家紋と女紋

北区の呉服屋さんから諸々の知識や知恵を盛り込んだ通信が届いた。草履と小物しか買ったことが無いというのに、もう10年近くも送って来ている。中でも「おばあちゃんのいち押し知恵袋」は非常に参考になる。

今回、「家紋と女紋のおはなし」が掲載されていたが、長年、不思議に思っていた謎が解けた。女性は嫁入りの時、実家の紋をつけた着物を持って行く。だが諸々の理由で離縁された場合、裸で追い出されるのは非情。よって女性を守るために女紋をつけた実家からの着物だけを持って婚家を出たそうだ。

話は飛ぶが、戦後、初代ミス日本に選ばれた女優の山本富士子さんの実家は大阪で木綿問屋をしており、娘達にそれはそれはたくさんの着物を用意していたのだが、家が洋館であったため進駐軍に没収されて追い出されたそうだ。その際、着物もすべて没収されたそうだから、よほど立派な着物であったにちがいない。今頃、ボストン美術館にお蔵入りしているかもしれないなあ。いろいろな豆知識を知るのはひまつぶしになる。

今日のタイ語作文

1.先週の木曜日、私を含めて5人の老女達がイタリア料理を食べに行った。

2.2種類の大きなピザを皆でシェアすることができて、全員、満足した。

3.会計後、私はトイレに行ったが、古い建物であったためドアノブの具合が悪く、トイレに閉じ込められてしまった。

4.途端に先月の東京スカイツリーのエレベーター内で起きた閉じ込め事故を思い出した。

5.私は友人に電話をかけてSOSを求めたので、彼女は店の人をすぐに連れて来て開けさせた。

6.トイレへ行く時は携帯を忘れずに持って行くことをお勧めしたい。

世田谷文学館

昨日、世田谷文学館へ行った。最寄り駅は京王線芦花公園。私は61年間、東京に住んでいるが、芦花公園駅で降車したのは初めて。千歳通りに沿って南へ400m。閑静な所に在った。おそらく昔は大地主の土地であったと思われる。

世田谷文学館開館30周年記念として、「ドナルド・キーン展」が開催されている。ドナルド・キーン氏(1922-2019)の96年余における生涯がよくわかる展示であったが、日本の作家との交流を示した往復書簡を読むのは時間的に無理。よって、『ドナルド・キーン展 Seeds in the Heart EXHIBITION: Donald Keene』を購入。そして、会場内で放映されている録画を1時間ばかり見て、彼の日本文学に対する姿勢を学んだ。

図書館というものは至る所に存在するが、文学館と名付けられたものは未だそれほど多くはない。従来から有る文学館はどことなく格式が高い感じ。一方、世田谷文学館は住宅街に溶け込んで、自由な雰囲気を醸し出していた。

タイ版「孤独のグルメ」

元タイ人講師から、タイ版「孤独のグルメ」の映像が送られて来た。①話は、チェンマイの麺屋、そして、②話は、ナコンパトムの藁焼き焼鳥屋であった。麺屋の特徴は、日本のわんこそばにヒントを得たもの。映像用にわざとそうさせたのかもしれない。

焼鳥屋のおやじさんは絞めた鶏を丸めてから、それに一斗缶をかぶせ、藁に火をつけてゆっくりと蒸し焼きにして行く。こんがりと焼き上がった鶏を中国式の丸いまな板に乗せて小口切りにする。香ばしさが匂ってきそう……。

麺も焼鳥もよい。だがもっとよかったのは車窓の風景。ちらほら乗っている乗客は皆、無口。窓から入る風が心地よさそうだ。

タイで「孤独のグルメ」を撮影しようものなら、延々と続くこと間違いなし。美味しい料理と自然がいっぱいだからだ。問題はネクタイをしめた駐在員役の男優。果たして彼の健康がいつまで続くか? 暴飲暴食には要注意。

今日の語彙

1. もうすぐ      2. 厄介な人

3. 油断する     4. 溶接工

5. ライバル     6. 理想的

7. 流布する     8. 練乳

9. 狼狽する    10. ろうそく3本

11.和解する    12. 訳ありのリンゴ

投げ入れ

生け花の生け方に「投げ入れ」というのが有る。花瓶に向かって花を投げ入れるものだと、子供の頃はかってに解釈していた。だが生け花クラスに所属して生け始めると、投げ入れるどころか、枝と枝をきちんと組合さなければならないという緻密な作業が待っていた。

剣山を使って花を固定する生け方の「盛花(もりばな)」とは全く対照的な「投げ入れ」。花瓶の中で枝や花を思いのまま組み合わせることができるまでには稽古を重ねて行かなければならない。先人が造った用語である「投げ入れ」。何故、そのように命名したのであろうか? 投げやりでは済まされないだけに、不思議でならない。

