อยู่ดีมีสุข

昨日、高校生にタイ文字を教えていると、テキストの中に、「อยู่ดีมัสุข」という表現が出て来た。「อยู่ดีกินดี」と類似したもので、これらをタイ人は好んで使う。いずれも韻を踏んでおり発音しやすい。「อยู่ดี」は「安穏に暮らす」という意味であり、「贅沢な暮らし」ではない。「มีสุข」は「幸せである」。

日頃の暮らしに慣れきってしまうと幸福度がわからない。基本的なタイ語の動詞に置き換えて、あらためて自分がいかに幸せであるかを考えてみよう。๑. กินดีมึสุข   ๒. นอนดีมีสุข   ๓. ทำดีมีสุข   ๔. ทำงานดีมีสุข   ๕. เรียนดีมีสุข   ๖. สอนดีมีสุข  ๗. พูดดีมีสุข  ๘. จำดีมีสุข  ๙. ขายดีมึสุข  余談だが、これらの動詞は声調はあるものも含まれているが、いずれも声調記号はついていない。

今日の翻訳

『เด็กชายมะลิวัลย์』(ประภัสสร เสวิกุล  สำนักพิมพ์ดอกหญ้า พ.ศ.๒๕๓๐) の中の「ครัวคนยาก」から出題する。

1.ผมจ่ายตลาดเป็นตั้งแต่อายุ ๕, ๖ ขวบ  เริ่มด้วยการซื้อเครื่องแกงสดหนึ่งสลึง ขอแถมพริกชี้ฟ้าแดง หรือต้นหอมสิบสตางค์ ขอพักชี ๒ ต้น…..

2.รอบๆบ้านเรามีตลาดอยู่หลายแห่ง  ทั้งตลาดที่เป็นตึกแถวขายของชำอย่างตลาดเสาชิงช้า…..

3.ตลาดเช้าอย่างตรอกหม้อซึ่งแม่ค้าปูใบตองกองผักหญ้าแบกะดินสองฟากเหลือทางเดินแคบๆ ตรงกลาง  พอตะแคงตัวเบียดกันได้…..

4.ตลาดตรอกหม้อสมัยนั้นมีของที่อร่อยมากคือหมูตั้ง ทำจากหัวหมูเคี่ยวจนเป็นวุ้นแล้วทิ้งไว้ให้เย็น ซึ่งนานๆ แม่จะมีเงินซื้อให้เรากินสักครั้ง

5.นอกจากหมูตั้งแล้ว สิ่งที่ขึ้นชื่อลือชาของตรอกหม้อได้แก่โจ๊กซึ่งต้มกับน้ำต้มกระดูกหมูจนเขละ

バンコクの日系幼稚園

来年、ご家族でタイへ行かれる方からお子様達の学校や幼稚園についての質問が有った。その方はすでにネットで検索済だから最新情報はご存知だが、別の角度からの意見を求めたいのであろう。インターの授業料があまりにも高額なのも懸念材料である。幼稚園の場合は、お住まいから近いところが通いやすくていいと思う。

昔、赴任前の駐在員の奥様に家まで行ってタイ語を教えたことがある。息子さん(3歳)がいつも隣りに座っていた。聞くところによると、バンコクに着いた翌日には隣りのタイ人の子供とタイ語で喧嘩したそうだ。その坊やは単に相手の言葉をおうむ返しに言ったにすぎない。だがタイ語の音に少々慣れていたからすぐに発音ができた。

白衣の薬剤師

以前、薬とは関係ない生活を送っていたが、高齢になるとともに飲んでいたほうがいいかなあと思い、医師の処方箋をもらっては調剤薬局へ行くことが多くなった。白衣を着た薬剤師さんの口調がきびきびしており魅力的だ。その仕事が好きで薬剤師になったわけだから、薬名を覚えることなど朝飯前なのであろう。

薬剤師というタイ語は、เภสัช (医薬)+  กร(人)=  เภสัชกร。読み方は、一字再読により、「ペーサッチャゴーン」。ついでにเภสัชを使った合成語を列挙する。1)เภสัชศาสตร์  2)เภสัชกิจ  3) เภสัชเคมี  4) เภสัชเวท

今日のタイ語作文

1.自由会話をしなさいと言われても、何を話してよいかわからない。

2.英語を話す人は身振り手振りがめだつ。

3.だが、タイ語を話してもジェスチャーがともなわない。

4.タイ語はおだやかな言語である。

5.自己主張が強い欧米人が話す英語とは大いに異なる。

猛暑日と中国語

昨日の東京は今年初めての猛暑日。東京スカイツリーを遠くから見ると、ツリーの上半分が熱気と湿気で霞んで見えた。仕事を終えた後、教室近くのマッサージ店へ行った。そこは経営者が中国人だから中国人留学生には破格の値段で施術を行っている。腕のいい日本人施術者もいるから日本人客も多い。次第に予約が取りにくくなって来ている。

