小学生の少年

11月1日、広島からの帰り、瀬戸大橋を渡り、郷里の丸亀に寄った。日曜日のせいもあるが、人が全く歩いていない。実家は9月に草取りをしたのに、もう草が生えていた。
 すぐ東京に帰る必要が有ったので、1時間だけ座り込んで草取りをしていると、少年が自転車で通りかかった。どこかに行くのであろうと思っていたら、彼は私の横に自転車をとめて、こう言った。
 「お手伝いしましょうか?」
 私はびっくりした。そして、丁重に断った。
「有難う。嬉しいけれど、もうそろそろ終わりなの。どこの学校?」
 彼は答えた。「城北」 そして、去って行った。
 そのあと、私は反省した。断った理由は、少年に対して無理やり草取りをさせている、というふうに第三者から誤解されたくなかったこと、そして、指に怪我をさせてはいけないと思ったためだが、それは、いかにも都会的な発想であった、と。
彼の申し出を素直に受け入れ、手伝ってもらうべきだった。

古希のお祝い

10月31日、午前9時10分、のぞみ19号の19番座席に乗って、いざ広島へ。約4時間で着いた。広島へは仕事で数回、行ったことがあるが、個人的に行ったのは今回が初めて。
 私の古希のお祝いをしてくださる方達は、宮城、福島、千葉、岐阜、大阪、徳島、鳥取から馳せ参じてくださった。私を合わせて、9名が楽しく会食。
 広島在住の幹事が3ヶ月前から念入りに準備をしていたということで、5回もサプライズが有り、その都度、心臓がパクパク。だが、50年も東京の荒波に呑まれて闘ってきた私の心臓だけは頑強だ。見事、持ちこたえることができた。
 楽しく思い出深い会になったので、私は味をしめた。よし、あと10年、現役で頑張って、彼らに傘寿のお祝いの会を開いてもらおう。

20年前の生徒達

今日から一泊二日の旅行に出る。行く先は広島。20年前にタイ語を習った生徒達が久々に集まることになった。何故、広島かというと、持ち回りの幹事が広島在住だから。
 最近はタイ語を習う人が多くなったが、20年前はそれほどでもなかったような気がする。現在、タイ語を仕事で使っている元生徒は今回、集まる中でわずかに1名。おそらく、他の方達はタイ語とさよなら。しかも、地方に住んでおられるから、タイとの接点も少ない。
 だが、今はいろいろな方法でタイ的環境を取り入れることができる。したがって、タイ語が好きであれば、いくらでもタイ語力向上をはかることが可能。
 今日の夕方、広島で彼らに‟喝”を入れて来よう。

新しいダルニー奨学生

公益財団法人民際センターから、新しい奨学生2名の写真を入れた「ダルニー奨学生証書」が送られてきた。
 これまではコンケン県(จ.ขอนแก่น)の男子中学生2名であったが、今年からはブリーラム県(จ.บุรีรัมย์)の女子中学生2名になった。
 A子さんの愛称はソム(ส้ม)、そして、B子さんの愛称はトァーイ(เตย)。二人とも2003年生まれの12歳で、背が高い。将来、バスケットボールの選手になれそうだ。
 それぞれ家の庭(ลานบ้าน)で立っている写真だが、水がめ(โอ่ง)が写っており、いかにも田舎の家の光景だ。板塀の家。決して新しくはないが、風通しがよさそうである。
 ダルニー奨学生の支援をしてから約20年。最初の奨学生はもう32歳。地道に、そして、幸せに暮らしていてほしい。

外国人に接することが大切だ

 いくら外国語を勉強しても、その外国語を使う機会が無いと上達を望むことは難しい。タイ語を習っている方は、是非ともタイ人に会うこと、そして、話すことだ。
 一昨日、カナダ人達に会って、英語をしゃべる時間を持ち、とても楽しかった。ただし、そのうちの一人は日本語が堪能すぎるので、相手は日本語を喋りたがっているのがみえみえ。となると、相手の要望に合わせて、日本語になってしまった。どちらの言語を使うかは、まるで綱引きの如し。
 泰日文化倶楽部では、いつも自由会話の時間を設けているが、なにせ、生徒達は話題が少なすぎる。なんでもいいから、喋り出すことだ。話題の一つや二つ、いつも喋ることができるように用意しておいてもらいたい。
 <発音する>というタイ語は、「ออก(出す)+เสียง(声)」だ。とにかく、声を出そう。そして、タイ人と話す機会(โอกาส)を持とう。