ひるがえって考えてみるに、言葉の成り立ちには奥の奥の解釈が暗示されており、かつ、ひねりが含まれている。その奥の襞(ひだ)が分かるようになるのはいつか? 時々、自分で確認してみよう。 

ขี้เมา / ขี้เมาธ์

昨日の授業で、「เมา 酔う」という単語が出て来た。この単語を聞いた生徒達はすかさず「ขี้เมา 酔っぱらい」と発音した。ところが、一人の生徒の発音に対して、ボン先生が次のように言った。

「ขี้เมา (下声+平声)ではなくて、 ขี้เมาธ์(下声+高い声)に聞こえました。เมาธ์は英語のmouth(口)から来ています。よく喋くりまくるおばさんのイメージがขี้เมาธ์には有ります。 พูดมากという表現に近いですね」

「ขี้เมาธ์」という新しい単語を聞いて、いろいろと思うことがあった。タイ人が作る新造語には、これから先、「タイ語+英語」の組み合わせのほかに、「タイ語+日本語」も出て来そうな気がする。思いついた例:「ขี้เยน 弱い日本円にしがみつく人→貧しい日本人」。

今日の翻訳

『บริหารชีวิตด้วยจิตวิทยา』(คณะอาจารย์คณะจิตวิทยา จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย編纂 พ.ศ.2558)の第1章の冒頭部分から出題する。

๑. บนเส้นทางการทำงานในแต่ละวัน มีหลากหลายเหตุการณ์ที่เข้ามากระทบใจของเรา บางเหตุการณ์อาจนำมาซึ่งรอยยิ้มได้  

๒. ในขณะเดียวกันก็มีอีกไม่น้อยที่คอยบั่นทอนจิตใจ ทำให้หลายครั้งหลายคราวเราอาจรู้สึกอ่อนล้า ล่าถอยไปในประสิทธิภาพของการทำงาน และสูญเสียกำลังใจที่จะก้าวเดินต่อไปยังหลักชัยที่ตั้งไว้

๓. เหตุการณ์ที่เข้ามากระทบใจในการทำงานนั้น อาจมีทั้งประเด็นปลีกย่อยเล็กน้อยหากแต่ทรงอานุภาพในการรบกวนจิตใจ

๔. เช่น การต้องฝ่าการจราจรติดขัดไปยังสถานที่ทำงาน ความไม่สะดวกของสภาพแวดล้อมในการทำงาน หรือประเด็นหลัก ๆ ที่ทำให้เราเกิดความสงสัยต้องถามไถ่เชิงลึกกับตัวเอง

๕. ไม่ว่าจะเป็นว่าเรามีคุณค่าเพียงพอคู่ควรกับหน้าที่ความรับผิดชอบที่ได้รับมอบหมายหรือไม่ภายหลังจากที่ได้รับคำตำหนิจากหัวหน้างาน เราเก่งและแกร่งพอหรือไม่เมื่อได้รับมอบหมายงานที่ยากท้าทาย หรือจะลดความขัดแย้งอย่างไรกับเพื่อนร่วมงานที่ไม่ถูกใจ

百花為誰開

昨日、茶道教室に参加した。床の間の軸は「百花為誰開」。この禅語の意味を茶道講師が教えてくださった。「花は誰かのために咲くのではなくて、人知れず咲いて、そして散って行くのです」

帰宅後、ネットでもう少し調べてみた。この禅語の真意は、「花は評価や感謝を期待せず、ただ自身の生命のままに無心で咲いています」、そして、禅の教えとしては、「好き嫌いや損得、執着などの<はからい=作為的な心>を捨て、目の前のことに打ち込むことの大切さを表しています」と説明してあった。

茶道は総合芸術だと言われている。高齢になって習い始めたのではあまりにも遅すぎた。だが、軸に墨書された禅語を学ぶことだけでも勉強。「無心」という禅語はあまりにも有名だが、今はの際に、「無」や「心」の漢字からも解放されるのが理想なり。

マンサクと椿

昨日(2月28日)、「アジア女性のための生け花教室」を実施した。中級レベルの生徒達に課せられた花材は、黄色い可憐な花をつけた檀紅梅と淡いピンクのストック。一方、上級者が生けた花は、紐状の黄色い花弁を有するマンサクと椿。

華道講師がマンサクの名称の由来を教えてくださった。「春を迎えるにあたって一番早く咲く花です。<先ず咲く>からマンサクになりました。万作という漢字を当てはめれば、何でも出来るイメージになりますね。豊年満作だとなおさらおめでたい」

上級者はマンサクの難しい枝ぶりと椿を見事に組み合わせて、個性豊かな作品を生け上げた。椿の漢字は「木+春」。これまた春をしっかりと主張。因みにマンサクの花言葉を調べてみると、「ひらめき」であった。今日から3月。春めく中、頭を大いに活性化させよう!