昨日の授業で、「เวลาท้องถิ่น 現地時間(ローカルタイム)」というタイ語をタイ人講師が教えた。講師はさらにあと二つのタイ語、すなわち、「อาหารท้องถิ่น 郷土料理」と「ภาษาท้องถิ่น 方言」を白板に併記した。
一つの単語を習ったら、もう少し頑張ってあと二語増やす。そうすれば語彙力が増す。上記の場合は、「ท้องถิ่น 郷土、地域」という意味合いが共有されている。是非とも覚えていただきたいと思って、生徒達に何度も発音させた。
タイ語には、地方、郷土、田舎、ど田舎、を表す単語が多々ある。しかし、使い分けが有るので、やはり表現として組み合わせて覚えることをお勧めする。
そのためには教室で地道に勉強したり、あるいは多くの文章を読み、感覚的に納得していかないとなかなか覚えきれない。どんな立派な辞書であれ、引いたその時だけはわかったつもりになるが、使い分けまで体得するには相当の時間を要する。
今日のタイ語作文
1.今朝、WIMAXのポケットが見つからず、PCが使えませんでした。
2.昨日はゴミの日だったので、あやまって一緒に捨ててしまったと思いました。
3.しかし、昨日、ゴミ出しをしてからブログを書いたので、ポケットは絶対に部屋の中に有るはずだと考え直しました。
4.いよいよ出かけようとしている時に、バッグの中から出てきました。
5.どうやら、化粧道具と間違えて、バッグの中に入れてしまっていたようです。
てんかん&ひきつけ
通訳の仕事をしていると、病名をタイ語や日本語に訳さなければならない場面が有る。先日、てんかん(癲癇)の既往症があるタイ人(日本語ペラペラ)に会った。てんかんを<โรคลมบ้าหมู>と訳すと、彼はすかさず否定し、「ชัก」と言った。私は内心で思った。「ชักはひきつけだけどなあ…..」
ネットで「てんかん・ひきつけ・けいれん」の違いについて調べてみたらいろいろと書いてあった。「てんかんは脳に起源をもち、不随意な筋肉の収縮のほか、意識消失や音、光、臭いを感じる発作など種々の症状を含む。一方、ひきつけ・けいれんは、発生源を問わず手足、体の筋肉に起こる不随意な収縮である」
タイ人に<てんかん>と<ひきつけ>の相違点を医学的に理解させようと思っても無理だ。日本人でも説明に窮するのだから….。
貪瞋痴
今朝のNHK番組「こころの時代~宗教・人生~」は、「原発にあらがい続けて~早川篤雄 福島からの伝言」(再編集による放映)であった。早川氏は僧侶だが、福島に原発立地案が起きた時から反対運動をして来られた方だそうだ。失礼ながら私は存じ上げなかった。昨年末お亡くなりになられたので追悼番組となっていた。
早川氏の言葉の中に、「貪瞋痴(とんじんち)」という仏教用語が有った。貧=むさぼり、瞋=いかり、痴=おろかさ、を意味し、人間のもつ根源的な3つの悪徳だそうである。
また、彼は「懺悔(さんげ)」についても静かに語った。キリスト教では「懺悔=ざんげ」だが、仏教用語では「さんげ」と読むことも初めて知った。
昨日は東日本大震災から12年を経たということで、福島市で記念追悼式典が行われ岸田首相も参列。相変わらず側近に書かせた通り一遍の追悼文を読むだけ。出席したという記録だけを残しても全く意味が無い。
今日の翻訳
『สวยด้วยสุขภาพ』(รัชนี มหาคำ編集 สำนักพิมพ์สื่อปัญญา刊 発行年不記載)から出題する。
1.กีฬาเป็นกิจกรรมอย่างหนึ่งที่มนุษย์คิดขึ้นเพื่อเป็นสื่อในการออกกำลังกาย
2.ซึ่งมีทั้งกีฬาประเภทบุคคลและกีฬาประเภททีม และประเภทที่เล่นกันในร่มและเล่นกันกลางแจ้ง
3.ซึ่งผู้เล่นสามารถที่จะเลือกกีฬาเพื่อเป็นการออกกำลังกาย เพื่อสุขภาพตามที่ตนเองถนัดและสนใจ
4.กีฬาบางชนิดเล่นกันโดยไม่มีการปะทะ ได้แก่กีฬาที่ใช้ตาข่ายกั้นกลาง
5. เช่น แบดมินตัน เทนิส เทเบิลเทนิส ตะกร้อ วอลเลย์บอล เป็นต้น ซึ่งเหมาะแก่การออกกำลัง
