり。

たとえば、「弘法も木から落ちる」とか、「猫に真珠」とか、「飛ぶ鳥を追い越す勢い」とかである。劇の中で社長が平気で間違った故事成語を連発する。だが部下達は何も言えない。ところがである。それを研修生としてやって来た頭脳明晰な若い女性が堂々と正していく……。

ネット社会においては無駄な会話が歓迎されない傾向にある。年配の上司が使う言葉はうざったい。かくして、慣用句や故事成語は次第に消えて行くであろう。残ったとしても、案外、間違って覚えたりしそうだ。聞いて、一瞬、変だと思っても、もはや誰も注意しない。

102歳のお祖母様

1月25日の土曜日、「アジア女性のための生け花クラス」を実施した。スイートピー、ゼンマイ、ベニシダを組み合わせて春を演出。初心者は黄色いチューリップが花材。これまた春を告げる花だ。

参加者の一人は小原流のトップクラスの男性。中学生の時から30年余、稽古に精進している。彼が華道講師に話している話が面白かった。「施設に入っている102歳の祖母の顔を見に行ったら、食欲も有り、とても元気でした。お小遣いちょうだい、と言われたので1万円あげると、これでお菓子を買って、皆さんに配るわ、とニコニコ顔をしました」

102歳の元気なお祖母様。孫にお小遣いをせびるところが可愛い! はっきりとした口調で言われたら、孫とてまんざらでもない。結論=状況は何であれ、はっきりとした声で自己主張をすることは生命を伸ばす。

今日の語彙

1.明日       2.明後日

3.明度       4.照明器具

5.証明する     6.証明書

7.解明する     8.頭脳明晰な人

9.意味不明    10.行方不明者

11.明らかになる 12.不明瞭な回答

楽しくない日本

1月24日の施政方針演説で石破首相が「楽しい日本」を提唱したが、首相たるもの、寝言を言ってはいけない。厳しい現実を直視し、確実なる打開策と実行力を推進するのが国のリーダーではなかろうか。国民はすでに白けている。

子供のことはよくわからないが、笑顔が無い子供が多いからおそらく楽しくないのであろう。現役世代の多くはストレスと支出が多くて楽しくない。高齢者は体力と年金が少なくて楽しくない。楽しいのはインバウンドの連中だけだ。

では楽しくなるための良薬は? 政府の言うことなんて当てにならない。自分を律し、刻苦勉励あるのみ。こう言うと古臭いと言われるかもしれないが、自己責任で刻苦勉励が一番。「励」の漢字の中には、「万+力」が入っている。楽しくなるにはパワーも必要。

西東京市の遺跡

一昨日、西武新宿線東伏見駅近くに住む友人に会いに行く用事が有った。車で迎えに来た彼女は西東京市の下野谷(したのや)遺跡へ連れて行ってくれた。縄文時代中期を中心とする環状集落の遺跡だそうだが、とてもロマンを感じた。5千年~4千年前、この地で人々がどのように煮炊きをして暮らしていたのであろうか? そう思うだけで、時間の垣根を超えた。

息詰まるような都心、外国人だらけの高田馬場。そこを離れて縄文の丘へ。高田馬場からわずか30分で空気は変わった。のどかだ。

友人はさらに近くの東伏見神社へ車を走らせた。青梅街道に近い。東伏見駅周辺にある早稲田大学の練習場(野球・テニス・柔道)と寮のいくつかも巡った。例のあのハンカチ王子がいた寮も…。若人がのびのびと練習できることは素晴らしい。