戯曲「核の信託--原爆をだれの手にゆだねるかーー」

約30年前の生徒さんである五十嵐勉氏はアジア文化社を長年にわたり主宰し、『文芸思潮』を発行しておられる作家だ。
 その彼から手紙が届いた。共通の友人に宛てた文面だから、以下に引用させていただく。
 ー 暑中お見舞い申し上げます。日頃のご無沙汰を御許しください。このたび、拙作・戯曲「核の信託」が上演されることになりました。ぜひ、日頃お世話になっております方々にも観ていただきたく、御案内申し上げるしだいです。
 核兵器の開発とその超破壊兵器をどのように使うか、世界史の劇的な問題を扱っています。
 御多忙中、恐縮ですが、どうか観に来てください。私は毎日、会場におります。チラシを同封させていただきます。よろしくお願いします。
 今日は8月6日。もうすぐNHKで広島からの中継が始まる。合掌。

夏休みはタイ語を書こう!

タイ語の単語はサンスクリット、及び、パーリ語からのものが多いので、いつも書いて書きまくって、忘れないようにしなければならない。
 昨日、「タイ語中級 火曜日10:30」のクラスの生徒3名にタイ語を書かせた。出来栄えはあまり芳しくない。書かせた単語の一例を挙げると、以下の単語である。
 例:銀行、大学、郵便局、日曜日、大きい、気に入る、気が重い、清潔でいい、午前6時、正午、午後3時、等々。
 タイ語を書かせると、短母音で書くべきところを長母音で書く傾向がある。あるいは、その逆も。したがって、母音の長さが正確に身についていない。
 声調記号をつけるのを忘れているのは、どの生徒にも見られる。末子音の書き間違え、r音とl音、さらには、無気音と有気音の書き間違えも数々ある。
 夏休み(8月7日~20日)は、家でタイ語をたくさん書いてもらいたい。さらには、タイ語で作文を書き、文章構成力の養成にも挑戦してもらいたい。

個人レッスン vs  グループ・レッスン

最近、個人レッスンを希望する方達が増えてきた。理由としては、早く上達したい、そして、タイ文字をしっかり学び、すらすら読みたい、等である。
 グループ・レッスンだと、仲間への配慮を示さなければならない。発音する回数も個人レッスンよりは少ない。下手な発音の人の発音を聞くのは耐えられない。
 しかしである。泰日文化倶楽部のグループ・レッスンは、クラスの平均が3名だ。誰かが休むと、ほぼセミ・プライベート状態。幸せと思ってほしい。
 昨晩から個人レッスンに切り替えた方がおられる。先生はタイ人講師と私の2名。私は教えながら、生徒の理解の仕方、くいつき方、語学センスの容量を刻々と観察していく。
 とにかく、90分の授業を最大限に活かして、生徒のタイ語力を伸ばしていかなければならない。発音が悪ければ、容赦しない。日本シンクロの井村雅代コーチくらい厳しくしたい。そして、早期のうちに結果を出したい。たらたらしているのが一番良くない。

夏眠

 昨晩、マンションの階段に蝉(จักจั่น チャッカチャン)がお腹を上にして横たわっていた。今朝も同じ姿でいた。死んだ蝉だと思い、ごみ袋に入れようとして触ると、急にばたつき始め、そして、どこかへ逃げて行ってしまった。
 なんだ、死んではいなかったのだ。死んだふりをして、仮眠していたのだ。暑すぎるから、しばし、<夏眠>していたのかもしれない。
 蕎麦屋に行くと、入り口を入ったところに金魚を入れた鉢が置いてある。そこの金魚(ปลาทอง プラー・トーング)はいつもじっとしている。だから、金魚を模したおもちゃとばかり思っていた。ところが、私が鉢の中の水に触れると、なんと金魚が動き出した。生きている。なんだ、これまで<夏眠>していたのだ。
 こう暑いと、冬眠の反対である夏眠をしたくなる。体を酷使しては大変。今夏が乗り切れない。
 しかし、私の場合、学生に試験をしたため、採点と評価が待っている。まだまだ夏眠できない。

台湾青年

2年前から個人レッスンを受講していた台湾青年が、昨日、久々に教室に現れた。彼は今年に入ってから台湾に長期出張をしていたので、彼の再受講を私は殊の外、喜んだ。
 彼の勉強態度はとても積極的。「先生、私は自分でテキストを読みますから、聞いていてください」と言うので、私は彼の発音を矯正するだけ。タイ文字も彼自身の努力で、どんどん読めるようになった。
 ところがである。長いブランクが有り過ぎたために、タイ語の勘が鈍っていた。似たようなタイ文字の判読に手間取っている。長いブランクはやはりマイナスだなあと思った。
 だが、授業が後半に入ってからは、次第に彼の読むスピードが加速していった。本来の彼に戻りつつあった。
 数ヶ国語をマスターしている彼にとって、タイ語は第6ヶ国語目だ。声調言語は得意中の得意。文法もほぼ中国語と同じだから、とりたてて文法の説明をする必要はない。
 とにかく教えやすい生徒さんだ。だが、授業の最後に彼は言った。
「あと10日で台湾に本帰国します」
 今回の帰京は荷物整理に帰って来たというわけだ。時々、東京に出張に来るそうだから、是非とも泰日文化倶楽部に顔を出してほしい。

