雪うるい

 近所の鮨屋へ行くと、「うるい」という山菜を出してくれた。生まれて初めて食した。山形に親戚がいるという大将は、いつも山形県の珍しいものを付け合せとして提供してくれる。「雪の中にひっそりと隠れていたから、ほら、透き通るような白さでしょ」、と言われると、なるほど、ついつい、うっとりとした。
 帰宅して、ネットで調べると、オオバギボウシという名前で、湿った場所に育つということがわかった。ラッパ状の葉先から、そのような名前がついたのであろうが、ギボウシは、橋の欄干や神社仏閣の手すりに使われている擬宝珠(ぎぼし)から由来していることは間違いない。
 「アジア女性のための華道教室」で、よくギボシという葉を使って生けることがある。そのたびに、華道講師から擬宝珠から由来した名前だと説明されるので、よく頭に入っている。
 早春を告げる「雪うるい」。山形の人々には自慢の食べ物らしい。

場所のカタカナ表記

真面目にソチ・オリンピックを見ているうちに、昼と夜がひっくり返ってしまった。朝起きて、ニュースで結果を知ればいいのかもしれないが、やはりライブ(実況中継)を見るほうが、ワクワク感が違う。
 ところで、掃除をしていると、帝国書院発行(平成15年)の地図帳が出てきたので、ソチの位置を調べた。黒海に臨んでいるので、すぐに見つかった。しかし、ソチではなくて、ソーチと書いていた。
 そこで、ネットで調べると、ソチ、ソーチと両方の記述が有った。ついでに、周辺の都市の名前を見ていると、地図帳では、ツアブセが、ネットではトゥアブセと書かれてあった。
 よく聞かれる話の一つに、「バンコクですか? バンコックですか?」というのがある。日本ではNHKがバンコクと放送しているので、それが定着してしまっているが、欧米人はBangkok(バンコック)の発音だ。だが、タイ人はそんなこと気にもしていない。何故なら、กรุงเทพฯ (クルンテープ)と呼称しているから。
 地名のほかにも、人名や固有名詞のカタカナ表記は、短母音にするか、それとも、長母音にするかで迷うことが多い。表記と、実際に聞こえる音は、聞く人の感覚にもよるし、長母音ばかりが並ぶと、間延びした感じがぬぐえないので、いつしか短母音化の傾向が生じているような気がする。

はぼろ温泉サンセットプラザ

もしも昨日、札幌入りをしているならば、今日は高速バスに乗り、今晩は、日本海が一望できる「はぼろ温泉サンセットプラザ」に宿泊することになっていた。教え子推奨のホテルである。単身赴任中の元生徒から、あらかじめシティー・マップとホテルのパンフレットが送られて来ていたが、添書きには次のように書かれていた。
 「北海道人でさえ、羽幌ってどこだっけ?」という土地に、先生が来てくれることに、とても ดีใจมากครับ!! 羽幌町は人口6000人程の小さな漁師町ですが、甘えびの漁獲量は日本一で、ホタテ、ウニ等、海産物のおいしい町なので、楽しみに! 道中、羽幌町に近づくにつれて風車群が見えてきますが、風の強い町なので、帽子と手袋を持って来て下さい。では、2月9日楽しみにしています」
 そして、今晩の食事は、「栄福鮨」という店に行って、女将が握る鮨を堪能することになっていた。この店は昭和33年から開業され、今は3代目(女将)が継承しておられるとのこと。42歳で店を継いだ女将は24年間、店を守っている。私も泰日文化倶楽部を創設したのが42歳の時。25年やって来たので、この女将とほぼ同じだ。お会いして、大いに語り会いたかった。

