『冬のうた』

雪のニュースが多いので、『冬のうた』(大岡信書きおろし うたの歳時記 学習研究社刊 1985年)を開き、「雪」の章に収められた俳句や短歌に目を通す。室町時代に編まれた『閑吟集』の中から、大岡氏は次なる小歌を紹介し、以下の如く評している。

世間は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさっと 降るよなう

大岡:「降る」に同音の「経る」をかくして、世の中は、あられが笹にさらさらさっとあとも残さず流れ落ちるようなもの、と謡う。<中略> 庶民感情が微妙な陰影をもって歌われ、無常感や、そこから生じる諦念、享楽主義などが、俗語、擬態語、擬声語などを用い、省略技法を駆使して鮮やかに表現されている。

大岡氏の解説を読むと、室町時代の庶民が急に現代にあらわれて来た感が有る。歌は時代の垣根を取っ払う。

今日の作文

1.今は情報過多の時代である。

2.明るいニュースは心がなごむ。

3.暗いニュースはもううんざりだ。

4.フェイクニュースには要注意だ。

5.趣味に関するニュースには、俄然、興味を覚える。

慣用句・故事成語

昨夜、「ねりま演劇を観る会」主催の第236回例会 劇団青年座公演「時をちぎれ」(作:土田英生)を鑑賞した。この劇の特徴は、慣用句や故事成語が台詞の中にたくさん散りばめられていたことである。ただし、わざと間違いだらけにしているから、観客は一瞬、首を傾げるばかり。

たとえば、「弘法も木から落ちる」とか、「猫に真珠」とか、「飛ぶ鳥を追い越す勢い」とかである。劇の中で社長が平気で間違った故事成語を連発する。だが部下達は何も言えない。ところがである。それを研修生としてやって来た頭脳明晰な若い女性が堂々と正していく……。

ネット社会においては無駄な会話が歓迎されない傾向にある。年配の上司が使う言葉はうざったい。かくして、慣用句や故事成語は次第に消えて行くであろう。残ったとしても、案外、間違って覚えたりしそうだ。聞いて、一瞬、変だと思っても、もはや誰も注意しない。

102歳のお祖母様

1月25日の土曜日、「アジア女性のための生け花クラス」を実施した。スイートピー、ゼンマイ、ベニシダを組み合わせて春を演出。初心者は黄色いチューリップが花材。これまた春を告げる花だ。

参加者の一人は小原流のトップクラスの男性。中学生の時から30年余、稽古に精進している。彼が華道講師に話している話が面白かった。「施設に入っている102歳の祖母の顔を見に行ったら、食欲も有り、とても元気でした。お小遣いちょうだい、と言われたので1万円あげると、これでお菓子を買って、皆さんに配るわ、とニコニコ顔をしました」

102歳の元気なお祖母様。孫にお小遣いをせびるところが可愛い! はっきりとした口調で言われたら、孫とてまんざらでもない。結論=状況は何であれ、はっきりとした声で自己主張をすることは生命を伸ばす。

今日の語彙

1.明日       2.明後日

3.明度       4.照明器具

5.証明する     6.証明書

7.解明する     8.頭脳明晰な人

9.意味不明    10.行方不明者

11.明らかになる 12.不明瞭な回答

楽しくない日本

1月24日の施政方針演説で石破首相が「楽しい日本」を提唱したが、首相たるもの、寝言を言ってはいけない。厳しい現実を直視し、確実なる打開策と実行力を推進するのが国のリーダーではなかろうか。国民はすでに白けている。

子供のことはよくわからないが、笑顔が無い子供が多いからおそらく楽しくないのであろう。現役世代の多くはストレスと支出が多くて楽しくない。高齢者は体力と年金が少なくて楽しくない。楽しいのはインバウンドの連中だけだ。

では楽しくなるための良薬は? 政府の言うことなんて当てにならない。自分を律し、刻苦勉励あるのみ。こう言うと古臭いと言われるかもしれないが、自己責任で刻苦勉励が一番。「励」の漢字の中には、「万+力」が入っている。楽しくなるにはパワーも必要。

