初代中文講師 カムバック

昨年9月から中国語講座(土曜日14:30)を開講しているが、最初の先生が、「大連に戻ってさくらんぼうを食べて来ます。再来日は未定」と言って、友人に授業を託して帰って行った。2番目の先生は浙江省寧波出身。ところが、「日本語学校が夏休みになったから帰ります」と言って帰って行ってしまわれた。
 生徒達は中国語の勉強を継続したい。しかし、講師がいないため、タイ語の授業に戻そうかと考えていたところ、生徒が初代の先生と連絡がついた。なんと、彼女はすでに日本に戻って来ていたではないか!
 生徒が初代講師に再度の講義をお願いしたところ、昨日から、再び教室に現れ、以前にもまして、熱烈授業を展開してくださった。
 生徒に学ぶ意欲が有れば、講師も燃える。教室はよく冷やして快適。猛暑、酷暑だけど、90分頑張れば、満足感が残る。

タイ人が生け花

昨日、元タイ人講師が自分で生けたという花の写真を10枚ほど、ラインで送信して来た。御主人の会社が主催するセミナーの会場を飾るために生けたそうだ。彩りもよく、バランスもすばらしい。彼女は次なる文面を書いていた。
ดิฉันเรียน Ikebana ที่Chuo แค่4~5ครั้งเองค่ะ ดอกไม้ที่ปากคลองตลาดถูกมาก ดอกกล้วยไม้ประมาณ 50กิ่ง แต่40บาท ดอกบัวดอกเล็ก 4บาท ดอกใหญ่ 5บาท และพับอย่างงามด้วยค่ะ พวงมาลัยพวงละ40~200บาท ร้อยยากมาก
 中央大学に留学中に生け花クラスを4~5回だけ体験したと書いているが、お世辞抜きでうまい。彼女のアート精神とアレンジ能力に乾杯!
 日本の生け花は細かい規則が有って、とかく窮屈だ。なかなか覚えられない。しかし、タイの花をタイで生けるには、細かいことなど言ってはいられない。生活様式が異なるからだ。花も大きいものばかり。それを大胆に生けることにより、世界が広がる。

豆腐さん

今年の5月中旬から入会された生徒さん(24歳)の愛称は「เต้าหู้ タオフー 豆腐」。コンケン大学に留学していた時にタイ人が付けてくれたそうだ。命名の根拠は、彼の肌が白かったから。たしかに彼は白い。東北タイの人から見ると、うらやましく思ったにちがいない。
 しかしながら、白い特徴を生かして愛称をつけるとするならば、「หิมะ ヒマ 雪」でもよかったのに、よりにもよって「豆腐」とは! 身近なものから思いつくタイ人の発想、これはこれで面白い。
 昔の生徒さんに、「แตงโม テンモー スイカ(西瓜)」という愛称の女性がいた。彼女の目がスイカの種のように細かったことから付けられた愛称だが、タイ人は人の特徴をとらえて愛嬌のある愛称を付けるのが得意だ。
 教室で、タイ人講師が「豆腐さん」と呼ぶたびに、私の頭には冷奴が思い浮かび、涼を感じる。入会して2ヶ月の彼は、目下、学ぶ気満々で頑張っている。1年後の彼、豆腐さんが楽しみだ。

座禅を組もう(นั่งสมาธิ)

昨日は、「สมาน 合わせる、同一化する」というタイ語に言及したが、辞書の中で、この単語のすぐ前に出て来る単語が、「สมาธิ samaa-thi = 三昧」である。
 昨日は岐阜県多治見市で40.7度を記録した。東京は36度。こう暑いと、家にいたほうがいい。そして、座禅を組んで、邪念をはらおう。
 座禅を組むは、前述した「สมาธิ 三昧」の前に「นั่ง 座る」という動詞を置き、「นั่งสมาธิ nang samaa-thi」とすればいい。邪念をはらい、不必要なものをこの際、体から追い出そう。
 暑いから、「กินๆนอนๆ 食っちゃ寝、食っちゃ寝」で暮らそうというのであれば、それはそれでいい。

สมาน サマーン という意味

タイの洞窟で13名を救出中に犠牲となられた元海軍の方のお名前は、สมาน(サマーン)氏。日本のマスコミでは、サマンと短母音で書いているが、それは日本式の書き方だ。ここでは、彼の名前をタイ語で正しく書けるようにするために、長母音で書くことにする。
 「สมาน」という単語を『タイ日辞典』(冨田竹二郎編纂)で調べてみた。二つの意味が有り、(1)同等の、等しい、同様の、一致した、同一の、そして、(2)合わせる、結合する、連結する、親密ならしめる、と出ていた。
 (1)の意味での合成語として覚えたほうがいい単語は、สมานฉันท์(サマーナ・チャン=一致した見解、コンセンサス)と、สมานทุกข์(サマーナ・トゥック=苦しみを同じくする)。後者の意味は、まさしくサマーン氏の行動だ。
 (2)の意味での合成語としては、สมานไมตรี(サマーン・マイトゥリー=友誼を結ぶ)、そして、สมานสามัคคี(サマーン・サーマッキー=一致団結する)が有る。
 サマーン氏の名付け親がどなたであるのかは存知上げないが、もしご両親であるならば、我が息子は両親の期待通りに生きたことになる。最近、日本人の若夫婦が好んで我が子につけるキラキラネームとは、考え方にかなりの相違が見られる。

座禅を組もう(นั่งสมาธิ)

