一週間に一日は蟄居

一週間に一日は絶食するという方がおられるが、私には出来ない。だが、蟄居するのは大丈夫。出来る。
 蟄居という言葉の由来は、「武士または公家に対して科せられた刑罰のひとつで、閉門の上、自宅の一室に謹慎させるもの」ということのようだが、現代の使い方は、単に「家の中にひきこもっていること」。
 昨日、蟄居して家にこもった。そして、自分自身と対峙し、過去(อดีต)を振り返り、現在(ปัจจุบัน)を分析し、そして、未来(อนาคต)を見据えた。
 何故か両親のことが思い出された。私が大学を卒業して社会人になった時、父は70歳、母は62歳。それまで東京に仕送りしてくれた。当時は銀行振込などなかったから、現金書留で送られて来た。その時の封筒は今でも保存している。
 私はその時の父と同じ年齢に達した。子供に教育をつけると、きょうだい皆、四国には帰らなかった。両親の心境たるや、いかばかり….。

東京ではタイが身近になりました

昨日、友人とランチをした。場所は私の家の近くのフランス料理店。テーブルに着くやいなや、友人はタイシルクの長いスカーフが飾られているのをめざとく見つけた。そこで、私はオーナーシェフに尋ねた。「どうしてタイシルクのスカーフがあるのですか?」
 すると、シェフは答えた。「ああ、妻がタイへ旅行に行った折り、買って来たものです。タイのものだとお分かりですか?」
 私はすかさず応じた。「我々タイの関係者ですから、もちろんわかりますとも」
 食事を済ませて店を出たが、友人の荷物が重そうだったので、タクシーで池袋駅までお送りすることにした。タクシーはすぐに拾えた。そして、乗ってみて驚いた。「言葉にお困りのお客様に対応いたします」という紙を見つけたからだ。
 10ヶ国語位に対応するらしいので、タイの国旗を探すと、有りました! コールセンターにいる通訳につながる仕組みなのであろう。今や、東京のいたるところでタイを見つけることができる。

「嗜む」という漢字

昨日、『東洋のかたち』(木村重信著 講談社現代新書 1975年)を読んだ。第一部「生活のかたち」という中に<茶の色と茶碗の美>という考察が所収されており、著者は本阿弥光悦が書いた『本阿弥行状記』を評して、次なる文章を書いてある。
 「本阿弥光悦は愛玩の名器を知人に与え、名もない新しい茶器のなかから自分の趣味にあったものをえらび出したということ、これはかれが本当の茶人であり、また自己の鑑識眼について並々ならぬ自負をもっていたことの証拠である。そしてこのような態度が、売るためにではなく、みずから嗜(たしな)むための茶碗をつくることともなったのである」
 私は、「嗜む」という漢字に接して、非常に面白い組み合わせだなあと思った。「口+老+日」という漢字の組み合わせは、人生そのものを感じる。ネットの時代は便利だが、まことに味気ない。やはり、糊口を凌ぎながら、日々の暮らしを着実に重ね、そして、静かに老いて行けば、いろいろな世界を嗜むことができる……。

店舗製品を安く売る店

 昨夕、西早稲田にある店舗製品を安く売るリサイクル店へ行ってみた。小さな机(โต๊ะเล็กๆ)を探すためである。
 店舗で使用されていたテーブルやイス(เก้าอี้)がうず高く積まれており、それらが悲鳴をあげていた。早くどこかへ連れて行って、と言わんばかりである。事情が有って閉店を余儀なくされた店から運ばれて来たのであろう。残念ながら、欲しい小机との出会いはなかった。
 しかしながら、そこは飲食店で使用する全ての製品を扱っているから、広い店内を歩いて見ているだけでも面白かった。まるで、自分がこれから飲食店を経営するための下見に来ている錯覚にとらわれてきたから、これ不思議。
 

生姜糖

 今日は早朝から(แต่เช้า)仕事が入ったので、急いで家を飛び出した。仕事は午前中で終わった。夜までは自由時間だ。某商店街をぶらぶらした。呉服店を見つけたかったが、見つからなかった。半額セールの帽子屋(ร้านขายหมวก)に入るが、私に似合う帽子は無し。
 豆腐屋(ร้านขายเต้าหู้)の前を通った時、干し柿(ลูกพลับตาก)を売っていたので購入。レジの近くに、昔懐かしい生姜糖(ขิงชุบน้ำตาล)が置いてあったので、ついでに買った。
 教室に着いてから、干し柿を開けると中国製であった。そして、生姜糖は原産国がタイであった。緊張する通訳の仕事を終えて、甘いものでも口にして一息つこうと思ったところ、何とまあ、またタイが追いかけて来た。
 かくして私は一日中、タイ、タイ、タイ、で暮らしている。

