教師に教える

「タイ語中級 水曜日17:30」のクラスは生徒が2名だけである。15年前は6名いた。だが、両親の介護が始まったり、あるいは遠くに引っ越したために、皆さん、次第に辞めていかれた。残った2名のために、今でもこのクラスは存続させている。

2名のうち、一人は日本語学校で中国人に日本語を教えておられる。そして、もう一人は小学校教師だが、聞くところによると、中国人の子供がどんどん増えているそうだ。つまり、いずれも教師。ふと思った。教師(私)が教師(2名)に教えるということはなんだか変な話。

昨日、我々は退職後のことを話し合った。教師を辞めたら何をして老後を乗り切ろうか、と。悠々自適の生活? 晴耕雨読の生活? 旅行三昧の生活? 誰しもが考えそうだが、退屈が透けて見える。教師は生徒がいてこそ教師。近い将来は、互いに教師になったり、生徒になったりして、今のクラスを存続させようかしら。

優先席でぼやき続ける若者

夜中に一仕事が有ったので、朝帰りとなった。新宿で中央線から山手線に乗り換えたが、まだ朝のラッシュは始まっておらず、悠々と優先席に座ることができた。だが、隣りに座った若者がずっとぼやき続けるのには閉口した。「教育は詐欺だ、教育は詐欺だ、教育は詐欺だ」と、新大久保駅に着くまで言い続けたのである。聞いているうちに、「そうかも」と心の中で同意する私。

新大久保駅からは、彼のぼやきのフレーズが変わった。「中学も高校もだめだ。中学も高校もだめだ。中学も高校もだめだ……..」それを聞きながら、高田馬場駅から目白駅はどんなぼやきになるのか、楽しみに待つことにした。

高田馬場駅から目白駅は、「それは全く良くない。それは全く良くない。それは全く良くない」に変わった。臨席のぼやきの若者は学校で相当にいやな思いをしたに違いない。だんだん彼が気の毒に思えて来た。目白で電車を降りると、いつもの朝の通勤・通学風景があった。小学生は可愛い。彼らがすくすくと育ち、どうか傷つかない学校生活を送ってほしいと願った。

今日の翻訳

ラーマ9世の在位60周年を祝った翌年(2007年)、シリキット王妃は赤十字メダル授与式に於いて、次なるお言葉を述べられた。(出典:『คำสอนของแม่』の第2章「การสร้างความดี」より抜粋。母親団体による印刷物配布に因るため、出版元の記載無し)

๑. ผู้เทิดทูนความดี ย่อมมีคนเคารพนับถือ เป็นที่ไว้วางใจของคนทั่วไป

๒. เพราะเป็นผู้ที่ไม่มีเวรภัย ไม่เป็นอันตรายแก่ผู้ใด

๓. มีแต่เอื้อเฟื้อช่วยเหลือเพื่อนมนุษย์ด้วยความเอ็นดูสงสาร

๔. อันบารมีนั้นเป็นเกราะป้องกันตัวอย่างประเสริฐ

๕. ผู้ใดตั้งใจสร้างสรรค์ความดีโดยไม่หวังสิ่งตอบแทน

๖. มุ่งหน้าแต่จะช่วยเหลือผู้อื่นเรื่อยไปฝ่ายเดียว

๗. โดยไม่สนใจว่าจะมีใครรู้ ใครเห็น ใครชมหรือไม่

๘. ย่อมเป็นที่น่าสรรเสริญอย่างยิ่ง

三角だるま

先月、新潟から上京した大学時代の親友から、新潟中越の郷土玩具である「三角だるま」をお土産にもらった。だるまと言えば「高崎達磨」しか念頭にない。円錐形をした夫婦だるまを不思議そうに見ている私に親友は言った。「あら、知らないの? 新潟では有名よ」

郷土玩具はその土地の人達には馴染んものかもしれないが、よそ者にはピンと来ない。そこで私は思った。新潟人は宣伝が下手なのではないか? そこへ行くと、東北地方のこけしは有名。欧米人にも、そしてアジアの人にもよく知られている。

だが、待てよ。インフルエンサーがはびこっている昨今、宣伝してもらうと返って迷惑だ。何故なら三角だるまを手作りしている人はほんの一握りだから。新潟の県内だけで愛されてこそ郷土玩具の意味が有る。彼らはたくさん作って大量に売ろうとしているのではない。雪国に暮らす子々孫々に長く愛されたいと願っているだけであろう。

注:12月13日の投稿を公開するのを忘れていましたので、今日は2日分、連続投稿します。

ขยับという動詞

「タイ語中級 火曜日10:30」のクラスで、「ขยับ 場所を動かす/ずらす」という動詞が話題になった。そこで、私は卑近な使い方を参考までに挙げた。「電車やバスに乗った時、あるいは待合室で、もう少し詰めればもう一人座れるような場合、ちょっと詰めてもらえませんか? とそっとお願いする際に使えますよ」、と。

