1.自分が植えた木に花が咲き実を結ぶと、とても嬉しい。
2.娘がデザインした洋服が金賞をとった。
3.伯父は建築家だ。次から次に仕事が舞い込んで多忙である。
4.伯母が残した土地が売れ、そこに介護施設が建設された。
5.実家の家を解体したいが、9月まで待ったほうがいいだろう。
1.自分が植えた木に花が咲き実を結ぶと、とても嬉しい。
2.娘がデザインした洋服が金賞をとった。
3.伯父は建築家だ。次から次に仕事が舞い込んで多忙である。
4.伯母が残した土地が売れ、そこに介護施設が建設された。
5.実家の家を解体したいが、9月まで待ったほうがいいだろう。
先週、バンコクに旅行された生徒さんが、マスクではなくて、黒い目出し帽をかぶっているタイ人を見たという話をされたので、タイ人講師に「目出し帽はタイ語で何と言いますか?」と尋ねると、「โม่ง」と教えてくださった。
『タイ日辞典』(冨田竹二郎編纂)で調べてみると、โม่ง のそもそもの意味は「頭でっかち、異常に大きい。子供の遊戯で布で頭をおおった者をอ้ายโม่งといった。転じて、อ้ายโม่งは悪事を働くために覆面をした者を指す」とのこと。
コロナ禍で、หน้ากาก(マスク)というタイ語はいやというほど使ったが、โม่ง(目出し帽/覆面)というタイ語はこれまで一度も使ったことがない。新しい単語を覚えることができて楽しい。
今日は七月七日。私は七十七歳。郷里には七ヶ所巡りがある。八十八ヵ所巡りのミニチュア版だ。香川県多度津周辺の第71番札所から第77番札所の寺院を一日で巡る。第72番札所は曼荼羅寺。遠縁の寺だ。第75番札所は善通寺。父親の永代供養をしてもらっている。
「七」という漢字は、発音の「なな」から言ってもおだやかな感じがする。西洋のラッキーセブンの概念が影響しているのかもしれない。昔は6日働けば7日目は休息日。心穏やかにしなければ、もうもたない。
昨日、生徒さんがタイ人の奥さんを連れて教室に来られたので、「明日は七月七日。しちがつ なのか」と教えてあげたが、「七」を「しち」と読んだり、「なの」と読んだり……。外国の方には難しい。読み方は慣れだ。そのまま覚えて、繰り返し話すしかない。
昨日はイギリスの政権が保守党から労働党に14年ぶりに移行したニュースでもちきりであった。首相官邸前から報道するNHKのヨーロッパ特派員がトレンチコートを着ているのを見て、おやと思った。ロンドンは暑くないの? ウィンブルドン選手権の観客達もいつもの夏服ではなくて、かなりしっかりとした装いである。
そこでロンドンの気温を調べてみた。20℃だ。テレビ画面に出たウィンブルドンのセンターコートもやはり20℃。うらやましい。
暑すぎると明らかに思考が停止する。猛暑の東京。明日は都知事選挙だ。私が最初に選挙権を得たのは東京都知事選挙であった。都民になって59年余。肥大化した東京の治世を束ねる人はもはや誰もいないのではないか。
1.セクハラ
2.パワハラ
3.アカハラ
4.マタハラ
5.カスハラ
6.モラハラ
7.リスハラ
8.レイハラ
いろいろな分野で実況中継をするアナウンサーがいるが、いずれも流暢である。そして過去のことをしっかりと頭に叩き込んでいるから、新旧の関連性がわかりやすい。おそらく日頃から熱心にデータの読み取りをしているのであろう。
実況を聞いていて、もう一つ感心しているのは、風邪声の人、しゃがれ声の人はいないということである。体調が悪ければ他のアナウンサーに代わってもらえればいいという世界ではない。そんなことをしていると、仕事が来なくなる。
どんな業界の仕事でもそうだが、特に声を使う仕事に携わっている人は健康管理をして、喉の調子を万全にしておかなければならない。夜更かしをしたり、深酒は禁物。体力は発声の源なり。
昔、癲癇に罹ったタイ人の付き添いで未明に病院へ行ったことがある。担当した医師は眠そうであった。病人から症状を聞き出しそれを医師に伝えなければならなかったが、病人が説明に窮しているからなかなか要領を得なかった。というか、病院についた時にはすでに症状が治まっていたわけである。
癲癇はタイ語で「โรคลมชัก」と辞書には出ている。だが、「โรคลมบ้าหมู」も有る。念のため、両方を覚えておこう。
蒸し暑い毎日だ。嫌なニュースが耳に入って来ると引きつけを起こしそう……。いかん。平静、中庸に戻ろう。
タイの小学校国語教科書(2年生前期 พ.ศ.๒๕๔๑)から出題する。
๑. เช้าวันหนึ่งในหน้าหนาว หมอกลงหนา ตาหวังพาหลานชายชื่อหลงไปนั่งตกปลาที่หนองน้ำหลังหมู่บ้าน
๒. ตาหวังสวมหมวก แกนั่งถือคันเบ็ด และมองไปที่หนองน้ำอย่างไม่มีความหมาย
๓. นานๆ แกก็ยกคันเบ็ดขึ้นมาดูว่าปลากินเหยื่อหรือยัง เจ้าหลงก็จะถามว่า “ตาได้ปลาไหม” เสียงตาหวังก็จะตอบว่า “ยัง”
๔. สายแล้วหมอกค่อยๆ จางหายไป แสงแดดยามสายในหน้าหนาวไม่ร้อนนัก ตั้งแต่เช้าตาหวังตกปลาหมอได้เพียงตัวเดียว แกบอกเจ้าหลงหลานชายว่า “หลงกลับบ้านเถอะลูก เดี๋ยวจะไปโรงเรียนไม่ทัน”
๕. ตาหวังกับเจ้าหลงจึงลุกขึ้นเดินกลับบ้านอย่างรวดเร็ว เจ้าหลงเหลียวไปมองหนองน้ำอีกครั้ง แล้วพูดว่า”ช่างไม่มีปลาเลยนะตา”
今日から2024年後半がスタートする。災害が無くて平和に暮らせますよう、昨日、巣鴨のとげぬき地蔵にお参りに行った。大塚から都電で庚申塚へ。鰻屋の入り口に「只今、鰻の骨を抜いているので少々お時間がかかります」と書いてあった。骨抜き鰻とは、どげぬき地蔵にかけた洒落であろうか。
お詣りのあと、甘味屋に寄って、昔ながらのかき氷を注文。アイスクリームがのったメロン味のシロップ。隣りに二人組の女性がおり、会話が聞こえてきた。「このあいだ色紙に<老>と書いて提出したのよ」、と。書道クラスの方のようだ。
私は思った。何もあえて<老>の漢字を選ばなくてもよいのに。では、書くとすれば、どんな漢字がよいか? ここ数日の課題だ。
昨日、「アジア女性のための生け花教室」を実施した。参加者が少なかったので、稽古の後、華道講師に日頃の悩みを打ち明けた。
「生け花を始めてからもう18年目に入っています。一向に上達する気がしません。花を見ると、花に嫌われているみたいで、生けていても楽しくありません。あと10年習っても、今と同じだと思います」、と。
すると華道講師はすかさず口を開いた。「稽古後、生け直しをしていませんね。自分でもう一度生けて、バランスをつかまなければなりません。同じ花は二度と生けられません。生け直すことで感覚を磨いてください」 確かにその通り。言い訳は駄目。黙って復習するのみ。