一枚のバスタオル

散歩する道に雑貨屋さんが有る。家賃がとてつもなく高いのに、女性一人で頑張っているので、私は少しでも買物をして、彼女を励ますことにしている。
 先日、バスタオルを買った。寝具製品ではトップの会社のものであったので、信頼して購入した。「暮らしのメンテナンスを重視した衛生寝具。この商品には、抗菌・防臭加工が施されており、衛生的です」と書いてある。
 ところで、3月27日からタイ人御夫婦が我が家に泊まりに来ることになった。2年前からバンコクに行った泰日文化倶楽部の元生徒S氏が、自動車免許の更新のために一時帰国したということで、先週の土曜日、久々に教室にいらしてくださった。その際、彼はこう話を切り出した。
 「僕のタイ語の先生が27日から東京に留学して来るのですが、1週間だけ、泊まるところがありません。先生のところに泊めてもらえませんか? 御主人も一緒です」
 それを聞いて、すかさずOKを出した。何故ならば、東京でホテルを探すのは思いの外、大変であることを知っているからである。3月、4月は人が移動する時なので、ホテルは満室である。仮に見つかったとしても、連泊は難しいし、それに高すぎる。日本は一部屋いくらではなくて、一人いくらで計算するから、二人で泊まるとなると倍額だ。
 ということで、目下、受け入れ態勢にとりかかっている。先日買ったバスタオルを洗っておくため袋から出した。裏側の端っこに付けられたタグを見て驚いた。なんと、Made in Thailand と書いてあるではないか! 偶然とはいえ、バスタオルはタイ人のお客さんを待っていたのである。

ボン先生ご一家の東京観光

目下、ボン先生のご家族が東京に遊びにみえています。浅草へ行った時の話が面白かったので、かいつまんで書いてみますね。
 ボン先生、御主人、お母さん、お兄さん、そして、妹さんの5人は、浅草を着物を着て歩いたそうです。着付代金は、着物の借り賃と、ヘア・セットの両方で、一人¥2,500。おお、安い!
 5人が楽しそうに歩いていると、変なおじさんがお母さんに声をかけました。
 「おねえさん、きれいだね。どこから来たの?」
 ボン先生が答えました。「タイからです」
 「タイか。タイへ行きたいな。タイへ行って、タイの女をおれの女にしたいなあ」
 それをそのままボン先生がお母さんに訳すと、お母さんはむっとして、変なおじさんから去りました。そして、そのあと、ボン先生に言いました。「この話、お父さんには絶対にしちゃだめよ」
 失礼な話をするおじさんが、浅草にいるとは! 世界各国から来た女性に向かって、そのように言っているのかしら?それで、一日が面白おかしく過ぎるなんて、なんと安易な人生であることか。
 しかしながら、ボン先生や妹さんには目もくれず、お母さんに声をかけたということは、お母さんがとても素敵な女性であったということです。どうか自信を持ってタイにお帰りくださいませ。

イタリアへ留学するN子さん

イタリアへ留学するN子さんからメールが届いた。とても嬉しい文面であったので、引用させていただく。
 「3月も下旬になり、だいぶ暖かくなってきましたね。いよいよ明日イタリアへ出国となりました。今日はそのご報告でご連絡差し上げました。今期、タイ語の授業では私はあまり優秀な生徒とは言えませんでした。それでも先生の授業ではタイ語の面白さや学びやすさ、またタイの人々の愛らしさを教えて頂き、毎回タイに魅了されていました。
 タイ語の授業のあった月曜火曜の食卓ではその日習った内容を家族に話し、先生みたいな面白くて可愛いおばちゃんになりたい!といつも言っていた覚えがあります(笑)」
 “面白くて可愛いおばちゃん”? あれあれ、彼女は私をそのように見ていたとは!
 N子さんはタイへ行くべきか、それとも、イタリアへ行くべきか、ものすごく悩んでいた。タイに数ヶ月、滞在した経験があるので、彼女はタイのニックネームを持っていた。タイ語も上手であった。だが、イタリア好きは高校生からであったので、最後の最後でイタリアを選んだ。
 私は返信した。「イタリアに遊びに行きますからね」、と。

