海外駐在と親

 昨日、古本屋でいると、電話が鳴った。元生徒のK氏からであった。
 「あら、今、日本に帰っているの? それとも、バンコクから?」と、私。
 「母が亡くなりました。成田に着いたばかりです」と、彼。
 タイ駐在を希望していたK氏は、その希望がようやく叶い、今年4月にバンコクに赴任したばかりである。それなのに、お母様の急逝により、ご家族であわただしく一時帰国せざるを得なかった。
 K氏のお母様とは彼の結婚式の時に一度だけお会いしたことがある。K氏のご両親は会津若松に住んでおられ、福島の果物をいつも送ってくださっていた。しかし、東日本大震災以来、それがストップした。
 したがって、電話で話すこともここしばらく途絶えていたが、訃報に接し、お気の毒でたまらない。私よりも3歳もお若いのに….。
 K氏に聞くと、ご両親はまだタイへ遊びに行かれておられなかったそうだ。一人息子である彼の活躍をバンコクで見てほしかったなあと思うと残念至極である。

『地方消滅』を読んで

 昨日、泰日文化倶楽部の隣りにある書店で『地方消滅』(増田寛也編著 中公新書 2014年初版)を買った。私が買ったのは2015年8月10日 第18版であるから、相当の方達が購入したことになる。おそらく、公共自治体が主たる購入者かもしれない。
 東京都において、諸島部や奥多摩にある山の町を除くと、将来的に見て、豊島区が消滅第一号になることがデータで示されている。この本では若年女性の人口変化率というものが基礎データとして問われており、由々しき警鐘として、かなりのインパクトがある。
 2008年のリーマン・ショック以来、人口減少は徐々に進んでいるとのこと。東京は高齢化現象が顕著。若い女性が地方から流入して来ても、人口の増加には至らないらしい。たしかにそうだ。結婚しても、子どもをたくさん産むわけではないから。
 泰日文化倶楽部も高齢化現象が見られる。結婚対象者である若い女性の比率は少ない。世の中の数値と見事に平行している。若年女性よ、タイ語を習いに来たれ!

ラオス絹の傘

 一昨日、久しぶりに御茶ノ水にある「エージア・パニック」へ行った。タイ製品はもちろんのこと、ここには、インドネシア、ベトナム、ラオス、バングラデシュ、インド、そして、ネパールのものが、それこそパニック状態で自己主張をしている。
 夏の終りに際して、はてさて何を買おうか? 夏物の洋服は要らないし….。はっきり言って、私の部屋の中にはタイであつらえた洋服が有り過ぎ….。もうこれ以上、買ってはいけない。その前に断捨離だ。
 結局、ラオス絹を張った日傘を買った。今年はおそらく使わないであろうが、来年の夏のために買っておくことにした。
 この日傘は浅草の傘職人に作らせたものである。したがって、骨組みは断然しっかりしている。傘をさす時の快感。やはり傘張りは日本職人の手が一番だ。
 いずれにせよ、このような日本とアジアの合作(コラボ)が私は大好きである。

船場ことば

 私は昆布が大好きである。小さい時から食べている。鳴門の渦潮で鍛えられたワカメも好きだが、大阪の昆布が好きだ。なかでも小倉屋山本店の「えびすめ」が…..。小倉屋と聞いただけで食が進む。
 その小倉屋山本店が、作家である山崎豊子氏の実家であることを知ったのはつい最近のこと。
 『山崎豊子 スペシャル・ガイドブック』(新潮社 2015年7月)の中に「船場ことば」というのが、以下の如く紹介されていた。
 ①標準語=見なさい  大阪弁=見なはれ    船場ことば=見ておみやす
 ②標準語=あります  大阪弁=ありま(あ)  船場ことば=おます
 なるほど、大阪弁ともまた違うんだ。船場ことばは、「船場商人が京都御所へ出入りしているうちに取り入れたもの」だと、上記の本は説明してある。「おます」は御所の女房が使う「御居座(おいま)す」の略とのこと。御所の雅(みやび)が船場ことばの底辺にあるとは! そろばん勘定だけではなくて、環境に適応させようとする商人の言葉に対する感度が面白い。

事件 or 実験

 昨晩、タイ人講師のD先生が早めに教室にいらしたので、8月分の講師料をお支払いしながら、しばし雑談をした。
 「先生、今年はいつタイへお帰りになりますか? 冬休みですか?」
 すると、彼女はこう答えた。「事件がなければ帰ります」
 「ああ、そうですね。事件がまた起きるかもしれませんからね」、と、私。タイ人は先日の爆発事件を気にしているのであろうと思った。
 だが、やがて気がついた。
 「先生、事件ではなくて、実験のこと?」
 彼女はうなづいた。理科系の大学院生として、毎日、実験に追われているので、そうだ、実験と言いたかったわけだ。
 タイ人のみならず、外国の方達には、拗音が難しい。jiken と jikken。 まだまだいくらでも例が考えられる。派遣と発見、事項と実行、等々。

