女子高生の英会話

昨夕、泰日文化倶楽部が入居しているビルのエントランスで二人の女子高生が真剣な表情で何やら話し込んでいた。彼らの会話は英語。同じビルにいるミャンマー関連者の子供だと思い、「素晴らしい英語ですね! ミャンマー人でしょ?」と、私も英語を使って尋ねた。

すると、一人が「私はフィリピン」と答え、もう一人が「私がミャンマー」と答えてくれた。フィリピンの女子高生がミャンマーの女子高生に悩みを打ち明けている様子であった。二人の表情を観察しながら、東京で日本人に交じって高校生活を送るのは大変だろうと想像した。

悩みを打ち明けるには、原因と理由をはっきり述べなくてはならない。単なる日常会話ではないのである。あらためて思った。いずれの言語であれ、理論的に話せるようになるためには、日々、しっかりと思考し、そして表現力を磨くことが要求される。

今日のタイ語作文

1.ニュースでブラジルの洪水による経済的ダメージが報じられた。

2.ブラジルから輸入している鶏肉や飼料が半年後には値上げになるらしい。

3.とすると、日本人の財布のひもがかたくなる。

4.そして、居酒屋の唐揚げチキンの個数も減るにちがいない。

5.大豆でできた代替肉の売れ行きは下降しているそうだ。

6.やはり歯ごたえのある本当の肉を食べたいというのが日本人の本音である。

医師のタイ留学

泰日文化倶楽部のオンライン授業を受講されていた岩手県在住の医師が、先週、家族帯同でバンコクへ行かれた。目的はマヒドン大学大学院に留学し、タイの医療を研究するためである。

オンラインの受講期間は1年5ヶ月。医師は多忙の中、彼の計画通り着々と留学準備を進められた。実に素晴らしい。加えて褒めるべきことがある。それは小学生のお子さん二人も別枠でタイ語を勉強し、ギブアップしなかったことだ。

泰日文化倶楽部の元講師(ソム先生)が現在、マヒドン大学で教鞭をとっておられる。医師にソム先生を是非ともご紹介したいと伝えた。何故なら医師が卒業した大学とソム先生が日本で博士号を取得した大学が同じであるからだ。

医者とタイ語

一昨日、健康診断の結果を聞きに近所の診療所に行った。すべての数値が良かったので一安心。医者は私の着ていたTシャツに関心を示した。「ほー、SOPHIAですか?」 私は応じた。「はい、上智大学で教えていたものですから」

医者は訊いた。「何を教えていたのですか?」、と。「タイ語です」、と私。すると、医者がすかさず「コップンカップ」と言った。「うわー、お上手ですね!」と私は大袈裟に褒めた。

これまでは夜間診療に行っていたので、買物帰りの荷物をいっぱい抱えて診察室に入っていた私。医者からは「家出でもするの?」と言われていた。この7年間、この医者と接しているが個人的な話はしたことがなかった。タイ語を知っている彼にこれからも診ていただこう……。

今日の語彙

このところ暑いので、アルコール・シリーズといきましょう。

1.日本酒 _________   2.焼酎 __________

3.地ビール __________ 4.紹興酒 _______

5.梅酒 __________   6.濁り酒(どぶろく)________

7.ウイスキー・ソーダ _______  8.ブランデー ________

9.赤ワイン _________ 10.ロゼ __________

11.ウオッカ ________ 12.ジン ________

13.ラム酒 _________ 14.カクテル _______

督促する ทวง

先日、某タイ人が私にぼやいた。「去年やったバイトの報酬がいまだにもらえないため、その会社に勤務するタイ人に連絡を取ったところ、その女性も給料がもらえず会社を辞めていることがわかりました」 某タイ人は「督促する=ทวง」を繰り返し使ったので、否が応でもこの動詞が耳に残った。可哀そうだが、話の流れから言って、バイト代は取れそうもなさそうだ。

そこで私も同じ目に遭って大損したことを話して聞かせた。そして、泣き寝入りせざるを得なかったことを付け加えた。「泣き寝入り」という日本語に彼女は怪訝な表情をうかべた。

