百花為誰開

昨日、茶道教室に参加した。床の間の軸は「百花為誰開」。この禅語の意味を茶道講師が教えてくださった。「花は誰かのために咲くのではなくて、人知れず咲いて、そして散って行くのです」

帰宅後、ネットでもう少し調べてみた。この禅語の真意は、「花は評価や感謝を期待せず、ただ自身の生命のままに無心で咲いています」、そして、禅の教えとしては、「好き嫌いや損得、執着などの<はからい=作為的な心>を捨て、目の前のことに打ち込むことの大切さを表しています」と説明してあった。

茶道は総合芸術だと言われている。高齢になって習い始めたのではあまりにも遅すぎた。だが、軸に墨書された禅語を学ぶことだけでも勉強。「無心」という禅語はあまりにも有名だが、今はの際に、「無」や「心」の漢字からも解放されるのが理想なり。

マンサクと椿

昨日(2月28日)、「アジア女性のための生け花教室」を実施した。中級レベルの生徒達に課せられた花材は、黄色い可憐な花をつけた檀紅梅と淡いピンクのストック。一方、上級者が生けた花は、紐状の黄色い花弁を有するマンサクと椿。

華道講師がマンサクの名称の由来を教えてくださった。「春を迎えるにあたって一番早く咲く花です。<先ず咲く>からマンサクになりました。万作という漢字を当てはめれば、何でも出来るイメージになりますね。豊年満作だとなおさらおめでたい」

上級者はマンサクの難しい枝ぶりと椿を見事に組み合わせて、個性豊かな作品を生け上げた。椿の漢字は「木+春」。これまた春をしっかりと主張。因みにマンサクの花言葉を調べてみると、「ひらめき」であった。今日から3月。春めく中、頭を大いに活性化させよう!

今日のタイ語作文

1.「サルは木から落ちてもサルだが、代議士は選挙に落ちたらただの人だ」

2.これは戦後日本の保守合同に尽力した自民党の元副総裁であった人の言葉だそうだ。

3.落選議員は次回の選挙に備えて、果たしてどのくらい忍耐力が保てるか否か?

4.食料品の無料配布に並ぶ高齢者が増えて来たというニュースはとても気になる。

5.一方、裕福な老人は我が世の春を謳歌している。人生いろいろだ。

お接待

昨日、大学時代の友人を介して彼女が所属する女子会のメンバーとお会いする機会が有った。彼女達は月に1回、元ジャーナリスト(寡夫)の家でおしゃべりをしているそうだ。その家が私の住んでいるところから歩いてたったの5分。そのうち、私も仲間に入れてくれそうな気配であった。

友人が私のことを、「四国出身で、いまだに現役」と紹介した。すると、ツアコンをやっていたという一人の女性(80歳代)がすかさず言った。「私、八十八ヵ所めぐりしたわよ」。それに対して、「八十八ヵ所、行ったことがありません。お接待する側ですから」と私は応じた。

元ツアコンさんは、「あら、一度もお接待されたことがないわ。私は板前さんがいる旅館しかとまらないから」と続けた。それを聞いて、私は心の中で思った。お接待とは求めるものではない。する側とされる側の微妙な呼吸の中にふわふわっと感じ取れるもの、それがお接待。

ดื่ม/เดิม

先日、ほんの10分ばかりタイ語の短文をタイ人講師に読んでもらい、生徒達に書き取り(dictation)をさせた。「ดื่ม(飲む)」を「เดิม(元の)」と書いた人が多くいた。文意を考えながら書くと決して間違うはずがないと思うのだが…..。

だが、待てよ。それだけタイ語の母音や声調が日本人には難しく、明瞭に区別できていないということだ。対面授業で正しい発音を叩き込んで行くしかない。訓練は何も体育系だけとは限らない。語学も訓練、訓練。

練習問題: ๑. ไกล/ใกล้  ๒. ข้าว/ข่าว  ๓. คน/คง  ๔. จีน/จริง  ๕. ชาย/ฉาย  ๖. ทอน/ทอง ๗. ต้อง/ท่อง  ๘. ไป/ไพ่  ๙. บันทึก/บรรทุก  ๑๐. ผัด/ผัก  ๑๑. โมง/มอง  ๑๒. เรียน/เลี้ยง ๑๓. สู้/ซื้อ  ๑๔. อก/ออก

今日の語彙

1.のんびりする    2.はらはらする

3.肌がひりひりする  4.ふかふかの絨毯

5.辟易する      6.包装する

7.放送する      8.水疱瘡にかかる

9.まずまずの成績  10.見かけによらず

11.むっつりする  12.面食い

ส่วนใหญ่ / ส่วนมาก

先日、生徒さんから「 ส่วนใหญ่ と ส่วนมากの違いを教えてください」という質問が有った。こういう場合、タイ人講師は答えにくい。何故なら、意識しないでその両方をしゃべっているからだ。だが、日本人はその違いの理由付けを求める。

そこで、私なりの解釈を伝えた。「ส่วนใหญ่=大部分 majority」は、「ส่วนน้อย=小部分 minority」に対応しています。 ニュースや新聞記事など、時事的な面でよく使われています。それに引き換え、「ส่วนมาก ほとんど」は、タイ人の会話でよく聞きますね。 ただし、タイ人によって使い方に癖が有りますから、一概には断定できません、と。

