日本列島始動

今日から日本列島は仕事始めです。昨日は<小寒>。寒いのは当たり前。タイから帰って来られた方達は特に寒く感じることでしょうね。しかし、早く気分を切り替えて、ゴールデン・ウィークの休暇が来るまで、頑張って働きましょう!
 泰日文化倶楽部の授業は、明日7日(火曜日)からスタートいたします。今日からではありませんよ。どうか間違えないでくださいね。ボン先生もヨーロッパから無事に帰京され、授業に対してスタンバイしておられます。
 生徒さんから頂いたメールの中には、「2015年、どうか頑張ってください!」というのがありました。おそらく打ち間違えたのでしょう。でも、私といたしましては、2014年と2015年の2年間、頑張れという激励を受けたような気持ちになりました。
 昔、茶道を習っていたことがありますが、その茶道の先生が百歳をお迎えになられたということを友人から知らされました。見倣いたいものです。
 泰日文化倶楽部の生徒達の中で最高齢は81歳の男性です。すでに3月末までの授業料をお納めになり、意欲満々でいらっしゃいます。2ヶ月毎のチェンマイ詣でも、いまだ欠かしたことがありません。彼に負けないで、後続組もテンションを上げて、タイ語を勉強しようではありませんか。

ワイ(合掌) と おもてなし

今年の年賀状の中からとっておきの1枚をご紹介させていただきたい。それは元生徒A子さんからのものであった。彼女は昨年10月に2歳半位の娘さんを教室に連れて来られた。娘さんの名前は、はなちゃん。私ははなちゃんが退屈をしてはいけないと思って、『タイ語文字練習帳』の本をプレゼントした。書かれている鶏や魚の可愛い絵に色をぬって遊んでもらいたかったからだ。
 年賀状の文面を要約すると、こうである。「娘は実の祖母以外、ばあばとは呼ばないのですが、タイ語の本を指し示しながら、<ばあばがくれた>、と言ってます。何か感じたのでしょうか。ワイ(合掌)をしている絵を見ると、おもてなし、と言うんですよ」
 なるほど、昨年の流行語となった言葉とあのジェスチャーは、はなちゃんにはとても印象的だったようだ。それにしても、ワイ(合掌)の絵を見て、「おもてなし」とは!
 年賀状の写真は七五三の記念写真であった。「娘が着ている着物は、私の曾祖母がつくってくれたもので、私が3歳の時に着たものです」とA子さんは添え書きをしていた。 とすると、はなちゃんにとっては、ひいひいおばあちゃん(高祖母)。
 A子さんのご実家は日本橋で代々続く呉服店。はなちゃんが着ている着物は赤。それはそれは美しい。百年以上前の着物。日本の伝統美は永遠なり。

走るということ

元日は全国実業団駅伝、そして、2日と3日は箱根駅伝を見て過ごした。東洋大学の安定した走りはどのスポーツ関係者も絶賛。東洋、強し!
 その他に、走る番組をもう一本、見た。それは、メキシコのコッパーキャニオンに住む「ララムリ=走る民」を取材したものだ。男も女も、大人も子供も走る。いやはや、とにかく走る。競技の時でも、普段着で走る。だから、女性はギャザー・スカートのまま走る。
 一番速く走り、競技大会で数々のメダルを獲得している男性をカメラがずっと追って撮影を試みたが、彼は実によく走った。「競技大会に備えて、どんなトレーニングをしているのですか?」と取材する側が尋ねると、「いや、別に何もしてはいないよ。朝夕、水汲みをしに山を下りたり上ったりしているからね。ただそれだけ」
 私はスポーツはからきしダメ。したがって、走るのも嫌いだ。だが、ひるがえってよくよく考えてみるならば、1969年4月に社会人の仲間入りをしてからというもの、失業することもなく、好きな仕事に恵まれて、ひたすら働いてきた。あと3ヶ月で満45年になる。「働く」ということを、「走る」と同じ次元と見るならば、私も「ララムリ=走る民」に負けず劣らず、走り続けてきたことになる。