今年9月中旬から新しいタイ人講師を迎えた。彼女に生け花教室への参加を促すと、気に入ってくれたようで、華道講師の指導を素直に受けている。彼女は目を輝かせながら言った。「ขยับกิ่งไม้นิดหนึ่งก็สวยขึ้น 枝をちょっと動かしただけで美しくなる!」

私は彼女の口から「ขยับ」という動詞を聞いて、使い方の勉強になった。タイ人が自然に使う動詞こそが生きた動詞だ。テキストを翻訳するためにすぐに辞書を引いたり、翻訳アプリを使うのはなるべく控えよう。タイ人の口から発せられる生きた動詞をしっかりと聞いて、すぐに応用することが肝心なり。

今日のタイ語作文

1.健康は自分にとって宝である。

2.月1で医者に会い、治療に関する助言をもらおう。

3.肉と魚を交互に食べ、どちらか一方に偏らないようにしよう。

4.暴飲暴食さえやめれば健康改善は進む。

5.とはいえ、寿命は人によりけり。悔やまないで、明るく生きよう。

四半世紀前の雑誌

どうにか平常なる生活に戻った。退屈である。机の下に積読されている雑誌。手に取ったのは『オール読物』(文藝春秋・2001年3月号)であった。表紙に「第124回直木賞決定発表」と書いてある。おそらくそれに惹かれて買ったにちがいない。

折りたたんでいる目次を開く。作家の名前に次から次へと目を移すと、今では鬼籍に入られた方がいっぱい。例:井上ひさし、黒岩重吾、田辺聖子、津本陽、平岩弓枝、渡辺純一、他。驚いたことは、この本のトップを飾っている栄えある直木賞受賞者の山本文緒さんまでもが2021年に亡くなっていることだ。

目次の広告に目をやると、「伊佐須美神社」という知らない神社がPRされている。「東北でも有数の格式を持ち、祈りの国・会津の文化と精神のふるさとです。美しい会津路を辿って、この心の聖地へ、あなたも、旅をしてみませんか」

人様(ひとさま)には寿命有り。作家とて、命短し。だが、神様は永遠。目次に描かれた神社の奥殿におわします神様に合掌し、長寿の恵みをとお願いした。

今日の語彙

バンコクの区名は50区有る。そのうちでよく聞く区名を14区、書いてみよう。カタカナ表記では有気音・無気音、短母音・長母音、母音(例:เอ /แอ/เออ/อู/อือ/โอ/ออ 等)、そして、末子音のn/ngが不明瞭であることを了解しておいてほしい。

1.バーンカピ区      2.バーンケーン区

3.バーンナー区      4.バーンラック区

5.バーンスー区      6.バーンコークヤイ区

7.チャトゥチャック区   8.ディンデーン区

9.パヤータイ区     10.ワッタナー区

11.クロントイ区    12.プラカノーン区

13.パトゥムワン区   14.タリンチャン区

味の有る人

昨夜、「ねりま演劇を観る会」主催の『猫、獅子になる』(劇団俳優座 公演)を観劇した。若い劇団員達が一所懸命に演じていたのには好感が持てた。だが、やはり何と言っても岩崎加根子さん(93歳)の存在感。劇団俳優座の第一期生(1949年)として、今日まで現役である。台詞も明瞭。味の有る女優として、舞台にいぶし銀のオーラを放っていた。

ところで「味」という漢字だが、「口+未」から成る。不味いものを食べれば、その日一日、気分が悪い。それを帳消しにするために、もっと美味しいものを探す。よって、今日よりも明日、明日よりも明後日が待たれる。 

人との出会いも然り。「味の有る人」、「味わい深い人」に出会えると、とても気分がいい。参考にしたいなあ…..。そう思うことで、自らの味を少しずつ高めていこう。

針供養

昨日(12月8日)は日本の歳時記によれば「針供養」の日であった。「針供養」と言えば、蒟蒻に針を刺し、使い終わった針に感謝する。そして、裁縫の腕が上がるように願う日である。世の中、ユニクロ一強だが、手縫いの仕事は何としてでも残して行きたいものだ。洋裁の専門学校も頑張って生き延びてほしい。

先月のタイ旅行で王宮へ行った時、タイ女性の喪服姿を千人以上見た。ほとんどがオーダーだ。ファッション界をリードされた元王妃とのお別れ故に、参列者達はきりりと背筋を伸ばし、タイ式の喪服が似合っていた

バンコクで会いたかった女性がいた。それはブティック経営のピムさんだ。オリエンタルホテルのアフタヌーンティーの後、彼女の店へ寄ってみた。8年前は彼女が不調で不在であったが、今回は再会を果たした。店内は全く変わっていなかった。18歳でお針子になり、営々と頑張った結果、68歳の彼女は今ではたくさんのお針子を抱える経営者となっている。