今年6月からタイ語を教えに来てくださっているP先生はすでに日本語が上手である。しかし、漢字の読み方は複雑だから、まだまだいくらでも勉強していかなければならない。
昨晩、一緒に帰る道すがら、高田馬場駅構内にある広告コピー「内なる灯の目覚め」を指さし、果たして彼女が「目覚め」という漢字が読めるかどうかをチェックしてみた。
すると、「め、おぼえる」と読みだした。なるほど、「覚」という字は、「おぼえる」と読むのが通常だ。「目が覚める」の場合は、「めがさめる」。それを、「めざめ」と読むまでには、これまでの生活によって培われた経験というものが必要だ。
だが、ここでふと考えた。高齢者はよくこう言う。「この頃、さっぱり覚えが悪くなって….」、と。
学んだことを覚えると、ものごとの事象に気づき、それが「目覚め」の効果をもたらすのであろうか?
いや、待てよ、逆かもしれない。「目覚め」が明晰であればあるほど、「覚え」がよくなるのではなかろうか。
いずれにせよ、感性が大切という結論に行き着いた。