昨晩、韓国語クラスの前期授業が終了したので、恒例の会食が行われた。今回の会食には、韓国人講師が同窓生の息子さんであるP君を連れて来られた。生徒のアジュンマ(=おばさん)9人に取り囲まれて、P君は大興奮。
P君はアメリカに生まれ、アメリカで育った韓国人であった。大人になってからソウルに行き、韓国語を勉強したそうだ。その際、並行して、日本語も勉強したので、日本語もペラペラ。それなのに、目下、東京の日本語学校で日本語をブラッシュ・アップ中。
P君は歌手であった。そこで、アジュンマ達が「歌ってください!」とお願いすると、その要望にこたえて、甘い声で歌ってくれた。ただし、英語で。
語学も歌も抜群の米国籍の韓国人男性に会うことができて、昨晩の会食は大いに盛り上がった。
太陽君 と 高田馬場
太陽君がホームステイのために東京にやって来てから早くも2週間が過ぎた。今日から泰日文化倶楽部の近くにある日本語学校でグループ・レッスンを受講する。プライベート・レッスンは生徒のボランティアのおかげでうまく進んでいるが、友達と話したいという理由で、グループ・レッスンにも参加することになった。
太陽君が面白いことを言った。「高田馬場は、歩けば歩くほど、まるでバンコクみたいだ。パッポンの雰囲気があります」
彼は日本が大好きなので、去年から来日している。タイを離れた理由は、「タイ、暑いです。僕は日本の気候が大好き。タイ、きらい」ということらしいが、要するに、タイの生活に飽きていた気配が濃厚だ。手短かに言えば、青年期の悩み、そして、両親の厳しい目から逃れるために幼い時から慣れ親しんでいた日本にやってきた。
ところが、泰日文化倶楽部がある高田馬場はどうみてもバンコクの匂いがするという。毎日のようにそう言われると、私も否定できなくなった。最近、高田馬場はアジア系の人達がものすごく増加した。歩いていると、中国語や韓国語、そして、ミャンマー語がよく聞こえてくるが、その次に耳にするのはタイ語である。
2013年 後半戦のスタート
今日から7月。2013年も後半戦に入った。年賀状に今年の抱負を書いたばかりなのにと思われる方達も多いことであろう。現代社会における時の流れの早さはもう止まることを知らない。しかしながら、時間は誰にも平等だ。楽しく、有意義に、一日一日を過ごしていくに限る。
夏に突入ということで、どこの蕎麦屋もはやっている。お客さん達は、主として中年以上。先日、百年以上も営業している蕎麦屋に行った時、隣りにおばあさんが座った。注文したのは、まず生ビール。大根おろしにしらすをかけたつまみをおいしそうに口に運んでいる。
「失礼ですが、おいくつですか?」とたずねると、「87歳よ。私はこれがないとだめなのよ」と言って、ジョッキを持ち上げた。「生ビールを飲むために、まだまだ生きるわ!」と気焔をあげた。
私は彼女の元気をもらった。さあ、今日から後半戦だ。タイ語の指導、そして、通訳の仕事に、私も日々、頑張っていこう!
第76回「アジア女性のための生け花講座」
昨日、第76回「アジア女性のための生け花講座」が開講された。この講座は6年半前から開講されており、参加者の多くはミャンマー女性が占めている。本来であれば、タイ女性に参加してもらいたいところだが、タイ女性は日本の伝統的な生け花の生け方が性に合わないようだ。
ミャンマー女性といっても、いつも同じ方達が参加しているわけではない。皆さん、本国に一時帰国されたりするので、毎回、参加者は変わる。昨日は新しいミャンマー女性が3人もいらした。
驚いたことは、彼女達は生け花を生けるのが初めてであるにもかかわらず、花にすいすいと鋏を入れて、とても楽しそうに生けていることだ。聞くところによると、ミャンマー女性は、心の中にお花を持っているそうだ。いつも花に対する愛着が有るから、花を生けるのも自然で、のびやかな感じがする。
貴婦人と一角獣展
現在、国立新美術館で開催されている「貴婦人と一角獣展」を観に行った。このタペスリーは、数年前にパリのクリュニー中世美術館で観たことがある。その時の感動があまりにも大きかったので、期待して出かけた。
だが、観客が多すぎて、ゆっくりと観ることができなかった。日本で開催される有名な展示はいつもこうだから致し方がないことは承知の上だが、それにしてもいささか残念である。
というのは、私がクリュニー中世美術館に行った時は、たまたま誰ひとりおらず、私だけが6枚のタピスリーと対峙することができた。飾られている部屋は暗く、そして、狭かったので、とても神秘的に見えた。東京の国立新美術館のだだっ広い会場に飾られると、その神秘性が拡散されているように思われた。
