昨日、個人レッスンを希望される新しい生徒さんが教室に見えた。彼女の希望は日曜日。タイ人講師達は日曜日は遊びに行きたいので、講義の依頼は遠慮している。
まず授業の冒頭、タイ語を習いたい目的を尋ねると、彼女が働いている会社がバンコクにも支社が有り、ビジネス上、タイ語が必要だとのこと。社長(中国系マレーシア人)が彼女を顧客に紹介する時、「タイ語が話せるんですよ、この女性は」と断定してしまったそうだ。横で聞いていた彼女は、ものすごいプレッシャーをかけられたと思い、あわててタイ語を勉強することにしたという次第。
教え始めてすぐにわかったことは、全くの初心者ではなくて、他校でタイ語の基礎を修めていたということだ。8年前に習ったにしては、よく覚えている。母音を発音する時の口の開け方の違いを指摘し、無気音と有気音の矯正をしただけで、発音はかなりよくなった。ヒアリングの能力も有り、タイ文字も読める。大変に教えやすい生徒さんだ。
最近、入社した会社がタイと御縁があるということで、彼女のタイ語力が目覚め始めた。8年ものブランクは、一気に解消した。
奇遇
昨日、「第87回アジア女性のための生け花クラス」が実施された。無料開講してからすでに7年半になる。参加される方がいろいろと変わるのは致し方がない。世の移り変わりと同じ…..。そうとらえている。
ところで、昨日は参加者が少なかったので、タイ語の生徒さんに声をかけたところ、昨年10月から勉強に来られているKさんが参加したいと申し出た。
私は昨日4時からタイ人に日本語を教える仕事が入っていたので、生け花クラスを途中退場したのでその後、何があったかは知る由もない。だが、同じく参加されたHさんから、ラインが来た。「華道講師の御主人と、K子さんのお父様が親友だったそうですよ」
それを聞いて奇遇だと思った。帰宅後、華道講師に電話をして、いろいろと話を聞くと、K子さんが小さい時、彼女の家で会ったことがあるとのこと。「主人の恩人です、K子さんのお父様は」と、華道講師は付け加えた。この広い東京の空の下で、何十年ぶりかの邂逅が、泰日文化倶楽部でなされたことは、本当に奇遇である。
喫茶 「つかさ」
泰日文化倶楽部に時々、ビジターとしてタイ語を習いにみえる女性がおられる。その彼女が私にラインを送って来た。「つかさという喫茶店、御存知ですか? 手塚治虫がいつも行っていた店ですよ」
私はすぐに返信した。「知りません」
この喫茶店が教室の近くにあるらしいのはわかったが、一体、どこに在るのであろうか、とても気になり始めた。
ところが、気にして散歩していると、すぐに見つかった。これまでいつもその店の前を通っていたのに、全く関心を持ったことがなかったから、店名を覚えていなかった。今どき、こんな古臭い喫茶店がるのであろうかと思っていた店だ。
手塚治虫が愛した喫茶店であると知ったからには是非とも行ってみようと思って、店のドアを開けた。確かに、昭和の雰囲気がする店であった。客人は皆、落ち着いた大人達ばかり。壁に染みついた煙草のヤニの色が歴史を感じさせる。
またこれからも来ようと思い、コーヒーの回数券を買った。
タイの象の置物
昨日のブログで雑司が谷に在る學問所雑司寮明哲院のことを書いたが、そこの御主人(哲学者)が、研究室や応接間も御覧くださいとおっしゃるので、お言葉に甘えて拝見することにした。
研究室に入った時、私の目に最初に飛び込んきたのは象の置物2体であった。タイ製のものにまちがいないと直感した。
何故、象の置物が有るのか尋ねてみると、祖父に当たる方が国会内で鍼灸医院をやっておられたことがあり、たくさんの代議士の治療にあたられたが、その中のお一人のS氏から戴いたとのこと。そのS氏は外務大臣をなさっておられた方だから、私もお名前だけはよく存じあげている。
そこで私は考えた。S氏は外務大臣の時、タイの要人達から象の置物を進呈されたのではなかろうか。
築101年の日本民家にタイの象の置物がすんなりとおさまっている。全く違和感が無い。
學問所 雑司寮明哲院
昨日の午後、鬼子母神近くに用事が有った。帰路、工事車両が道を塞いでいたので、鬼子母神の境内を通って、迂回することにした。樹齢六百年の欅の木はいつ見ても見事だ。
境内を出て参道に出ると、いつもとは異なる光景が目にとまった。「學問所 雑司寮明哲院」という看板が門扉にかかげられ、そして、その門扉は開いていた。
私は、<學問所>という漢字に惹かれた。4百円でお茶が飲めるということなので、思い切って中に入り、「こんにちは」と大きな声で言った。
すると、立派な体格の男性が現れた。庭から縁側に上がり、床の間のある部屋に招じ入れられた。築101年の家であった。床の間の壁は貝殻でできていた。縁側の床はリフォームをしているが、木材は伊勢神宮の式年遷宮の際に節があるということで撥ねられた由緒正しき檜だそうだ。
その家の主は哲学者であり思想家。「大学教授に教えております」という言葉に一瞬、あれっ?と思ったが、すぐになるほどと理解した。
築百年を超える家で、思索に耽る。なんとすばらしい時間の使い方であることか。
予期せぬ訪問者
昨日の夕方、教室をお貸ししている「韓国語クラス」に参加していたら、707号教室のチャイムが鳴った。セールスマンであろうと思ってドアを開け、用件を伺うと、タイ語クラスのことで聞きたいとのこと。そこで隣りの706号教室に案内した。
彼はいろいろと聞きたそうであった。それに対して、「泰日文化倶楽部のホームページはご覧になられましたか?」と尋ねると、「全く見てません。僕、散歩が好きで、このあたりを数回通っている時、タイ語教室が有るのを見つけ、とても嬉しくなったのです。以前、チェンライでタイ語教室に通ったことが有るので、タイ語、少しだけ分かります。今日は思い切ってやって来ました」
