人生舞台

昨日、久々に芝居(「銀色のライセンス」福島三郎 作・演出)を見た。友人から、「年に6本のお芝居を練馬によんで見続ける会員制・サークル制の<ねりま演劇を観る会>に入会してよ」と誘われたからである。客は初老の女性達がほとんど。

芝居は嫌いではないが演者の演技過多にはうんざりする。昨日の芝居では舞台と客席に違和感が感じられなかった。俳優が自然体で上手だったからだと思う。

いずれにせよ、舞台は舞台。そして俳優は舞台人生を貫くのみ。だが、よくよく考えてみると、観客のほうこそが本当の俳優だ。自分が監督であり、かつ、下手糞な俳優。あの世に行くまで、人生舞台という現実の中で右往左往しなければならない。この世は皆、俳優なり。

今日の翻訳

いつもの「県シリーズ」(สมัย สุทธิธรรม著/オデオンストア社刊 พ.ศ.๒๕๔๒)のうち、今日は「ขอนแก่น」から出題する。

๑. ความสำเร็จในการพัฒนาจังหวัดขอนแก่นได้สืบเนื่องมาจาก ฯพณฯ จอมพลสฤษดิ์ ธนะรัชต์ อดีตนายกรัฐมนตรี ได้เป็นผู้ริเร่มการพัฒนาภาคอีสาน เพื่อให้มีความเจริญทัดเทียมกับภาคอื่นๆ

๒. เพราะในขณะนั้นมีสัญญาณเตือนภัยคอมมิวนิสต์ที่กำลังรุกรานกลุ่มประเทศอินโดจีนอยู่

๓. ดังนั้นหากขืนปล่อยเอาไว้อย่างนั้น ภาคอีสานอาจจะต้องถูกแทรกแซงด้วยลัทธิอื่นจากนอกประเทศได้

๔. ด้วยเหตุผลเรื่องนี้ ฯพณฯ จอมพลสฤษดิ์ ธนะรัชต์ อดีตนายกรัฐมนตรี ท่านจึงลงมือพัฒนาภาคอีสานทันที โดยเลือกเมืองขอนแก่นที่มีทำเลต้้งอยู่ใจกลางแผ่นดินอีสาน พัฒนาให้เป็นเมืองหลวงแห่งอีสาน ซึ่งเริ่มมาตั้งแต่ปีพุทธศักราช ๒๕๐๔

๕. จากสภาพตัวเมืองขอนแก่นที่มีเพียงตึกแถวไม้เพียงไม่กี่คูหา บนถนนศรีจันทร์ในอดีต ก็กลับกลายมาเป็นเมืองแห่งศูนย์กลางของภาคอีสานในปัจจุบัน

虫歯予防デー

6月4日は、「今日は何の日」で調べてみると、いろいろと有った。例:虫の日、蒸しパンの日、蒸し料理の日、水虫治癒の日, 等々。新しいところでは、「侵略による罪のない幼児犠牲者の国際デー」というのもあった。

しかし、私には小さい頃からインプットされている「虫歯予防デー」が一番ピンと来る。一昨日、江戸川橋でバスを降りて文京区関口のお地蔵様に手を合わせ、その周辺の店を見ていたら、新規開店のチラシを配る女性達がいた。歯科医院であった。歯科医の履歴を見ると、女子大学を卒業した後、東京医科歯科大学へ。歯科医院が乱立する中の開業はよほどの勇気を要する。頑張れと心の中でエールを送った。

親子三代の素読

『司馬遼太郎の「遺言」』(夕刊フジ編・産経新聞社刊・1997年)には副題がついている。それは「司馬遼太郎さんと私」。いずれの方々も素晴らしい思い出話を披歴しておられるが、産経新聞社時代の同僚であった三浦浩氏が語っている中に興味深い内容が有った。

それは、司馬氏が父親から論語の素読の訓練を受けていたこと。それだけならそれほど驚く必要もないが、父親がそのまた父親から同じく素読の訓練を受けていたことを知り驚いた。親子三代の素読には大いなる価値が有る。

