青空? それとも かさぶた?

706号教室で行われている「タイ語入門 火曜日19:00」のクラスに、昨夜から、タイ人講師のヒカル先生がやって来られた。実を言うと、先週からお願いしてあったのだが、彼女、日にちを間違えたらしく、先週の火曜日はどんなに待っても現れなかった。
 このクラスは、昨夜が第4回目の授業であった。そこで、これまで習った単語や表現を使ってヒカル先生と初心者会話をさせるのも有益だと思い、私は教室から出て、806号教室へ行き、「タイ語初級 火曜日19:00」のクラスを手伝った。
 30分ほどして、再び706号教室に戻った。生徒達は新人講師ととても楽しく勉強していたので安心した。
 やがて、おかしなことが有ったことが分かった。それは、A子さんから懇願されて、底抜けに明るい性格の持ち主の彼女に「ファー ฟ้า (高声)青空」という愛称をつけてあげたのに、ヒカル先生には全く通じておらず、変な顔をされたらしい。
 理由は、A子さんの発音が「ファー ฝ้า (下声)かさぶた」になっていたからである。ヒカル先生にしてみれば、「そんな愛称なんて聞いたことがない。吉川先生も変な名前をつけたものだ」と思ったらしい。
 私が声調の間違いを指摘すると、ヒカル先生は納得。彼女はものすごく明るい顔をして、大いに笑った。教室にいた日本人一同も爆笑した。

30年前のアシスタント

先日、タイ女性からメールが送信されてきた。名前を見ただけで、すぐに誰であるかはわかった。何故ならば、同じ名前のタイ女性と会うことがなかったからである。
 彼女は30年前から数年にわたり、タイ語のアシスタントをしてくださった。メールでは、息子さんが上智大学に入ったこと、そして、上智大学にタイ語の授業があることを知り、講師は誰かしらと見ていると、私の名前をみつけたので、懐かしくなってメールをしたとのことであった。
 文面を読んで、私は私でびっくりした。そんなに大きなお子さんがいらしたとは!
 私もすぐに返信した。「覚えていますとも。あなたが吹き込んでくださった『タイ語入門』のテキストのテープはいまだに使っていますよ」、と。
 テープの時代は終わり、今はCDにしているが、彼女の可愛い声は30年前のままである。

ベトナム語講座の一時休止

昨年2月上旬にベトナム語講座のデモンストレーションを行なった結果、2名の生徒達が本格的に勉強をしたいと申し出られたので、3月から「ベトナム語講座入門」を開講した。
 それから1年2ヶ月が経過し、昨日をもって、一時休止に相成った。
 理由はベトナム語講師が大学院での授業が始まったため、勉強に専念したいということになったからである。丁度、使用していたテキストも最後まで進んだので、生徒達にも一時休止を納得してもらえた。
 泰日文化倶楽部では、「語学塾」という名目のもと、アジアの諸言語を開講してきたが、タイ語を除き、他の言語の場合はいかんせん、生徒数が少なすぎる。したがって、赤字を承知で開講しているが、いつも苦しい限りである。
 とはいえ、熱心な生徒がいれば、優秀な講師を探してくるのが私の役割…..。
 ベトナム語講師は極めて優秀な人物である。日本語は日本人以上だ。日本語の学習歴は10年になるそうだが、彼女はすでに30年選手に匹敵すると、私は見ている。語学をのんびりと、趣味程度に習っている日本人とは南極と北極くらい離れている。

