今日の翻訳

シリキット王太后の76歳の誕生日を祝して発行された『สกุลไทย』(週刊誌サクンタイ社 西暦2008年8月19日 第2809号)の表紙は真っ赤なシルクの装いの前王妃の御姿である。その冒頭部分から出題する。

๑. “วันที่๑๒ สิงหาคม วันเฉลิมพระชนมพรรษา สมเด็จพระนางเจ้าสิริกิติ์ พระบรมราชินีนาถ และวันแม่แห่งชาติ”

๒. ถ้อยคำประโยคนี้เป็นที่ฝังใจตรึงตราจารึกอยู่ในความรู้สึกของคนไทยตลอดมาช้านาน

๓. ประเทศไทยเคยจัดงานวันแม่เป็นครั้งแรกเมื่อวันที่ ๑๕ เมษายน พ.ศ.๒๔๙๓ โดยความริเริ่มของ ท่านผู้หญิงละเอียด พิบูลสงคราม และได้รับการสนับสนุนส่งเสริมเป็นอย่างดีจากรัฐบาลที่มี จอมพล แปลก พิบูลสงคราม เป็นนายกรัฐมนตรี

๔. ต่อมาเมื่อเปลี่ยนรัฐบาล วันแม่ถูกยกเลิกไป จะด้วยเหตุผลอันใดไม่ปรากฎชัดแจ้ง

๕. จนกระทั่งวันที่ ๑๒ สิงหาคม พ.ศ.๒๕๑๙ สภาสังคมสงเคราะห์แห่งประเทศไทย ในพระบรมราชูปถัมภ์ โดยความริเริ่มของคณะกรรมการส่งเสริมศีลธรรมและจิตใจ ได้จัดงานวันแม่ขึ้นใหม่ เพื่อเฉลิมพระเกียรติ สมเด็จพระนางเจ้าสิริกิติ์ พระบรมราชินีนาถ และยึดถือวันที่ ๑๒ สิงหาคม อันเป็นวันเฉลิมพระชนมพรรษาให้เป็น “วันแม่แห่งชาติ” เป็นประจำตลอดมาทุกปีจนถึงปัจจุบัน

哀悼「タイの母」

昨日の早朝、タイからシリキット王太后のご逝去の第一報がLINEに入って来た。深い悲しみを覚えた。10月13日はラーマ9世の御命日。崩御されてからもう9年。シリキット前王妃はいかなる思いでおすごしであろうかと想像していた矢先だけに、訃報を聞いた時は驚きとともに、タイの歴史がまた1ページ、加わったと思った。

1969年10月31日、この日から私は縁あって、駐日タイ王国大使館税関部に勤務し始めた。上司は王族で気難しい方…..。執務室に置かれた重厚なる金庫の上に額縁に入った一枚の写真が飾られていた。18歳くらいの素敵な笑顔の女性。それがシリキット前王妃であった。

毎年8月12日は「母の日」。それはシリキット前王妃のお誕生日に因んだもの。70年余に亙って在位されたラーマ9世の御妃として、そしてタイ国民の母としての存在感は極めて大きい。衷心より哀悼の意を表する次第です。

タイ在住の元生徒達

来月(11月15日~21日)、8年ぶりでバンコクへ行く。79歳ともなると、さすがに一人で行く自信が無い。行くか行かないか迷いに迷っていたところ、華道講師が一緒に行きたいと申し出てきた。彼女は昔、御主人の駐在でバンコク暮らしを経験している。彼女も79歳。「どこへでもついて行きます。センチメンタル・ジャーニーがしたいのです」と言う。

そこへ、現役の生徒さんが「私もいいですか?」と希望して来たので、即座にOK。彼女も「どこへでもついていきます」と言う。しかし、数日後、チムチュムが食べたいと所望。そこでバンコク在住の元生徒におすすめの店を紹介してもらうつもりでLINEをした。すると次なる返事が来た。

「先生の来タイを同期生のA子さんに報せたら、彼女も先生に会いたいからプラチンブリからバンコクに来るそうです。私の友人で、無気音と有気音が見事に聞き分けることができる人も先生に会いたいと言ってますから、吉川先生のお名前でお店に予約を入れておきました!」

備えあれば患いなし

1年前、白内障の手術をした。良く見えるようになった術後の興奮は次第に消え去り、再び普通に戻ってしまった。まあ、そんなものかと思いつつも、ふと不安がよぎる。来月の中旬、タイへ行くが、旅行中に眼鏡を紛失したら一大事。そこで予備の眼鏡を作ることにした。

私は行きつけの眼鏡店へ行き、現在の視力を正確に知るために検眼してもらった。ほんの少しだけ度がすすんでいた。「1級眼鏡作製技能士」の国家検定資格を有する店主は、「予備の眼鏡であるならば、従来のものと同じ度数にしておいたほうが、眼がらくでいいですよ」と助言してくれた。

だが、これからも度がすすむであろうことを想定して、店主の了解のもと、ほんの少しだけレンズの度数を増やすことに決めた。これで眼鏡の問題は解決。備えあれば患いなし。

今日のタイ語作文

1.「馬子にも衣裳」ということわざは褒め言葉ですか? それとも悪い意味で使いますか?