今日のタイ語作文

1.長文のタイ語を日本語に翻訳するのは実に難しい。

2.まずはその文章を5回くらい音読しなさい。

3.そして、文章を文節ごとに区切り、それぞれを訳しなさい。

4.その後、主文と従文を見きわめなさい。

5.いずれにせよ、翻訳する過程に於いて、文の内容を早く想像してみることが肝心です。

6.こなれた日本語でどのように翻訳するかは、翻訳者の自由です。

白無垢の花嫁

今日から6月。6月といえばジューンブライド。日本全国、そして世界中でたくさんのカップルが挙式をあげることであろう。

知人のカップルが先月、高崎の神社で愛を誓った。写真を見せていただいただけだが、深淵なる緑陰の中に袴姿の婿殿と白無垢姿の花嫁が映え、荘厳であった。振り袖姿も美しかった。

花嫁の叔父様が写真館を経営しておられるので、姪のために最高の技術を注いだようだ。昨今は写真の加工が進み、どこまで加工していいか写真館は悩んでいるとのこと。しかし、カップルの意気投合した瞬間をとらえることができるのは、長年の経験に基づく写真館の館主の技量にほかならない。

海藻類

連日、湿気が多い日が続いている。辛いものを食べて身体をシャキッとさせるためチゲ鍋を食べた。いろいろな食材が入っていて栄養満点。帰路、西早稲田の乾物店に寄って海藻類をたくさん買い込んだ。とかく不足しがちな栄養素であるミネラルや鉄、ヨウ素、そして食物繊維を摂取して細胞を活性化させたく思ったからである。

ひるがえって思うに、日本人は昔から海藻類をたくさん食べているが、はてさてタイ人は? タイ料理で海藻類が使われるのはまだまだ少ない。ミネラル等の栄養素は別の食材で補われているということであろう。いずれの国にもその国ならではの料理が有る。そして、必須条件の栄養素はちゃんと補完されている。これぞ自然の恵みを享受しているということだ。

今日の語彙

๑. ชาวนา/ชาวประมง —— ๒. ชาวตะวันตก/ชาวตะวันออก

๓. เจ้าสาว/เจ้าบ่าว —— ๔. เจ้าชาย/เจ้าหญิง

๕. ตัวผู้/ตัวเมีย —– ๖. นักโทษ/นักกฎหมาย

๗. ผู้น้อย/ผู้ใหญ่ —– ๘. ผู้เช่า/ผู้ให้เช่า

๙. ลูกหนี้/เจ้าหนี้ —– ๑๐. มือใหม่/มือเก่า

๑๑. อัยการ/อาชญากร —– ๑๒. เฮีย/เจ๊

真味糖

松本へ旅行された方から松本きっての銘菓「開運堂の真味糖」を頂戴した。抹茶によく合う干菓子として大正時代末から好まれているそうだが、恥ずかしながら私は知らなかった。

黒胡桃と蜂蜜を使ったこの菓子は断面が歌舞伎の隈取りに似ているので、最初は「歌舞伎ぐるみ」と命名されたが、昭和10年に松本で茶会を催された当時の裏千家家元のご提案で「真味糖」に変更されたいきさつが有ることを開運堂のHPの説明で知った。

世の中、似非(えせ)なるものでいっぱい。一服の抹茶を点てながらこの真味糖を口にして、「真なるもの=ความจริง」を探し求め、そしてひそかに味わいたいものである。

邪気払い

昨日、読みかけの本を開いたら、「怱怱として日を過ごす」という表現が出てきた。意味を調べてみると、「あわただしく過ごすさま」を言うとのこと。

とかくこの世は忙しい。カレンダーをめくる感覚がどんどん早くなる。茶道講師曰く、「日本では年に2回、邪気払いをします。来月は邪気払いの月ですよ」、と。

生きている限りいろいろなことに遭遇する。神や仏、そして魑魅魍魎にも手を合わせ、邪気払いをして、季節の変わり目を乗り切るしかない。