バンコク散策〈終)

3月1日、午前11時半、太陽君の家を出発。空港まではわずか15分。土曜日だったので、タイ航空660X便羽田行きは空いていた。
 さて、今回の旅を総括しよう。何の用事もない旅であったので、一日中、ホテルで寝ていてもよかったのだが、私の性格上、歩きまわるのが好きなので、「街の空気や、いかに?」とばかりに、またまたいろいろなことを見聞きした。
 バンコクは行くたびにおしゃれになっている。しかし、それがなんだか変だ。違和感を覚える。ゲートウェイの横にある昔ながらの美容院の店主がこう言い放った。
 「ゲートウェイなんか、地震でも何でもいいから潰れりゃいいのよ」
 時代の流れについて行けない人達が必ずいる。賄賂でぬくぬくとしている役人。今回の反政府派の街頭におけるアジ演説では、何故か英語の「コラプション corruption 」という言葉がよく聞こえた。それだけ腐敗しきっているのであろう。
 反政府派の動きを経済的に支持する人達。彼らは国政の改革を求めて果敢に闘っている。彼らの動きを譬えて言うならば、棒高跳びだ。しかし、バーが高すぎて、そこを飛び越すことが出来ない。政治や経済の汚職で塗り固められたバー。中産階級や知的人々の熱き要望でもってしても飛び越えることができない「バー」。
 かつて、「自由タイ」というグループがいて、タイを戦勝国に導いたことがあるが、その時の青年達には気概が有った。今、タイは生まれ変わろうとしている。新しい時代を造るべく、民主の声をまとめ、それを実行に移すことができる強く、清きリーダーの登場が不可欠だ。

バンコク散策(19)

2月28日(第5日目)。マーブンクローンの中にある金の販売店の前を素通りしたが、ここも客が入っていなかった。従業員達が退屈そうにしている。
 クーポン食堂で100バーツのクーポンを買う。パッタイとココナッツアイスクリームを食べた。座ったところがフレッシュ・ジュースのブース前であったので、リンゴ・ジュースが飲みたくなった。しかし、60バーツ。100バーツのクーポンでは不足であったので、40バーツ、クーポンを追加する。以前であれば、100バーツ以内におさまったのに。
 バンコク散策もこの日でおしまい。翌日はスワンナプーム空港に行き、東京に帰るだけだ。5日間、歩き続けると、どうやら顔が日焼けしたような気がした。そこで、精神を落ち着けるためにエステへ行った。店先の看板を見ると、「月曜日から木曜日は20%割引」と書いてあった。だが、この日は金曜日だ。店の受付嬢と交渉する。「この店、来たことがあります。だから、金曜日も20%割引にしてちょうだい」
 すると、「客がいないから、特別に認めます」という回答。かくして、リラックス・ムードのBGMが流れる中、顔の火照りをしずめ、肩の力を抜いた。
 午後8時、太陽君のお母さんがスタバにやって来た。スタバの前におしゃれな自然食品店があったので、そこで赤米の混ぜご飯を食べる。
 太陽君のお母さんの車にはテレビがついていた。駐車している時は映像が画面に映る。しかし、いったん走り出すと運転が危険だということで、音声だけが流れる。ニュースを聞いていると、反政府派による道路封鎖中止が発表された。「3月2日をもって道路封鎖をやめます。皆さん、今後はルンピニ公園に終結してください」

バンコク散策(18)

