1.タイ語の勉強では、発音に注意を払うことが肝心だ。
2.声調が違うと意味が全く通じない。
3.とりわけ日本人は「低声」の声調が不得手である。
4.タイ人の友人は発音を直そうとはしない。
5.何故ならば、日本人の癖に慣れているからである。
6.たくさんタイ語を聞いて、自らタイ語の発音を向上させよう。
1.タイ語の勉強では、発音に注意を払うことが肝心だ。
2.声調が違うと意味が全く通じない。
3.とりわけ日本人は「低声」の声調が不得手である。
4.タイ人の友人は発音を直そうとはしない。
5.何故ならば、日本人の癖に慣れているからである。
6.たくさんタイ語を聞いて、自らタイ語の発音を向上させよう。
今朝(3月16日)午前6時11分、敦賀駅から「かがやき502号」が東京に向けて出発した。東京着は午前9時32分。速い。日帰りが優にできる。観光客も増えることであろう。
12年前に敦賀にふらりと寄ったことがある。駅の改札口は2つしかなく、静かな街の様子を呈していた。だが街中の道路は広く、気比神宮は威厳が有った。私の目的は「敦賀ムゼウム」を見学することであった。ここではリトアニアで「命のビザ」を発給した杉原千畝氏に関する資料が展示されているが、大正時代に敦賀に来たポーランド孤児のことも知ることができた。
敦賀港に立ち、海のかなたを眺めた時、船に乗りさえすれば大陸が近いと実感した。港は歴史そのもの。いろいろな人生の足跡が刻まれている。
昨夜のNHK番組(国際報道2024)で、バンコクで行われた「和菓子WAGASHI展」の様子を見て、タイ人の和菓子に対する関心が高まりつつあることがわかった。バンコク高島屋が開店して以来、この催しは毎年行われているようだが、羊羹が1本、なんと1万円(日本の2~3倍)で売られていることを聞いて驚いた。
正直なところ、和菓子は日本の四季に由来するところが多い。四季が無いタイに於いて、果たしてタイ人は和菓子の由来がわかるのであろうか? WAGASHI展の関係者が語った。「映え効果を狙っています」
昔、「日本の饅頭はあんこが入っているだけ。どこで買っても同じだ」とタイ人は言ったが、今は違う。インバウンドのための「和菓子教室」も活況を呈している。正しい由来に基づくWAGASHI文化がどこまで浸透するかが楽しみである。
PCの調子が悪いため、簡単な出題をします。
คำ(接頭辞)で始まる名詞を15語、列挙しなさい。
昨日の授業で、ステージで演出されるスモーク(煙)が話題にのぼった。そこでタイ人講師が「煙=ควัน」を白板に板書された。すると生徒さんの一人がすかさず質問した。「~すべきであるというควรと同じ発音ですか?」
タイ人講師は一瞬考え込んだが、「いえ、ちがいます。ควันとควรは微妙に違います」と言って、両者を発音して聞かせてくださった。だが日本人にはその差を聞き分けるのは無理。そこで、私が発音表記を添えた。ควัน=khwan / ควร=khuan。
カタカナで書けば、クワンとクアンだが、実際にはほぼ同じに聞こえる。したがって、両者を正しく発音するには訓練が要る。唯一の救いは、ควัน(煙)は名詞、ควร(~すべきである)は助動詞だから、文章で聞くと文法的には聞き分けができるはずである。
昨日午後2時46分、仕事先で黙祷するようにと館内放送が有ったので、私も1分間、黙祷した。全国で多くの人々が同じ行動を取ったと思う。心は東日本大震災の被害関連者へ….。そして、能登の人々へも……。
2011年3月11日に陸前高田高校で先生をしていた元教え子の安否を心配して、震災後すぐにネット上でいろいろと探してみた結果、無事であることがみつかった。どうにか連絡がとれた時、彼は津波にのみ込まれそうになった体験と恐怖を語ってくれた。震災以後、彼は岩手県の内陸部に移動し、現在は遠野市で持ち前の明るさで元気に教えておられる。
黙祷しても亡くなられた方々はもう戻って来ない。しかし、無念の死をとげられた人々へ想いを馳せること、それはきっと通じると思う。デジタルの時代、生成AIの時代になったとはいえ、人間の祈りが無用、無効になったわけではない。
『ชีวิตจำลอง』(พล.ต.จำลอง ศรีเมือง/ โรงพิมพ์ธีระการพิมพ์ พ.ศ.๒๕๓๓)の序文「ชีวิตนี้เป็นของผม」から出題する。
1.ผมขอยืนยันว่า จะซื่อสัตย์และเสียสละตลอดชีวิตซึ่งได้ปฏิบัติตนเช่นนี้มานานแล้ว
2.มิใช่เพิ่งจะมาทำตอนเป็นผู้ว่าราชการกรุงเทพมหานครนี้เท่านั้น
3.แม้จะมีอะไรมาข่มขู กดดัน บีบคั้น ก็ไม่มีวันที่ผมจะยอมสยบ โอนอ่อนผ่อนตามให้กับความไม่ถูกต้อง
4.ถ้ายอมก็เท่ากับผมทรยศต่อตัวเองและสังคมประเทศชาติ
5.ชีวิตนี้เป็นของผม ผมจะเป็นคนซื่อสัตย์ เสียสละตลอดไป โดยไม่หวั่นไหวว่าอะไรจะเกิดขึ้นกับผม เป็นไรเป็นกัน เพราะผมคือผม จำลอง ศรีเมือง
「YUKIZURI」という金沢のお菓子をいただいた。包装紙に次なる文章が書かれていた。「パティシエ 辻口博啓が創作菓子YUKIZURIの収益の一部を、未来を担う子ども達の“夢”を応援する活動に生かしたい、との想いから生まれたプロジェクトです。<以下省略>」
すばらしいプロジェクトだと思う。「YUKIZURI」とアルファベットで書いてあるので、私は「行きずり=通りすがりの人」と勝手に解釈し、「知らない人がこのお菓子を買って、知らない子ども達の未来の活躍の支えになればいい」と思った。
ところがである。包装紙の絵をよく見ると、「兼六園の雪吊り」が書かれてあった。雪吊りは大切な木を雪から守る目的があるが、なるほど子どもが木であると思えば、大人達は優しく守ってあげる必要がある。
高校時代の親友(77歳)がお孫さん(18歳)と一緒に2泊の予定で上京して来た。お孫さんは上野動物園と新大久保へ。親友は国立博物館へと別々に行動。二人がそろって観光したのは東京スカイツリーと浅草。春霞のため富士山が見えず残念がっていた。
親友と浅草で食事後、かっぱ橋の道具街を通って上野まで歩いた。欧米人が横丁にある小さな刃物屋で包丁を探し求めている光景が興味深かった。大阪の千日前道具筋でも活況を呈しているニュースが報じられている昨今だ。あらためて日本人の刃物に対する技を素晴らしいと思った。
私は東京に59年住んでいる。だが、東京の隅々まで知っているわけではない。最近の驚きは昔の建物がいつのまにかハイテクビルに生まれ変わっていることだ。還暦を迎えるビルはきわめて少ない。かつて街を歩いていた人々の多くが鬼籍入りし、新しい人々が東京を造っていく。
東京都から配布された『東京くらし防災(改訂版2023)』から出題する。
1.携帯電話やSNSがつながらないときは、公衆電話が頼みの綱。
2.災害時は無料で使えるようになっていますが、
3.電話の種類によっては硬貨やテレフォンカードを一旦投入することが必要となります。
4.日頃から、財布には一定の小銭を残しておくようにしましょう。