2.なんとも言えません。状況、及び、対人関係によると思います。

3.ものすごく親しい関係であれば、皮肉的表現になります。

4.「馬子」を「孫」だと勘違いしている人も多いです。タイ語の場合は「鶏」を使います。

5.いずれにせよ、服装は大事です。TPO(Time, Place, Occasion)をわきまえましょう。

6.注:TPOは和製英語なので、欧米人には通じない。

錦秋の女神 竜田姫

今月の茶道教室で使った茶杓の銘は「竜田姫」。秋をつかさどる女神を象徴する季語として有名である。調べてみると、この女神は奈良の平城京の西に生まれたとされ、竜田神社(奈良県生駒郡三郷町)に祀られている。因みに、陰陽五行説では、<西=秋>で、竜田姫は染色と裁縫を得意とするとのこと。

昨日、日本憲政史上、初めての女性総理が誕生した。「私は奈良の女」を強調する高市氏だ。果たして「令和の竜田姫」はほころんだ日本の政治をいかように色付けし、かつ、裁断・縫製してくれるのであろうか? 「竜田姫」は、多くの俳句や和歌に詠まれているが、高市氏にふさわしい一首を挙げよう。

~千早ぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくる~(在原業平)

お・し・り・あ・い

一昨日、鬼子母神の御会式について書いたが、おえしき連合会が発行している『御会式新聞』の中に面白い広告を見つけた。それは医療と介護のトータルヘルスケアの白十字株式会社のもので、キャッチコピーが「お・し・り・あ・い」であった。白十字は紙おむつで有名だから、私には「お尻合い」のイメージがまず最初に浮かんだ。

~「おしり愛」は白十字のコミュニケーションの原点です。医療・介護のトータルヘルスケアの領域から始まる新しい出会いを人に愛される製品やサービスの向上に活かしていきます。今までもこれからも、より一層の愛を持って、「お知り合い」の輪を広げてまいります。~

今や、幼児用おむつよりも大人用おむつの需要が増しているとのこと。東京オリンピック誘致に使われたあの「お・も・て・な・し」の乗りに類似しているから、この「お・し・り・あ・い」のキャッチコピーには親しみが持てる。後期高齢者が増加する一方の昨今、赤十字よりも白十字にお世話になること間違いなし。

今日の語彙

1.諦める     2.呆れる

3.暴く      4.軋轢を生じる

5. 圧巻である  6.圧倒する

7.焦る     8.色が褪せる

9.斡旋する   10.あっけらかんとした

11.厚かましい  12.阿漕(あこぎ)な商売

鬼子母神の御会式

日蓮聖人(にちれんしょうにん)の忌日の法会(ほうえ)にともなう鬼子母神の御会式(おえしき)が10月16日~18日の3日間、取り行われた。見ものは17日と18日の夜、江戸時代から続く伝統の万灯練供養(まんどうれんくよう)だ。

これには日蓮宗の宗徒の各連が参加しているが、信仰に関係なく、御会式を盛り上げる老若男女も参加しているからとてもにぎやかである。提灯を持って先導する御老人の威厳。約10mの距離をおいて、纏(まとい)を振り回すいなせな若い衆が続く。その後ろは祭り姿の若者が男女を問わず跳ね回っている。

昔はもっとにぎやかだった。商店の主(あるじ)が店先に紅白の幕を張って宴会をしていた。だが、そういう光景はもう見られない。店が潰れ、主はどこかへ行ってしまった。数年前から外国人がお練りに参加したり、沿道で見物しているのが見られるようになった。そして今や彼らはすっかり溶け込んでいる。

椿山荘

結婚式帰りの人達をたくさん見かけるようになった。そこで、個人レッスンのA子さんに「椿山荘、いいわよ。庭もきれいだし。6月には蛍が飛ぶし」と言ったら、「チンザンソウって、何ですか?」とすかさず訊き返されてしまった。「椿山荘はね、椿と山と別荘の荘の3つの漢字を書き、結婚式場で有名よ」と私。

すると、A子さんが素っ頓狂な声を上げた。「あっ、私、知ってます。でも、”つばきさんそう”と読むのだと思っていました!」 

「椿山荘はね、明治の元勲の山縣有朋が….」と言い始めると、「元勲って何ですか?」と、またしてもA子さん。最近、若い生徒達と話す時、あれあれ?と思うことが多くなった。彼女達から見ると、私の言葉が古いのだ。しかし、古くても結構。妥協は無用。