1965年に東京で大学生活を始めた時、父と同郷の親友が遊びにいらっしゃいとお誘いくださったので、久我山まで出かけた。奥様手作りの美味しい料理をいただいている時に電話が鳴った。電話の向こうからはっきりとした言葉が聞こえて来た。父の親友も楽しそうに応対した。受話器を置いた後、電話の主は友人の谷川徹三さんだと教えてくださった。
哲学者である谷川徹三さんの御子息、すなわち、谷川俊太郎さんがつい最近、逝去された。彼への追悼文は著名人がたくさん書いているが、その中でも、「ことばをつむぐ(言葉を紡ぐ)」という表現が気に入った。父も子も言葉の世界に生きた。