1.最近、美味しいパン屋をみつけた。
2.店主の女性はもう40年もパンを焼いているそうだ。
3.おすすめのパンはチョココロネ。
4.店がマンガに採り上げられたので、2020年にアニメの聖地に選ばれたと店主は説明してくれた。
5.コロネパンやアンパンを見ると、小学生の時、パン工場見学に行ったのを思い出す。
1.最近、美味しいパン屋をみつけた。
2.店主の女性はもう40年もパンを焼いているそうだ。
3.おすすめのパンはチョココロネ。
4.店がマンガに採り上げられたので、2020年にアニメの聖地に選ばれたと店主は説明してくれた。
5.コロネパンやアンパンを見ると、小学生の時、パン工場見学に行ったのを思い出す。
タイ語は発音が難しい。昨日の授業で生徒の皆さんから幾つかのぼやきが出た。日本人にとって、頭子音の ร(r音) と 、ล(l音)、及び、末子音の น(n音)と、 ง(ng 音)がうまく発音できないと….。何回も聞いて、自分が納得いくまで聴力を磨くしかない。
๑. เรียน (rian 平声=勉強する) ๒. เรียง (riang 平声=並べる) ๓. เลั้ยง (liang 高声=育てる) ๔. เลี่ยง (liang 下声=避ける ๕. เลี่ยน(lian 下声=脂っこい)
対面の授業をしていると、生徒の悩みがよくわかって参考になる。お喋りも無駄ではない。テキストをひたすら進めるだけだと勉強した気分にはなるが、脳みその襞にひっかかっていかない。いろいろな失敗談をシェアすると、思いのほか印象に残る。
翻訳には悩みがつきものである。直訳がいいか、意訳がいいかという悩みだ。だが究極的には翻訳者の自由でいい。もしも原稿が公的な文章であれば直訳であることが要求される。いわゆる対語訳だ。一方、原稿が文学的であれば、断然、意訳をすすめる。何故ならば、読みやすいからだ。
翻訳の「翻」という漢字には、動詞として、「ひるがえる」 と 「意に反した動きをする(翻弄)」の二つの意味があるようだから、翻訳をする際、あれこれと迷ったら、最後は清水の舞台から飛び降りるような潔さで表現を決めるしかない。
このブログで「今日の翻訳」、「今日のタイ語作文」を宿題として提示しているが、それに対して5名の提出者がおられる。皆さんの表現を活かしながらの赤ペンチェックだから、解答は同じではない。言いたいことは、直訳、意訳の他に、翻訳には個人訳、自由訳、本音訳、等々が有っても許されていい。そう思う。
๑. กด / กอด ……………….. ๒. กบ / กบฏ
๓. ขม / ขมา ………………… ๔. คบ / คาบ
๕. งง / งวง …………………. ๖. ชก / โชก
๗. ตก / ตอก…………………. ๘. บด / บอด
๙. ปก / ปอก ……………….. ๑๐. ปีก / ปลีก
๑๑. พก / พวก ………………. ๑๒. รบ / รอบ
๑๓. รก / ราก ………………… ๑๔. ลด / ลวด
昨日、個人レッスンを希望される生徒さんが遠方より教室にみえた。予約のメールには20年前に少しだけ泰日文化倶楽部に通ったことがあると書いてあったので、お目にかかれるのを楽しみにしていた。「当時の先生は何という先生でしたか?」とお尋ねすると、「男性も女性もいらしたので……」と返事された。
彼女は外国語の勉強がお好きならしく、これまでに6ヶ国語を習ったそうだ。そのうちの一つがタイ語。何はともあれ、語学を勉強していて損はない。得るところが多い。いろいろな知識はもちろんのこと、その国の人々の考え方を知ることができて有益である。
人生は言葉なり。生き方を見失った時、どこかの言語に挑戦すれば、新たなる視点が見つかり、人生航路の海域が広がる。
あと2週間もすれば祇園囃子が聞こえて来る京都。『洛中巷談』(潮出版社 1994年)の中の「<伝統文化>と民衆の心」という章で、吉田幸次郎氏(染色や西陣などの伝統文化を研究)は近場の人から「囃子の笛は子供でも簡単にマスターできるんですか」という質問を受けた際、次のように答えている。