それから3日後、私は通訳に行った。会ったタイ人は「ส่วนมาก」しか使わなかった。そこで安堵した。やはり私の思っていた通り、会話では「ส่วนมาก」が使いやすそうであった。疑問を持った単語に対して、タイ人の使い方にアンテナを立てて、意識的に聞くのも勉強の一つである。

 

ส่

จรรโลง

先日の土曜日クラスで、タイ人講師から「จรรโลง」という単語を教わった。日本人にとって、「ร =R音」と「ล=L音」の違いが難しいという話の中で、「โรง 」と「โลง」の発音ができるか否かを生徒達に尋ねた時に、タイ人講師が「โลงศพ を発音してみてください。そうですね、จรรโลงも有ります」と言って、ホワイトボードに書き示してくれた。

「จรรโลง」という単語の意味を『タイ日辞典』(冨田竹二郎編纂)で調べると、①倒れないように支える ②支持する ③維持する ④保持する ⑤扶持する、等の意味が列挙されていた。そして、クメール語原であることも明記されていた。

これまでにこの単語に出くわした記憶が無い。有ったかもしれないが……。いずれにせよ、新たに覚えた単語が増えたことが嬉しい。

今日の翻訳

前回(2月13日)に引き続き、タイの小学校4年生向けの参考書である『กลุ่มวิชาภาษาไทย』(อ.เกื้อกูล เสพย์ธรรม他 อักษราพิพัฒน์社 พ.ศ.๒๕๓๓)の第1章の後半から出題する。

๑. มันเสียใจมากก็แผดร้องขึ้นด้วยเสียงอันดัง กระโดดด้วยกำลังแรงเข้าสู้กับเสือ มันมีเล็บยาวและแข็งแรง เสือเสียทีโดนกัดที่สำคัญตาย หมีอุ้มนายพรานแต่นายพรานลุกไม่ได้เพราะเสียชีวิตแล้ว

๒. มันจึงมีอาการเศร้าโศกร้องครวญคราง ด้วยความโกรธก็ฉีกเนื้อเสือออกเป็นชิ้นน้อยชิ้นใหญ่ แล้วรีบกลับไปบอกที่บ้านให้รู้เหตุ

๓. น้องชายนายพรานผู้ตายเห็นหมีมีขนเปื้อนโลหิตกลับมา ไม่เห็นพี่ชายมาด้วยก็สงสัย ยิ่งเห็นหมีร้องครวญครางผิดปกติ ดิ้นเสือกไปต่างๆ ทำหลายครั้งจนเข้าใจว่าคงต้องมีเหตุการณ์อย่างใดอย่างหนึ่งแน่แล้ว จึงขึ้นไปหยิบปืนแบกขึ้นบ่าไปตามหาพี่ชาย

๔. ส่วนเจ้าหมีได้วิ่งนำทางไปที่เสือตาย แล้วกลับมาดึงชายผ้าเจ้าของไปให้เห็นเสือตาย ฝ่ายน้องชายนายพรานปราศจากความตริตรอง เห็นศพพี่ชายมีบาดแผลถูกรอยสัตว์กัด จึงนึกว่าหมีคงจะกัดพี่ชายเราตายแน่ ด้วยความเขลาจึงเอาปืนยิงหมี

๕. เมื่อหมีถูกยิงก็วิ่งไปล้มตายใกล้ศพเสือ นายพรานวิ่งไปจะยิงซ้ำก็เห็นเสือจึงทราบความจริง คิดเสียดายหมีที่ตายจึงนั่งกอดศพหมีร้องไห้ จนสิ้นสติสลบไป

๖. แนวคิดของเรื่อง = ก่อนจะลงมือทำใดๆ ถ้าปราศจากการคิดเลือกค้นด้วยปัญญาตริตรองโดยรอบคอบ ก็จะนำผลความเดือดร้อนมาให้

猪谷千春氏とコルティナ

ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが開催される前、生徒達と談笑している時に、「コルティナって、イタリアのどの辺りにあるんだろう?」と、誰かが訊いた。それに対して誰も答えられなかった。

それから数日後に、偶然にもユーチューブではあるが、柳家小三治が若い時に、古今亭志ん朝と一緒にコルティナへスキーに行った話をしていた。そこで調べてみると、コルティナは1956年の冬季オリンピックの開催地であり、それに出場した猪谷千春氏がスキー回転競技で銀メダルを獲得、日本人初の冬季オリンピックメダリストとなったことが書かれてあった。

猪谷千春氏の快挙は新聞やラジオで大々的に報道された。当時(1956年)、テレビはまだ一般家庭には普及していなかった。しかし、「猪谷」という名前は9歳の私の頭にこびりついた。その時、金メダルをとったのはトニー・ザイラー。映画にもなり、格好良かった。

今月、その猪谷氏(94歳)は思い出の地であるコルティナへ行き、昔の友人達と70年ぶりに再会を果たしている。ウィキペディアで彼の人生をたどってみたが、わずか2歳から想像に絶するスキー訓練を両親から課せられていたのがわかった。