唐傘・番傘・蛇の目傘

梅雨と言えば雨傘が手放せない。昨日の茶室には、香合として、ミニチュアの番傘が飾られていた。
 番傘といえば我が家(旅館業)には何本も用意してあった。遊びに出かける客達に臨時に貸し出すためである。ネットでその由来を調べてみると、傘に番号がつけられていたので、番傘と名付けられたそうだ。
 そのほかに、唐傘というのがあるが、これは539年に中国から到来した傘で、傘の開閉がからくりみたいに見えたから、最初は「からくり傘」と称され、やがて、「唐傘」となったというのもわかった。
 では、蛇の目傘とは? 番傘、唐傘と同じ作り方だが、同心円の中央部あたりに、昔は「家紋」(例:蛇の目)を入れていたそうだ。番傘、唐傘、そして、蛇の目傘を総じて和傘と呼び、洋傘(パラソル)とは区別される。
 最後に、頭の体操をしよう。「傘」を使った表現を思いつくだけ書き出してみよう。たとえば、「アメリカの傘の下」。うーん、嬉しくない表現だ。

海外バードウオッチングツアー

公益財団法人「日本野鳥の会」が送って来た『野鳥 6月号』の表紙裏に、国内と海外のバードウオッチングツアーの広告が残っている。
 ①ハルマヘラ島(インドネシア)¥375,000、 ②スラウェシ島北部 ¥488,000、 ③ジャワ島とスマトラ島 ¥480,000、④モンゴル・中央ゴビと南ゴビ ¥498,000、⑤秋の黒海沿岸 ¥352,000、⑥オーストラリア西部 ¥562,000、⑦ウガンダ ¥536,000、 ⑧ブラジル ¥698,000、⑨アルゼンチン ¥748,000。
うーん、いずれも高額だ。去年の暮れに募集された「タイ 越冬シギチの大群と日本の珍鳥」というツアーは、バンコク近郊のとっておきの探鳥地へ連れて行ってくれるものであったが、¥289,000。
 冬期はタイへ避寒したい日本人が多くなったが、日本に生息している鳥たちも、どうやらタイが好きらしい。しかし、鳥はいいなあ。自前の羽で飛んで行けるから….。飛行機代がかからなくて済む。

大福帳=大宝恵(おぼえ)

 昔の商家では「大福帳」が書かれていた。この大福帳を、「大宝恵」ともいうそうだ。その読み方は、「おぼえ」。商家は商売繁盛が第一だから、大福帳はその家の宝である。大福帳の中に「福」が入っているのはまことに目出度いが、「大宝恵(おぼえ)」にも「宝」と「恵」が入っており、商人の商魂が垣間見られる。
 皆さん、最近、単語を覚える力やいかに? おそらく、減退、あるいは、停滞を感じてはいまいか。
 では、覚える力を増強させるにはいかにすべきであろうか? それには学習時間を増やし、何度も暗誦することである。それなら家にいてもできる。なにも教室だけが勉強の場所ではない。
 たくさん覚えて、「大宝恵(おぼえ)」=大福帳の厚みを増やしていこう!

6月を実り豊かな月にしよう!

今日から6月(เดือนมิถุนายน 水無月)。元旦(วันขึ้นปีใหม่)数えると、今日は152日目に当たる。約41.3%が過ぎ去った。残すは213日。いかに有意義に過ごすか…..。
 真夏はばてて体力消耗。したがって、これからの1ヶ月半が勝負だ。時間を大切に使おう。
 先月、新潟へ行った時、新幹線の車窓から田植えが終わった水田を見た。まだ10センチ位の苗であった。だが、9月には稲刈りが始まる。植物の成長は早い。
 それに比べると、学習効果というのは実に遅速である。半年では無理。1年経っても、2年経っても、実績は怪しい。しかし、やめてしまうと嫌悪感におちいる。
 稽古事は、自分で自分を牽引する力が無いと持続しない。6月という月は、昔から稽古事を始めるにふさわしい月である。気分一新して、学習効果を狙うべく、日々、精進しよう。

美濃和紙

今日で5月も終わり。着物の世界では、袷(あわせ)から単衣(ひとえ)に衣替えだ。そこで袷の着物をたたみ、買って来ておいた「呉服たとう紙」にしまう。そのたとう紙は美濃和紙で作られており、説明書きには次のように記されていた。
 「千三百年余年前、天平時代の文化が発展したころ、中国より美濃の国に伝来し、山々に群生していた楮(こうぞ)の木を利用して、鵜飼で名高い長良川の清流で漉かれた世界一美しいと言われる美濃和紙が完成しました。美濃和紙の特徴である<流し漉き>の方法で、紙質は柔らかく、絹の様な肌ざわりから、この和紙を絹漉と呼んでいます」
 たとう紙を触ってみると手触りが実にいい。伝統が醸し出す優しさに接した感を覚えた。なかでも「本美濃和紙」というものは、世界文化遺産に選ばれているそうだが、納得。
 ひるがえって、話をタイ語に向けてみよう。我々のタイ語学習においても、タイ航空のモットーである”Smooth as silk”(シルクの如くなめらかに)を真似て、シルクのような滑らかさを目指したいものである。

