昨日、「タイ語入門 金曜日18:00」のクラスを教えた後、授業効果を上げるためについて自分なりに考えた。
このクラスの生徒は2名。高田馬場にある日本語学校で日本語を教えている先生達だ。先週、教えた時、二人とも疲れているのがわかった。果たして、今週の調子はどうであろうかと思いながら教室で待っていたが、残念ながら、さらに悪かった。彼女達が外国人に日本語を教えて疲労困憊になるのは致し方ない。熱心な証拠である。
一方、私は体力と気力を充実させて授業に臨むようにいつも心掛けている。教えたいことはいくらでもあるからだ。
結論=1)先生の体力と生徒の体力が同じであることが望ましい。
2)先生の気力と生徒の気力が同じであることが望ましい。
3)先生の能力と生徒の能力が同じであることが望ましい。
ドリアン・ピザ
昨日、指輪(แหวน)先生から、「เมนูใหม่ที่เมืองไทย (タイの新しいメニュー)」という短い言葉とともに、2枚の写真がラインで送られて来た。
1枚目は、ドリアン・サンデー。「อะเมซิง ทุเรียน หมอนทอง ซันเด รสชาติไทยๆ ที่ใครก็ปลื้ม」と書かれてあった。直訳すると、「アメージング 黄金の枕のドリアン・サンデー。誰しもが歓喜するこれぞタイが誇れる味」。
ドリアンのトゲトゲした殻を半分に割って、それを器にし、ドリアン入りのアイスクリームを乗せている。パイナップルの殻の中にパイナップル入りチャーハンを入れているのは楽しいが、果たして、ドリアン殻の器で食べる大型アイスクリームは食べきれるであろうか?
2枚目の写真にはもっと驚いた。ドリアン・ピザである。「ใหม่(ニュー) พิซซ่า(ピザ) ทุเรียน(ドリアン) หมอนทอง(黄金の枕)」。大きいサイズが359バーツ、そして、小さいサイズが259バーツ。
ドリアンの中でも、「黄金の枕」は昔から有名だ。殻から出て来た果肉の形はまるで黄金の勾玉(まがたま)。 そして、口の中に入れた時のねっとり感たるや、タイに歓迎されて至福の至りである。
生徒さんの土産話
ボン先生がタイへ一時帰国のため、昨日、タイ語中級の2クラスを代講した。その際、20年ぶりにセンチメンタル・ジャーニーを果たしたO氏の土産話を聞いて、他の生徒さんと一緒に笑いころげた。
O氏は頑張ってタイ語を話したが、ホテルの人達は英語を話したがる。ついには、こう言われたそうだ。「英語、話せないの?」
彼がピサヌロークで撮ったタイの女子高生や町の人々の写真は実にすばらしかった。タイ人の自然な微笑!
彼はスコータイへ行った時、「切符売り場(จำหน่ายบัตร)」で、タイ人は20バーツ、外国人は100バーツと書いてあるのを見て、切符売りの若い女性に向かって、「คนไทย(タイ人)」と言ってみたところ、若い女性の横でずっと居眠りをしていたおばちゃんが、すかさず「ไม่ใช่(ちがう)」と言ったそうだ。
顔もみないのに、何故、そのように言ったのであろうか? 彼の発音が外国人特有の発音であったからに違いない。タイのおばちゃんは居眠りをしていても、耳だけはするどい。
六福かえる守り
私は時々、門前仲町の深川不動尊にお参りをする。最近、「六福かえる(帰る)守り」をいただいた。
一、幸福かえる(しあわせ祈願)
一、円福かえる(家内円満祈願)
一、金福かえる(金運招福祈願)
一、寿福かえる(健康長寿祈願)
一、開福かえる(開運厄除祈願)
一、安福かえる(交通安全祈願)
現時点に於いて、これらすべてを希望通り手中にできている人は果たしてどのくらいいるのであろうか?
