はな子さん 大往生

昨晩、ドイツから来られた日本人の客人を歓迎するために、マンションの友人と一緒に我が家ですき焼きパーティーを開き、楽しく語らっていたところ、昔の生徒さん(鳥取県在住)からラインが入って来た。その時、私は何故か象模様のシャツを着ていた。
 「その昔、先生に案内していただいた井の頭公園のはな子がなくなったそうで……」
 私はすぐに返信した。「あら、悲しい。教えてくださって有難うございます」
 はな子さん、69歳(推定)。私と同年齢。戦後、タイから来た象ということで、私は格別の親近感を持っていた。だから、タイ語の生徒達を連れて、はな子さんを見せによく行ったものだ。彼女を見た最後は3年前。7名の生徒達と記念撮影をする時、はな子さんはちゃんとバックにおさまってくれた。「サワッディー・カ!」と声をかけると、いつも寄って来てくれていたはな子さん。合掌。

時刻表

6月上旬に、大学時代の旧友達と一緒に佐渡へ薪能を鑑賞しに行く予定が有る。そのため、旅の準備を始めている。
 最近、ボストンバッグを持っている人をあまり見かけなくなった。ダサいのかもしれない。ほとんどがキャスター付きのキャリーだ。そこで、私も1~2泊用のキャスターを購入。ガラガラ音が極めて低いという最新式である。
 それから、もう一つ買ったものがある。時刻表だ。スマホで調べればいいという時代だが、あえて古風な旅をしたい。電車の中で時刻表を開き、いろいろな線の駅名を覚えるのは一興だ。駅と駅の間の所要時間を知るのも勉強になる。
 スマホだと出発地と目的地を一気につないでくれるが、時刻表では「よそ見の楽しみ」を与えてくれる。今回は行けないけれど、いつか是非、行ってみたいなあという気分も味わえそう…。時刻表は自分一人の世界に入れて退屈することはない。

発音、発音、おお、発音

 語学は発音が命である。発音を良くしたいと思って、教室に通って来られている生徒さんが多い。だから、彼らの希望を満足させるために、講師側は頑張って、根気よく発音矯正にあたるしかない。
 しかし、講師のすぐ近くに座っていても、聞き取れない生徒達がいることに気がついた。
 「เดี๋ยว diaw(上声) ちょっと待って」が、「เลี้ยว liaw(高声)曲がる」に聞こえるそうだ。
 「แต่ テェー」が、「ぺェー」に聞こえることは有り得ないのに、そう発音する方がいて、今晩も、矯正に四苦八苦した。
 しかしながら、初心者はとかくそのような傾向があっても不思議ではない。とにかく、タイ語の発音に慣れるには、タイ語をたくさん聞いて、自分の耳のみならず、身体全体に浸透させていき、それを自分のものにしてしまわなければならない。

ピアニストと筋肉

「第2回ドイツの白アスパラを食す会」には、マンションの仲間もたくさん参加した。その中のお一人であるA氏と話しているうちに、彼が有名なピアニストと中学が同窓であることがわかった。そのピアニストは私が大好きな方である。彼女が毎日、最低8時間はピアノの前に向かっていることはよく知られていることだ。A氏は言った。
 「彼女、ものすごく太っていますが、あれはピアノを弾くために必要な筋肉なんです」
 それを聞いて、なるほどなあと、私は思った。
 昨日、健康診断の結果を聞きに、近所の医院へ行くと、またまたドクターに叱られた。体重が減っていないということで….。体重さえ減らせば悪玉コレステロールも減るらしい。お腹の脂肪を取らなければならないことはよく分かってはいるものの、私にとっての脂肪は、横隔膜を振るわせるパワーになっている。それが無いと、大きな声が出ない。ドクター、どうかご理解を。

童謡 月の砂漠

昨日、「第2回 ドイツの白アスパラを食す会」に参加した。昨年とほとんど同じ顔ぶれであったが、ハワイアンを歌ってくださった紳士が、今年は奥様同伴であった。奥様は合唱団で50年も歌っておられる方。みんなの要望に応えて、「月の砂漠」を披露してくださった。
 月の砂漠をはるばると 旅のらくだがゆきました 金と銀とのくらおいて 二つならんでゆきました
 素敵なソプラノに、皆、聞き入った。とても幻想的であった。砂漠とらくだのイメージに吸い込まれて行った….。
 ご主人は最近、ブータンへ合唱旅行に行かれたとのこと。ブータンの小学生と一緒に歌って来られ、帰途、バンコクに立ち寄り、数日、バンコクを楽しまれたそうだ。70歳を越えておられるお二人。素敵なご夫妻であられること!

