かち割り

仕事で出かけると昼の休憩時間に昭和レトロな純喫茶店を探すことが多い。昨日、板橋で見つけた喫茶店は扉を開けると煙草の匂いが……。客は9割がた電子タバコを吸っている。カウンターにはマダムが一人で氷をかち割っていた。75歳位の女性だ。品が良く堂々としていた。選曲もいい。

かち割りとはなんとまあ懐かしい。注文したアイスコーヒーの中にはふぞろいな氷群。ストローで掻きまわしているだけで涼がとれた。

尾花沢のスイカ

先日、仕事帰りに八百屋の前を通ると、早くも店頭に置いてある品物の片づけを始めていた。最後の商品がスイカ。舟形、あるいは三日月形に切られたスイカが私を呼んでいる。「いくらですか?」と八百屋の奥さんに尋ねると、「700円」と言われた。私は躊躇した。すると、店の奥にいたご主人が「尾花沢のスイカだからね。一推しだよ。絶対にうまいから」と力強く言った。奥さんも追随。

その日は私の母(故人)の117歳の誕生日。そこで決めた。よし、買おう! 帰宅後、数時間冷やした後、食べた。なるほど、スーパーで売っている一口カットのスイカとは雲泥の差であった。八百屋のご夫婦の自慢がよくわかった。彼らは扱っている商品の味をすべて知っているプロだ。

今日の翻訳

『เมื่อคุณตาคุณยายยังเด็ก』(ทิพย์วาณี สนิทวงศ์ ฯ การพิมพ์สตรีสาร )の「ล่าจระเข้」から出題する。

1.คุณยายมีคุณลุงห่างๆ อยู่คนหนึ่ง เป็นเศรษฐีใจดี  คุยสนุก เด็กๆชอบฟังคุณลุงคุยเพลินจนอ้าปากบ๋อไปตามๆกัน

2.คุณลุงตกแต่งฝาบ้านด้วยเขากวาง  เขี้ยวหมูป่า  หัวสิงสาราสัตว์  และอาวุธต่างๆเต็มไปหมด

3.เด็กผู้ชายนั้นสนใจมากและชอบฟังคุณลุงเล่าเรื่องประวัติเกี่ยวกับอาวุธและหัวสัตว์เหล่านั้นอย่างพิสดาร

4.คุณลุงเคยล่าสัตว์มาสารพัดแล้ว แต่ยังไม่เคยล่าจระเข้เลย

5.แล้วคุณลุงก็มักจะเอาชนักออกมาอวดเด็กๆ เป็นหอกมีแง่งออกมาสองข้าง  มีเชือกพันอยู่ที่ด้ามเวลาพุ่งไปแล้วปักหลัง  จระเข้จะดิ้นไม่หลุดทีเดียว

กะหรี่

タイ人がニックネームで呼び合っているのを知った日本人男性が自分もニックネームがほしいとタイ人に言った。すると、タイ人は「あなたの好きなものは何ですか?」と尋ねた。日本人男性は「カレーです」と答えた。

「タイ語でカレーはแกงกะหรี่です」とタイ人が発音すると、タイ語に関心を持っている日本人男性は「そうだ。カリーがいい」と即座に言った。しかし、タイ人は怪訝な表情を浮かべ、やがて笑い出した。二人の間にいた私も苦笑し、そして日本人に教えてあげた。「カリー(กะหรี่)にはカレーのほかに、もう一つの意味(=俗語)が有り、それは売春婦です」

脳は衰えない

親しくしている元タイ女性講師から傑作な写真がラインで送られて来たので、私は返信した。「วันนี้ก็มาเป็นล่ามให้ตำรวจค่ะ」 すると、彼女はこう返して来た。

「อาจารย์ทำงานแยะไหมคะ  ทำงานก็ดีค่ะ  จะได้ใช้สมอง สมองจะไม่ได้เสื่อมค่ะ」

後期高齢者の私を元気づけてくれていると素直に解釈した。しかし、今年の夏はこたえる暑さだ。脳みそがとろけそう…..。仕事中、いつも特上の鰻重を頭に描いている。

 

今日のタイ語作文

1.タイ語では、魚、洋服、机の数え方は同じである。

2.タイ語では、書物、ナイフ、針の数え方は同じである。

3.タイ語では、靴、箸、夫婦の数え方は同じである。

4.タイ語では、犬と象は数え方が異なる。

5.タイ語では、葉書と切手は数え方が異なる。

6.タイ語では、庶民の年齢と国王の年齢は異なる単語を使う。

 

