修学旅行の海難事故

今日から5月。新緑が美しい季節を迎えたものの、気分は晴れない。何故ならば、韓国のセウォル号沈没事件から2週間が経過し、次から次にテレビに映し出される修学旅行生の映像を見ては、ただただ深々と合掌するしかないからだ。
 この事件が起きた時、65歳以上の香川県出身者であれば、皆一様に、あの紫雲丸の沈没事故をすぐに思い出したに相違ない。今から59年前の1955年(昭和30年)5月11日、午前6時56分、紫雲丸は濃霧のため、他船と衝突して沈んだ。その時の犠牲者は168名。その内、100名が修学旅行生であった。女子が81名と圧倒的に多かったようだ。
 当時、私は小学3年生。高松沖の備讃瀬戸で大きな事故が発生したというニュースは、まだテレビが一般家庭には普及していなかったにもかかわらず、私が通っていた小学校にも伝わり、朝から重苦しい雰囲気に包まれたのをよく覚えている。
 それ以降、修学旅行の行く先は四国を出てはならなくなり、高知へ行くことになった。
 ネットで調べると、この紫雲丸事故があってから、全国の学校にプールが設置され、水泳ができるようになるよう指導が強化されたらしい。そして、濃霧による衝突事故を防ぐために、本四架橋、即ち、瀬戸大橋の構想が生まれたとのこと。
 どんな事故も悲しいが、楽しいはずの修学旅行で前途ある子供達が犠牲になったことは、まことに痛ましい限りである。