昨日は自宅にこもり、『青雲の翳』(竹原素子著 鹿砦社刊 1984年)を読んだ。この本は私の親友から「叔母が書いた本です」と言って、30年も前に贈呈されていた本であるが、失礼ながら、積読コーナーにおさまったままであった。
これは明治17年(1884年)に茨城県で起きた「加波山事件」をテーマにしている。これまで茨城県に関心を持っていなかったが故に書棚の中を行ったり来たりしていた。
ところが、タイ語の生徒達に茨城県在住の方達が増えてきたこと、そして、昨年、北茨城の方まで遊びに行ったことがきっかけとなって、この本をやっと読む気になった。
著者は「あとがき」に、「主婦である自分が茨城県の史料を書き写す仕事をする中で、加波山事件に関与した青年達の熱き意志を感じ取り、小説として書き残したかった」ということを書いておられる。もともと作家志望であった彼女ではあるが、史実を収集するために足を使って関係者に聞き書きする姿勢たるや、ものすごく精力的である。
史料を手で書き写すということは、事件の関係者の思いが伝わってきて、次代の人々を目覚めさせてくれるようだ。
歌碑 「山吹の里」
昨日、授業後、早稲田の古本屋街へ行ったが、一軒たりとも開いていなかった。一軒くらい開けておいてくれればいいのに….。
そこで、我が家に向かった。面影橋を渡ると、「山吹の里」の歌碑が有った。他の場所から移設してきたもののようだが、いずれにせよ、その辺りは昔、鷹狩りが行われており、徳川家の方々が遊びに来ていたところだ。
太田道灌にまつわる「山吹の花」の伝説は各地数か所に残ってはいるものの、鎌倉街道があった豊島区高田にも、同じように残っている。貧しい家の娘に蓑を借りようとしたら、山吹を一枝差し出され、それが和歌の一部からとったことをあとで知った太田道灌が、それ以来、和歌に目覚めたという話である。
今はコンピューターにより情報があっというまに世界中に届くが、その情報は下水の如く流されていくだけ。
昔から鎮座する歌碑は多くを語りはしないが、どっかりと腰を据え、その存在感たるや子々孫々まで続く。
特別講座 「絶対に通じる旅のタイ語」
昨日、特別講座「絶対に通じる旅のタイ語」を開催した。参加者は、火曜日19:00と20:30の初級クラスで学んでいる生徒達ばかりであった。彼らは通常、夜の授業が終わると急いで帰る。一緒に食事をしたことが一度もないそうだ。したがって、この特別クラスに参加後、私も交えてタイ料理を食べに行くことになっていた。
さて、特別クラスの授業だが、「~へ行きたい」ということで、地名や場所を言わせたが、タイ人講師は、「その発音じゃ、行けませんよ」とか、「ウーン、微妙」とか言って、OKサインは出さなかった。
一人の生徒が、「シェラトン・ホテルはどう発音するのですか?」と尋ねた。タイ人講師は「シュラタン」に近い発音表記を白板に書いた。タイ語では、外国語の末子音は「3声」で発音する傾向があるので、声調もしっかり付けて発音しないとタイ人には通じない。
いずれにせよ、生徒達の発音はまだまだであった。これでは、「絶対に通じる旅のタイ語」ではなくて、「絶対に通じない旅のタイ語」になってしまった。
そのほかにも、タイ料理のメニューを発音する時間をもった。そして、授業後、教室の近くにあるタイ料理店へ行き、タイ人のウェイトレスに話しかけるようにさせたが、肝心のタイ人が日本語でしか応答せず、がっかりした。彼女は日本語を覚えたいのであろう。その気迫だけは感心した。生徒達もその精神を学んでほしい。
美しい声のフランス人男性
今朝、フランス対スイスの試合を見た。見ごたえのある試合であった。
ところで、泰日文化倶楽部で開講されているフランス語の授業は3ヶ月の休みに入った。テレサ先生が家族と共にヴァカンスでフランスに帰られるからだ。
最後の授業は、これまでに習った構文を用いた文章がどれだけ聞き取れるか試された。内容は、テレサ先生の御主人の1週間における生活に関するものであった。スマホに録音してきた声の持ち主は、もちろん御主人の声。その声がなんとも落ち着きがあってすばらしかった。我々生徒はまずその声にしびれてしまった。声だけでも恋こがれていれば、フランス語の勉強がはかどるような気がしてきた。
テレサ先生は、息子さんの声も吹き込んできて聞かせてくださる。一家をあげて、フランス語の授業に協力してくださっているかと思うと、非常に嬉しい。メルシー・ボク!
