1.語学は発音が肝心である。
2.発音が悪くても通じればいいと言う人がいる。
3.だが、その考え方は改め、少しでも発音を磨く努力をしよう。
4.一方、文法は基本を習得した上で、徐々に細かく学べばいい。
5.いずれにせよ、語彙力をつけて、よく聞き、よく話すと、外国語の勉強が楽しくなる。
1.語学は発音が肝心である。
2.発音が悪くても通じればいいと言う人がいる。
3.だが、その考え方は改め、少しでも発音を磨く努力をしよう。
4.一方、文法は基本を習得した上で、徐々に細かく学べばいい。
5.いずれにせよ、語彙力をつけて、よく聞き、よく話すと、外国語の勉強が楽しくなる。
今月中旬、新しい生徒さんが入会された。これは来年に向けて良い兆しである。そして、昨日は遠方に在住する方から問い合わせの電話が有った。1回の交通費が往復で5千円もかかると聞いた途端、びっくり。オンライン授業をお勧めした。
タイ語を使って仕事をすることができるようになるには学習時間もさることながら、自己投資が必要。電話の向こうで躊躇している様子がわかった。実を言うと、その方に泰日文化倶楽部を紹介したのは元生徒である。「弊塾は儲け主義ではやっておりません。足りない分はお米でもいいですよ」と私。すかさず反応が有った。「私の家は米農家です!」
授業料の「料」という漢字には「米」がついている。「斗」は「ます/ますで量る」という意味だそうだ。物価が高くて買物が楽しくなくなった。物々交換の時代に憧れる。
新潟在住の親友は老人ホームに入ることを決意。目下、荷物の整理中である。先月の上京時、『スペイン市民戦争の国際義勇兵』(グスタフ・レグラー著/アーネスト・ヘミングウェイ序/北村智明訳 2015年発行 非売品)というとてもぶ厚い翻訳本を持って来て、こう言った。「この本を10年、私のそばに大切に置いてきました。これからの10年、あなたが持っていてよ。10年後は処分していいから」
著者の履歴=1898年ザール地方、メルツィッヒに生まれる。ハイデルベルクとミュンヘンの大学で学び卒業後は作家ジャーナリストとして活躍。ヒットラーが政権を獲得、国会議事堂放火事件後、フランスに亡命。1936年スペイン市民戦争に参加、翌年1937年フエスカで重傷を負い、マドリード、パリで療養後アメリカ、ヨーロッパ、中南米などでユダヤ人弾圧に抵抗し、ファシズム、スターリズムと戦い、1963年インド、ニューデリーにて客死。
訳者の履歴=1925年東京に生まれる。1949年東京外事専門学校(現・東京外国語大学)本科ドイツ科卒業。新潟薬科大学名誉教授。日本独文学会会員。共訳書『明治初期御雁医師夫妻の生活』玄同社1987、「クニッピングの明治日本回想記」玄同社1991。
長々と引用したのには理由が有る。著者の生きた軌跡が多国に及ぶことに驚いたからだ。まさしくジャーナリスト! そして、訳者である北村氏が東京外国語大学の先輩であり、ドイツ語を長きにわたり職業として愛したことに敬意を表したい。
「北村先生は本の完成を見届け、平成27年10月7日、安心したかのように旅立たれたそうです」という出版関係者による手紙が表紙の裏に添えられていた。享年90歳。
1.競馬 2.馬場状態
3.駿馬 4.駄馬
5.馬力を上げる 6.馬鹿馬鹿しい話
7.馬鈴薯 8.竹馬の友
9.生き馬の目を抜く
10.馬の耳に念仏
11.馬齢を重ねる
12.走馬灯のように思い出す
「タイ語中級 水曜日17:30」のクラスは生徒が2名だけである。15年前は6名いた。だが、両親の介護が始まったり、あるいは遠くに引っ越したために、皆さん、次第に辞めていかれた。残った2名のために、今でもこのクラスは存続させている。
2名のうち、一人は日本語学校で中国人に日本語を教えておられる。そして、もう一人は小学校教師だが、聞くところによると、中国人の子供がどんどん増えているそうだ。つまり、いずれも教師。ふと思った。教師(私)が教師(2名)に教えるということはなんだか変な話。
昨日、我々は退職後のことを話し合った。教師を辞めたら何をして老後を乗り切ろうか、と。悠々自適の生活? 晴耕雨読の生活? 旅行三昧の生活? 誰しもが考えそうだが、退屈が透けて見える。教師は生徒がいてこそ教師。近い将来は、互いに教師になったり、生徒になったりして、今のクラスを存続させようかしら。