泰日文化倶楽部が懐かしいというメール

新年のご挨拶メールを何通か頂戴したが、その中に、「泰日文化倶楽部で勉強していた頃がとてもなつかしいです」というのが有った。そのメールの主は15年位前に東京から横須賀にある実家に戻り、そこで新たなる出発をなさったY子さんである。教室に小学生のお嬢さんを連れて来られたこともある。
 千葉県在住のN子さんから頂いた年賀状も嬉しかった。6ヶ月の息子さんを連れて来て、教室の机の上にお座りさせたことがあるが、その息子さんも22歳。今春は社会人だ。
 神奈川県、千葉県、そして、埼玉県でも、タイ語の勉強をしようと思えばできないことはないが、意外にもタイ語教室は少ない。したがって、泰日文化倶楽部に通って来られる生徒達も、これら3県からの方達が多い。さらには、茨城県からの生徒さんもおられる。電車賃のほうが受講料を上回っているから、タイ語を勉強したいという意欲に頭が下がる。
 1回、1回ごとの授業ではほとんど何も分からないであろう。しかし、点と点をつないで線にしていこうではないか。そして、線と線をたくさん繋げて「面」を作っていくのだ。
 泰日文化倶楽部の存在を懐かしがってくださる方達は、きっとおそらくタイ語というパッチワークの布を大切に持っておられるにちがいない。時間があれば、是非ともタイ語の勉強を再開し、自力で「タイ語の面」を増やしていってもらいたい。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。本年も泰日文化倶楽部で楽しくタイ語、ベトナム語、フランス語、そして、生け花を学びましょう!
 新年に際して、かつてタイから買って来ておいた新年を寿ぐカードを手許に置いてみた。橙のように見える大きな蜜柑が5個、鮮やかなオレンジ色を呈している写真である。そのうちの4個に、一つ一つタイ語の単語が書かれている。1個目にはมั่ง(多くを所有する)、2個目にはมี(持つ)、3個目にはศรี(吉祥)、4個目にはสุข(幸せ)。これら4つの単語をつなげると、มั่งมีศรีสุข となり、その意味するところは、「分限者」という四文字熟語となる。
 ネットで調べると、「分限者の意味がよくわからないので教えてください」ということが書かれており、その回答として、「分を弁えている金持ちのことです」と単純明快に書かれてあった。なるほど、ただの成金では品が無いというわけだ。
 では、真ん中に置かれている5個目の蜜柑に注目しよう。葉っぱが2葉、V字サインのようにくっついてはいるものの、タイ語は書かれていない。もし、仮に書くとするならば、皆さんは何の単語を選ぶであろうか。やはり、ภาษา(言語)であろう。
 いつも言っていることだが、言語の勉強は楽しい。脳が活性化される。耳も目も口もすべてが刺激を受ける。今年も一年を通して、諸外国語にアタック!

同行二人

一年半、郷里へ帰る時間が取れなかった。さすがに気になってきた。そこで、昨日、日帰りで先祖の墓参りと実家の草取りに行って来た。枯れ草の下に新しい草が生え出していて、もうすでに春の兆しが垣間見えた。
 半世紀を超えて、営々と続けている喫茶店に寄った。コーヒーを淹れてくれたのは、いつものマダムではなくて、バレエを教えている娘さんであった。「どうですか、教室のほうは?」と尋ねてみると、「少子化ですからね….」と、答えた。帰省するたびに、人が街から消えている。私の家の近くに有った整体所も閉鎖していた。高速道路に近い町へ引っ越したと貼り紙に書いてあった。昔は金毘羅参りで賑わった港町。だが、車社会の到来以降、完全に死んだ。
 墓参りのあと、四国八十八箇所の第78番札所である郷照寺にお参りする。小高い山の上に有るので、瀬戸内海が一望できて気持ちがいい。厄除けのお札をいただき、寺をあとにする。
シーンとした町を歩く。すると、初老の男女の二人連れとすれ違った。お遍路さんの恰好をして、杖をついている。
 「同行二人」とは、「一人のお遍路であっても、お大師様が一緒に歩いていてくれているから」、という意味だそうだが、現実に目にした夫婦連れもなかなかによかった。
 一人でもよし、二人でもよし。ただ、歩き続けること。そして、ちょっと休憩を入れること。それがいいのだ。