高級シルクの店に置いてある服は、いずれも素敵なものばかりだが、日本では着こなせないようなデザインなので買わなかった。店の女性は古いバティックの生地にモン族の刺繍が入ったジャケットをしきりにすすめた。「この手の古い手作りのものは、いずれ近いうちに無くなりますよ」、と。
 壁には中国式デザインの刺繍服が飾られてあった。布地が黄色であったので、中国の西太后が着る服のように見えた。
 コーヒーを飲みながら、モン族の服を眺めること1時間。結局、買うのは断念。買っても着る機会が少ないと思ったからである。
 次に、マーブンクローンへ行ったが、ここもなんだかいつもの活気は無かった。周囲の道路が封鎖されていたからである。
 象の模様が入ったコットンのスカーフが目にとまったので、値段を聞くと250バーツ。「240バーツにしてよ」と言っているところに、欧米人の客がやってきた。店のおばちゃんはそちらの対応で、私を無視した。だが、欧米人の女性は何も買わずに店を去った。
 「このスカーフ、いくら?」と、私はもう一度聞いた。「200だよ」と言ってきた。「あれ、さっき250って言ってたじゃん」と、私が言うと、「200って言えば、200だ」と鋭い剣幕で言い返してきた。買う客が少なくて、むかついているように見えた。私はそれ以上、値段交渉をするのはやめて、1枚だけ買った。
 別のフロワーで、欲しかったオーガニック・コットンのTシャツを買ったが、この店のおばちゃんも不愛想であった。
 「ああ、早くデモが終わらないかなあ。でないと、微笑みの国が、不愛想の国になりかねない」と、心でつぶやいた。

バンコク散策(17)

エラワン・ホテルのロビーに行ってみたが、そこにも客はいなかった。空港で見かけた欧米人達はおそらくバンコクを避けて、パタヤやプーケットへ行ったのであろう。
 ラーチャプラソン交差点からマーブンクローン・センターがあるパトゥムワン交差点まで歩く。いずれも反対派が占拠しているところであるが、デモはやや下火になっていた。だが、ステージの辺りから反政府リーダーのアジ演説が聞こえてきた。本物みたさにステージのほうへ行ったが、彼はいなかった。どうやら陣取っている交差点のステージすべてに彼の映像が送り込まれていたようだ。
 聞くところによると、デモ参加者に提供される弁当の金額が一日で百万円。しかし、寄付する人が大勢いて、資金面で枯渇することはない。ステープ氏が歩いていると、路地からおばあさんが出て来て、ステープ氏の手にお金を託したが、なんとその金額が、100万バーツ(日本円で約320万円相当)であったとか!
 パトゥムワン交差点にあるシルクの店に寄ってみた。店はオープンしてからもうかれこれ30年近くになる。老婦人の姿は無かった。若い人が跡を継いでいた。カフェも併設されて、今風だ。
 本来の高級服よりも、反政府派を支持するためのTシャツが目にとまった。いずれも皆、手書きで書かれた一点物ばかり。「Shutdown Bangkok」という文言のTシャツを買った。農民を支援するTシャツも買った。「農民の力が結集して稲穂となる。なのに農民は苦しみと困窮ばかりだ」と書かれてあった。

バンコク散策(16)