ブーツ買い

本来であれば、今頃は札幌で、教え子達とジンギスカン鍋を食べているはずである。だが、東京が20年ぶりの大雪となり、飛行機が飛ばなかった。もしかしてと思って、羽田まで行ったものの、やはり駄目だった。
 同じく足止めをくらった元生徒1名とレストランに行き、暴風雪の滑走路を見ながら、久しぶりに話し込んだ。
 今回の北海道行きにあたって、私はブーツを買おうと思い、浅草まで出かけた。しかし、いずれのブーツも気に入らない。履き心地が悪かったからである。靴底を見ると、バングラデシュ製であったり、ベトナム製であったり。カンボジア製もあった。
 これらの靴は廉価だ。安いのは魅力的だが、一番、心配したのは、いずれの靴底もつるつる状態であるため、絶対に滑ると直感したからだ。
 結局のところ、泰日文化倶楽部のすぐ近くにある靴店で購入することに決めた。ご近所さんにお金を落としてあげようと思ったからである。値引きしない店なので、滅茶苦茶に高かった。しかし、日本の有名なメーカーなので、防水も完璧で、なおかつ、靴底がすべらないようになっていた。
 かくして、雪の中を羽田往復する時、電車のホーム上にあるシャーベット状の雪にも足元を取られることはなかった。

ねこぶくろ

8日から10日まで北海道へ旅行するので、9日にある都知事選挙に行けない。そこで、昨日、池袋へ行って、期日前投票を済ませた。そのあと、東急ハンズの8階にある「ねこぶくろ」へ出かけた。去年の夏、ホームステイした太陽君から、「面白いから、一度行ってみたら?」と言われていたからである。
 「ねこぶくろ」は、猫と遊べる空間であるが、抱いてはいけない。部屋に入って、まず驚いたことは、ほとんどの猫がよく太っていたことだ。外国種が多い。都会のビルでずっと暮らす猫達。餌もちゃんと与えられるから、温和な目つきである。市原の「ぞうの国」でも、猫ルームに入ったことがあるが、あちらは自然の空気をたくさん吸って暮らしているので、もっと幸せに見えた。
 いずれにせよ、ネーミングが面白い。ココ、ジン、カシス、ラム、あずき、ゆず、すだち、等々。私がいよいよ帰ろうと思って、最後に見た猫の名前は「チャイ」。飲み物のチャイだと思うが、私には、タイ語の「チャイ ชัย 勝利」に思われた。今年もVを狙って、着々とすべてをこなして行こう!

留学生 と 雪景色

一昨日の午後、4時頃から5時頃にかけて、高田馬場は雪景色に一変した。すると、泰日文化倶楽部の隣りにある早稲田13時ホールの中にある日本語学校で学ぶ留学生達が嬉々として写真を撮り始めた。日本に留学して来て初めて見る雪、いや、一生で初めて見る雪に興奮しまくっている。わざわざ長野や新潟、さらには、北海道へ出かけて行く余裕が、時間的にも金銭的にも無い留学生には絶好のシャッター・チャンスだ。
 留学生達の共通語は日本語である。タイ人らしき女の子もいたが、仲間としゃべっているので、邪魔をしてはいけないと思い、話しかけるのをやめた。
 だが、雪はわずか1時間余りでやみ、雨に変わってしまった。普段の景色に戻り、何の興趣も感じられなくなった。留学生達の興奮は終わった。せめて、一日くらいは降り続け、翌朝、真っ白い世界を彼らに味わわせてあげたかった。

光悦満雲寿

東京国立美術館平成館のロビー左手には休憩所があり、そこではたくさんの人が軽食を楽しんでいた。修学旅行生を見ると、何ともなつかしくなる。
 私も一休みしようと思って、お茶と饅頭を買った。京菓匠である鶴屋吉信のお菓子であるので、高いのは承知だが、1個¥577であった。こんな高い饅頭を食したのは初めてだ。
 饅頭には添書きがついており、銘を「光悦満雲寿」というと書いてあった。なるほど、だから饅頭の表面が白色なのであろうか。
 だが、いずれにせよ、感心したのは、当て字の妙である。白雲がもくもくとわきいで、白い髭をはやした百寿の老翁がまことに目出度い顔をして、悩める世人を慰めているような気がしてきた。
 日本では漢字を使って<当て字>の遊びができる。音声文字だけの言語では、このような粋な文字遊びはできないので、あらためて漢字に魅力を覚える。