カナダ人との会話

昨晩、我が家にカナダ人のお客様があった。同じマンションに住む方が30年来の友人を紹介したいということでお会いしたわけである。
 一人は中年。もう一人は26歳の大学院生であった。中年の方は日本語がペラペラ。醸し出す雰囲気も日本人そのもの。仕事は翻訳業とのこと。
 大学院生は初来日であった。来年、日本に来て昭和史の研究をしたいそうだ。
 私は彼らと英語で喋ったが、センテンスの最後に、ついつい「~チャイ マイ?」と、タイ語がくっついてしまい、我れながら苦笑。
 「すみません。タイ語の先生なので、どうしてもタイ語がチャンポンになってしまって….」
 26歳の若者は、それを聞いて、目をパチクリした。
 よくよく聞くと、彼らはモントリオール在住なので、普段はフランス語を話しているそうだ。我が家を出て行く時、フランス語で「Au revoir」と言うと、一瞬、彼らは驚いた。が、すぐにニコニコした。

歩き始めた坊や

昨日はとても良い天気であった。朝、仕事に出かける途中、保母さん(พี่เลี้ยง)が一人の坊や(เด็กชาย)を連れて散歩(เดินเล่น)していた。ところが、坊やは歩くのがいやなのか、道路に(บนถนน)坐り込んでしまっている。だっこしてもらいたいのであろう。2メートル歩くと、また座り込む。
 「何歳ですか?」と、私がたずねると、保母さんは「1才になったばかりです」と答えた。
 坊やは彼のこれからの長い人生の中で、路上デビューしたばかり。
 「ガンバレ、ガンバレ」と私がエールを送ると、坊やは歩き始めた。
 おお、私の激励に応えてくれたではないか。
 しかし、振り返ると、10メートル先でまた座り込んでいた。保母さんはだっこしない。だから、坊やはまた2メートル歩く。
 坊やの人生は自分のもの。自分で歩くしかない。

有明の月

昨日、ペットボトルのお茶を買った。紅葉のラベルが美しい。ラベルには次なる俳句が…..。
 「りょうはしに ぶらさがりたい 三日月だ」(伊藤園新俳句大賞 文部科学大臣賞 福岡県春日市 8歳 井上まい)
 8歳の少女の発想は実に可愛らしい。
 最近、私は台場~有明~豊洲の周辺をよく通っている。私の場合は、三日月よりも、有明の月かな。
 「有明の月」とは、夜が明けてもまだ空に残っている月のこと。若い世代の活躍を見ると、新鮮でいい。負けてはいられないが、無理をして競争をする必要もない。年相応の動きをして、世の動静にしっかりとついて行こう。

縁起菓子 杓子せんべい

広島に親戚がおられる生徒さんから、時々、広島のお菓子を頂戴する。広島といえば、定番は紅葉まんじゅう。だが、今月初めにおすそわけされたのは、「縁起菓子 杓子せんべい」という宮島のお菓子であった。
 7センチほどの杓子型せんべいを一個は机の傍に置き、一個は鞄にしのばせて歩いていると、いやあもう、いろいろなこと、すなわち、いろいろな縁起に遭遇し、驚きに驚いている。
 グーグル辞書で「縁起」の意味を調べると、「サンスクリットのpratitya-samupada の漢訳で仏教用語であるが、本来、<精神的な働きを含む一切のものは、種々の原因や縁によって生起する>という意味で、仏教の中心思想のひとつであった」と書いている。
 不思議なことは日々、様々あるが、泰日文化倶楽部に限ってその一例を挙げると、あまり多くは無い姓の女性が9月いっぱいで休学された。すると、今月に入って全く同じ姓の女性が見学に来られ、入会の意思を示された。あら、不思議。
 昨日の朝、Yさんの就職が決まり喜んでいると、夜には、Hさんから失職したと聞かされた。
 出ると入る。入ると出る。考えてみれば、人生はこの繰り返しかもしれない。

「~さん」or 「~様」

 先日、通訳の仕事で小さな病院へ行った。受付で待っていると、貼り紙が目にとまった。
 「これまで、お名前をお呼びする時、~様づけでお呼びしていましたが、これからは、~さんでお呼びすることにしました。よろしくお願いいたします」
 そこの病院へ行ったのは初めてであったから、意外に思った。何故ならば、ほとんどの病院は~さんで呼んでいるとばかり思っていたからだ。
 しかし、メールを書く時、私も悩む。無難に済ませるには、「~様」を使うのが一番。ところが、友人からは、「~さん」で来る。親しい気持ちが伝わって来て嬉しい。にもかかわらず、私はついついあらたまりすぎて、「~様」になってしまう。
 最近のメールは、相手先を書かず、すぐ用件に入っているのもある。それはそれでいいのかもしれないが、人間関係が事務的になり過ぎてしまっているような思いがする。
 すべては自分と相手の関係であるが、呼称というものは、いつまでも気になる項目だ。