十風五雨豊穣

 昨日、お茶の稽古に参加した。床の間に掛かっていた軸には、「十風五雨豊穣」と篆書されていた。茶道講師がお書きになったものである。
 「十風五雨」の意味を調べると、「世の中が平穏無事であるたとえ。十日ごとに風が吹き、五日ごとに雨が降る。濃厚に適した天候のこと」と書いてあった。
 「豊穣」という言葉はタイ語で「อุดมสมบูรณ์ ウドム・ソムブーン」と言う。この言葉はスコータイ時代の昔からタイ人の精神構造を築くものであるが、いつ聞いても安堵感が彷彿とする。食べることに心配が無く、ゆったりとした気分で暮らせるような気がするからである。
 かつては、タイ人男性の名前に、「ウドム君」や「ソムブーン君」が多く見られたが、最近は減って来たような気がする。日本で「豊 ゆたか」という名前が減って来たと同じく….。 いずれにせよ、五穀豊穣は嬉しい。天災(ภัยพิบัติ)は嫌だ。

文章をたくさん書こう!

今日は「体育の日」。清々しい天気に恵まれてこれ幸せなり。体を動かすことが好きな方は大いに運動をすればいい。だが、家で静かに過ごしたいという方は、読書に励むのも良し。「人」+「本」=「体」になるわけだから、読書は頭の体操になる。
 ところで、最近は文章を練るということをあまりしなくなった。そもそも手紙を書くのが億劫になっているせいかもしれない。学生にレポートを書かせると、本人が書いた文章ではないことがわかる。コピペが多い。
 昨日、タイの小学校4年生の教科書の中に、<主語+修飾句、動詞+修飾句、目的語+修飾句>の文章の書き方が紹介されていた。修飾句の表現が豊かになれば、文章もおのずから豊かになる。さらには、段落の重要性を説き、一つ一つの段落に一つのまとまった話をきちんと書き込むことという注意もなされている。まるで文章教室みたいだ。

中国語クラス

「旅の中国語 土曜日14:30」を9月から開講している。昨日は第5回目であった。旅行中に使う簡単な表現を学べばいいと思って中国人講師を招いているだけのことである。ところが講師が本気を出して教えるので、いまだに発音の練習が続いている。ということは、我々日本人の発音はまだまだということなのだ。
 昨日の参加者は5名。一人一人の発音に対して矯正が入るから、自分の番が来ない時は他の生徒の発音を聞き、そして、弱点を知ることになる。この点においてはグループレッスンもいいものだと思った。2~3人で勉強すると、あたる回数が増えて、息が詰まりそうだ。矯正されても直しきれないまま、また順番が回って来る。
 いずれにせよ、声調言語は、中国語であれ、タイ語であれ、声調が肝心。年齢が高じるにつけ矯正が難しくなるが、講師の熱心な御指導に応えるべく、声調言語に強くなろう!

骨密度

昨日、区の健康診断(無料)へ行った。「4年ぶりに骨密度を計ってみましょう」と言われたので、指示に従った。結果は骨粗鬆症ではなかった。若い人にはかなわないが、まあまあの数値で、背中や腰が曲がる心配はないと聞き、一安心。
 骨密度が分かると、今度は<脳密度>を計りたくなった。CTを撮れば、脳の様子は一目瞭然だ。脳の中がぼんやりしてきているのを知ると、心配が増えそう……。やはり、やめておこう。
 いずれにせよ、自分の身体の調子は自分が一番知っている。NHKの身体に関係する番組を見ていると、身体の内臓や部位はそれぞれに会話をし合っているそうだ。脳からの指令だけではないということが現代医学で解明されつつあるとか。とすると、全ての臓器が調子良く動くことを願って、身体をいたわってあげなくてはならない。今日から3連休。骨休めだ!

カズオ・イシグロ氏の顔

昨晩8時頃、帰宅してすぐにテレビをつけると速報を知らせる合図の音が聞こえた。画面の上方を見ると、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞したことを伝えるテロップであった。正直なところ、意外な気がした。しかし、彼が立派な作家であり、世界的なレベルの作家に到達していることを知り、すばらしいと思った。
 その後、彼に関する映像を1時間近く見た。特に、彼の顔に関心を持った。沈思黙考する顔、深淵なる心を浸透させた顔….。久々に文学者の顔を見た気がした。今年4月に86歳で亡くなった大岡信氏(詩人・評論家)の顔に通じるものが有る。70歳代、80歳代のイシグロ氏の顔を見たい。
 大学時代に英文学を専攻した私は、文学と評論をたくさん読まされた。「夏目漱石と英文学」を講義する教授の顔が今でも思い浮かぶ。覚えているのは、<意識の流れ>というテーマである。これはなかなかに複雑な心理であり、人間社会において縦横無尽に張り巡らされている糸である。