中学時代の恩師

中学時代の恩師(82歳)が香川県から上京され、教え子達に集合の命令が下ったので、昨日、楽しく歓談した。恩師のお孫さんは東京外国語大学2年生。残念ながら、タイ語専攻ではなかった。
 恩師の話し方は昔と全く変わっておらず、声も力強い。私の期を最後に、彼は丸亀商業高校へと転任され、野球部の監督として、丸亀商業を甲子園へと導かれた。野球部の選手の中にはプロ野球選手になって活躍した人もいる。
 恩師曰く、「小さな声でなんかやってられん。選手に向かって、ライト! レフト!と、両方に指示を出すには大声でないといけないんだ」
 それを聞いて、なるほど、と思った。恩師の話し方や声の大きさは、私の中にも大いに影響されている。さすが、恩師!
 健康のため、毎朝5時から丸亀城の周囲を一周しておられるそうだ。意気軒昂たる姿に、散歩中の犬達も飼い主も恐れをなして後ずさりするそうである。

タイ文字が読める高校生

今月から、「タイ語入門 土曜日12:30」のクラスに高校生が入会した。8月にタイの高校に留学する予定だそうだ。土曜日の午前中にも学校があるらしく、泰日文化倶楽部に到着するのは40分遅れの13時10分。そこで、その40分を穴埋めするために、授業後、私が補講してあげている。
 前回の第2回目にテキストの中のタイ文字部分を指導すると、しっかりとついてきて、あっというまに一人でも読めるようになった。私はびっくりした。そして、何と教えやすい生徒であろうかと感激した。
 それがまぐれではないことが、昨日の第3回目の授業においても実証された。彼は読める! またしても感激! タイ語の世界における”羽生結弦君”だ!
 大人の生徒にタイ文字を指導しても、なかなか覚えてくれない。ところが、高校生は説明しなくても読める。何だろう、この大差は?
 彼はすでにタイ文字の子音を覚えている。あとは『タイ語入門』に出てくる単語をしっかりと予習してきているらしく、タイ文字に対する好奇心も旺盛だ。
 ああ、来週の土曜日が待ち遠しい。彼にタイ語を教えることで、私は幸せそのもの。彼が泰日文化倶楽部に通って来る7月まで、私の喜びは続く….。

タイに会社を作った社長さん

1960年代に大手の日系企業がタイに進出したのが第一次ブームと言われているが、その後、1980年代に第二次ブームがやってきた。1987年の日・タイ修好百周年が契機となっている。そして最近の日系企業の数たるや、もうすぐ10,000社に届く勢いである。
 今月上旬、某会社の社長さんが泰日文化倶楽部におみえになられた。「2年前、タイに会社を作りました。片言でもいいからタイ語をしゃべりたいんですが….。プライベートで教えてくださいませんか?」
 それを聞いて、彼の願いは本物であると思った。
 「そうですか。わかりました。それでは、今月からさっそく始めましょう!」、と、私は応じた。
 そして、彼ののスケジュール調整の結果、今日19日がレッスンの初日となった。社長さん(66歳)は見るからに明るい感じの方なので、タイ人とは仲良くやっていける方だと思われる。タイ語が話せるようになると、タイ人達も社長を尊敬し、頑張って働いてくれるはずである。

24時間営業の書店

泰日文化倶楽部が入っているビルの隣りのビルの1階にはHISと書店が店を構えている。その書店は先月から24時間営業を始めた。以前は23時で店を閉めていたのに、24時間オープンとは!果たしてどのくらい客が夜中に本を買うのであろうか?
 昨晩、タイ人講師の助手をつとめようと思って、22時まで「タイ語入門 20:30」のクラスを手伝った。帰りに書店を覗くと、立ち読み客が数人いた。本が売れなくなったとはいえ、雑誌ならまだまだ売れるのではないかと思いながら帰宅した。
 家に着いた途端、携帯を教室に忘れて来たことに気づく。遅い食事をとった後、教室に戻ることにした。着いたのが23時17分。充電中の電話が鳴っていた。仕事の電話であった。用件を済ませているうちに午前1時半になってしまったので、教室に泊まることにした。
 そして、午前5時半、教室を出て書店の前を通りかかった時、果たして客は?….と思い、店の中を道路から見た。すると、客は全くいなかった。書店の事務員が店の奥のほうで、平積みにされた本を手に取り読んでいた。なかなか良いアルバイトだなあと思った。

