「タイ語上級 日曜日13:00」のクラスでは、30年前に編まれた小学校4年生の国語教科書を読んでいる。最近読んだ「美しい竹の家 บ้านไผ่สวยงาม」の話はとても示唆に富んでおり、感銘を覚えた。
あらすじはこうである。とある小村に生まれた少女センダーは幼くして、町に住む伯父さんの家にもらわれていった。しかし、彼女はしばらくして郷里に舞い戻って来た。そして、おばあさんとお母さんから直接、織物の教えを乞うた。綿花を植え、糸を紡ぎ、機織りをし、草木で染める方法をである。
少女センダーは成人後も村にとどまり、次から次に固有の模様を考案し、美しい布を仕上げていった。それは誰にも追随を許さぬ見事な腕前であった。
それを聞きつけた日本人がやって来て、ぜひともこの模様を織ってほしいと頼んだ。ところがセンダーおばさんは、「自分は自分で考案した模様しか織りたくない」と言って、日本人の要望を一蹴した。そして、タイ固有の伝統を守り、継承するために生涯を捧げた。
30年前と言えば、日系企業がタイに進出した第二次ブームの時期に相当する。エコノミック・アニマルと呼ばれた日本人を、賢明なるタイ女性は受け入れなかった。
トイレ修理のおじさん
一昨日、707号教室のトイレが故障した。トイレ修理のおじさんに電話をすると、昨日の午後、やって来てくださった。このおじさんは飄々として優しい方である。
教室に現れるや否や、「10年前でしたかね」とおっしゃったので、「そんなことありません。5年前でしょう」と、私。いずれにせよ、歳月が経つのは早い。
「この型の部品、果たしてあるかなあ?」と言われて、ドッキリ。31年前の便器だから、部品調達が心配になってきた。おじさんがどこかから探して来ることを祈るのみである。
ついでに、806号教室のトイレも診てもらった。何故ならば、チョロチョロと水が流れっぱなしであるからだ。
おじさんはタンクのふたをあけてから、わたしに訊いた。「カビ取りか、漂白剤、ありますか?」
カビ取りをシュウシュウ吹き付け、歯ブラシでこすると、タンクがきれいになった。
「ちょっとしたカビが、いたずらをするんですよ」、とおじさん。
都内のマンションのトイレを直しているおじさんは、まるで天職を得たかのごとく、毎日、飛び回っておられる。
算盤(そろばん)
今週から始まったNHKの朝の連続ドラマ「あさが来た」を見ているが、数々の場面に登場する小道具として、算盤(そろばん)が出てくる。幼い主人公が、「ぱちぱちはん」と呼んでいるのは、なんとも可愛い。
算盤は、タイ語で「ลูกคิด ルーク・キット」。ลูก(ルーク)は、子供という意味ではなくて、ここでは、丸い玉という意味だ。คิด(キット)は、考えるという意味ではなくて、計算するという意味だ。したがって、「計算する丸い玉」=算盤。
電子計算機が世に登場した時、驚いた。そして、卓上計算機(เครื่องคิดเลข 機械+計算する+数字)が市販されるようになってからは、算盤とさよなら。
しかし、小学校で算盤の授業を受けた時の手の感触はいまだに覚えている。人間、手の感触は大切にしたいものである。それには、機械よりも、道具に親しもう!
泰日文化倶楽部 満27周年
1988年(昭和63年)10月からスタートしました泰日文化倶楽部は、満27周年を迎えました。
今日から28年目に入ります!
この27年間で、日本とタイの経済的、文化的距離はものすごく接近しました。特にバンコクの変遷たるや、そのスピードの速いこと、速いこと。
タイ語を勉強する日本人も増えました。都内にもたくさんのタイ語教室が随所に……。
泰日文化倶楽部は高田馬場で頑張っていますが、その高田馬場も雰囲気がますますアジア化しております。すれ違う人は、中国人、韓国人、タイ人、ミャンマー人、インド人、バングラデシュ人、等々。
何故ならば、泰日文化倶楽部の隣りのビルの早稲田予備校13時ホールの中に日本語学校があるからです。すぐ近くにある食堂の食券販売機のソフトにも、タイ語が導入されています。もうびっくり。
泰日文化倶楽部はこれからもタイ語を愛する人々を歓迎してやみません。
遺書 と 遺言
自殺や事件が起きると、遺書の有無が問われる。タイ語で遺書をどのように言うのであろうかとスマホで調べてみると、พันธสัญญา(パンタサンヤー)と書いてあった。あまり見かけない単語だ。ちなみに、遺言をタイ語でどのように言うのであろうかと、やはりスマホでチェックしてみると、同じくพันธสัญญา と書いてあった。遺書と遺言は意味が違うと思うのだが….。
そこで、いつも使う『タイ語辞典』(冨田竹次郎編)で確認してみることにした。
遺書=จดหมายลาตาย(ジョットマーイ・ラー・ターイ)遺言= พินัยกรรม(ピナイガム)
タイ人が編んだ『日・タイ辞典』でも調べてみた。
遺書=จดหมายสั่ง้เสียก่อนตาย(ジョットマーイ・サング・シア・ゴーン・ターイ) 遺言= คำสั่งเสีย(カム・サング・シア)
それぞれの辞書に、それぞれの単語が書かれている。どの単語を使っていいのかわからなくなる。
一番いいのは、新聞に使用されている単語を使うことだ。そのためには、日頃から、新聞記事で語彙を仕入れておくに限る。
