昨日、旧知のタイ女性とお会いした。「娘は結婚しそうもありません。してもしなくてもいいです。縁だから」と彼女が言ったので、「そうですよ。結婚は御縁だから。ところでこの場合の御縁はタイ語で何と言いますか?」と私。「พรหมลิขิต」とすぐに彼女は答えた。
『タイ語辞典』(冨田竹二郎編纂)でこの単語を調べると、「宿命(生まれて6日目に大梵天王が赤児の額に線で書きつけると信じられている)」、とか、「梵天が書いた運命」と書いてあった。何だか悲観的な感じがただよう。だが、日本人が日頃使う「御縁」には「もしも機会に恵まれれば…..」というプラス志向がある。タイ人と日本人の感じ方が異なることを思えば、単語の訳し方も自由であってよい。