6.นอกจากนี้ก็เป็นกีฬาที่มีการปะทะ เช่น ฟุตบอล บาสเกตบอล และแฮนด์บอล เป็นต้น
7.ซึ่งถ้าจะเล่นเพื่อเป็นการออกกำลังกายก็ไม่ควรเล่นหักโหม และไม่เป็นการแข่งขันเอาจริงเอาจังมากเกินไป
忘れ物
一昨日の朝、都電(さくらトラム)に乗ると、先頭の席に幼稚園児が座らずに立っていた。運転手のすぐ後ろだから、坊やの気持ちはよくわかる。近くにパパがいた。そして、東池袋駅に着くと、パパが息子をせかし、二人はあたふたと降りて行った。
すると、80歳代の老人が乗車して来て、すかさずその場所に座ろうとした。何故ならばそこは優先席であったから。しかし、老人は席の下から幼稚園児の袋物を発見。どうしたものかと迷っていたが、ついに運転手に差し出した。
運転手は中から絵本を取り出しながら、こう言った。「最後に発見された方ですから、一定期間が経てば、あなたのものになります。どうなさいますか?」 もちろん、老人は首を横に振った。
一連の光景を傍観しながら、なんだかお話が書けそうな気がしてきた。パパと坊やは忘れ物に気がついて、今頃慌ててるだろうなあ…..。そして、帰宅するとママに叱られるだろうなあ…..。
偽/似非/捏造
昨日、スマホを切った状態で仕事をしている時、「にせ」を漢字で書こうとして、果てと困った。書き間違えてはいけない場面だったので、ひらがなで書いた。
今朝、ニュースを見ていると、「偽情報」という漢字が画面に現れ、アナウンサーはこれを「にせじょうほう」と読んでいた。ということは、「にせ」=「偽」。
類似した表現で、「えせ=似非」も有る。そして、贋作の「贋」も偽りである。
最近、またまた「捏造」という言葉が政治の世界で飛び交っているが、テレビでは「ねつ造」と表記している。「捏造(ねつぞう)」と書いてくれたほうが漢字の勉強にもなるし、深い意味が伝わってくる。
いずれにせよ、常に漢字を意識しないと、いざという時に書けず、ひらがなで書いて逃げてしまう。ああ、幼稚だ。
今日の作文
1.昨日、バス停のそばの植え込みの低木を足で踏みつけ、枝を全部、折っている老人を見た。
2.私はただ傍観するだけであった。
3.何故ならば、罵倒されるかもしれないし、暴力をふるわれるかもしれないからだ。
4.私はバスに乗るのをやめて、すぐにその場から去り歩くことにした。
5.彼は何故、そのような行為に及んだのであろうか?
กิจวัตร(日課)
使用しているテキストに「กิจวัตรประจำวัน(日課)」という表現が出て来た。กิจ(仕事)+ วัตร(勤行 ごんぎょう)+ ประจำวัน(一日に決められた)」からなる組み合わせだが、ประจำวันを省いても、意味は変わらず「日課」である。
กิจはธุรกิจ(ビジネス)で馴染んでいる単語だが、ここではお金とは関係のない行為としての「つとめ」である。そして、วัตร้は表記からしていかにも仏教的なおもむきを感じさせるパーリ語起源の単語である。「なすべき仕事、義務、品行、遂行」という意味が辞書には出ている。
いずれにせよ、日課(ルーティーン routine)を決めて、それを着々とこなしていくことができるということは幸せだ。日々、仏前で読経し、勤行(おつとめ)を果たしているに等しい。お金を稼ぐだけが勤めではない。遊行期に達したならば、自分に見合ったกิจวัตรを静かに遂行するのみである。
ヒメリュウキンカの花言葉
昨日、茶道教室の床の間に知らない花が生けられた。花の名前がわからない時は、それを写真に撮り、グーグル検索をすると回答してくれる。結果は「ヒメリュウキンカ」。長くて覚えにくい。
漢字表記を見ると「姫立金花」。漢字だとイメージしやすい。だが路傍に咲いている花だから、何だか妖しい感じも無きにしもあらず。中国や日本では、黄色い花には「金」の漢字があてられることが多い。小さい花でも「黄金」なのである。
ところで、この花の花言葉が素晴らしい。「会える喜び」、「あなたに会える幸せ」だそうだ。親戚、友人、知人に会うまでに、ゆるんだ顔の筋肉をアップし、明瞭なる発声ができるように、しっかりと鍛えておこうではないか。