昨日は中国女性の施術者と中国人客がものすごい勢いで会話をしまくりであった。私の頭の近くでやられたものだから、「うるさい!」と中国語で叫びたかった。だが、そこはぐっと我慢。中国語教室だと思えばよいと自分を納得させた。いずれにせよ、高田馬場は中国語の街になってしまった。おとなしく黙っているだけではすまされなくなった感がある。

語学に強い生徒

25年ぶりに復帰して来られた生徒さんは、彼の話によると泰日文化倶楽部に入会してからすぐに転勤になったので通い続けることがかなわなかったと言った。従って教室でタイ語をきちんと勉強したとは言えないが、タイへは旅行しておられたようだから、タイ語の声調に狂いはなかった。そして語彙力も有った。

教えているうちに彼の語学センスがどこから来ているものかと興味を覚え、「何か他の外国語はできますか?」と尋ねると、「大学でポルトガル語を専攻しました。スペイン語もできます」と彼は答えた。なるほど、語学の勉強の仕方を心得ておられる方であった。彼なら今すぐにタイへ赴任されてもタイ語を聞く力も話す力もすぐに開花すると太鼓判を押したい。

今日の翻訳

昨日午後2時15分、上級クラスのイー先生から訃報を聞かされた。「私達の仲間のオイさんが癌で亡くなりました。50歳です。10歳の娘さんを残して旅立ちました。今この時間、彼女は荼毘にふされています」 それを聞いて、私は信じることができなかった。「えっ、あの美人で優しい雰囲気の彼女が?」と私はイー先生に聞き返し、二人して目を赤くした。

オイ先生は25年前の先生である。もの静かな女性であった。だが、私はよく覚えている。偶然にも、昨日2時半からの個人レッスンに25年前の生徒さんが泰日文化倶楽部に戻って来てくださった。25年という歳月に万感の思いを馳せながら、『ประเพณีพิธีมงคล ไทยอิสาน』(รวบรวมโดย จ.เปรียณ  สำนักพิมพ์ อำนวยสาส์น พ.ศ.๒๕๒๙)の「ล้างหน้าศพ」から出題する。

พอถึงเวลาที่จะเผาศพ ก็เอามะพร้าวที่จัดเตรียมไว้นั้น เอามาทุบต่อย เอาน้ำมะพร้าวรดลงหน้าศพ  ซึ่งเรียกกันว่า ล้างหน้าศพ  การล้างหน้าศพด้วยน้ำมะพร้าวนี้ ซึ่งกล่าวกันว่า น้ำในมะพร้าวนี้มีเครื่องหุ้มห่อหลายชั้น  เป็นน้ำที่สะอาดอย่างน้ำมะพร้าวสะอาดฉันใด  ชนทั้งหลายที่อุตส่าห์บำเพ็ญกองการกุศลสุจริต  จิตใจสะอาดดุจน้ำในผลมะพร้าวแล้วก็ได้รับความสุข เมื่อดับจากโลกนี้แล้วก็จะได้ไปสู่สวรรค์

足がつる

先週の授業中、生徒さんの一人が「足がつるというのはタイ語でどう言いますか?」と質問した。タイ人講師はすかさず白板に書いた。「ตะคริว」 しかし、発音は「ตะคิว」としか聞こえなかった。ร 抜きの発音だ。それにはもう慣れている。なお、『タイ語辞典』(冨田竹二郎編纂)には両者が並列して書かれてあった。

ตะคริวには、痙攣するという意味もあった。つまりは、「足が痙攣している」という表現になる。日本人としては、「足がつる」と「足が痙攣する」とは少々、ちがうような気がしないでもない。一般的な痙攣は「ชัก」である。身体の部位が異なると単語もより限定されていく点にタイ語の面白さを感じる。

鮨職人の指

先日、東浅草に在る鮨店で会合が有ったので参加した。共通の知人がそこで鮨職人をしているからそこの場所を選んだ。店に入るや否や、カウンター内に堂々と立って出迎えてくださったのは大将(83歳)であった。知人の鮨職人は73歳。奥様の話だと、御主人は12時間労働。半世紀にわたり鮨を握っているから指が変形。指先に注射を打っているそうだ。

聞くところによると、下町は昔から出前文化があるから、新参者のウーバーイーツなんか誰も利用しないそうだ。店内で働く人達をみると、皆、高齢者。知人も自転車をこいで出前に出ているとか。若者は昔ながらの鮨店ではもう働かないのかも…..。よって知人はひたすら鮨を握り続けている。バンコクでは鮨店が乱立しているそうだが、一体どんな鮨なのであろうか?