年の瀬の新宿

 毎年、年の瀬になると、どうにかこうにか作成した年賀状を持って新宿郵便局へ投函に行くのが私の年中行事になっている。昨日、山手線のホームから階段を降りると、人、人、人。西口改札口と東口改札を結ぶ広い通路はすべて頭、頭、頭。西口改札を出るのも容易ではなかった。
 気のせいであろうか。今年はなんだか若者が多いような感じがした。勤めを終えた若者達が淡々と故郷へと向かっている。年寄りが少なくみえるのは時間帯のせいもあろうが、よくよく考えてみると、自分自身が年をとっているのに、それを忘れていたということだ。いずれにせよ、若者パワーが伝わってきて、都会ならではの光景であった。
 人の波を逆らうようにして地下広場を歩く。すると、泰日文化倶楽部の現役の生徒さんを見つけた! すかさず声をかける。彼は格別、驚いた様子も見せず、普段通りの話し方で私に応じた。二人が立ち話をしている間にも、人の往来は渦巻のごとく続く。
 高速バスの乗り場にも若者がいっぱい。臨時バスが彼らを乗せて地方へと向かう。東京からどんどん若者達が消えていく。私も今日、久しぶりに四国へ向かうことにした。

偶然の一致(co-incidence)

昨日の昼、泰日文化倶楽部のS講師と小さな忘年会を持った。彼はタイ人講師が休んだ時に快く代講してくださるので、私にとっては有難い存在である。来年のぶんまでしっかりとお願いしておいた。彼は、年末のご挨拶ということで、私にワインをプレゼントしてくださった。「僕が日本に帰って来たのは2000年です。その年のワインを選んでみました」と、彼は言葉を添えた。
 帰宅して、テレビをつけたものの、年末だから、案の定、どれもこれも面白くない。仕方なく、旅番組を見ることにした。フランスのボルドー周辺を紹介していたので、フランス語の勉強も兼ねて見た。ワインの産地のサン・テミリオンはとても風雅で、中世の雰囲気をたたえる街であった。
 番組を見終わったあと、S講師に頂いたワインを袋から取り出すと、なんとそのワインは、サン・テミリオン産のものであった。偶然の一致(co-incidence) !
  平凡な毎日を過ごすことは、それ自体、幸せなこと。だが、日常生活の中にこのような偶然の一致が有ると、生きていて面白くなる。来年はいくつ、このような偶然性を楽しめることよ。

雑巾

泰日文化倶楽部が年末年始の休暇に入ってからかれこれ1週間。1月7日の開講日まであと10日もあるので、入門クラスの生徒さんは、おそらくタイ語を忘れてしまうかもしれないと思うと心配だ。1日に少しでもタイ語のテキストを開いて復習をしてほしい。
 最近の私は年賀状作成と掃除に明け暮れている。なるべく雑巾がけもすることにしている。その雑巾だが、よくよく見ると、もうぼろぼろだ。来年に向けて古タオルを縫って雑巾を作っておかなければ。
 ところで、雑巾のことをタイ語では、「パー・キーリウ ผ้าขี้ริ้ว」という。パーは「布」、そして、キーリウの意味は、「ぶざまな、みにくい、ボロボロ」だ。かつて、桐生さんという方がタイ語を習っていた。彼はタイへ赴任して行かれたが、タイ人の耳には「キーリウ」に聞こえるので、彼の名字が誤解されるかと思うと、とても心配であった。
 冨田竹二郎先生の『タイ日辞典』を見ると、次なる表現が有った。「雑巾が金を包んでいる ผ้าชี้ริ้วห่อทอง 」。「身なりは極めて悪いが大金持ちの人」という意味だそうである。

生け花 と 花瓶

12月21日に、「第81回アジア女性のための生け花クラス」が開講された。その際、例年にならい、華道講師から来年度のカレンダーが2種類、プレゼントされた。一つは小原流本部作成のもの、そして、もう一つは横浜支部作成のものであった。日本全国に支部はたくさん有るが、毎年、卓上カレンダーを発行しているのは、おそらく横浜支部だけであろう。
 数年前、私は横浜支部の華展を観に行ったことがあるが、会場に入るや否や、満ち溢れる華やかさに圧倒された。これは何から来るものであろう? そして、やがてわかった。花よりも花瓶がすごい。豪華であることは勿論だが、何かが違う。また、考えた。そうだ、歴史だ。歴史の重みにほかならない。横浜支部の幹部級の方達が持っておられる花瓶は、おそらく、先祖代々のものであろう。横浜港で貿易商を営んでおられたに相違ない。最近、デパートで購入したものとは全く趣きが異なる。
 生け花の場合、花が主体であり、花瓶は副。しかし、やはり、器は大切。その器に歴史の息吹が吹き込まれているならば、現在(生け花)と過去(花瓶)が見事に調和して、鑑賞する側に一瞬の緊張を与えてくれる。