1.あんかけ麺 2.足跡
3.胃カメラ 4.陰険な人
5.運まかせ 6.ウタイターニー県
7.越権行為 8.円形脱毛症
9.横転する 10.恩赦
11.オーケストラ 12.オリエンタルホテル
1.あんかけ麺 2.足跡
3.胃カメラ 4.陰険な人
5.運まかせ 6.ウタイターニー県
7.越権行為 8.円形脱毛症
9.横転する 10.恩赦
11.オーケストラ 12.オリエンタルホテル
先週の水曜日は台風で授業を休講にしたが、昨日の水曜日は梅雨晴れ。よって気持ちよく授業ができた。昨日のテキストは前置詞としての「ต่อ(~に対して)」を勉強。例題は、ต่อฉัน(私に対して)、ต่อกฎจราจร(道路交通法に対して)、 ต่อปัญหานี้(この問題に対して)、等々。
私は生徒達に促した。「ต่อのあとに、思いつくままどんどん単語を置き換えてみてください」、と。日本政府、日本経済、物価高、教育、と列挙して行くうちに、ต่อという前置詞がおろそかにできない単語であることに気づいた。
語学の勉強はまずは単語を覚えることから始まる。そして、短文をつなげて表現していくが、単なる感情表現で終わるのではなくて、ต่อを使って自分の意見を持つことが大切だ。日頃から問題意識を持ち、日本語であれ、タイ語であれ、同レベルで言葉を発する訓練をしよう。
昨夜、ねりま演劇を観る会第244回例会で『帰還不能点』(劇団チョコレートケーキ公演)を観劇した。今回は私が所属しているグループの当番日にあたっていたので、パンフレットをセットしたり、もぎりをしたり、と、いろいろな役割分担が有った。私には、「携帯電話の電源をお切りください」と書いた紙板を持ち、入場して来る観客に注意を促す役割が課せられた。
一緒にやっていた男性が言った。「我々のことなんか誰も見ていないでしょ。みんな、携帯しか見てませんからね」 私は答えた。「皆さん、開演ぎりぎりまで携帯見たいからいたしかたないですね」
どこの劇場でも開演5分前になると携帯の電源を切るようにとアナウンスが流れる。よって携帯事故は起こらない。それなら紙板を持って立つ昔ながらのスタイルは無用ではないか。だが思う。それも必要。立っている人達の姿は必ずや観客の目に入っているから抑止になる。小さな役割であれ、体験してみるものだ。昨夜は舞台の俳優はもちろんだが、市井の人々をじっくりと観察することができた。
タイ小学校国語教科書(4年生向け พ.ศ.๒๕๔๐)の第3章から出題する。平易な文章だから、タイ語作文に応用できそうである。
๑. ฝนเริ่มตั้งเค้า ฟ้ามืดครึ้ม ผมออดจากบ้านจะรีบขึ้นรถเมล์ไปโรงเรียนก่อนที่ฝนจะตกลงมา
๒. ผู้คนที่ป้ายรถเมล์แน่นขนัดเหมือนอย่างเคย
๓. ผมรอคอยรถเมล์คันแล้วคันเล่าก็ยังขึ้นไม่ได้ เพราะรถเมล์ทุกคันมีผู้โดยสารเต็มไปหมด
๔. บังเอิญมีรถเมล์คันหนึ่งวิ่งมาหยุดตรงป้ายรถเมล์ที่ผมยืนรออยู่
๕. ผมเห็นว่าพอจะขึ้นไปได้ผมก็เบียดขึ้นไป มือหนึ่งถือกระเป๋า อีกมือหนึ่งจับขอบประตูไว้
๖. ที่จริงผมไม่น่าขึ้นรถเมล์คันนี้เลยเพราะน่ากลัวอันตราย หากผมตกรถเมล์ไปตายใครจะรับผิดชอบต่อชีวิตของผม
๗. มีผู้ชายคนหนึ่งใจดีให้ผมเข้าไปยืนข้างในรถ ผมจึงโชคดีที่ไม่ต้องเอาชีวิตไปเสี่ยงอันตราย
昨日、関東は梅雨入りした。しばらく青空とはお別れだ。朝から雨が降っていると、電車での通勤通学が憂鬱。昔から五月病は有ったが、ここ数年は六月病も…..。身体面でも精神面でもバランスをくずすといけない。好きなことを見つけて、自分をご機嫌な方向に持って行こう。