最近の申込み状況

泰日文化倶楽部は取り立てて宣伝に力を入れているわけではないので、新しい生徒がわーっと申し込んで来ることはない。4月に入って、ぽつりぽつりと問合せがあるだけだ。その対応に応じるのは私の仕事だが、電話だけではあまりよく分からない。見学(1コマだけ無料)をお勧めすると、本当に見学に来られる方は70%程度だ。あとの30%の方達は、何故、来ないかというと、タイ語を勉強する曜日と時間がうまく合わないからだ。
 グループ・レッスンの曜日と時間が合わないということであれば、個人レッスンを選択するしかない。1時間半の授業で¥5,400(消費税込み)。高いと思われるかもしれないが、マッサージだと1時間¥6,000が相場だから、タイ語の授業を受講するほうが安いのではなかろうか。
 語学の勉強に限って言えば、お金をかけたからといって、急に上手になるわけでもない。グループ・レッスンで根気よく勉強し、学習意欲の持続をはかるかが肝心である。
 中級まで進むと、生徒達の心構えも定着し、よほどのことが無い限り、もはややめることはしない。やめてしまえば、これまでの努力が水泡に帰してしまう。つぎこんだお金と時間は戻ってこない。
 10年や20年、あっというまに過ぎてしまうものだ。20年を3回繰り返せば、60年となり還暦を迎える。だが成人するまでの20年間は、自分の人生があまりよく分からないものだから、意識的に生きていると明言できるのはそれから後の60年であり、長くて80歳までだ。
 ああ、人生はなんと短かいことよ。ぼやぼやとはしていられない。

上智大学グローバル学部

昨日から上智大学でのタイ語の授業が始まった。今年、新しい学部であるグローバル学部が新設され、私はそちらの傘下にある言語教育研究センターに所属することになった。
 初心者対象の「タイ語初級クラス」には、約35名の学生が出席したが、皆さん、タイのことを知りたいという気持ちが強く、これから始まる1年間が愉しい授業になるであろう感触を得た。
 そして、昨夕はグローバル学部に所属する専任教授・非常勤講師・職員達が初めて会合する懇親会が行われ、新学部の船出を祝った。
 その際、フィリピノ語もアラビア語も受講者がものすごく多いと聞いて、タイ語も負けてはいられないと思った。初めて開設されたのはスワヒリ語。果たして何人の学生が受講するのか興味深い。
 タイ語受講生の中には、今年も帰国子女が入っていた。彼らに対する授業は、初めてタイ語を勉強する学生に対する授業とは少し変化をつけて指導しなければならない。何故ならば、すでにタイの空気だけはよく知っており、タイ語も少しは話せるからである。

電車の中で会ったタイ女性

一昨日、アジア・アフリカ語学院へ行くために、新宿から中央線に乗った。たまたま席が空いていたので、これ幸いと思い座った。ところが左隣りに座っている女性が化粧を始めた。新宿から荻窪までの12分間、マスカラでまつ毛を塗る動作がうっとうしくてたまらない。降車駅である吉祥寺までもう少しだから我慢しようと思った矢先、隣りの女性が私に話しかけてきた。「八王子はまだですか?」
 その口調を聞いて、日本人ではないことがすぐにわかったので、「どちらのお国の方ですか?」と尋ねると、「タイです」と、彼女は答えた。
 それを聞くや否や、「サワッディー・カ」と私はすかさず言った。そして、先ほどの不愉快さは忘れ、吉祥寺に着くまでの5分間、タイ語でしゃべった。
 「八王子にあるタイのお寺に行きます。明日13日がソンクラーンだから、お参りに行くのよ」
 なるほど、それはいいことだと思った。20年、東京に住んでいるそうだ。名刺をくれた。姓が日本人の名前であった。名前の後ろの括弧にタイの愛称を書いていた。その愛称は、泰日文化倶楽部の先生と同じものであったので、思わず苦笑した。