昨日は、「สมาน 合わせる、同一化する」というタイ語に言及したが、辞書の中で、この単語のすぐ前に出て来る単語が、「สมาธิ samaa-thi = 三昧」である。
 昨日は岐阜県多治見市で40.7度を記録した。東京は36度。こう暑いと、家にいたほうがいい。そして、座禅を組んで、邪念をはらおう。
 座禅を組むは、前述した「สมาธิ 三昧」の前に「นั่ง 座る」という動詞を置き、「นั่งสมาธิ nang samaa-thi」とすればいい。邪念をはらい、不必要なものをこの際、体から追い出そう。
 暑いから、「กินๆนอนๆ 食っちゃ寝、食っちゃ寝」で暮らそうというのであれば、それはそれでいい。

6時間36分の試合

ワールド・サッカーばかりに注目していたが、ウィンブルドン・テニスは早くも男子シングルの準決勝戦になっていた。昨夜から今朝の早朝までアンダーソン(南アフリカ)とイズナー(アメリカ)の試合を見た。いやあ長いこと、長いこと(นานมากจริงๆ)。6時間36分の死闘が終わった時、こう思った。日本からタイへ行くまでの時間に相当するではないか、と。
 我々乗客は、飛行機が離陸して水平飛行に入ったらのんびりとくつろぐことができる。だが、彼らは必死で闘い続けている。第5セットは2時間以上もかかった。試合に要した時間はウィンブルドンの歴史で第2番目に長いとのこと。
 そして、もっと驚いたのは、一番長い歴史をつくったのも、同じくイズナー選手であったということだ。彼は2010年に11時間5分(3日がかり)も闘っている。なんという持久力か! そして精神力! 番組の途中で、彼のその試合のスコアを記録した記念のプレートが数回、紹介された。今回は惜しくも負けたが、もう勝敗などどうでもいい。
 猛暑到来。我々はスポーツ選手ではないので無理は禁物だが、せめて、気力だけは高く維持し、生活の工夫をしながら盛夏を乗り切ろう。

鮨店の中年女性従業員

昨日は朝食も昼食も抜きで仕事をした。仕事が終わりにさしかかった時、自分にやる気を起こさせるため、美味しい鮨をイメージした。そして、帰路、鮨店に入った。駅ビルの中だから決して高級ではないが、値段はネタの選びようでいくらでも跳ね上がる。
 その店は昼も夜も満員。昨夜は、これまでに見たことがない中年女性が働いていた。私はカウンターに座ったが、後ろにあるテーブル席に3人連れの外国人客が入ってきた。中年女性が注文を取る。注文を取った後、それをカウンター内にいる鮨職人に伝える。それは日本語であったが、厨房に向かっては中国語でしゃべった。味噌汁を用意しているアルバイトさんは中国人なのであろう。
 それにしても中年女性の発音はすばらしかった。彼女が日本人であるのか中国人であるのか、私には見分けがつかない。これからは、鮨店の従業員達も中国人ばかりになるかもしれない!

ป่า (森、野性、野蛮、未開)

タムルアン洞窟から奇跡的に救出された13人のサッカーチームの名前は、「いのしし หมูป่า ムー・パー」。そこで、「ป่า = 森、野性、野蛮、未開」の合成語を勉強しよう。
(1)森=ป่าไม้ ป่าสงวน ป่าสูง ป่าทึบ ผีป่า ของป่า ป่าเปลี่ยว ป่าช้า
(2)野性=ไก่ป่า หมาป่า หมูป่า ช้างป่า แมวป่า สัตว์ป่า แกงป่า
(3)野蛮・未開=คนป่า คนป่าเถื่อน ป่าเถือนโหดร้าย
 
 都会的な生活をしていると、特に、コンクリート・ジャングルの中でいると、都会人はそれに慣れきってしまって、空気のおいしさがいかなるものであるのか忘れてしまっている。そして、時間を見つけて森や山へ出かけないと現代人はおかしくなる。。野獣が有する<野性のすごみ>。その1%でもいいから求めたいものだ。

一人の犠牲者

昨晩(7月11日)、チェンラーイ県メーサーイ郡のタムルアングから朗報が世界中に配信された。県知事は「ミッション・パワフル!」と力強く宣言。サッカー少年達12名とコーチはよく頑張った。そして、関係者の尽力はタイ史上に残ることであろう。
 だが、一人の犠牲者(元海軍の潜水士)が出たことも決して忘れてはならない。先週、タイへ行っていた生徒さんからお土産として新聞をいただいた。タイのクオリティー・ペーパーである「มติชน マティチョン」(2018年7月7日付け)には、彼のことが一面に取り上げられており、赤いベレー帽をかぶった海軍時代の写真、及び、洞窟の奥へ酸素ボンベを運ぶ前の雄姿の写真が掲載されている。写真の説明には、次なる文章が書かれてあった。
 ช่วยถ้ำเหลือง – จ.อ.สมาน กุนัน หรือ จ่าแชม อดีตนักทำลายใต้น้ำจู่โจมนอกราชการ ก่อนขึ้นเครื่องมาปฏิบัติหน้าที่ที่ถ้ำเหลือง และเสียชีวิตระหว่างดำน้ำกลับจากการนำขวดอากาศไปวางตามจุดต่างๆในถ้ำ
 さらなる記事を読むと、彼のご遺体は出身地のローイエット県にまず運ばれた後、タイ海軍の本拠地であるチョンブリー県のサッタヒープ海軍基地に7月6日、安置された。