波照間島の黒糖

昨日、近所の鮨屋へ行くと、デザートに葛きりを出してくれた。葛きりには黒蜜がかかっている。
 「お客さんがいつも波照間島の黒糖をもって来て下さるので、うちで黒蜜を作ってお出ししているんですよ。黒糖は波照間島のものが一番ですって」と、大将の奥さんが言った。
 帰宅後、何気なく手に取った本は、『海人 うみんちゅ』(戸井十月著 双葉社刊 1994年)。読んでいると、偶然にも波照間島が出てきた。
 「波照間島に着く頃、海がコバルトブルーに輝き始めた。五郎の船は、島を左に見ながら這うように南西に進む。西側の海底は浅くて珊瑚礁が入り組んでいる。潮の流れと海底の地形から考えて、船が座礁しそうなポイントが多い」
 ところで、作者の戸井十月氏だが、元生徒さんが経営していた新宿御苑前のバーでお見かけしたことがある。喋ったことはない。2度目に彼を見たのは、そのバーの経営者、即ち、元生徒の葬儀の時であった。葬儀委員長をしておられた。
 だが、その彼も昨年の夏、旅立ってしまった。オートバイで五大陸を制覇した彼。男らしい生きざまを貫いたと聞く。

二ホンウナギ

「駅のマーケット街は、まだ闇市だったので、車など入れない歩行者天国は、すれちがう人々が互いに遠慮し合うほど混みあっていた。さつま揚げ屋があり、魚屋があり、八百屋があり、とりの餌屋があり、古着屋があり、しかも、それらの店は、うすい板ばり一枚でつながっていた。一つの店をのぞきながら、ほかの店のありさまを眺めることも自由だった。老人夫婦だけが働いているうなぎ屋さんもあった。女房は、その店とはいえない店の中に坐って、八十円のうなぎ丼をたべることが、無上の幸福だった。のみこむようにして瞬間的たべ終わったあと、まる一日ひと晩は上機嫌でいられた」
 この文章は、『目まいのする散歩』(武田泰淳著 中公文庫刊 昭和53年)の中から抜粋したものである。戦後の荻窪駅周辺の描写だ。
 ここ数日、二ホンウナギの絶滅危惧の話がニュースで取り上げられており、美味しい鰻が食べられなくなるかもしれないと言われ出したので、少々あわてている。早く食べておかなくてはと…..。
 だが、あまりにも高くなりすぎた鰻とはすでにもうかなり距離を置いている。医者からも美味しいものは食べ過ぎないようにと注意されていることだし…..。
 それにしても、うなぎ丼が八十円? 今はランチでも1600円するから、20倍だ。戦後の闇市時代に戻りたい。

四時に用事があります。

 先日、タイ人に日本語を教えていると、「四時」と「用事」の発音の違いがわからないと言われた。それではと思い、「四時に用事があります」という文章を何回も聞かせたが、やはり違いが聞き取れないそうである。日本人にとってみれば、単に短母音と長母音の違いだけだと思うのだが、発音がむずかしいらしい。
 たしかに、タイ人は、「おじさん」と「おじいさん」、「おばさん」と「おばあさん」をよく混同している。
 「四」の字は、数字としては「よん」で習うから、「四時」のことを「よんじ」と発音するタイ人が多い。「<よじ>ですよ」と教えてあげてもわからない。ついには、「<よん>と読む場合と、<よ>と読む場合の区別を教えてください」という質問がきた。
 だが、こればかりはケース・バイ・ケースだから、自然になじむしかない。たくさん発音して、直されながら覚えていくことだ。
 最近、独学をしているという方からメールで質問があった。似たようなタイ語の発音の違いがわからない、どうすればいいか、というお悩み相談だが、メールで回答するとますますわからなくなるのを危惧して、回答は避けた。タイ語の単語をカタカナ書きすると、もはや単語の違いは見えなくなり、より一層、悩みが増すだけだからだ。

便利な場所にある泰日文化倶楽部

今月から、「タイ語入門 月曜日19:30」と、「タイ語入門 木曜日19:00」の2クラスを開講した。生徒達に泰日文化倶楽部を選んだ理由を尋ねると、一人の男性がすかさず答えた。
 「会社も自宅も東西線の沿線にありますから、高田馬場は乗り換えなしで来られて、とても便利です」
 すると、隣りに座っている女性が、「あら、私も東西線です!」と応じた。
 継続クラスの中では、東西線から中央線に乗り換えて荻窪や三鷹へ帰る生徒、東西線から総武線に乗り換えて船橋や千葉方面へ帰る生徒が何人もいるが、いずれも皆、通学はラクそうである。
 さらに追加すると、西武新宿線の沿線に住んでいる生徒も多々おられる。いずれも皆、ラクラク通学で、通いやすいと言う。
 生徒の一人は茗荷谷に住んでおられるが、彼はいつも歩いて来られる。江戸川橋、早稲田を通過すれば、もう高田馬場は視界範囲なり。なるほど、健康促進のために歩いて通学するのもいいことだ。
 1年半前まで習っていたスイス人も初台の家まで1時間かけて歩いて帰っておられたことを思い出した。
 歩きながら自分だけの世界に入り、タイ語の単語や文章を暗唱する。これ、お勧めです!