今日から大学へ出講
2ヶ月に及ぶ夏休みが終わり、今日から大学へ出講する。秋期は来年1月末までだ。
授業回数13回x1時間半=19時間半の授業時間数の中で、タイ語の多くのこと(基本文法+話す、読む、書く)を教えるのは容易なことではない。
いずれにせよ、「タイ語初級」のクラスにも、「タイ語中級」のクラスにも、帰国子弟の割合が3分の1を占めているため、時代が変わったなあとつくづく思う。
学生達は父親のタイ駐在に伴い、幼い時からタイ生活を経験している。平均3年くらいの滞在がほとんどだが、中には、6年~9年も住んでいたという学生がいる。13年間住んでいたという学生は実によくできる。
人間は12歳位で言語が定着すると言われている。したがって、幼い時における3年以内の生活では、その国の言葉は残らない。すぐに忘れてしまう。
タイに関する情報はもはやリアル・タイムに仕入れることができるから、タイはますます身近になっている。タイ人の日本語熱はすごい。我々日本人もタイ語熱を高めよう。
中秋の名月
昨晩は中秋の名月であった。目下、休学中のソム(愛称)さんから、写真付きのラインが入った。「仕事の帰りに撮りました。携帯ではうまく撮れていないので、先生、できれば今、空を見てください」
そこで、ベランダに出て空を仰いだ。そして、彼女にラインを返した。
「お月さま、よく輝いております」
すると、ソムさんから、「共感していただけて良かったです。一人で見ているのはもったいない」、と。
彼女は1週間に一回、タイ語通訳のバイトをしておられる。単語がすらすら出て来ない時など、ああ、泰日文化倶楽部でブラッシュアップしたいと思うらしい。
中秋の名月を意識したわけではないが、先週の中級クラスで、テキストとして、「月は何故、大きく見えるの?」という文章を読む練習をした。
一般に、月は、「พระจันทร์ (プラ・ジャン)」というが、これはどちらかと言うと、科学的な言い方である。テキストに出てきた月は、「ดวงจันทร์(ドゥアング・ジャン)」であった。「ดวงドゥアング」が丸い形状という意味を有するから、「お月さま」という感じがして、文学的である。
今晩は、今年最大の満月だそうだ。スーパームーンというらしい。今晩も天を仰ぎ見て、秋の夜を楽しもう。
第100回「アジア女性のための生け花教室」
2007年1月から無料開講している「アジア女性のための生け花教室」が、昨日のお稽古で、第100回を迎えた。稽古中、参加者の皆さんに向かって、私は声高々に言った。
「今日、第100回目を迎えました!」
それを聞いた皆さんは、感激の声を上げた。
昨日は、台湾からの女子留学生が2名、そして、ミャンマー女性が1名、日本人に交じって、楽しく花を生けた。本当に美しく行けたので、私は、中国語とミャンマー語で、「美しい!」と誉めてあげた。
「アジア女性のための生け花教室」の主旨は、日本滞在中に日本伝統の生け花に親しみ、実際に四季それぞれの花を花瓶に生けたという思い出をつくって母国に帰国して行ってもらいたいことである。
これまでの100回、それはそれはいろいろな国の女性達が参加してくださった。参加国の数が多いほど教室は賑わいを見せる。その空気がたまらない。
仏像のお守り
一昨日から個人レッスンを始められた方がおられる。彼女の胸元にシルバーの仏像のお守りがかけられていたので、「すばらしい!」と率直なる感想を申し上げると、彼女はこうおっしゃられた。
「自分で造りました」
「えっ、彫金のお仕事をなさっておられるのですか?」
「仕事ではありませんが、自分でよく造っております。鋳型で造ります。タイへ行った時、偶然にもお坊様の目にとまり、魂入れ(ทำขวัญ)をしてあげましょうと言われ、していただきました」
そう言うと、彼女はネックレスをはずし、私の掌に置いて下さった。
「お顔が実にいいですね」と、私。
「ええ、少し、私の手が入っております」
その後、仏像が曜日ごとに違う話に進んで及んでいったが、これまた偶然にも、彼女と私は同じ曜日であった。
いろいろなお土産
シルバーウィーク中に海外へ行っておられた生徒達が、昨日、いろいろなお土産を持って来られた。
スリランカのお土産は、もちろん紅茶。ブランド名は、SPA CEYLON。AYURVEDAという表記も加えられていたから、精神的にも大いに癒されそうだ。シンハラ文字の複雑さにはあらためてびっくり。祖先をたどれば、デーヴァナーガリー系統がらみでタイ文字ともつながっていくが、まるでインドの踊りのようなくねりも入っている。
スリランカから香港経由で帰って来られたということで、ペニンシュラ・ホテルのクッキーも下さった。
台湾を旅行した生徒さんからは、インスタントラーメンを戴いたが、袋には「維力原祖:鶏汁麺」と書いてあった。彼はものすごくリフレッシュして来られていた。「タイ料理よりも台湾料理のほうが美味しい。深みがある気がしました」
ベルギーへ行っておられたB先生からは定番のチョコレート。これまた味わい深いお味であった。
世界各地のお土産を賞味しながらも、我々はタイ語の勉強に集中。やはり、なんと言っても、タイ大好き人間ばかりだ。
