古着屋 と ベトナム人

何も用事が無い時は、早稲田松竹映画館に飛び込むことにしている。昨日も午後から飛び込んだが、ほとんど寝てばかりであった。唯一、起きてしっかりと見たシーンといえば、昨年行ったサンフランシスコの光景だけ。
 2本立ての映画が終わって外に出ると、映画館の反対側に新しくオープンした古着屋をみつけた。中に入ると、かなりの広さが有り、ところ狭しと古着が吊り下げられていた。売っている古着はほとんどが中国製か韓国製。
 古着が発する独特の哀感を感じていると、すぐ近くで若い娘2人がそれはそれは嬉しそうに古着を物色している。まるで、デパートで新品を買うかのごとく。ベトナム人であった。おそらく留学生であろう。これから寒さに向かう折り、しっかりと冬支度をしておきたいのであろう。
 他にも中国人達がいたが、買物かごいっぱいに古着を入れて、レジで待っている。1枚¥300~¥500の洋服を、10枚くらい買うみたいだ。あまりにも安すぎるので、店主はテナント料を捻出できるのであろうかと、余計な心配をしてしまった。
 昨日の雑感=古着屋はアジアの言葉が飛び交う場所なりが

訳文はいろいろな言い方あり

 タイ語入門クラスの生徒さんの一人が、「先日、公園でタイ人に話しかけられたのですが、あわててしまって何も言えませんでした。<嫁がタイ人です>と、伝えたかったのに、嫁という言葉がわからなくて……」と、おっしゃった。
 それを聞いて、私は言った。「あら、残念。確かに、入門のテキストでは、嫁という単語は出てきませんから仕方ないですが、習った単語を並べても、同じような表現ができたと思います。たとえば、① 息子はタイ人と結婚しています。 あるいは、② 息子の奥さんはタイ人です。しかしながら、あわてると、なかなか軌道修正できないことがある。嫁という単語にとらわれると、他の表現が浮かんでこない。
 私も、この間、「慢性」という単語が思い出せず、少々あせった。かなり近い線まで思い出したのだが、あと一歩で通じない。そこで、「ずっと長く罹っている病気」というふうに言い換えて、どうにかこうにかその場は済んだが、日頃からあまり使わない医学用語に弱いことが思い知らされた。
 単語はすぐに忘れる。忘れないようにするには、毎日、少しでもいいから、単語のおさらいをすることである。タイ語の構文自体は、そんなに難しくはない。あくまでも単語力が勝負だ。

30年選手のタクシー運転手

昨日、タクシーに乗ったところ、かなり高齢の運転手さんであった。私はあれやこれや尋ねてみた。
 「都内のすべての道、おわかりですか?」 「わかります。30年、運転手をしていますから」
 「失礼ですが、今、何歳ですか?」 「61歳です」
 「あと何年、お仕事、されますか?」 「65歳を区切りにしてますが、年金だけでは遊びの金が出ません」
 「働こうと思えば、何歳までできますか?」 「会社は75歳まで雇ってくれます」
 「運転しておられて、嫌なことは?」 「家庭や会社で溜まったストレスをタクシーの中でぶちまけるので、たまったものじゃありません」
 他にもまだまだ話したが、私は彼が61歳であると知って驚いた。70歳位に見えたからである。相当に疲れているように見えた。
 「人間は、金が有る人も無い人も、皆、何らかの悩みを持ってますね」と、私がタクシーから降りる前に、彼は達観したように言った。

女優 と タイ

『安部公房とわたし』(山口果林著・講談社 2013年)を読んだ。タイ好きの彼女は朝日カルチャーセンターでタイ語を習ったことを書いてあった。その時、教えた講師は私である。発音を丁寧に矯正してあげたが、本職の台詞を覚えるよりも難しそうにみえた。
 本書の中で、彼女がタイに対する感想を述べている。描写が生き生きとしていて、すばらしいので、以下に引用させていただく。
 タイのプーケットが特に居心地が良かった。時計の針がゆっくり進む。じっとりとした暑さの中、木陰で深呼吸し、波間に漂い、情報を遮断して一瞬一瞬だけを味わう。仏教の懐の深さを、タイで感じた。消された私を、優しく受け止めてくれる。「生きているだけでもいいのだよ」
 彼女と知り合ってから、彼女の出演する劇を何度か観に行ったが、台詞と演技はいつも完璧であった。おそらくタイで充電して、英気を養ってこられたに違いない。

ウズベキスタン土産の鋏

11月16日に「第80回アジア女性のための生け花教室」を実施した。12月はクリスマスの花、もしくは、正月の花を生ける予定である。
 ところで、華道講師がウズベキスタンへ旅行されたということで、生徒の皆さんにお土産が手渡された。私は特別扱いで、「コウノトリの鋏」というものを頂いた。ウズベキスタンでは有名なお土産だそうだ。デザインが良く、とても気に行った。鋏の切る部分が長いくちばしにみたてられていて、指を入れる部分が鳥の足になっている。他の鳥ではなくて、コウノトリというのが実にめでたい。
 華道講師はよく書を読み、そして旅に出られる。ここ数年においては、タイはもちろんのこと、ミャンマー、トルコ、ニュージーランドへと出かけられた。そのたびにお土産を頂くから、ご一緒に旅行した気分にさせてもらえる。旅行をなさることで、非日常から離れ、自然の中で花の構想を練っておられるのかもしれない。花の組み合わせをお考えになられるのがすばらしい。色彩感覚に品が見られる。
 華道講師が敬愛してやまない工藤先生という大長老は、やはり抜群の色彩感覚をお持ちであられるが、お若い頃から旅をよくなさってこられたことが作品集に明記されてある。

