昨日、「タイ小学校国語教科書4年生」のテキストの中に、僧侶が預かっている少年僧(เณร)の母親のことを話題にするくだりが有った。僧侶は母親の名前の前に、「สีกา シーカー」という呼称をつけた。
シーカーは、女性の在家仏教徒を呼ぶ時に使われるようだ。日本でも、仏教界では、「優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)」と称せられてきたが、優婆夷は女性に対する表現で、もともとは「うばしか」から来ているとのこと。うばしかの<しか>が、タイ語のสีกา(シーカー)に相当する。
一般的には、結婚している女性に対する呼称は、「นาง ナーング」だ。しかし、僧侶は女人(にょにん)に対して煩悩を懐くことは固く禁じられている。従って、呼称も仏教的であるのは当然。本能や煩悩を抑えるのは、何と言っても言葉から入るのがいいのかもしれない。