秋田出張

ここ数年、師走はのんびりすることにしている。だが12月7日、秋田での仕事が舞い込んで来たので、急遽、上野から新幹線「こまち」に乗っていざ秋田へ。大曲までは行ったことがあるが、その先の終点秋田は初めてであった。人口減少に悩む秋田県……。確かに人の往来は少なかった。

翌8日、朝食のためホテルの食堂に行くと、マレーシア人達の観光客と一緒になった。彼らは皆、おとなしめで無口。食事の味付けが口に合わないのかもしれない。そして窓の外はみぞれ混じりの雪。

車窓から見た稲刈り後の田んぼは黒い土に変わりつつあった。そこに雪があっという間に覆いかぶさり、一面、白い世界に。太陽は鉛色の空から鈍い光を放つのみ。生きとし生けるもの、皆すべて、これから長い冬に耐える。そして春を待つ。暑い国からやって来た観光客が秋田に対していかなる感想を持って帰国するか? とても興味深い。

ธรรมดาดีกว่า

数日前にバンコク入りされた生徒さんから、昨日、新しいモール「One Bangkok」の写真が送られて来た。高級感たっぷりだ。一体、誰が買うのか? その疑問をバンコク通の人に投げかけると、「タイ人です」と即答して来た。金持ちには金持ちの懐具合が有り、カード1枚でばんばん買物ができる。それをとやかく言うつもりはないが、私としては昔ながらの市場で買うほうが楽しい。ธรรมดาดีกว่า

タイの富裕層が子供の教育にかけるお金もどんどん上がっている。それを羨ましいとは思わない。金持ちは金持ち。お好きにどうぞ。だが、何かが変。

私は日本に出稼ぎに来るタイ人達と接することが多い。彼らの生活がタイ人の本来の姿だと思っている。皆、必至だ。タイの高度経済成長の渦に翻弄され、お金の必要にかられて外国へ出稼ぎに行く。最近は日本人も然り。気をつけたいことは、どこで何をしようと、自分を見失わないことである。「ธรรมดาดีกว่า(普通が良い)」の唱え文句を忘れないでほしい。

今日の翻訳

『จริยศึกษา』(タイ国小学3年生向け พ.ศ.๒๕๒๑)の中の「การทำใจให้สงบมีสมาธิ」から出題する。

๑. ขณะที่ครูกำลังอธิบายเลขคณิตอยู่ ก็มีเสียงโฆษณาจากรถขายยาให้ชาวบ้านไปดูภาพยนตร์คืนนี้ที่วัด

๒. ทำให้นักเรียนทุกคนสนใจและหันไปมองดูรถขายยาซึ่งจอดอยู่ที่ลานวัดไม่ไกลจากโรงเรียนนักและไม่สนใจว่าครูกำลังอธิบายเลขคณิตอยู่ พอดีรถขายยาหยุดโฆษณา ครูจึงพูดว่า

๓. “อยากดูภาพยนตร์กันจริงนะ” แล้วครูก็อธิบายต่อและให้นักเรียนไปทำเป็นการบ้านเพราะใกล้จะหมดเวลาแล้ว

๔. ต่อจากนั้นครูให้นักเรียนเก็บสมุด หนังสือให้เรียบร้อย และพูดว่า

๕. “พวกเธอไม่ค่อยมีสมาธิในการเรียนเลย ครูอธิบายเลขอยู่ก็หันไปสนใจรถขายยา วันนี้จะให้พวกเธอฝึกสมาธิอีก เพราะทุกคนเคยฝึกปฏิบัติกันมาแล้ว แต่สมาธิยังไม่ดี ถ้าฝึกบ่อยๆ คงจะดีกว่านี้”

かんぴょう

久々にかんぴょう巻きを買って食べたら美味しかった。かんぴょうの味付けが良くて気に入った。そもそもかんぴょう(干瓢)なんて、全く目立たない食材である。茶巾寿司にも使われているが、紐としての役割だと思っていた。ところが繊維質が多くて身体に良い食べ物なのだ。

かんぴょうを見ると、55年前に栃木県にある友人の家を訪ねた時のことがいつも思い出される。彼女の家の広い庭で大きくて丸いゆうがおの実から紐状にしたものを機械で削り出している光景を見たが、それがかんぴょうだった。なにごとも百聞は一見にしかず。