猛暑お見舞い申し上げます

暑中お見舞い申し上げますと言うべきところ、どうしても、<猛暑>になってしまいました。
 年々、暑くてたまりません。暑い季節と寒い季節しかなくなり、中間のおだやかな時間がなくなったような気がします。
 念のために再度、泰日文化倶楽部の夏休みの期間をお知らせ申し上げます。
 8月7日(金曜日)から20日(木曜日)までです。
 ゆっくり体も心も休めましょう。ただし、頭のほうは常に回転させて、タイ語の知識を増やしましょう。
 泰日の生徒の皆さん、あと6日、教室で楽しく、元気に勉強しましょう。

北千住 → 北干住

一昨日、ネットでニュースを見ていると、「北千住が北干住に」という見出しがあった。一体、何のニュースかと思うと、駅のホームにかかげられている駅名を入れたボードの中のひとつが、<千>と書くべきところ、<干>の漢字になっているという指摘が通勤客からあったという内容だ。
 なるほど、大勢の乗客は、毎日、全く問題視しないまま、乗降していたということになる。誤字を見つけた方は時間に余裕があったか、あるいは、漢字に敏感な方だと思う。
 私も以前、同じような経験をしたことがある。以前、本を書いた時に、本の背表紙に書かれた本のタイトルが、『タイ語会話』と印刷されているものだとばかり信じ込んでいた。しかし、出版してから1年半後に、生徒から指摘が有った。『タイ語会語』となっていますよ、と。彼女は校閲の仕事をしている方であったので、プロとして、すかさず気づいたわけだ。
 我れ関せず、当たり前、いつも見慣れている、といった状況においては、あまりにも無神経になりすぎている。
 暑いことは暑いが、この猛暑の中で、字の誤りを見つけるために街を探索するのも、案外、面白いかもしれない。

記憶を育てる

今年5月に亡くなった詩人の長田弘氏が著した『なつかしい時間』(岩波新書 2013年)の中に、「記憶を育てる」という項目がある。次なる引用は、結末の文章である。
 「人の考える力、感じる力をつくってきたのは、つねに記憶です。けれども、もっぱらコンピューターに記憶をゆだねて、自分を確かにしてゆくものとしての生きた記憶の力が、一人一人のうちにとみに失われてきているように見える今日です。あらためて、人間的な記憶を日々に育ててゆくことの大切さを、自分の心に確かめたいものです」
 長田氏は、こうも言っている。「自分の記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものだと思う」
 語学だけ出来ても、別にたいしたことではない。人間的に成長をとげるためなら、他に方法がいくらでもある。だが、外国語が好きな方は、一つの外国語に取り組み、その国や人々を知ることによって、もっと学習意欲を掻き立て、さらに前向きになる。単語から表現へ、表現から文章へと進んでいけば、外国語はどんどん面白くなる。単語だけの単なる記憶ではなくて、学習する過程において、文章構成力をつけながら、自分をよく見つめるということが大切であり、それが人生となっていくのであろう。

ฎ (ドー・チャダー) というタイ文字

7月もそろそろおしまい。私はいつも、その月の名称を生徒にタイ語で書かせているが、月名を正しく書ける生徒は少ない。それだけ難しいということか….。
 7月は、กรกฎาคม(カラッカーダーコム)。ฎ(ドー・チャダー 冠)の文字を使った単語は、初心者が使うテキストにはなかなか出てこない。例:กฎหมาย(法律)
 辞書を引くと、この文字が単語の頭に使われる単語は、たった一つだけしか挙げられていない。すなわち、ฎีกา(ディカー)=直訴。
 タイでは、直訴の手法が昔から有り、王宮の門前の銅鑼を叩いて、王様に直訴していた。日本でも農民や町民の苦しみを見て、あるいは、不条理な世の中に耐えかねて、直訴した話が有る。
 今はいくら何を言おうが、その声は虚しくかき消されていく。お上はもっと一般の人々の良識ある声を聞くべきだ。

明治時代の留学

『竹内 好 ~ある方法の伝記』(鶴見俊輔著 岩波書店 2010年)の中で「留学」について、次なる記述が有った。
 ー 明治に入ると、全五百七十例のうち清国が四例、香港が一例あるだけで、あとはすべて欧米である。その後、明治、大正。昭和と、海外留学の行く先は主に欧米にかぎられていた。陸軍から朝鮮にむけておくられた留学生はあったし、アジア諸国にむけての留学生は、国策の都合上、試みられてはいたが、それほど日本の青年の希望するところではなかった。欧米先進国の文明にまなぶのが、官民ともに望むところだった。そして、官費留学生の目標は欧米諸国にならって日本国家の富をまし、勢力を大きくすることにあった」
 この内容は誰しもが首肯する点であるから、今更、批評を加える必要もない。だが、もしも、アジア諸国に留学した青年が多ければ、そして、アジアへの正しい理解が明治の頃からなされていれば、日本の近代史は違った方向に向かっていたのではなかろうか。
 いずれにせよ、最近は日本の大学生のアジア留学が盛んになってきた。アジア諸国で多くのことを学び、その学んだことが、将来、国際関係において、大いに役立つことを願う。