しかし、祈願基準のレベルを下げれば、つまり、自分の満足度を下げれば、そこそこ大丈夫。それでいいと思う。
上記の六福に、もう一つ追加させてもらいたい。
一、脳福かえる(頭脳明晰祈願)
花がすき タイがすき
いけばな小原流の生徒募集のチラシに次なる文章が書かれている。
花に触れて、優しくなる自分を発見。
素敵な先生に感化されてる自分を発見。
「いけばな」を始めてから、なんだかイイ感じ。
では、これを真似させてもらい、タイ語の生徒募集を書いてみよう。
タイに触れて、優しくなる自分を発見。
素敵な先生に感化されてる自分を発見。
「タイ語」を始めてから、なんだかイイ感じ。
今日の宿題
週明けの雨は憂鬱だ。しかし、梅雨だから致し方ない。私は義姉(พี่สะใภ้)が作った梅ジャムをトーストパンに塗ったり、あるいは直接舐めながら、ぼんやりした体を目覚めさせている。
今日は、頭脳を鍛えるために、「女」が入った漢字を列挙するので、タイ語に訳してみよう。
1)安全2)安心3)努力4)数字
5)数える 6)嬉しい 7)嫌う8)姪
9)嫁10)姑11)婿12)妾
13)娼婦 14)妊娠 15)分娩 16)~の如く
17)婚姻 18)妨害 19)妥協 20)媒介
日系ペルー女性と生け花
昨日、横須賀へ行った。いけばな小原流横須賀支部の「花の輪・人の輪=みんなの花展」に招待されていたからだ。6月の花である菖蒲や紫陽花がそれぞれの器に涼やかに生けられていた。
数々の作品を見ているうちに、なつかしい女性のお名前を発見。その女性は日系ペルー女性。東大の博士課程で遺跡保存の研究をしておられた時は、泰日文化倶楽部が主催している「アジア女性のための生け花教室」でお稽古していた。
卒業後、ペルーへ帰国されたが、御縁が有って日本人と結婚。今は横浜に在住。華道講師のお話だと、横須賀支部でのお稽古に赤ちゃんを連れてずっと参加しておられるとのこと。師範の免許もお取りになっておられるので、教えたい気持ちでいっぱいだそうだ。
しかしながら、華道講師は次のようにおっしゃられた。「日系といえども、やはり外国育ち。したがって、基本よりも自由が先に立ちます」
私は日系女性を援護した。「日本人には無いその自由さが、またいいんですよね」
日本語での説教 vs 英語での説教
大学時代の寮監の葬儀に参列したのは平成最後の4月末であった。その際、敬虔なるキリスト教徒の友人も参列。葬儀後、彼女は言った。
「最近、英語で説教をしてくれる教会へ行っております」
それを聞いた私は、英会話の勉強の一助にしているのかと思った。だが、そうではなかった。
「日本語でお説教を聞いても、あまり新鮮味が感じられなくなりましたので」、彼女。
キリスト教は西洋から日本に入って来たものである。先達が数百年をかけて日本語に翻訳してくれた。所詮、翻訳文だといわれれば反論できない。
だが、もしも聖職者である牧師さんの日本語が通り一遍のものになってしまっているのであれば、それは由々しき問題だ。反対に、聞いている信者の心が何かの要因で感動しなくなっている場合も考えられる。英語での説教をずっと聞き続けていると、これまたいずれは飽きてくるかもしれない。
要するに、年月を経れば、自他ともに曇りが生じるものだ。そのことに気づき、常に磨きをかけることが肝心。
欽ちゃんの自主退学
萩本欽一氏(78歳)が2015年に駒澤大学に入学した時もびっくりしたが、今年5月に自主退学したことが『週刊文春』に掲載している「欽ちゃんのボケないキャンパス珍道中」で報じられていることを知り、おやおやと思った。だが、自主退学の理由がわかって、おおいに納得。
「笑いの世界に戻ろうとしても、すぐには自分の頭が切り替わらなくなっていると痛感してね。大学生活を送ってきた自分がいかに真面目な人になっていたか。自分が全力で笑いに取り組める時間はそう長くはないから、焦りを感じたんだ。次は笑いの世界で100点を取ろうとするぼくの姿を、みんなに見てもらいたい」
この理由には深い意味が感じとれる。大学で理論的に勉強すればするほど、笑いの世界から遠ざかっていくのかもしれない。欽ちゃんは「笑いと仏教」というテーマで卒論を書きたかったそうだが、何も文章にまとめる必要はない。むしろ、「笑うお釈迦さま」になって、混沌とした世界に彼なりのアクションを残すほうがいい。
稽古始め
今日は6月6日。昔のしきたりによると、6歳の6月6日から芸事を習い始めるとよいようである。しかし、最近は2~3歳から習い事をさせる親も多い。いずれにせよ、感覚を覚えさせるには、早いうちからその環境を与えてあげることは大切だ。
何故、6歳の6月6日なのであろうかと疑問に思い、ネットで調べてみると、世阿弥(1363-1443)が『風姿花伝』の中で、数え7歳(=満6歳)から稽古を始めるのがよいと書いているとのこと。
他説として、数を数える時、指を使って1,2,3,4,5と数えると、6の時には小指を立たせなければならない。「小指が立つ」=「子が立つ」と考え、子供に芸事を習わせるようになったとか…..。
いずれにせよ、芸は身を助ける。小さい時から習うに限る。
備考)タイ語に訳しなさい。1)6+6=12、 2)6-6=0、 3)6x6=36、 4)6÷6=1