「人生百年時代のライフシフト術」

 『文藝春秋三月号』を買った。芥川賞全文掲載に惹かれたからである。だが、私にとっては、芥川賞作品よりも、「人生百年時代のライフシフト術」という文章(リンダ・グラットン女史に近藤奈香さんが取材し構成したもの)のほうに興味を覚えた。この文章で言わんとすることは、最後にきちんとまとめられている。
 「私たちは、これまでの伝統、ステレオタイプ、従来の<型>が次々と壊されていく過渡期の時代を生きています。敷かれたレールに上手く乗るよりも、いかに主体的に自身の人生設計に取り組むか、周囲をよく見て、どのように生きるべきかを一生懸命考えることが問われる時代です。一人ひとりに勇気が必要な時代だと思います」
 文章の途中には、「<百年ライフ>が現実のものになるにつれて、社会を構成する一人ひとりが生涯を通して学習し続けていくことの重要性が増すことになる」とも書かれている。そうだ、死ぬまで学習し、頭を研ぎ澄ませよう!

タイの子供の反応

 昨日、教えた生徒さんA氏から面白い話を聞かされた。つい最近、南タイへ行かれた折り、町中の子供にタイ語で話しかけたところ、その子供はすかさず、”I can’t speak English.”と答えたそうだ。
 その子供の反応に対して、A氏はショックを受けたという。何故ならば、御自分のタイ語が通じなかったこと、そして、子供がタイ語ではなくて、英語で答えて来たことに驚いたそうだ。
 それを聞いて、私は思った。日本人のタイ語の発音はまだまだである。声調が違うと、まずアウト。文章全体の意味をなさないから。そして、年寄りの人が話す言葉は、何語であっても聞き取りにくい。
 だが、私はこうも思った。そのタイの子供には、A氏がしゃべっている言葉が何語であるのかさっぱりわからず、そのため、外国人を見ると、学校で習った英語で、”I can’t speak English.”と答えることにしているのであろう。

テレビ番組制作会社に就職したタイ人

一昨日の夜、帰宅後すぐにテレビをつけると、いきなりタイ料理店が出てきた。番組は、テレビ東京の「モヤモヤさまぁーず」。町屋界隈の取材であった。タイ料理店なら今やそこかしこにあるが、そのタイ料理店はちょっと変わっていた。日本人男性が経営する近所のたこ焼き屋と合併した店舗経営のため、タイ料理もたこ焼きも同時に注文できるようになっていた。
 そこまでなら、「あ、そうなの」で済ますことができるが、私が驚いたのは、この番組を担当しているADさんがタイ女性であったことだ。この番組が好きで、ADとして就職したとのこと。来日したのは6年前。相当に日本語を勉強したらしく、上手だ。一見、日本人かなと思ったが、タイ料理店のオーナーであるタイ女性と一緒に踊る手つきはやはりタイ人であった。
 タイ人がテレビ番組制作会社に就職して、楽しそうに働いているのを見て、日本人の若者達もしっかりせんといかんなあと思った次第。

デコポンの妹分のはるみさん

昨日、友人が出演する「府中アカデミー合唱団 第31回定期演奏会」を聴きに行った。会場は、府中の森芸術劇場どりーむホール。最初に団長のご挨拶が有った。その中で強調された点は、「30年以上経ったので、若返りが必要です。ご興味のある皆さん、どうぞご入団ください」ということ。それを聞きながら、創立29年目に入っている泰日文化倶楽部も同じだなあと思った。
 ところで、本日の話題は、「はるみさん」。演奏会の帰り道、古風なスーパーを見つけた。郷愁にかられて中に入って行くと、「デコポンの妹 はるみ」というミカンが目に止まった。デコポンの妹なら、ポン子ちゃんでもいいのに、何故、はるみなのかと怪訝に思いながら買った。そして、帰宅後、名前の由来を調べると、ポンカンx清美の間で生まれたミカンであり、2月に市場に登場して来るので、「春を見る」という意味合いをかけて、「はるみ」となったそうだ。
 寒い。春が待ち遠しい。はるみを食べて、ビタミンCを補給しよう。

青森の人・沖縄の人

昨日、友人の引越しの手伝いに行った。友人はネットで格安の引越し業者を選んでいた。値段を訊くと、大手の半額!
 まずは荷物の運び出しのために2人がやって来た。その2人の話し方が標準語ではなかった。そこで、友人が彼らに出身地を尋ねた。一人は青森県出身、そして、もう一人は沖縄出身であった。
 ところが、標準語に慣れている我々には、彼らの話し方に全く区別がつかなかった。つまり、青森の津軽弁と、沖縄の言葉がかなり近いように聞こえたわけだ。かつて、海流に乗って北海道の産物が沖縄へ行き、人々の往来も有ったということを授業で習ったことがあるが、青森県もその範疇に入っていたのであろうか?
 若い2人の男性は真面目に荷物を運んだ。荷物の積み出しが終わる頃、社長と、もう一人の年配者が現れた。現場の状況を監督に来たみたいだ。引越しシーズンに突入する2月、3月。彼らは毎日、黙々と荷物を運ぶことであろう。