フランス語のメール

 今日はフランス語の授業が有る日だが、フランス人講師が風邪をひいたということで、昨日、休講を決定した。その際、私は先生に英語でメールを送ったが、彼女からの返信は、フランス語+英語であった。彼女の風邪は、きっと私がうつしたものにちがいないと思い、何度も謝ると、最後に次なるメールが来た。
 Merci encore pour votre gentillesse.(Thank you again for your kindness.)
Prenez soin de vous aussi.(Take care too.)
このメッセージを電車の中で何度も読むと、フランス語の生きた表現が学べて、とてもお得な気がした。
 タイ語の生徒達の中にも、タイ人とタイ語でメール、あるいは、ラインをしている人が数人おられるが、とてもいい勉強になっていると思う。用件を短文で書く訓練をすると、タイ語で書くことが苦にならなくなる。それに、忘れた単語を思い出したり、相手からのメールの中に知らない単語や表現を見つけ、是非とも応用しようという気になればしめたものである。

漱石山房

昨日、牛込柳町の方に出かけた。行きは、副都心線から大江戸線に乗り換えて行ったが、帰りは時間がたっぷり有ったので、歩いて帰ることにした。練馬車庫行きのバスで帰ると乗り換えなしですぐに帰れたのだが、何かの発見を求めて散策と決め込んだ。すると、「漱石山房通り」という街の案内板を見かけたので、その通りに興味を覚え、まようことなく入って行った。ほんの30秒で、漱石終焉の地が現れた。
 門の入口には、写真で見覚えのあるかの有名な漱石の胸像が鎮座していた。胸像の右側には、「則天去私」という言葉が刻まれ、そして、左側には漱石の歌が刻まれていた。
「ひとよりも空 語よりも黙 肩に来て人なつかしや 赤蜻蛉」
 漱石山房は思ったほど広くはなかった。それは周囲の建物が密集しているから、そのように感じられたのであろう。1905年から1916年12月9日、満49歳で逝去するまで住み、『三四郎』、『こゝろ』、『道草』、そして、『明暗』(未完)を執筆した文学的場所であると思うと、何かのオーラのひとすくいなりとも感じ取りたくなった。2017年には、夏目漱石生誕150周年を迎えるに際し、記念館が建つ予定だそうだ。

タイの風邪薬

歯医者さんであるアイス先生が、私が風邪をひいているのを見て、「私、この薬で治りましたよ。2錠ですぐに治りましたから、先生もどうぞ」と言って、タイの風邪薬を手渡してくださった。通常、私はできる限り薬を服用しないようにしているが、風邪の時は別である。早くのんで、早く治し、仕事に専念したいからである。
 ところで、タイの薬は強いと聞いているので、これまで一度ものんだことがない。アイス先生にいただいた薬も、すぐにはのまず、日本の薬で頑張っていたが、なかなか好転しない。そこで思い切って、タイの薬をのんでみた。1錠ではまだ効かなかった。5時間後、もう一錠、服用すると、その後、5~6時間経過した頃から効いてきた。おかげで思い通り仕事もできた。
 しかし、夜中になるとますます冴えてきて、なかなか眠れなくなり、困ったことになった。タイの風邪薬はたしかに強いなあ。

風邪とタイ語

風邪をひくと、薬をのんでも、そうはすぐに治らない。次から次に始終、飴を口にふくんでも、喉は痛み続け、鼻はつまりっぱなし。ノドヌールを塗っても、声を出すのは苦しく、いつもの美声が出ない。いろいろなことをして、早く治そうとするのに治らないと、あせりからストレスばかりを感じてきた。やはり、最後はふとんの中に入ってひたすら寝ることが一番と思い、無理矢理、じっとする。すると、目覚めた時、いつしか体調が戻ってきているのを感じた。
 そんな時間を過ごしているうちに、ふと思った。タイ語の勉強過程にも同様のことが言えるのではなかろうかと。初心者はあれこれ、いろいろなことを教えられても、さっぱりわからない。ましてや、どんなに発音を直されても、すぐにはできない。たくさんの市販本を購入したところで、結局のところ、ものにならない。だが、四苦八苦しているうちに、ある段階を越すと、案外、力がついてきたのを感じるはずである。その喜びを第一ステップとして、次なる峠越えをすれば、きっとまた前進したくなる。
 今月に入って開講したばかりの「タイ語入門 土曜日11:00」のクラスは、目下、楽しく一つの小山を登り始めている。12月下旬までに、あと2つくらいの山を登ることになりそうだ。

生姜チャイ

 生徒さんから生姜チャイを頂いた。風邪で体調不良な時だけにものすごく有難かった。インドの紅茶と日本産の生姜をブレンドしたものだが、これに牛乳と蜂蜜を加えて煮立てると、すばらしい飲み物になった。願わくば、これを飲んで、ゆっくり休養をとれば、回復は早いのだが、そうもいかない。仕事の電話がかかれば、すぐに飛び出して行く私の性格は変わることがない。
 チャイと言えば、シンガポールのインド人街で飲んだチャイがとてもおいしかった。その時の幸せ感が強かったので、本場のインドへ行った時も大いに期待したものだが、まあまあであった。ものごとは期待しすぎてもいけない。駄目であれば、また、次なる良き出会いまで待つことだ。
 ところで、パッケージには、次のように書かれていた。「冷えとりガールのこだわりは、たとえば靴下の重ね履きや、よく温まるお風呂の工夫など数々あれど、究極はおなかの中からあたたまることにつきるのです」 なるほど、お腹は一番、大切な部位なのだ。昔の人はいつも「お腹を冷やしてはいけない」と言っていたっけ。