ギリシャ語 vs タイ語
ギリシャとの戦いは引き分けで終わった。私の恩師の松山納先生が授業中に次なる話をされたことが思い出される。
「東大の言語学科で専攻の言語を選ぶ時に、人があまりやらない言語を専攻したらどうかねと、先生に言われたんだよ。たとえば、国の名前に<シャ>がつく言語をね。ギリシャ、ペルシャ、そして、シャムの中から選ぶといいよ。そこで、僕は考えた。ギリシャもペルシャも日本からは遠い。残るはシャム。そうだ、シャム語にしよう」
松山先生の時代は、タイではなくて、シャムと呼ばれていた時代だ。
通訳・翻訳会社である吉香から、「吉香ニュース 6月号」がメール配信されてきた。その中で募集されている言語は以下の通りである。スペイン語、ポルトガル語、タイ語、ギリシャ語、オランダ語、そして、広東語。
ギリシャ語の翻訳は、おそらくワールド・カップと関連があること間違いなし。
ラオス在住のNさん
マリンメッセ福岡で開催された「インターナショナル・ギフト・ショー」に参加していたアジア・アフリカ雑貨店の店主Y子さんが東京に戻って来られ、昨日、みやげ話を聞く機会があった。
このショーにはラオス在住のNさんと一緒に出展された。Nさんはベトナム経由で福岡入りをしたとのこと。ハノイと福岡は4時間のフライト。とても近く感じたそうだ。
ところで、Y子さんからいつもNさんの話が出るので、旧知の間柄のような気がするが、実は一度もお会いしたことがない。「Nさんはラオスで何をしているの?」とY子さんに尋ねたところ、彼女は次のように答えた。
「シルクの店でお手伝いをしています。ほかにいろいろとやっていますが、日本のおじさんで、地雷撤去の仕事をしている方がいて、その方に頼まれて翻訳なんかもやってますよ」
それを聞いて、私はすかさず言った。「その方、もしかしてW氏じゃありませんか?」
Y子さんはLINEでNさんに問い合わせてくれた。そして、わかったことは、やはり私が知っているW氏であった。
W氏とは43年来、年賀状を交わしている。43年前、一緒にタイ語を勉強した仲間である。
Y子さん曰く、「インドシナはつながってますね」
喋る仕事 喋らない仕事
最近、会計の仕事をしている女性達に会う機会が偶然にも3度も有った。「会計の仕事は一生、続けますか?」と同じ質問を投げかけたところ、いずれも皆、否定した。理由を聞くと、数字との格闘はいやだそうだ。
一人の女性はこう答えた。「1円でも違うとだめですからね。数字とのにらめっこで、対話というものがありません」
それを聞いて、声を出す仕事はいいなあと思った。特に、語学教師は90分、喋りっぱなしである。そういう意味では、全く退屈しない。2時間でも3時間でも、いや10時間でも喋り通す自信がある。
しかしながら、対面販売の方達が接客する中でストレスがたまるが如く、教師というものも、結構、ストレスを感じる職業だ。その日のストレスを翌日まで引きずらないようにしないといけない。休日などは、何もない部屋で誰とも喋らない時間を持ちたいと願う。
喋らない仕事もいつか飽きがくるであろうが、喋る仕事も、それが度を過ぎると人間性が安っぽくなる。中庸で行くに越したことはない。
ホット・カーペット
泰日文化倶楽部では11月から4月まで、ホット・カーペットを使用し、女性の生徒達のために大サービスをしている。今はそれをくるくると巻いて、まるでギリシャ建築のエンタシスの如く壁に立てかけている。
先日、電気メーカーから封書が届いた。「貴宅のホット・カーペットの部品に不具合が発見されました。製品番号を確認したいのでお知らせください。交換に伺わせていただきます」、という内容であった。
最近は購入品に関して、どこの誰が何を、いくらで、いつ買ったかまですべて把握され、コンピューターにインプットされているのは知っているが、7年前から使用しているホット・カーペットもちゃんと記録に残っていたわけだ。
書状には、すでに引っ越した方、破棄した方、あるいは、製品を譲渡した方もおられるかもしれないが….という文言もつけ加えられていた。追跡できない場合は一体、どうなるのであろうか。火事でも発生したら大変だ。
すべての個人情報が握られているということは、危険でもあるが、安全でもあるということ?
真理さんの句集
今年4月1日、チェンマイ在住の坂本真理さんが泰日文化倶楽部を来訪。その際、贈呈されたのが、『滑走路』(坂本茉莉句集 ふらんす堂刊 2013年8月)。
頂戴した時から、私には緊張感が走った。私が一番、心が穏やかな時に拝読しなければ失礼にあたると思った。しかし、4月と5月はきわめて多忙であり、心ここにあらず……。
昨日、すべての邪念をはらって、彼女の句集を読ませていただいた。森羅万象と仲良く遊んでおられる真理さんはなんと可愛い女性であることか! ペンネームは「茉莉」となさっておられるが、いずれの句にも、真理さんの心の中に「真理」を見た。
真理さんは在タイ27年と聞く。句歴が長い彼女。透徹した眼。彼女の一句一句に彼女の生き方が光っている。いずれの句も秀逸だが、私は次のニ句を面白く思った。
政争の尽きざる国の銀河かな
野良犬の覗きこみたる夜学かな
異業者パーティー
昨晩、日頃から大変にお世話になっているS氏の誕生日パーティーが有った。通信関係会社の社長、インテリア関係のカップル、会計関係のカップル、介護士、そして、私の7名がS氏のお祝いをした。
世の中に異業種交換会という催しがあるが、そのような会には興味が無い。ビジネス・チャンスを狙う気持ちが無いからである。
ところが、昨晩の会合は互いに親しく話すことができて非常によかった。ビールとワインを飲む速度が速すぎたので、「皆さん、チヤーチャー(ゆっくり)ね」と、私が言うと、全員がタイ語に興味を覚え、「チヤーチャー(第4声)」と面白がって物真似をした。だが、次第に声調が抜けていき、「チャーチャー(第1声)となり、「お茶、お茶」になってしまった。
昨晩の参加者の中で、熊本県出身の介護士に注目が集まった。いかに大変な仕事であるか、そして、いかに低賃金であるかということが、彼女の口からではなく、社長から説明があった。
だが、「火の国 熊本」から上京した彼女は明るくて、はきはきとした口調で気合いたっぷり。地方から東京に来て、ひたすら頑張っている女性を見ただけで、昨晩は刺激をもらった。49年前の自分がそうであったから。