クリスマス・キャロル

昨夜、劇団昴による『クリスマス・キャロル』(チャールズ・ディケンズ作)を観た。今年4月から入会した「ねりま演劇を観る会」が主催したものだが、いかにも師走に相応しい演目であった。配布された冊子を読むと、某女性会員がこう書いていた。「2000年に入会し第87回から一度も欠かさず観劇。これまでに147本の舞台を観て、その時その時、楽しく時間を過ごせてとても良かったです」

チャールズ・ディケンズ(1812-1870)と言えば、大学の英文科で『David Copperfield』を読んだ。以来、私の頭の中に彼の名前はずっと残っていた。2011年にロンドンに行った時、彼の執筆した部屋を見学。小さな部屋で大作がたくさん生み出されたことに驚いた。底辺に生きる人々を描写する彼の筆力は小さな机の上で次から次へと全開。19世紀ヴィクトリア朝の作家とはいえ、時代に関係なく親近感を覚えた。

今日のタイ語作文

1.私が初めて着物を購入した浅草の着物屋が閉店した。

2.社長は方向転換が早く、ハラールのレストランを開いたそうだ。

3.おそらく中東からの観光客をターゲットにしているにちがいない。

4.雑司ヶ谷の鬼子母神近くに有った設計事務所がカフェに変わった。

5.その向かいにもカフェが有る。神社にお参りに来る人が帰りにたくさん寄ることを期待しているのであろう。

徳如海寿似山

昨日の茶道教室に掲げられた床の間の軸は、茶道講師自らが書かれたもので、「徳如海寿似山」。これは人の福徳を祝う中国の慣用的表現だそうだ。僧侶が好んで墨するとのこと。徳を海に、そして、寿(=年齢)を山に喩えるこの句はとても雄大である。

喧騒の中にいては心が乱れるだけである。とはいえ、仙人のような生活は送れない。人と人の間を縫って日々をすごし、生活の糧を得たり、活力を補強したりする毎日。「徳」と「寿」、「海」と「山」のみならず、いろいろな漢字から自然や人間を感じつつ、さらなる考察を深めよう。

今日の語彙

1.ゲーンソム       2.ゲーンパー

3.ふかひれスープ     4.燕スープ

5.サムゲタン(参鶏湯)  6.ユッケジャン

7.サンラータン(酸辣湯) 8.ブイヤベース

9.ボルシチ       10.ビーフシチュー

11.オニオンスープ   12.コーンスープ

江戸川橋地蔵通り

昨日の朝、快晴だったので江戸川橋地蔵通りに買物に行った。コーヒー店でブレンド(220円)を買い、店先に置かれたベンチで一服。隣りにママと坊やがいた。坊やはたい焼きをしっかりと持っている。そこへ店員さんが「はい、キッズミルクですよ」と運んで来た。我々が並んでひなたぼっこする様子が向かいにある店のガラス戸に写っていた。

そのコーヒー店にスーツケースを持った男性が携帯を見ながらやって来た。日本人ではない。ほかにもキャスターを持った中国人女性2名がやって来た。飲み終わったカップを店内のゴミ箱に入れようとした私は入り口でふらついた。するとその女性達がすかさず私を支えてくれた。「謝謝」と私。彼女達は台湾人であった。

江戸川橋地蔵通りにはアニメに出て来るパン屋が有る。外国人が次から次にやって来る理由がわかった。庶民の飾らない生活の中にノスタルジーを感じ取ることができて、彼らには面白いのであろう。

エアコン交換

一昨日、教室のエアコンを新しくした。今夏の猛暑で冷房能力の低下を痛感。さりとて、電気屋さんに頼んでもすぐに来てくれないのは分かっていた。今度は真冬に備えなければならない。師走に入る前になんとかしてくださいと電気屋さんをプッシュ。そしてようやく交換。とても気持ちよくなった。

古いエアコンを取り外し、新しいものを壁に取り付け、そしてベランダに室外機を設置する工程に要した時間は約3時間。その間、私はずっと観察。すると電気屋さんの携帯が鳴った。文京区の福祉関係からであった。東京は一人暮らしの高齢者が増えているため、そして、従来有った電気店がつぶれているため、私がお願いしている電気屋さんのところに依頼が殺到しているそうだ。

今朝のニュースで東京は一人暮らしの「異状死」が増えていると報じている。エアコン、ヒーターは早くから準備し、耐用年数が過ぎれば交換。分かってはいるが、それがなかなかできない…….。快適に過ごすには早い決断こそが大切だ。