夜中に一仕事が有ったので、朝帰りとなった。新宿で中央線から山手線に乗り換えたが、まだ朝のラッシュは始まっておらず、悠々と優先席に座ることができた。だが、隣りに座った若者がずっとぼやき続けるのには閉口した。「教育は詐欺だ、教育は詐欺だ、教育は詐欺だ」と、新大久保駅に着くまで言い続けたのである。聞いているうちに、「そうかも」と心の中で同意する私。
新大久保駅からは、彼のぼやきのフレーズが変わった。「中学も高校もだめだ。中学も高校もだめだ。中学も高校もだめだ……..」それを聞きながら、高田馬場駅から目白駅はどんなぼやきになるのか、楽しみに待つことにした。
高田馬場駅から目白駅は、「それは全く良くない。それは全く良くない。それは全く良くない」に変わった。臨席のぼやきの若者は学校で相当にいやな思いをしたに違いない。だんだん彼が気の毒に思えて来た。目白で電車を降りると、いつもの朝の通勤・通学風景があった。小学生は可愛い。彼らがすくすくと育ち、どうか傷つかない学校生活を送ってほしいと願った。
ラーマ9世の在位60周年を祝った翌年(2007年)、シリキット王妃は赤十字メダル授与式に於いて、次なるお言葉を述べられた。(出典:『คำสอนของแม่』の第2章「การสร้างความดี」より抜粋。母親団体による印刷物配布に因るため、出版元の記載無し)
๑. ผู้เทิดทูนความดี ย่อมมีคนเคารพนับถือ เป็นที่ไว้วางใจของคนทั่วไป
๒. เพราะเป็นผู้ที่ไม่มีเวรภัย ไม่เป็นอันตรายแก่ผู้ใด
๓. มีแต่เอื้อเฟื้อช่วยเหลือเพื่อนมนุษย์ด้วยความเอ็นดูสงสาร
๔. อันบารมีนั้นเป็นเกราะป้องกันตัวอย่างประเสริฐ
๕. ผู้ใดตั้งใจสร้างสรรค์ความดีโดยไม่หวังสิ่งตอบแทน
๖. มุ่งหน้าแต่จะช่วยเหลือผู้อื่นเรื่อยไปฝ่ายเดียว
๗. โดยไม่สนใจว่าจะมีใครรู้ ใครเห็น ใครชมหรือไม่
๘. ย่อมเป็นที่น่าสรรเสริญอย่างยิ่ง
先月、新潟から上京した大学時代の親友から、新潟中越の郷土玩具である「三角だるま」をお土産にもらった。だるまと言えば「高崎達磨」しか念頭にない。円錐形をした夫婦だるまを不思議そうに見ている私に親友は言った。「あら、知らないの? 新潟では有名よ」
郷土玩具はその土地の人達には馴染んものかもしれないが、よそ者にはピンと来ない。そこで私は思った。新潟人は宣伝が下手なのではないか? そこへ行くと、東北地方のこけしは有名。欧米人にも、そしてアジアの人にもよく知られている。
だが、待てよ。インフルエンサーがはびこっている昨今、宣伝してもらうと返って迷惑だ。何故なら三角だるまを手作りしている人はほんの一握りだから。新潟の県内だけで愛されてこそ郷土玩具の意味が有る。彼らはたくさん作って大量に売ろうとしているのではない。雪国に暮らす子々孫々に長く愛されたいと願っているだけであろう。
注:12月13日の投稿を公開するのを忘れていましたので、今日は2日分、連続投稿します。
「タイ語中級 火曜日10:30」のクラスで、「ขยับ 場所を動かす/ずらす」という動詞が話題になった。そこで、私は卑近な使い方を参考までに挙げた。「電車やバスに乗った時、あるいは待合室で、もう少し詰めればもう一人座れるような場合、ちょっと詰めてもらえませんか? とそっとお願いする際に使えますよ」、と。
今年9月中旬から新しいタイ人講師を迎えた。彼女に生け花教室への参加を促すと、気に入ってくれたようで、華道講師の指導を素直に受けている。彼女は目を輝かせながら言った。「ขยับกิ่งไม้นิดหนึ่งก็สวยขึ้น 枝をちょっと動かしただけで美しくなる!」
私は彼女の口から「ขยับ」という動詞を聞いて、使い方の勉強になった。タイ人が自然に使う動詞こそが生きた動詞だ。テキストを翻訳するためにすぐに辞書を引いたり、翻訳アプリを使うのはなるべく控えよう。タイ人の口から発せられる生きた動詞をしっかりと聞いて、すぐに応用することが肝心なり。
1.健康は自分にとって宝である。
2.月1で医者に会い、治療に関する助言をもらおう。
3.肉と魚を交互に食べ、どちらか一方に偏らないようにしよう。
4.暴飲暴食さえやめれば健康改善は進む。
5.とはいえ、寿命は人によりけり。悔やまないで、明るく生きよう。