服のボタン

私はジムトンプソンのコットン生地が好きだ。タイで仕立てたブラウスを、今年の夏も大いに愛用した。なかでも、象柄のものは、「今日も一日がんばるぞう(象)!」という気持ちで着ていた。だが、いつのまにかボタンの一つ(กระดุม ๑ เม็ด)がゆるみ、ぐらぐら。ボタンを落としては大変。何故ならば、替えのボタンを持っていないから。あわてて新しい糸で補強した。
 だが、数日後、別のボタンが落ちているのに気がついた。落ちた場所はわからない。歩いている時に落ちたのであろう。ああ、こうなると、ボタンを新たに買って来なくてはならない。来年の夏にしよう。
 しかし、ぐらぐらになったボタンの糸を補強する時、何故、あとのボタン3個の糸の張り具合も点検しなかったのであろうか。反省材料だ。
 反省した結果、やっとあきらめたところ、洗濯機の中に何かが残っていた。よく見ると、ボタンだ。小さなボタンとはいえ、私に教訓を与えてくれた。「点検は部分的ではなくて、全体にわたってしなさい」

中村紘子さんとタイ料理

偉大なるピアニスト、中村紘子さんが亡くなられたのは7月26日。昨日、古本屋で『どこか古典派』(中村紘子著・中央公論新社 1999年)を見つけたので購入した。彼女の文章力はつとに有名だ。「グルメブーム」という話の中に、次なる文章があった。 
 世界の三大美味は。フランス料理に中国料理、そして自分が生まれ育ったふるさとの料理、と言われる。つまり人種の坩堝(るつぼ)ニューヨークでは、その気になれば世界中の「ふるさとの料理」が食べられるわけで、事実カーネギーホールのそばのタイ料理店は、かつてのエスニックブームの東京で楽しんだどのタイ料理店よりも見事だったし、イタリア料理もスペイン料理も、ロシア料理でさえもたいしたものだった。
 中村紘子さんの舌は確かなものだと思う。彼女が東京の中のタイ料理店に行っていたとは….。知らなかった。

健康 と タイ語

 昨日、某書に、世界で一番最初に心臓移植を手がけた南アフリカのクリスチャン・バーナード博士の言葉を見つけた。
 「健康で元気な老年を迎えるための第一の条件はまず健康で身体に欠陥の少ない両親を選ぶことからはじまります」
 これをそのままタイ語の勉強に置き換えると、こうなる。
 「タイ語をペラペラしゃべるための第一の条件は、まずペラペラよどみなくタイ語をしゃべる両親を選ぶことからはじまります」
 人間は両親を選ぶことはできない。偶然の生き物だ。健康な両親から生を享受したものは幸せなり。だが、健康管理は自分の責任(ความรับผิดชอบ)。
 我々(生徒)はタイ人の両親を持つことができなかった。だから、タイ語ができなくてもいたしかたない。だが、タイ語の勉強を持続させることは自己の忍耐なり。

ビール or ピール

数日前、高田馬場駅構内にあるコンビニで菓子パンを買おうと思って入った。熊本県くまモンの絵が目にとまったので、熊本地震へのお見舞いの気持ちを込めて、「あまくさ晩柑クリームパン」を手に取った。説明書きを読むと、「あまくさ晩柑ピール入りのカスタムクリームをもちもちとした生地で包みました」
 晩柑ピールの言葉が、私には、ピールではなくて、ビールに読めた。「ビール入りのパン?」 そんなことは有り得ない。落ち着いて考えた結果、ピールは、「外皮 peel」であった。
 自分の視力が落ちていることを認めなくてはならない出来事だが、印刷文字が小さいと、<ビ>と<ピ>が判読しにくいことが多い。昨日は、新しいテレビの「8K」が、「BK」に見えた。これまた、視力の衰えか?

一葉知秋

昨日、小原流横須賀支部が開催している花展へ行った。今年のテーマは「一葉知秋」。テーマにふさわしく、色合いは秋一色。興味深かったのは、花とかぼちゃを横長の皿にうまく並べている作品であった。ハロウィーンを先取りしているらしい。
 泰日文化倶楽部で9年9ヶ月にわたり実施している「アジア女性のための生け花講座」の華道講師は横須賀支部長である。毎年、お招きを受けているので、私はそのたびに横須賀へ行っているわけだ。
 昨日、サプライズが有った。その会場で元生徒さんご一家とばったり。奥様はタイ人で、泰日文化倶楽部にも教えに来て下さっていたことがある。現在、華道講師はその奥様からタイ語を習っておられるので、ご一家を招待されていたというわけだ。
 元生徒さんは言った。「実は、昨日、昔のテキストを出して見ていたら、吉川先生のお若い時の写真が載っている新聞記事が出てきました。まさか今日、こうしてお会いするとは!」