西東京市の遺跡

一昨日、西武新宿線東伏見駅近くに住む友人に会いに行く用事が有った。車で迎えに来た彼女は西東京市の下野谷(したのや)遺跡へ連れて行ってくれた。縄文時代中期を中心とする環状集落の遺跡だそうだが、とてもロマンを感じた。5千年~4千年前、この地で人々がどのように煮炊きをして暮らしていたのであろうか? そう思うだけで、時間の垣根を超えた。

息詰まるような都心、外国人だらけの高田馬場。そこを離れて縄文の丘へ。高田馬場からわずか30分で空気は変わった。のどかだ。

友人はさらに近くの東伏見神社へ車を走らせた。青梅街道に近い。東伏見駅周辺にある早稲田大学の練習場(野球・テニス・柔道)と寮のいくつかも巡った。例のあのハンカチ王子がいた寮も…。若人がのびのびと練習できることは素晴らしい。

今日の翻訳

タイ国語教科書(小学5年生用 พ.ศ.๒๕๕๑)から出題する。

๑. “ปื้นๆ” เสียงแตรรถยนต์ที่หน้าบ้าน เมฆและฝนสองพี่น้องรีบวิ่งไปช่วยกันเปิดประตูบ้านให้พ่อ

๒. พ่อบอกว่า กลับช้าเพราะไปเติมน้ำมันและสูบลมยางเตรียมไว้สำหรับการเดินทางไปพักผ่อนวันพรุ่งนี้

๓. เมฆและฝนเตรียมกระเป๋าเสื้อผ้าและของใช้ไว้เรียบร้อยแล้ว ส่วนแม่ก็เตรียมหมักหมู หมักไก่เอาไว้ไปทำอาหารที่บ้านป้านิด

๔. วันรุ่งขึ้นทุกคนตื่นแต่เช้า เมื่อจัดของขึ้นรถแล้ว พ่อก็ขับรถพาเมฆและฝนมุ่งหน้าไปบ้านป้านิด พี่สาวของแม่ที่อำเภอปากช่อง ซึ่งอยู่ห่างจากถนนใหญ่

๕. พ่อต้องขับรถเข้าไปตามถนนเล็กๆ ของหมู่บ้าน แม่บอกว่าบ้านของป้านิดอยู่ใกล้เชิงเขา มีบริเวณกว้างขวางมาก

๖. ป้านิดกับลุงวินตั้งใจจะปลูกบ้านนี้เป็นที่พักผ่อนหลังเกษียณอายุราชการแล้ว ลุงวินเลือกปลูกตัวบ้านอยู่บนเนิน

茶道の稽古

茶道教室に入会して9年になる。途中、退会したくなった時もあったが、それを通り越すと、あら不思議、淡々と続いている。私のあとに3名、新しい方達が入って来られたが、彼らはすぐにやめた。従って、私はずっと最後の弟子である。

月に2回の稽古は日本の伝統である二十四節気に基づいて、毎回、季節を意識し、道具を愛で、主菓子を楽しむ。美しい所作はいつまで経っても身につかないが、茶道講師の指摘を素直に聞くことにしている。

ひるがえってタイ語の勉強の場合はいかに? 素直に聞くだけでは不十分だ。その日習った単語はもちろんのこと、さらに関連する単語をノートに書き出し、3倍速で語彙数を増やしていってほしい。言うは易く行うは難し。しかし、自助努力を続ければ、次第にタイ語脳が形成されていくこと間違いなし。

ポカをする

最近、ポカをすることが多くなった。出かける前に充電をしたにもかかわらず携帯を忘れてしまったり、大きな携帯トラップをつけているのにカバンの中に入れてある携帯がどうしても見つからなかったり…..。徴収した受講料を入れたポーチを教室に忘れた時は、自分のポカぶりに呆れを越してつい笑ってしまった。

「ポカが多い」の語源を調べると、「囲碁や将棋で不注意から思いもよらない悪手を打ってしまうことを意味する」と書いてある。

一方、「ドジを踏む」という類似表現の語源も調べた。「①鈍遅(鈍くて遅れをとるの転) ②どじくじ(はっきりしないさまの下略) ③昔、相撲で土俵の外に足を踏み出して負けることを<土地を踏む>と言い、そのなまりという説もある。

いずれにせよ、勝負ごとから由来する言葉や表現が多々見られる。だが、これらもいずれは消失して行くであろう。何故ならば若い世代には伝わっていかないからだ。