芸術作品は、できることならば、やはり本場へ行って観る必要性を痛感した。
肺気腫 というタイ語
泰日文化倶楽部のタイ人講師達から夏休みの休暇願いが出てき始めている。私は彼女達のすべての予定を了承し、授業に穴があかないように万全の対策をとるのに余念がない。
講師の一人は、「父親の健康がすぐれないので、お見舞いに帰ります」と言った。何の病気かと尋ねると、「肺気腫です」と答えた。「肺気腫って、タイ語では何と言うのですか?」と、さらに訊くと、「น้ำท่วมปอด です」と、教えてくれた。
タイ語では、肺気腫のことを、「洪水+肺 → 肺の洪水」というのを知って、面白い表現だと思った。しかしながら、スマホのタイ語辞書から検索した単語は、全く違う単語であった。
それをそのタイ人講師に言うと、「絶対にそうは言いません」と、力強く言った。日頃から、スマホの辞書が完璧なのか否か、疑問視していたが、やはり全面的には信頼できないようだ。
ホームステイ と おばあちゃん
「タイ語中級 水曜日18:30」のクラスを教えているミミ先生は留学生である。彼女は来日した時から日本人の家にホームステイしているそうだ。
「日本人と一緒に暮らして窮屈な思いをしませんか?」とたずねると、「いいえ、おばあちゃん一人しかいないので、そんなに思いません」と、答えた。
「おばあちゃんって、何歳くらいですか?」と、さらに聞くと、「65歳です」と彼女は言った。
それを聞いて、若い人達にとって、65歳という年齢は、たしかにおばあちゃんといわれる年齢であることを実感した。
そのおばあちゃんは子供が独立してしまったので、留学生を受け入れて一緒に住んでいるそうだ。それを聞いて、将来、ひまになったら、私もそのようにしようと思った。
整体師
去年の今頃、筋力の低下のため歩行が困難になった。そこで整体医院にかけこみ、非常に丁寧な治療を受け、無事にバンコクへも行けた。
それからというもの、マッサージをすることに決めた。幸いにも、泰日文化倶楽部の生徒さんが下落合で整体医院をやっておられるので、月に2回の割合で通っている。
これまでに中国人整体師5名からマッサージをしてもらったが、それぞれに推すツボが違っていて面白い。「今日はどこが痛いですか?」と聞かれても、答えようがない。おまかせするしかない。自分の身体のどこが凝っているか説明するのは難しいものだ。
間隔をあけて行くと、整体師に迷惑をかけることがわかった。凝っていても、凝っていなくても、定期的に通うことにより、体がほぐされていくのであろう。
タイ語の勉強も然り。出来ても出来なくても、必ず教室に通うということが大切である。タイ語は独学が困難な言語であるから。
タイ人 と スリッパ
タイ人の家庭では室内でスリッパをはく習慣がほとんどない。したがって、泰日文化倶楽部にタイ語を教えに来ている講師達もスリッパには慣れていないようだ。
教室に入って来た時は履くが、授業中、机の下では脱いでしまっている。そして、そのスリッパがどこかに飛んでしまい、それを忘れたまま、帰る場合が多い。
最近、やって来た太陽君から、次のよいな質問を受けた。「トイレの中で、どうしてスリッパをはかなければならないの?」
私は手短に、こう答えた。「おしっこがかかると汚いからよ」
タイ人に日本人が有する清潔感を教えるのはむずかしい。清浄な場所と不浄な場所を分けることを説明するのも面倒だ。トイレ用の絵がついたスリッパを置いていても、彼らは室内用のスリッパといっしょくたにしてしまう。
さらにいくら注意してもなおらないのはスリッパの脱ぎ方である。次にトイレに入る人のことを考えて、きちんとそろえて脱ぐということが、なかなか徹底しない。習慣が無い人達に日本人の習慣を教えるのはむずかしい。
タップダンス
先日、教え子のソウル歌手のコンサートに行った時、友情出演していた3人の若いタップダンサーの踊りに魅せられた。私のような世代にとっては、タップダンスにまつわるイメージはそうそう明るいものではないが、若者が踊るととても楽しい。お金が有れば、彼らを泰日文化倶楽部に招いて踊ってもらいたいくらいだ。
タップダンスのリズム感はタイ語にも通じる。声調言語のタイ語はただ辞書を引いて目で勉強するというのは効を奏しない。タイ語は、「体語」だ! そのように、初心者に向かっていう私。だが、生徒の皆さんは体も頭も固い。
高田馬場1丁目にタップダンスの教室が有る。泰日文化倶楽部に来る前に、そこで少しリズム感をつけてきてはいかがかしら?