~いえ。まず、鉦を十年ないし十五年かかって覚えるんです。その間に、太鼓のリズムも笛のメロディーも体にしみ込んでくる。しみ込んだところで太鼓方になる。笛方になる。~
吉田氏はさらに面白いことも追加して言っておられる。「八十のじいさんから小学校の一年生までが同じ一座になってけいこをするでしょう? そうすると、大人はまあ、ひわいな話もしますわな。<中略> これがものすごく刺激になるみたいですね」 なるほど、言葉を覚えるには刺激が必要なり。
タイ小学校国語教科書(1年生後期 พ.ศ.๒๕๔๔)の最後の章の練習問題に紹介された「นิทานอีสป ชาวไร่องุ่นกับลูก」から出題する。
๑. ชาวไร่องุ่นคนหนึ่ง เมื่อใกล้ตาย เขาต้องการให้ลูกๆดูแลเอาใจใส่ไร่องุ่นให้ดี จึงเรียกลูกๆมาพบ
๒. เขาบอกกับลูกๆว่า “พ่อได้ฝังเงินทองไว้ในไร่องุ่นจำนวนมากให้ลูกๆไปขุดหาเอง”
๓. เมื่อชาวไร่องุ่นตายแล้ว ลูกๆก็นำจอบและเสียมไปขุดหาเงินทองในไร่จนทั่ว แต่ก็ไม่พบเงินทองที่พ่อฝังไว้
๔. ส่วนต้นองุ่นก็งอกงามดีให้องุ่นผลโตและให้ผลดกมาก ลูกๆขายองุ่นได้เงินจำนวนมาก
๕. นิทานเรื่องนี้สอนให้รู้ว่า จะทำงานอะไรก็ต้องดูแลอาใจใส่จึงจะทำให้งานนั้นได้ผลดี
大阪へ行かれた生徒さんから「生きんつば」を頂いた。箱には「摂州 御菓子処 泉寿庵」と書いてあった。「摂州」を調べてみると、現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたるとのこと。別名は「摂津」。これなら何となくわかる。
頭の体操のために、「摂」の漢字の意味を探ってみた。1.とる、もつ、とりおこなう(例:摂取)、2.兼ねる、兼務する、かわる(例:摂政)。「摂」の右側は、旧漢字では、耳を3つ書き、「いくつかのものをくっつけることを示す」という意味だそうだ。
よって、「摂」という漢字は、「手偏の手+耳3つ」から構成されているので、自分の手と耳でしっかりとものごとを取り入れることになる。まずは健康長寿のために、必須の栄養素をしっかりと摂取しようではないか。
昨夕、泰日文化倶楽部が入居しているビルのエントランスで二人の女子高生が真剣な表情で何やら話し込んでいた。彼らの会話は英語。同じビルにいるミャンマー関連者の子供だと思い、「素晴らしい英語ですね! ミャンマー人でしょ?」と、私も英語を使って尋ねた。
すると、一人が「私はフィリピン」と答え、もう一人が「私がミャンマー」と答えてくれた。フィリピンの女子高生がミャンマーの女子高生に悩みを打ち明けている様子であった。二人の表情を観察しながら、東京で日本人に交じって高校生活を送るのは大変だろうと想像した。
悩みを打ち明けるには、原因と理由をはっきり述べなくてはならない。単なる日常会話ではないのである。あらためて思った。いずれの言語であれ、理論的に話せるようになるためには、日々、しっかりと思考し、そして表現力を磨くことが要求される。
1.ニュースでブラジルの洪水による経済的ダメージが報じられた。
2.ブラジルから輸入している鶏肉や飼料が半年後には値上げになるらしい。
3.とすると、日本人の財布のひもがかたくなる。
4.そして、居酒屋の唐揚げチキンの個数も減るにちがいない。
5.大豆でできた代替肉の売れ行きは下降しているそうだ。
6.やはり歯ごたえのある本当の肉を食べたいというのが日本人の本音である。