しなびた野菜

昨晩、元生徒さんが会いに来てくださったので、一緒に食事をした。「何年ぶりになりますか?」と尋ねると、「結婚式以来です」と彼は言った。2000年に結婚したそうだから16年ぶりになる。16年が長いか短いか? 私にとっては短かかった。海外に駐在されていた時の話をうかがうことができ、大変に興味深かった。「卒業して20年になりますから、みんなで集まりたいです」と彼は付け加えた。
 目下、また東京で研修に入っているそうだから、精力をつけてもらおうと思って焼肉店へ行った。肉だけではバランスが悪いので、野菜も注文した。ところが、鮮度が落ちていた。
 そこで考えた。8月31日は、「野菜の日」であったが、こう暑いと、野菜もしなびてしまうのかしら? ネギはやはり冬に食べるのが一番いいんだなあ。野菜スープの中の大根も繊維ばかりが感じられて、まろやかさがなかった。白菜キムチもパリパリ感がなかった。だが、文句は言うまい。ネギも大根も白菜もがんばっているんだから。

วันนี้ วันดี

今朝、タイからラインが来た。書いてある文章は、以下の通りである。
 วันนี้ วันดี วันที่9 เดือน9 ปี59 ขอให้โชคดี มั่งมีเงินทอง เหลือกินเหลือใช้ มีสุขตลอดไป
この文章の出典元は、พระนพดล(ノッパドン僧侶)の『ขอให้มีสุข』。僧侶の名前の前半であるノッパ(นพ)には、<新しい>という意味と、<9>という意味が有る。そして、後半のドン(ดล)には、①層、地面 ②到達する ③霊感が有る、の意味を有す。したがって、このノッパドン僧侶は、「9層の地面に到達し、霊感を起こさせる」という御方なのかもしれない。
 今日は9月9日。タイでは、仏暦2559年だから、9という目出度い数字が3つ、並んだことになり、タイ人にはとても幸福な一日なのである。
 目白には、「九十九餅」というのが売られている。今日はこれを買って、99歳までの展望を一考してみよう。

ウタイのおめでた

一昨日、上野公園から嬉しい発表が有った。14年前に愛子様の御生誕を祝してタイから贈呈されたウタイとアティの2頭の象の間に待望のベビーが誕生することになったとのこと。出産予定は来年6月。
 ウタイはタイ語では、อุทัย と書く。その意味は「日の出」。だから、日出子さんだ。一方、アティだが、これは日本人向けの命名であり、本来ならば、「อาทิตย์ アーティット 太陽」。だが、日本人にはこの発音が難しいから、アティになったと思われる。雄象の名前としてはとても力強い。男性の名前としても古くから用いられている。
 今日は象に関する単語を列挙しよう。①ลูกช้าง ②งาช้าง ③งวงช้าง ④หางช้าง ⑤ช้างป่า ⑥ช้างเผือก ⑦ช้าง ๑ เชือก ⑧ช้างเอราวัณ ⑨ควาญช้าง ⑩ขี่ช้าง おまけは、เบียร์ช้าง です。

融資・投機・破産というタイ語

昨日、「タイ語中級 火曜日10:30」のクラスで、いろいろな話題が展開していく中で、「投機するという言葉はタイ語で何と言いますか?」と、生徒さんから質問が出た。私はこれまで一度も投機するというタイ語の場面に遭遇したことがなかったので、「投資する ลงทุน」と答えたが、投機と投資は意味が異なるという指摘を受けて、確かにそうだと思った。
 辞書で調べてみると、「投機する เก็งทุน」と書いてあった。冨田竹次郎先生の辞書なので、「เก็ง= 経」というふうに、漢字も併記されている。おそらく潮州語かもしれない。いずれにせよ、タイ語ではない。
 ついでに書くと、「融資を受ける กู้เงิน」。「กู้=救」であるから、これも漢字から来たもの。「破産する เจ๊ง」も漢字から来ている。冨田先生によると、「種」という漢字かもしれないが、あまり自信がないとのこと。
 いずれにせよ、経済や賭博に関するタイ語は中国から来たものが多い。やはり華僑の生活がタイにそのまま持ち込まれたことがわかる。銀行から多額の融資を受けて、それを投機に使えば、破産するのは自明だ。

バンコクに関する描写

タイに関係ない本を読んでいても、意外や意外、タイに関する記述が出て来る。作家達がいかにタイに滞在、あるいは、通過したかがわかる。
 昨日、『辺境・近境』(村上春樹著・新潮社 1998年)の中の、<アメリカ大陸を横断しよう>(注:1995年に書いたもの)という文章を読んでいると、次のような記述があった。要約すると、温水プールのついたモーテルは、狭くて、水が汚い。そして、建物の中庭に温水プールがあるため、建物じゅうが湿気を含んでもわっとしている。以下の文章はそのまま引用する。
 「要するに全部サウナみたいになっているところが多いわけだ。僕らはこの手の温水プールつきモーテルにはずいぶんひどい目にあわされた。インディアナ州の小さな町のモーテルに泊まったときには、まるでバンコク空港でのトランジットを想起させる寝苦しい一夜を送ることになった」
 この場合のバンコク空港とはドンムアン空港のことだが、このような喩えに使われているとは……。