2026年も半ば。ひまなので泰日文化倶楽部の生徒の年齢層を書き出してみた。一人一人に年齢を確かめたわけではないから大雑把な統計ではあるが、50歳代が男女ともに多かった。そして60歳代は女性、70歳代は男性が多いのがわかった。残念なのは20歳代、30歳代、そして、40歳代が少ないことだ。
稽古事、すなわち、自分磨きは早くから始めたほうがいい。基礎の繰り返しは退屈だが、こつこつとやり続けるしかない。そして、時々、自分を褒めよう。自分は自分。そう納得すれば、明日につながる。
本の間から、昔の週刊誌(「週刊ポスト 2000.12.22)の切り抜きが出て来た。記事は、竹村健一(1930-2019 ジャーナリスト)が連載していた「通勤電車の英語塾」の中の<Bandwagon(勝ち馬)>であった。彼はこう解説する。
~Bandwagonとは「サーカスの楽隊を乗せたワゴンカー」という意味だが、アメリカ人がこの言葉を口にする時、実はかなり辛辣な意味が込められている。このいかにも楽しげな「バスに乗り遅れまい」と我も我も飛び乗る大衆行動を英語では、”Jumping on the bandwagon”と言うシニカルなフレーズを用いてチクリとやりこめるのだ。~
日本人はとかくブームに弱い。この国民性はこれから先も変わることはないであろう。いや、この性向はいずれの国においてもみられる、人間が欲の皮を突っ張らせている限りにおいては…..。AIの更なる解釈では、「Bandwagonは、時流に乗る、勝ち馬に乗る、大勢に順応する、といった意味で日常会話や心理学、政治、経済などの分野で使われる言葉です」と書いてあった。
1.授業中、タイ料理のことが話題にのぼると、女性はものすごく関心を示す。
2.一方、男性の場合はタイ料理よりもタイの地理に興味が有るようだ。
3.タイへはいつでも行けるようでいて、実はそうでもない。
4.仕事をしていると、長い休みが取れない。
5.退職しても、家庭の事情で海外旅行は無理という方が多い。
司馬遼太郎の本(『歴史のなかの邂逅 8』中公文庫 2011年)を読み進むと、「権力の神聖装飾」という章の中で、山県有朋が「宮内省に容喙し、いままでの儀典を再検討させ、重厚さと神秘性をもりあげたあたらしい方式に変えさせた」という文章が有った。
司馬氏の漢字使いは難解なものが多い。上述の「容喙」もなかなか馴染めない語彙だ。調べてみると、「容(入れる)+ 喙(くちばし)」で、「口出しする」、「口をはさむ」という意味であった。敷衍すれば、「介入」とか、「おせっかい」という意味にも解釈できる。
ひるがえって、タイ語ではどう訳すか? 文脈によっていろいろな表現が有るので一概には言えないが、当たり障りのない訳だと、「เข้าไปยุ่ง」。他に、「สอดปาก」(差し出がましいことを言う)、「ก้าวก่าย」(干渉する)、「แทรกแซง」(介入する)、等。英語も然り。いろいろな使い分けが見られる。要は、たくさんの文章に接し、いかに語彙を増やすかが肝心なり。
6月初旬に台風6号が到来。昨日の授業は休講にした。定時のニュースを聞いていると、氾濫水域に達した河川の名前が繰り返され、わが青春時代の善福寺川の名前も入っていたのでびっくり。
「氾濫」という漢字をよく見ると、ひと癖もふた癖もありそうでイメージが悪い。調べてみると、氾濫は水が溢れる場合に使われ、物が溢れる場合は「汎濫」という漢字を使うのがこれまでの習わしであったが、現在においては、水も物も、そして情報も、「氾濫」で統一されていると書いてあった。
氾濫の被害に遭ってすべての財産を失うことはつらい。水であれ、物であれ、デマであれ、自分をしっかり持って、日頃からそれらに対処する知恵と身体能力を備えておく必要が有る。それが無理なら、水の神様に命乞いをするのみだ。因みにタイ語で洪水は「น้ำท่วม」、そして、水害は「อุทกภัย」。
1. 来賓挨拶 2. ラッパを吹く
3. リネン(亜麻) 4. リネン交換
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