バンコク第5日目の2月28日、太陽君のお母さんが出勤する車で、再びバンコク市内へ行った。降ろされた場所はチットロムのセントラル・デパートの反対側にあるオフィス・ビル。夜8時にそこの1階にあるスターバックスで待っているように指示された。
 一人になった私は、早速、エラワンの神様にお参りした。お花を買うと400バーツ。ビニール袋の中にはいっぱいお花が入っている。「こんなに要らないから、半分にしてよ」と言うと、花売りのおばちゃんがすかさず言った。「神様の顔が4っあるから、全部にお花をあげなくちゃいけないんだよ」
 このエラワンの神様のところだけは、実にタイそのものであった。お参りする人がいつも絶えない。お布施をはずみ、名前を記帳している家族には神様への奉納踊りがひっきりなしになされている。
 エラワンの神様のあと、私は行くところを決めていた。エラワン・ホテルの地下1階にあるエラワン・ベーカリーだ。そこでチーズ・ケーキとコーヒーを飲むのが唯一の楽しみであった。理由は、40数年前からエラワン・ベーカリーを知っているからである。
 その当時、バンコクにはこれと言ったおしゃれなパン屋はなかった。有ったにせよ、中国系のふわふわパンしかなかった。それに引き換え、エラワン・ベーカリーは断トツにおしゃれであった。店はホテルの中にあったのではなくて、エラワンの神様の並びにあった。
 ところで、現在のエラワン・ホテルではなくて、タイ国鉄が経営していた時のエラワン・ホテルは、コロニアル風の3階建てで、実に趣きがあった。しかし、国鉄マンの経営では赤字続き。いつしか、お化けが出るホテルと言われ出した。そういう時代に私はそこにあえて泊まった。だが、お化けは出なかった。

バンコク(15)

2月27日(バンコク第4日目)。この日はホテルを出て、昨年私の家にホームステイした太陽君の家に移動することになっていた。午前10時半、ホテルに迎えに来てくれたおかかえ運転手の車に乗り、民主記念塔の近くにある教科書会社へ行こうとしたが、やはり道路封鎖のため行けなかった。途中、首相が外国のVIPをもてなす迎賓館の前を通ったが、警備の人達は何とも手持ちぶさたの様子であった。それもそうであろう、退陣を迫られている首相はチェンライへ行ってしまっていなかったからである。
 太陽君の家はスワンナプーム空港の近くにある。午後1時到着。長く働いているブアさんの手料理をいただいた後、しばらく午睡を取った。午後6時半、太陽君のお父さんが運転するジープでメガ・バンナーへ行く。「このジープ、ガタガタしますよ」と言われたので、私はすかさず応じた。「まるでタイの現状みたいですね」
 太陽君のお父さんはスペインの会社と合弁提携を結んでおられた。この夜はメガ・バンナーのワイン・バーでスペイン人達をもてなすことになっていた。そのワイン・バーへ行くと、多くのタイ人達がワイン・グラスをかたむけながら、愉しいひとときを過ごしていた。
 太陽君のお母さんもやって来たが、「ここはにぎやかすぎます。先生、バーゲンセールに行きましょう。」
 そう言われて、女性陣は別行動をし、私はダウン・コートを買った。タイでダウン・コート? はい、タイでも冬物、ちゃんと売っていますよ。

バンコク散策(14)

洋裁店で洋服を受け取り、再びBTSに乗ってサヤームまで戻って来た。泰日文化倶楽部の生徒さんから「フリーペーパーをおみやげにお願いします」と頼まれていたので、伊勢丹の6階にある紀伊国屋書店へ寄った。ついでに、私の名前が出ている本を3種類、書棚で確認。
 そのあと、以前行ったことのあるセントラル・ワールド内のエステ店へ行った。着いたのが午後8時45分。「何時までですか?」と店員に尋ねると、「9時までです」と答えた。「よかった。間に合った」と、嬉しく思いながら、店の名前をよく見ると、“THANN”。この読み方は、「タン」。「間に合う」というタイ語も「タン than」。おお、偶然の一致だ! おみやげにレモングラスと白檀の香りのするバームを買った。
 ホテルの前に「チヤーン 象」というマッサージ店が有ったので、3日間の疲れをとるため、フットマッサージをする。アラブ系女性が2名、客として隣りにいた。体格がいいので、話し声も大きい。マッサージ嬢の話では、デモの影響で客が激減しているとのこと。
 そういえば、ホテルも閑散としていた。ロビーに人がいない。ホテル内の中華料理店も、昼間、2組しか入っていなかった。観光産業に従事している人達はもう限界。彼らの顔付きや仕草から、それがよく見てとれた。
 「微笑みの国」が、「ぼやきの国」になりつつあった。