カフェ・タイ料理

 昨晩、昔の生徒さんから電話が有った。話すのは9年ぶり。彼女はアジア雑貨、と言っても、インドのサリーを中心に販売する「虹の丘」の店主であるが、今はなんと、「スリーシーズンズ」という名前のカフェ・タイ料理のお店も経営しておられるとのこと。これはすごい。しかももう3年もやっておられるから、お店は安泰だ。
 場所は東京スカイツリーのすぐそば。これまたなんとすばらしい立地だこと!
 そして、もっと驚いたことは、彼女がタイ料理やタイのデザートを自ら作っておられることだ。一体、いつ、彼女はそのようなスキルを磨いたのであろうか? やはりやる気が有る人はちがう。
 ところで、店名の「スリーシーズンズ」だが、何故、「フォーシーズンズ」ではないのであろうか? おそらくタイやインドにならっての命名かも…..。
 いずれにせよ、墨田区業平2丁目にあるこのお店は、隠れ家的存在を保ちつつ、この先、ずっと続いていくことであろう。

降雨 と 株の下落

 昨夜来、台風の進路に関するニュースと世界同時株安のニュースで持ちきりだ。教室の授業の中でもこれらの話題が出た。
 「雨が降る」はタイ語で、「ฝนตก fon tok フォン トック」。だが、この「フォン=雨」という単語を生徒は上手に発音することができない。やはり、日本人にとって不得手な[ f 音]がネックなようだ。
 一方、「株が下落する」は、タイ語で、「หุ้นตก hun tok フン トック」。
雨(fon)も、株(hun)も、末子音は[n]音だ。だが、これがまた、日本人には苦手なようである。
 頭子音と末子音がどうにか発音できても、次なる問題点は、やはり声調だ。fon は、上声(5声)、そして、hun は、下声(3声)。
 耳で聞き分けて、いずれの単語も早く自分のものにしてしまおう。

จมไม่ลง 沈んでも沈みきらぬ

 昨日、「タイ語上級 日曜日13:00」の授業で講読している小学校副読本の中に、「จมไม่ลง ジョム マイ ロング =沈んでも沈みきれない」という表現が出てきた。
 この副読本は、父、母、姉、そして弟の4人暮らしの家庭の中で、タイ語の表現について、正しい使い方を両親が子供たちに教える内容になっており、なかなか示唆的なテキストである。
 そもそも、「จม ジョム 沈む」という単語自体、あまり好きではない。夏の水難事故を耳にするとかわいそうでたまらないからだ。
 「沈んでも沈みきれない」という表現の意味するところは、「事業に失敗して貧乏になっているにもかかわらず、経費を切り詰めようとはせず、相も変わらず贅沢三昧をする人」という意味だと、テキストでは母親の言葉を借りて説明している。さらには、「現状に見合った生活状態に改善することができない」とも付け加えている。
 「กินไม่ลง ギン マイ ロング 食べ物がのどを通らない」というのはよく使うが、このように更なる新しい表現を覚えることはためになる。だが、出来得るならば、あまり使いたくない表現だ。
 

 昨日は知人の誕生日であった。そう思っていると、昨晩、その知人が夢の中に現れた。おや、びっくり。何故ならば、数年前に鬼籍に入ってしまわれた方だからだ。お盆が終わったというのに、まだ娑婆に居残っておられたとは?
 夢は夢でも、もう一つの意味である「将来の夢」。これが無くなった。これではいかん。
 夢という漢字を見ると、草冠の「十十」を数字に表わすと、廿、すなわち、二十だ。さらに、その草冠の下に「四」が続く。これらを合計すると、「二十四」になる。穿った解釈をすると、夢を懐くのは、せいぜいが24歳までなのか? いやいや、そこは希望を拡大して、20x4=80、すなわち、80歳までと思いたい。
 現代が分からなくなった。情報過多に翻弄されすぎて、自分の夢への焦点が絞れない。これは由々しきことだ。頭を冷やして出直そう。
 

日本橋人形町界隈

 昨日、日本橋人形町へ行く用事が有った。歩いている通りの標識を見ると、「金座通り」。おや、「トンロー通り(ทองหล่อ)だわ」と、すかさずタイ語に訳してしまった。
 明治座に通じる甘酒横丁も楽しい雰囲気が醸し出されていた。三味線店の前を通ると、つい、“粋な姐さん”を思い浮かべてしまう。
 日比谷線の駅の交差点近くにある喫茶店に入った。中に入るや否や、どっしりとした風格が漂っていた。この店の名前は「快生軒」。安産の神様で有名な水天宮が近いので、赤ちゃんが元気に生まれてくるようにとつけられた名前だそうだ。創業1919年(大正8年)8月8日。あと4年で100周年! 喫茶店で100年近くも続くということは奇跡だ。
 快生軒の2つ隣りは軍鶏鍋店の「玉ひで」。創業1760年。軍鶏はしゃもと読む。このしゃもは、タイの旧名であるシャム(Siam)から由来したもの。タイで有名なあの闘鶏だ。(注:昔の日本人がサイアムとは呼ばず、シャムと呼んだ)。
 そのすぐ近くに「谷崎潤一郎生誕の地」というプレートが目にとまった。
 文豪を生ましめた土地、人形町。江戸時代からの歴史を紡ぐ町、人形町。町民の力強さがしかと感じ取れた。