英語を教えて下さった恩師達

 先日、美容院へ行くと新人の美容師が担当してくれた。私が教師であることを明かすと、「僕には思い出に残る先生が一人もいません」と言ったので、「それはまた、淋しいことね」と言うしかなかった。
 ひるがえって考えてみると、私は英語の先生に恵まれていた。中学時代も高校時代も、先生達はとても熱心に教えてくださった。生徒が文法的なことを質問すると、「それは習慣じゃ。そのまま覚えなさい」という先生がおられたが、その先生の顔はいつもにこにこして、「深く悩むな」と言わんばかりであった。
 いずれの外国語も難しい。日本の方言も然り。習ってすぐに話せるようになるものではない。おでん種(おでんだね)のように、鍋の中に入れられて、ぐつぐつ煮込まれて、汁を吸って、それから、味をしみ込ませる必要がある。語学の勉強は料理の勉強に通じるような気がして来た。
 

寺山修司と高田馬場

昨日、高田馬場駅前のビルの中に有る古本屋で、『母の蛍 寺山修司のいる風景』(寺山はつ著 新書館 1985年)を購入。文章が自然体で書かれており、一気に読めた。寺山の奥さんが書いた本は読んだことがあるが、彼をはさんで対極にある母親が書いた本はそもそも彼を産むところから始まっているから、どう見ても奥さんはかないっこない。
 それにしても文章が上手い。彼女の苦労を縦糸に、そして一人息子を愛する母親の心理を横糸にして、文章がうまく織り込まれ、必死で生きて来た<女の一生>が浮かび上がっている。
 「まもなく修ちゃんから高田馬場にいい下宿を見つけたという連絡がありました。そこで私は引越しの日、そこに駆けつけました。石川さんといって福祉事務所の所長さんのお宅で、夫婦二人にネコが一匹の家庭で、学校を通して紹介されたのです」という文章が有った。寺山修司が早稲田大学へ通っていたのは知っていたが(注:演劇の仕事が忙しくて中退)、高田馬場に住んでいたことがあるのを知り、親近感が湧いた。

祈る(อธิษฐาน)

昨晩、ピカピカ先生が風邪のため休むことになったので、急遽、指輪(แหวน)先生に代講していただいた。指輪先生は、「学問か、子供か」の二者択一の中から学問を選ばれたそうだが、結婚しておられるので、ご主人が毎月、バンコクから東京に飛んで来て、二人仲良くサイクリングをしているそうである。
 「毎月の飛行機代、馬鹿になりませんね」と、私がゲスな質問を投げかけると、彼女は次のように答えた。
 「大丈夫。主人は宝くじが3回も当たったんです!だから、飛行機代は気にしておりません。彼は宝くじを買う時、どうか当たりますようにと必死でお祈りします。当たると、必ずお供えを持ってお礼参りをしています」
 生徒が質問した。「日本人も宝くじ買えますか?」
 「買えますとも。でも当たった時は、バンコクへお礼参りをしに行かなくてはなりませんから、飛行機代が大変ですね」
 <祈る、願をかける>というタイ語は、<อธิษฐาน アティッターン>、そして、<お礼参り>は、<แก้บน ゲェーボン>と言う。

腎臓(ไต)

昨晩、NHKで人体に関する番組の第1回目として「腎臓」の機能に関する話が取り上げられた。最新の映像により、腎臓の奥の奥までが紹介され、非常に分かりやすかった。解説者の山中伸弥先生(ノーベル賞受賞者)は、「昔は肝心という言葉は、肝腎と書いていたくらいですから、腎臓は大切な臓器なんです」と付け加えられた。それを聞くと、腎臓が愛しくなった。
 ところで、腎臓のことはタイ語で「ไต タイ tai」と言う。日本人の多くが、タイの名称を「ไทย タイ thai」とは発音せず、腎臓の「タイ tai」で発音している。つまり、有気音ではなくて、無気音になってしまっている。
 したがって、せっかく発音しても、タイ国が腎臓国、タイ料理が腎臓料理、タイ語が腎臓語、タイ米が腎臓米に聞こえてしまう。生徒の皆さん、日本人が弱い有気音と無気音の発声の仕方を、今一度、訓練して矯正しよう。

泰日文化倶楽部、祝29周年!

1.泰日文化倶楽部は1988年(昭和63年)10月からスタートした。今月、満29周年を迎えた。まことにめでたい!
2.今日から30周年を目指して、地道に歩んで行きたい。
3.御縁が有ったすべての講師達と生徒さん達に感謝の気持ちを表したい。
4.私は裏方で頑張っているが、これからも飄々と教室を開講し続けて行きたい。
5.泰日文化倶楽部が大都会の中の小さなオアシスであることを望みたい。
6.現在、生徒の男女比は、男性2対女性1である。女性の生徒さんにもっと勉強に来てもらいたい。
7.泰日文化倶楽部は29年間、授業料の値上げをしたことがない。今後もそれを守りたい。
8.語学の勉強は情熱が要求される。今一度、御自身の情熱を問い直していただきたい。
9.タイ人、タイ語、タイ料理、タイの歌、タイの踊り、タイの動物、タイのビール、何でもいい。タイづくしで暮らしたい。