タイ文字の勉強

タイ文字の判読がいつまで経っても苦手な生徒が多い。しかし、その苦手意識を払拭して、ただただタイ文字を書きまくる必要が有る。書いて書きまくれば、タイ文字の仕組みがわかり、面白さにも気づくはずだ。
 そのためには、習ったタイ語を毎日、少しでも書き写すこと。基本単語(動詞・名詞・形容詞)の中から50語を選んで、それらを何回も書いてみると、親しみがわいてくるものだ。
 私の場合は、母音だけ、子音だけを一気に教えることはしない。それよりも、単語そのものを書かせるようにしている。漢字を覚える時と同じように….。
 タイ文字に馴染めない生徒に対しては、声調の規則を一度に全部教えても、かえって混乱を招くだけである。ある程度、わかってきた時には、総合的にまとめるものの、最初から規則、規則という授業はしたくない。
 とにかく、タイ文字で学習が立ち往生している生徒は、早く、タイ語の川を渡って、反対側の岸に向かってもらいたい。タイ文字が読めるようになれば、タイ語の世界は広がるから。

昼間の勉強 vs  夜間の勉強

泰日文化倶楽部では昼間も夜間も授業を組んでおり、グループ・レッスンは、現在のところ、全部で20クラスが展開している。昼間が好都合な高齢者と、仕事帰りに通って来られる夜間の会社員にわかれており、両者が交流することはまず無い。だが、私はその両方の雰囲気を知っているので、いつも人間観察をしている。
 昼間と言っても、火曜日、木曜日、そして、土曜日は、朝から授業を実施しているので、生徒達の頭はすっきりしており、タイ語の勉強を楽しんでいるかのように見える。
 それに引きかえ、夕方から夜にかけて通って来られる生徒達は、すでに仕事で疲れている。だが、それでも高田馬場の泰日文化倶楽部まで通って来てくださるのだから、頭が下がる。大いに褒めてあげなければいけない。
 先日、旅行した新潟県の塩沢で、「ちくちく縫い」という縫い方が有ることを知った。ほころびた古着にちくちくと針を刺して、また使う。雪国ならどこでもやっていることだとは思うが、すばらしい節約精神だ。
 ひるがえって、タイ語の勉強はいかに….? 「こつこつ習い」を実践して、これまでの勉強をおさらいしながら、さらに自信をつけていこう!

直心是道場

 昨日、茶道教室に参加した。床の間にかかっていた御軸は、「直心是道場」。その意味をネットで調べてみると、臨済宗黄檗禅の公式サイトには以下の説明が有った。
 「直心(じきしん)」とは、真っすぐな心、素直な心、あるいは直接という意味で、真実にぴったりと合った心など、いろいろな意味が含まれている。しかし、そういう直心を身につけることは、決して容易ではない。直心を保つことは、自分を鍛える道場にほかならない」
 この禅語は、剣道や茶道ではよく浸透しており、「誠実な心こそが修行を完成させる場である」という意味合いに解釈されているとのこと。
 入梅近し。我々は心身ともに疲れている。体の調節も心の清浄化も、全く思うようにはならない。だが、「直心是道場」の禅語を肝に銘じて、自分と仲良く対峙しようではないか。

還暦の修学旅行

中学時代の恩師が上京して来られたので、東京圏に在住の教え子が昨晩、招集された。いろいろな話で盛り上がったが、とても印象に残る話を聞かされ、恩師の素晴らしさにあらためて感服した。
 第一期生は現在、77歳。彼らは中学の修学旅行へ行くことをとても楽しみにしていたが、紫雲丸沈没事件(1955年 昭和30年)が起きて、多くの修学旅行生に犠牲者が出たため、先輩達の修学旅行は急遽、中止になってしまったそうだ。
 恩師はその時の生徒達の気持ちをずっと胸にしまっておられた。そして彼らが還暦を迎えた時に、修学旅行を実施。しかも、当時、予定していた旅行のコースをそのまま再現するかたちで…..。
 その話を聞いて、46年後に修学旅行を企画した恩師の優しさ、そして、還暦を迎え、人生の第一舞台から降りて余裕を持った教え子達のはしゃいだ気持ちを、私なりに想像した。

運動会

 今日は近所の小学校と中学校がいずれも運動会。軍歌っぽい曲や、甲子園野球で聞き慣れている曲が次から次に聞こえてくる。
 だが、運動会そのものを嫌う方達がいると見えて、毎年、学校長の名前で、プリントが近所の各戸のポストにあらかじめ配布される。内容は「子供達の声がうるさくてすみませんが、どうかご理解ください」というものだ。
 そこまで校長は気をつかわなくてもいいのにと思うのだが、先手先手を打ってくる。
 年々、苦情社会になってきている。クレーマーが多すぎる。それがまたストレスを生む。たしかに病気で臥せっている方にはお気の毒であるが、運動会だから、大目に見てやってほしい。自分の小学生時代を思い出す日にしよう。