10分くらいで彼に対する回答を終えようと思っていた。ところが、それから40分くらい話し込んでしまった。理由は彼(日本人とスペイン人のハーフ)がとてもユニークな生き方をしてきたことが分かったからである。
タイ語の勉強の必然性を熱く私に語る彼。とても興味深い話が次から次に展開していった。
将来、父親が住むタイへ行く確率が高そうなので、タイ語の勉強を今から始めることを大いに勧めた。
昭和のロマン喫茶店
「タイ語中級14:00」のクラスの生徒達と食事をすると、そのあと、自然にお茶をしようということになる。そこで高田馬場駅から歩いて1分もしないところにある純喫茶店へ2回ばかり行った。名前は「ロマン」。昭和の名残りをただよわせている。そんな喫茶店があるとは全く知らなかった。
2回目に行った時、年をとった店主が私に言った。「あなたは前回いらした時、あなただけ食事をしましたよね」
私はびっくりした。たしかにそうであったから。生徒達はお茶をしたのに、仕事のためパーティーに間に合わなかった私だけが生姜焼きを頼んだ。
私が驚いたのは店主が私のことを覚えていたことだ。次から次にやって来る客がいるというのに、覚えてもらって光栄である。帰り際にレジの前で、そっと尋ねてみた。「おいくつですか?」
彼は答えた。「70歳です」 それを聞いて、同世代であることに共鳴を覚えた。まだまだ頑張らねば……。
余談になるが、2回目に行った時、今、世間で話題のセーラー服おじさんが入って来た。タイでももうすでにネットで有名だそうだ。喫茶店は都会の停車場であり、オアシスと言えよう。
手作りの語彙力試験
昨日、706号教室に於いて、午前11時半から「語彙力試験」を実施した。受験者はわずかにA子さん1名。レベルは入門クラスが終わり、初級クラスに入っている生徒さんなので、その方に合う問題作りをした。採点の結果、及第点に達したので安心。
試験問題の難易度はいくらでも変えられる。だが、難しすぎるのはよくない。自分の学力に対して、まずは生徒自身に自信を持たせることが肝心だと思う。誤答があれば、以後、気をつけて直せばよろしい。
日曜日は、同じ時間帯に806号教室でB子さんに個人レッスンをしている。そこで、このB子さんにも同じ問題を解いてもらった。やはり及第点を取った。「次回は90点越えを目指してくださいね」と、私は励ました。
ところで、このA子さんとB子さんだが、二人に或る共通点が有ったので、私は二人を引き合わせることにした。全くの初対面ではあったが、すぐに打ち解けたようである。
A子さんが先に教室を出て帰って行かれたが、聞くところによると、約束をしたわけでもないのに、二人はまたしても東西線の駅で出くわしたのでランチをしながら、さらに話に花を咲かせたようだ。
試験は緊張したが、そのあと、素敵な時間を持つことができた喜びをA子さんがメールで伝えて来た。
日曜日、億劫がらずに外出するのもいいことだ。因みにA子さんは茨城からわざわざ受験に来られた。
一犯一語
フランス文学者の椎名其二氏(1887-1962)を検索していたら、社会思想家の大杉栄(1885-1923)が関連して出てきた。大杉が翻訳していた『ファーブル昆虫記』を、大杉亡き後、椎名が引き継いで翻訳して完訳させたことがわかった。
ところで、大杉栄だが、彼は軍人の父親の勤務の都合で、香川県丸亀市で生まれている。しかしすぐ他所に移って行ったようであるから、丸亀で彼の話を聞いたことは一度もない。
私が彼のことを紹介する文章を読んで関心を持ったことは、彼のモットーが、「一犯一語」というものであったということだ。彼は活動家として逮捕されるたびに、「一犯一語」を自分に課し、まずはエスペラントから始め、次に、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語と学んで行ったようである。逮捕されて最初の3ヶ月で初歩を習得し、6ヶ月で字引き無しで解読することを目標にしたとのこと。フランス語はもともと出来たので、ヨーロッパの言語の習得は早かった。とはいえ、相当の集中力であったに違いない。
彼曰く、「もう少し刑期が延びないものであろうか」、と。
お好み焼きを焼く人
高田馬場駅前にあるビルの地下に、昨年からお好み焼きの店が開店した。広島風ということなので、3回ばかり食べに行った。
私は焼いているところを見たくて、いつも鉄板焼きの前に座ることにしている。水で練った小麦粉を垂らして直径10センチくらいの円形にするのが面白い。刻んだキャベツを7センチくらい、その円形の上に山盛りにして、次に豚のスライスを3枚ばかりのせる。しばらくすると、ひっくり返すのだが、これがまた見事だ。最後に卵を1個、その円形の下に押し込み、ぐいぐいと上からへらで押さえつけ、形を整える。この間、約7分くらい。
お好み焼きの焼き方くらい誰でも知っているので、何故、こんなことを書くのかと思われるであろう。だが、今日、私がこれを書くのには理由がある。
その理由とはこうである。1枚約千円くらいのお好み焼きの原価たるやせいぜいが百円程度。ところが、お好み焼きを焼く店の人の顔付きは実に真剣そのもの。そして、手さばきはまるで1万円のステーキを焼くが如し。都内の有名ステーキ店のシェフに劣らない。
私は焼く人の技に見入ってしまった。原価百円のものを、まるで1万円のステーキと同じように焼く真剣度。何の仕事であれ、仕事はこうであらねば、と教えられたわけだ。