世界最高齢男性の百井盛氏

昨日のニュースで、埼玉県在住の百井盛氏という111歳の男性が世界最高齢の男性になられたことを知った。この方のお名前を見て、「なんとまあすばらしいお名前ですこと!」と思う。
 姓の百井であるが、「百」が入っているから、百歳まで生きられるのは当然だ。「井」は、「二」と「||」から構成されているとするならば、横から読んでも、縦から読んでも、「11」である。よって、百田氏は、111歳まで生きる強さを持っておられると私は分析する。
 彼のことをネットで調べると、高校の校長先生をしておられたそうだ。「生徒がなかなか集まらなかった高校を105名の定員までもっていき、405名の志願者があった」ということで、今でもこの2つの数字はしっかりと覚えておられるそうである。
 そして、百井氏は、中国古典を2000冊、蔵書しておられ、それらの一節を諳んじることができるとのこと。語学を教えている私としては、ここに彼の長生きの秘密を見た。

「這う」というタイ語

タイの小学校の教科書を読んでいると、動物(人間を含む)の行動に関する動詞がたくさん列挙されている。その中で、「這う」という単語に興味を覚えた。
 ①人間、カメ、ワニなどのように、手足を使って「這う」のは、คลาน ②ヘビやミミズのように手足が無い動物が「這う」のは、เลื้อย。爬虫類のことは、สัตว์เลื้อยคลาน。
 このように何が這うのかわかっていれば、単語の選択は容易だが、もしも「這う」という単語を「日・タイ辞典」でさがすとするならば、果たして、単語の選び方まで丁寧に説明されているのであろうか?
 よく生徒から聞かれる。どの単語を使っていいのかわからないので、用例が欲しい、と。しかし、いちいち用例を書いていると、1冊の辞書ではおさまらなくなる。そして、ものすごく高いものになる。
 話はそれるが、「這う」という漢字、なかなかに興味深い。シンニュウに「言」という文字が乗っている。言葉の勉強も、這うが如く、ひたすら「道」を進んでいくしかないのであろう。

言葉はいろいろな教師に習いましょう!

昨日、タイ人が午後4時から6時まで日本語を習いに来た。第8回目であったので、「タイ語中級 土曜日14:00」のクラスの生徒達3名に頼んで、30分ばかり会話の相手をしてもらった。
 タイ人はだいたいは聞き取ったが、20%、聞き間違いがあった。すなわち、答えがトンチンカンであった。それでも、知らない日本人としゃべることに次第に慣れていく様子がみられ、私の目的は叶った。
 何故ならば、語学教師というものは、分かりやすい日本語で、ゆっくりと話そうとするが、街中で聞く日本語はそんなものではない。実に速い。それに、同じ意味の単語でも、人によって、どの単語を使うか異なる。使い方の相違理由など、あまり関係ない。
したがって、出来得るならば、一人の教師にずっと習うのではなくて、いろいろな教師に習うことをお勧めする。
 タイ語も然りである。タイ人は自信を持って自分の意見を言うが、言葉の習得は育った環境にある。いろいろなタイ人講師に習うと、習った内容にバランスがとれてきて、なかなかによいタイ語力がつくものだ。

イタリア留学中のN子さん

今朝5時前にラインのピンポンが鳴った。こんな時間にラインを送ってくる人はいないので、一体誰かしらと開いてみると、今年の3月からイタリアへ行った大学生のN子さんからであった。
 「イタリアはシエナからこんにちは!! Sabaai dii mai kha? Chan sabaai sabaai thii Siena. Rian phaasaa-Italy maak maak kha. 自分のイタリア語力の無さにときどき悔しくて泣きたくなるときもありますが、憧れていた国で憧れていた言語を勉強することができて毎日とても幸せです。
 いまとなってはイタリア語以外の外国語は、ときどきクラス名との中国人に中国語の練習相手になってもらうぐらいで、英語もほとんど忘れてしまったほどです!帰国したらタイ語はまた復習するつもりです。ごめんなさい」
 彼女は<シエナの通学路です>と言って、写真も送信してきたが、いやもうびっくり。紀元前に戻ったかのような景色である。これは是非とも行って見てこなくては…。
 彼女のラインの用件は、学友がインターンシップを利用して、目下、タイの日系企業で働いており、タイのことでいろいろと聞きたいことがあるので、私を紹介しましたから、宜しくというものであった。

ペンネームのつけ方

昨日、『世捨て人のすすめ』(ひろ さちや著 実業之日本社刊 2014年)を買って読んだ。ひろ さちや氏の文章は平易だから実に読み易い。
 カバー、及び、奥付に彼のペン・ネームの由来が書かれていて、興味をそそられた。「ひろ」は、ギリシア語で愛するを意味するphilo(フィロ)、そして、「さちや」は、サンスクリットで真理を意味するsatya(サテイヤ)の造語だと知り、洋の東西の総本山をなす言語の両方をうまく取り入れているなあと感心した。
 てっきり、「広 幸也」をひらがなで書いたものと思っていただけに、このペンネームの荘厳さをあらためて知った。
 作家や文章家でない限り、ペン・ネームは不要だ。使う機会が無いからだ。だが、普段とは異なる自分をもう一人持つには、ペン・ネームをつけて、しかも、ギリシア語、ラテン語、あるいは、サンスクリット、パーリ語から命名すると、思索的な自分を見つめることができそうだ。

フランス語講師のヴァカンス

昨日、フランス語講師から、6月下旬から8月中旬まで、ヴァカンスで帰国するので、フランス語クラスはお休みにさせてほしい旨が告げられた。
 それを聞いて、「ああ、ヴァカンスね。欧米人は休暇をたっぷり取るものね」と、内心、うらやましく思った。
 日頃は予習も復習もしないまま授業に出ている状態なのに、授業がしばらく無いことを知ると、急に勉強したくなる。実にあまのじゃくだ。
 フランス語講師はスペイン女性である。彼女のご実家はスペインの島だと聞いて行ってみたくなった。マヨルカ島の近くの島だそうだ。インターネットで調べてみることにしよう。
 いずれにせよ、人間にはヴァカンスが必要だ。ヴァカンス(vacances)で、心を空白(vacant)にしたい。