いずれにせよお金にからむ単語は非常に現実味が有る。従って耳に残る。ちなみに、金額のあとに付け加える「~円也」の「也」は、タイ語では「ถ้วน」という。ทวง (thuang 平声) と ถ้วน (thuan 下声)。日本人にとってはいずれの単語も発音が難しい。

人生舞台

昨日、久々に芝居(「銀色のライセンス」福島三郎 作・演出)を見た。友人から、「年に6本のお芝居を練馬によんで見続ける会員制・サークル制の<ねりま演劇を観る会>に入会してよ」と誘われたからである。客は初老の女性達がほとんど。

芝居は嫌いではないが演者の演技過多にはうんざりする。昨日の芝居では舞台と客席に違和感が感じられなかった。俳優が自然体で上手だったからだと思う。

いずれにせよ、舞台は舞台。そして俳優は舞台人生を貫くのみ。だが、よくよく考えてみると、観客のほうこそが本当の俳優だ。自分が監督であり、かつ、下手糞な俳優。あの世に行くまで、人生舞台という現実の中で右往左往しなければならない。この世は皆、俳優なり。

今日の翻訳

いつもの「県シリーズ」(สมัย สุทธิธรรม著/オデオンストア社刊 พ.ศ.๒๕๔๒)のうち、今日は「ขอนแก่น」から出題する。

๑. ความสำเร็จในการพัฒนาจังหวัดขอนแก่นได้สืบเนื่องมาจาก ฯพณฯ จอมพลสฤษดิ์ ธนะรัชต์ อดีตนายกรัฐมนตรี ได้เป็นผู้ริเร่มการพัฒนาภาคอีสาน เพื่อให้มีความเจริญทัดเทียมกับภาคอื่นๆ

๒. เพราะในขณะนั้นมีสัญญาณเตือนภัยคอมมิวนิสต์ที่กำลังรุกรานกลุ่มประเทศอินโดจีนอยู่

๓. ดังนั้นหากขืนปล่อยเอาไว้อย่างนั้น ภาคอีสานอาจจะต้องถูกแทรกแซงด้วยลัทธิอื่นจากนอกประเทศได้

๔. ด้วยเหตุผลเรื่องนี้ ฯพณฯ จอมพลสฤษดิ์ ธนะรัชต์ อดีตนายกรัฐมนตรี ท่านจึงลงมือพัฒนาภาคอีสานทันที โดยเลือกเมืองขอนแก่นที่มีทำเลต้้งอยู่ใจกลางแผ่นดินอีสาน พัฒนาให้เป็นเมืองหลวงแห่งอีสาน ซึ่งเริ่มมาตั้งแต่ปีพุทธศักราช ๒๕๐๔

๕. จากสภาพตัวเมืองขอนแก่นที่มีเพียงตึกแถวไม้เพียงไม่กี่คูหา บนถนนศรีจันทร์ในอดีต ก็กลับกลายมาเป็นเมืองแห่งศูนย์กลางของภาคอีสานในปัจจุบัน

虫歯予防デー

6月4日は、「今日は何の日」で調べてみると、いろいろと有った。例:虫の日、蒸しパンの日、蒸し料理の日、水虫治癒の日, 等々。新しいところでは、「侵略による罪のない幼児犠牲者の国際デー」というのもあった。

しかし、私には小さい頃からインプットされている「虫歯予防デー」が一番ピンと来る。一昨日、江戸川橋でバスを降りて文京区関口のお地蔵様に手を合わせ、その周辺の店を見ていたら、新規開店のチラシを配る女性達がいた。歯科医院であった。歯科医の履歴を見ると、女子大学を卒業した後、東京医科歯科大学へ。歯科医院が乱立する中の開業はよほどの勇気を要する。頑張れと心の中でエールを送った。

親子三代の素読

『司馬遼太郎の「遺言」』(夕刊フジ編・産経新聞社刊・1997年)には副題がついている。それは「司馬遼太郎さんと私」。いずれの方々も素晴らしい思い出話を披歴しておられるが、産経新聞社時代の同僚であった三浦浩氏が語っている中に興味深い内容が有った。

それは、司馬氏が父親から論語の素読の訓練を受けていたこと。それだけならそれほど驚く必要もないが、父親がそのまた父親から同じく素読の訓練を受けていたことを知り驚いた。親子三代の素読には大いなる価値が有る。