タイが大好きなインコ

 昨日、プライベートレッスンを受講しに来られたYさんが面白い話を聞かせてくださった。彼の家ではインコを飼っているが、このインコがきわめてタイ好きだそうで、彼が買って来たタイの三角枕を与えると、自分の所有物だと思い込み、家人の使用を嫌うそうである。写真を見せてもらったが、確かに、我が物顔をして、得意げにとまっている。三角枕(หมอนสามเหลี่ยม)のきれいな色合いに、鳥がご満悦。そういう鳥自身もきれいな羽をもっていた。
 そして、この鳥は、タイ産のマンゴーが大好き。ラオス産のマンゴーを与えても食べず、ただただタイのマンゴーをついばむ。ご主人様がタイ語を勉強しておられるから、彼のタイ好きが鳥にも感化を与えたとなれば、これは面白い。私も鳥を飼っていたから、この話はなかなかに興味深かった。

瀬戸内の鯛

先月末から嫌なことが微温状態で続いていたが、昨日、それがピークに達した。これはいかん。お祓いをしなくては。それにはご馳走を食べるに限る。近所に在る行きつけの割烹へ行き、女将に聞いてもらえば、憂さも晴れるであろう。女将は80歳。現役で、堂々としておられる。
 いつもは刺身定食しか頼まないが、昨日は、瀬戸内の鯛のお頭と鯛の刺身を注文。出て来た鯛のお頭のなんと立派なこと!
 「瀬戸内といっても、いろいろな県がありますが、どこの鯛ですか?」と尋ねると、「香川県」と、女将がすかさず応じた。
 「あら、私、香川県ですよ」と、思わず大きな声を出してしまった。
 鯛のお頭は、目が実に立派。両唇もしっかり結んでいる。鰓(えら)から出ているひれもピンと立っている。嫌なことにこだわっている自分に対して、鯛のお頭は我れ関せず。鯛はやはり鯛だ。調理されて皿に乗った鯛は、最後の最後まで、堂々としていた。

目白の古書店

早稲田と異なり、目白には古書店が少ない。というよりも、2軒有ったうちの1軒が閉店したのが5年前。残りの1軒は、映画の舞台にもなった場所だから、おそらく閉店はしないであろう。だが、店の前を通ると、いつぃも閉まっている。
 ところが、一昨日、店員さんが本を抱えて、地下へ入って行く様子が見られた。「開いてますか?」と尋ねると、「上階に人がいますから、上がって行ってください」と、反応してくれた。
 その店は、主として歴史と芸能の書物を揃えている。私は若い店員に話しかけた。
 「このお店のおじいさんとおばあさんはお元気ですか? 以前、よくお見かけしましたが」
 彼は答えた。「ああ、二人とも亡くなりました。私は孫です」
 それを聞いて、私はお孫さんが古書店を引き継いだことに、明るさを感じた。是非とも末永く、古書店を維持して行ってもらいたい。

ブログは今日から15年目に入ります!

2002年5月19日から、このブログを始めました。その時のタイトルは、「徒然なるままに…」。
 今日から15年目に入ります!
 旅行や徹夜の仕事が有った日を除き、ほぼ毎日、元気に書き続けて来ることができました。
 泰日文化倶楽部は1988年10月からスタートしましたから、27年半が経過しました。従いまして、そのほぼ半分、日々、徒然なるままに一筆、書いてきたわけであります。
 いろいろなことが有りましたが、そして、これからも、いろいろなことに遭遇するでありましょうが、気力が充実している限り、まだまだ好き勝手なことをつぶやいていきたいと思っております。

大辛口

日頃、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを教えてくださっているミカン先生(อาจารย์ส้ม)が、スイスのダボスで行われる歯学学会に出席されるということで、昨晩は、私がクラスを代講した(สอนแทน)。
 生徒さんの一人が、新潟旅行のお土産をみんなに配った。「大辛口 柿の種」である。帰宅後、中国人の生徒さんから頂戴した韓国土産の林檎酒と一緒に、それを食べてみた。辛いことは辛いが(เผ็ดก็เผ็ด)、耐えられない辛さではない。プーケットで食べた兜蟹の卵煮の辛さと比べたら問題じゃない(สู้ไม่ได้)。
 それでは、<大辛口>の上を行く表現は、はてさて何と言うのであろうか。<激辛>という表現は、もうすでにラーメンで馴染んでしまった。それでは、<激震大辛口>というのはどうであろうか? 余震ばかりが続いているので、発想が、つい、地震がらみになってしまった。ついでに書き添えると、私のかつての辛口授業は、最近は大いに甘辛に転じた感が有る。