『司馬遼太郎の「遺言」』(夕刊フジ編・産経新聞社刊・1997年)には副題がついている。それは「司馬遼太郎さんと私」。いずれの方々も素晴らしい思い出話を披歴しておられるが、産経新聞社時代の同僚であった三浦浩氏が語っている中に興味深い内容が有った。
それは、司馬氏が父親から論語の素読の訓練を受けていたこと。それだけならそれほど驚く必要もないが、父親がそのまた父親から同じく素読の訓練を受けていたことを知り驚いた。親子三代の素読には大いなる価値が有る。
『司馬遼太郎の「遺言」』(夕刊フジ編・産経新聞社刊・1997年)には副題がついている。それは「司馬遼太郎さんと私」。いずれの方々も素晴らしい思い出話を披歴しておられるが、産経新聞社時代の同僚であった三浦浩氏が語っている中に興味深い内容が有った。
それは、司馬氏が父親から論語の素読の訓練を受けていたこと。それだけならそれほど驚く必要もないが、父親がそのまた父親から同じく素読の訓練を受けていたことを知り驚いた。親子三代の素読には大いなる価値が有る。
1.長文のタイ語を日本語に翻訳するのは実に難しい。
2.まずはその文章を5回くらい音読しなさい。
3.そして、文章を文節ごとに区切り、それぞれを訳しなさい。
4.その後、主文と従文を見きわめなさい。
5.いずれにせよ、翻訳する過程に於いて、文の内容を早く想像してみることが肝心です。
6.こなれた日本語でどのように翻訳するかは、翻訳者の自由です。
今日から6月。6月といえばジューンブライド。日本全国、そして世界中でたくさんのカップルが挙式をあげることであろう。
知人のカップルが先月、高崎の神社で愛を誓った。写真を見せていただいただけだが、深淵なる緑陰の中に袴姿の婿殿と白無垢姿の花嫁が映え、荘厳であった。振り袖姿も美しかった。
花嫁の叔父様が写真館を経営しておられるので、姪のために最高の技術を注いだようだ。昨今は写真の加工が進み、どこまで加工していいか写真館は悩んでいるとのこと。しかし、カップルの意気投合した瞬間をとらえることができるのは、長年の経験に基づく写真館の館主の技量にほかならない。
連日、湿気が多い日が続いている。辛いものを食べて身体をシャキッとさせるためチゲ鍋を食べた。いろいろな食材が入っていて栄養満点。帰路、西早稲田の乾物店に寄って海藻類をたくさん買い込んだ。とかく不足しがちな栄養素であるミネラルや鉄、ヨウ素、そして食物繊維を摂取して細胞を活性化させたく思ったからである。
ひるがえって思うに、日本人は昔から海藻類をたくさん食べているが、はてさてタイ人は? タイ料理で海藻類が使われるのはまだまだ少ない。ミネラル等の栄養素は別の食材で補われているということであろう。いずれの国にもその国ならではの料理が有る。そして、必須条件の栄養素はちゃんと補完されている。これぞ自然の恵みを享受しているということだ。
๑. ชาวนา/ชาวประมง —— ๒. ชาวตะวันตก/ชาวตะวันออก
๓. เจ้าสาว/เจ้าบ่าว —— ๔. เจ้าชาย/เจ้าหญิง
๕. ตัวผู้/ตัวเมีย —– ๖. นักโทษ/นักกฎหมาย
๗. ผู้น้อย/ผู้ใหญ่ —– ๘. ผู้เช่า/ผู้ให้เช่า
๙. ลูกหนี้/เจ้าหนี้ —– ๑๐. มือใหม่/มือเก่า
๑๑. อัยการ/อาชญากร —– ๑๒. เฮีย/เจ๊
松本へ旅行された方から松本きっての銘菓「開運堂の真味糖」を頂戴した。抹茶によく合う干菓子として大正時代末から好まれているそうだが、恥ずかしながら私は知らなかった。
黒胡桃と蜂蜜を使ったこの菓子は断面が歌舞伎の隈取りに似ているので、最初は「歌舞伎ぐるみ」と命名されたが、昭和10年に松本で茶会を催された当時の裏千家家元のご提案で「真味糖」に変更されたいきさつが有ることを開運堂のHPの説明で知った。
世の中、似非(えせ)なるものでいっぱい。一服の抹茶を点てながらこの真味糖を口にして、「真なるもの=ความจริง」を探し求め、そしてひそかに味わいたいものである。
昨日、読みかけの本を開いたら、「怱怱として日を過ごす」という表現が出てきた。意味を調べてみると、「あわただしく過ごすさま」を言うとのこと。
とかくこの世は忙しい。カレンダーをめくる感覚がどんどん早くなる。茶道講師曰く、「日本では年に2回、邪気払いをします。来月は邪気払いの月ですよ」、と。
生きている限りいろいろなことに遭遇する。神や仏、そして魑魅魍魎にも手を合わせ、邪気払いをして、季節の変わり目を乗り切るしかない。
『พ่อบ้านเลี้ยงลูก』(เรืองชัย ทรัพย์นิรันดร์/สำนักพิมพ์ มติชน พ.ศ.๒๕๒๖)の「จำเลยไม่พูด」から出題する。
๑. ปฏิทินเดือนใหม่เพิ่งถูกฉีกออกไป
๒. ความเก่าคร่ำของมันเปลี่ยนเป็นความสดใสของภาพใหม่ในปฏิทินแผ่นที่แขวนข้างฝานั้น
๓. ลูกชายคนโตของผมย่างเข้าขวบครึ่งแล้วครับ และยังไม่พูด
๔. ตลอดเวลาที่ผ่านมา หลังจากลูกผมเริ่มเติบโตขึ้นมา ผมก็เริ่มใช้วิธีพูดด้วยประโยค ด้วยคำพูดที่ใช้ปกติธรรมดาในชีวิตประจำวัน เช่นเดียวกับใช้กับผู้ใหญ่ หรือเด็กๆ ที่พูดกันรู้เรื่องแล้ว
昨日、「アジア女性のための生け花クラス」を実施した。2007年からスタートしたこの企画は18年目に入っている。継続は力なり。と言いたいところだが、一向に上手にならないのが悩み……。
昨日の花代には驚いた。紫陽花3本と小菊2本で3,800円もしたからだ。最上級の生徒さんの花はそれにカーネーションが数本プラスされて6,800円。花屋の計算間違いではないかと、私は華道講師に数回尋ねてみた。
これでは若い学習者を増やすのは無理。花の栽培業者を助けるために大いに花を買おうということはわかるが、そして、仲介業者の花屋も維持させなければならないが、末端の生徒のふところは大打撃。流通問題が花代にもろにかぶって来ている。
一昨夜、ドイツ在住の日本人御夫妻が慶事のため一時帰国されているので、他の知人も交えて会食をした。前回お会いしたのは2019年11月。コロナのニュースがちらほらし始めた頃であった。あれから4年半。高齢者達である我々は再会できたことを開口一番、喜びあった。
日本人御夫妻は御親戚を訪ねて長野県や埼玉、群馬へ行かれたそうだ。意外であったのは、茨城県笠間市にも行かれたことであった。なんでも御姉様が常陸国出雲大社の中の樹木霊園に葬られているとのこと。コロナで会えずじまいのまま姉妹は永遠の別れとなってしまった。
茨城県に出雲大社の分社があることを初めて知った。出雲大社といえば縁結びの神様。しかし、樹木葬もやっておられるとは……。いずれにせよ、縁は結婚だけの縁ではないということだ。現世との別れはやむを得ないが、人と人の縁は心の中で続く。