大暑 

今日から大暑。8月7日までだそうだ。すでに連日の猛暑で心身ともにかなり消耗しているが、あと2週間、まだまだ耐えなければならない。そうすれば泰日文化倶楽部の夏休み(8月8日~21日)を迎える。

猛暑、酷暑、極暑、ではもはや表現しきれないほどの暑さだ。ダンテの『神曲』の中に「煉獄篇」があるが、それを文字って、「煉暑」と言いたい。「煉」という漢字には、①金属を火にとかして質のよいものにする、②粉状のものをこねて固める、という意味があるそうだが、この熱波では気合いのエンジンがかからず、とろけるだけだ。

画家の見た日本列島

画家の三岸節子(1905-1999)が書いた『花こそわが命』(求龍堂 1996年)を再読した。情熱的な文章はいつ読んでも新鮮だ。彼女が1955年にフランスから帰国した際、船上から見た日本列島に関する描写が面白い。

~帰りの船がだんだん日本に近づいて、やがて沖縄の島々が見えましたとき、空が白っぽくなり、ガスが一面にたれこめて、ああ水蒸気の風土に帰ってきたのだ、としみじみ思いました。~

日本は高温多湿だ。フランスと比べるとなおさらそうだ。だが、湿っぽいのは風土だけではない。日本人の気質も湿っぽくて、もやもやしている。理不尽な事件が頻発するのもこの不確実性のせいではないかと思う。

今日の翻訳

前回に引き続き、『เด็กชายมะลิวัลย์』(ประภัสสร เสวิกุล  สำนักพิมพ์ดอกหญ้า พ.ศ.๒๕๓๐)から出題する。章のタイトルは「รั้วสังกะสี」である。

1.แม่เล่าว่า ก่อนสงครามโลกครั้งที่สอง  มีญี่ปุ่นมาทำมาหากินในกรุงเทพฯ อยู่ไม่น้อย

2.บางคนเปิดร้านตัดแว่นตา  บางคนเป็นหมอฟัน  บางคนเป็นเสมียนตามห้างญี่ปุ่น…

3.แต่พอญี่ปุ่นยกกองทัพมาขึ้นฝั่งไทยที่ปากน้ำและภาคใต้  บรรดาชาวญี่ปุ่นในกรุงเทพฯ ก็พากันถอดชุดธรรมดามาสวมเครื่องแบบนายทหารญี่ปุ่นกันพรึ่บพรั่บ

4.แม้แต่นายธนาคารญี่ปุ่นคนหนึ่งก็เพิ่งทราบความจริงกันในตอนนั้น  ว่าแกเป็นนายพลคนสำคัญของกองทัพงิที่เข้ามาวางแผนการใช้ดินแดนไทยเป็นฐานที่มั่นให้ทหารของพระเจ้าจักรพรรดิเคลื่อนพลไปตีมาเลเซีย เกาะสิงคโปร์ อินโดจีนของฝรั่งเศส และพม่า

5.แม่เล่าว่ากรุงเทพฯ เริ่มคับขัน  เมื่อฝ่ายพันธมิตรมีชัยในยุโรป  และตีโต้ญี่ปุ่นในแปซิฟิคกับเอเซียอาคเนย์ พร้อมๆกับที่ความขาดแคลนเสื้อผ้าเครื่องนุ่งห่ม  อาหาร  ยารักษาโรค และเครื่องอุปโภคบริโภคต่างๆกำลังระบาดไปทั่วนั้น   เครื่องบินของฝ่ายสัมพันธมิตรก็เริ่มบินมาทิ้งระเบิด…..

 

キオスクの女性

昨日、朝の通勤時間帯に巣鴨駅に降りた。改札口に通じるエスカレーターには長蛇の列。そこでホーム上にある小さなキオスクに寄った。私とすれ違いに一人の女性が出て行った。「よろしく」、と言いながら。その人は日本人ではなかった。

交代してレジに立った女性も日本人ではなかった。他に客がいなかったので、彼女にたずねた。「どちらのお国の方?」 彼女は「ネパールです」、と。そこで私は「ナマステ」と挨拶。ほとんど客が無さそうなキオスク。そこで真面目に働きながら日本社会や日本人を観察しているアジアの女性。夕方6時前に再び巣鴨駅に戻り、そのキオスクの前を通ったが、店はもう閉まっていた。