タイ人の名前のカタカナ表記

 目下、確定申告の準備で忙しい。日頃は愛称で呼んでいるタイ人講師達も、税務書類には正式な名前で記入する必要がある。アン、アイス、ミミ、ペー、パックなどの愛称で書くと、まるで、アメリカ人講師を雇っているみたいだ。
 日本人と結婚して、長く講師をしているタイ女性達の場合は、すでにカタカナ表記まできちんと頭に入っているが、問題は、昨年から泰日文化倶楽部で教え始めたタイ人講師だ。
 面接時、名前をタイ語で書いてもらう。だが、彼女達が併記しているカタカナ書きには違和感を覚えることがしばしば。タイ人名のカタカナ表記は日本人が書いてもタイ人が書いても、皆、異なる。
 昨晩、正式名を書いてもらうのを忘れていたタイ人講師の一人にメールした。すると、名前と姓をカタカナで書いてきたのはいいのだが、すべて続けて書いてきてしまった。珍しい名前なので、どこまでが名前で、どこからが姓なのか判断しにくい。さらには、もしかして、日本式、すなわち、在留カードに書いてあるように、姓+名前なのかもしれないが、いずれにせよ、どこで区切れるのか判断しかねる。

老政治家 & 名誉教授

1月30日に放映されたNHK番組「クローズアップ現代」のテーマは、<東大紛争45年目の真実 教授たちの告白録>であった。それを見ていると、当時の関係者として、老政治家O氏がインタビューに答えていた。彼を見て、私は驚いた。すでに鬼籍に入られた方であると思っていただけに、御存命で、しかも、百歳におなりになっていたとは!
 何故、O氏のことが気になるかというと、今から30年前、私は彼の通訳をしたからである。非常に物腰のやわらかい方であった。インタビューでは、矍鑠とした態度で、当時のことを明晰に答えておられた。とても百歳とは思われなかった。
 同番組では、同じく、東大名誉教授S氏の見解が取り上げられた。御病気のため、ベッドにふせっている彼の写真1枚だけが放映されたが、それを見て、私はまたしてもびっくりした。失礼を承知でいうならば、すでに他界しておられるものとばかり思っていた。
 S氏とは少しばかり接点が有った。それは、1960年代、八王子に大学セミナーハウスというのが有り、そこで大学生達が合宿して、いろいろなテーマを語り合う討論会がなされていた。私もそれに参加し、若き情熱的なるS氏の学説に聞き入ったものである。御病気とはいえ、彼の眼光には、1960年代の眼光と全く同じものを感じた。

「仕返しする」という単語

 タイ人に、「仕返しをする」という意味で、「แค้น ケェーン」と言うと、通じなかった。そこで、松山納著『簡約タイ語辞典 タイ日・日タイ合本』の日タイ部分で、「仕返しをする」を引いたが、項目が無い。もしやと思って、「仇討ち」を引くと、「แก้แค้น ゲェー・ケェーン」と出ていた。そこで、แก้แค้น を引くと、「報復する」、「復讐する」と出ていた。
 あとで、もう一度、日タイ部分でチェックすると、「報復する」、「復讐する」、という見出し語がちゃんとあった。「仇討ち」で引いた自分のあわてぶりに苦笑したが、恩師松山先生がちゃんと書いてあったのにも驚いた。しかし、「仇討ち」という単語は時代劇の中にしかもう存在しないことであろう。
 いずれにせよ、言葉の使い方が豊かでないと、いろいろな単語を探し出すことができない。タイ語と日本語と両方を相乗効果豊かに勉強していく必要があるなあと思う。