昨日、牛込柳町の方に出かけた。行きは、副都心線から大江戸線に乗り換えて行ったが、帰りは時間がたっぷり有ったので、歩いて帰ることにした。練馬車庫行きのバスで帰ると乗り換えなしですぐに帰れたのだが、何かの発見を求めて散策と決め込んだ。すると、「漱石山房通り」という街の案内板を見かけたので、その通りに興味を覚え、まようことなく入って行った。ほんの30秒で、漱石終焉の地が現れた。
門の入口には、写真で見覚えのあるかの有名な漱石の胸像が鎮座していた。胸像の右側には、「則天去私」という言葉が刻まれ、そして、左側には漱石の歌が刻まれていた。
「ひとよりも空 語よりも黙 肩に来て人なつかしや 赤蜻蛉」
漱石山房は思ったほど広くはなかった。それは周囲の建物が密集しているから、そのように感じられたのであろう。1905年から1916年12月9日、満49歳で逝去するまで住み、『三四郎』、『こゝろ』、『道草』、そして、『明暗』(未完)を執筆した文学的場所であると思うと、何かのオーラのひとすくいなりとも感じ取りたくなった。2017年には、夏目漱石生誕150周年を迎えるに際し、記念館が建つ予定だそうだ。