会津若松駅に着いた時、構内で販売している駅弁にチェックを入れると、真っ先に目に飛び込んで来たのは「小原庄助弁当」であった。「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで」のあの庄助さんだ。こんな贅沢三昧するのはまだまだ10年先にしようと思い、蕎麦を食べることにした。磐越西線の沿線で見たどこまでも続く蕎麦の白い花畑がとても印象的であったからだ。
帰路、またまた会津若松駅の駅弁コーナーに寄ってみた。弁当はわずかに一つだけしか残っていなかった。まるで私を待っていたかのよう。
それは「蔵出弁当」といい、由緒ある漆器店の容器に入っていた。それには会津五街道(越後街道、米沢街道、二本松街道、白河街道、そして、下野街道)に関する解説書がついており、会津若松が参勤交代の要衝の地であったと説明してあった。
山、また、山を越えて行った会津若松。不便なところだと思ったが、とんでもない。昔はあらゆる産物がここから江戸へと向かって行ったわけだ。解説書には、佐渡の金山の金もこの地を通ったと書かれている。ますます興味が増してきた。