言葉の生活感

『終わりと始まり』(池澤夏樹著 朝日新聞出版社刊 2013年6月)の中に、「言葉の生活感」という章がある。南アメリカの南端に住むヤガン族(=最南端まで行ったモンゴロイド)が使っている動詞が大変に細かいことを指摘しながら、今の日本人の生活には具体的な動作の動詞が減りつつあると書いてある。以下は、引用文である。
 { 仮に加工という場面をとってみても、「うがつ」「うるかす」「かしめる」「くける」「くじる」「こく/しごく」「なう」「はつる」などの出番が稀になってしまった。<中略> 家の中でまだしも加工が多いのは台所だとしても、今そこで「煮る」や「焼く」や「蒸す」や「揚げる」以上に用いられる動詞は「チンする」だ。「(魚をさばく」や「(包丁を)研ぐ」は絶滅しかけている。}
 確かに、その通り。商売で使う以外、一般人の生活の中では動詞が減りつつある。上記に見られる動詞は、私の世代で終わりかもしれない。電気製品で快適に暮らす生活。良し悪しである。ワイシャツのボタンをつけるためにホッチキスのような道具が、昨日、テレビで紹介されていた。そうなると、「ボタンをつける」という表現も、いずれは消えて無くなるかも。