90歳の感動

郷里から従兄と彼の娘が上京して来ているので、連日、観光案内をしている。従兄は90歳。杖も使わず、すたすたと歩く。一番見たいところは鎌倉の大仏様。90歳になるまで一度も行ったことがないそうだ。亡妻は行ったことがあるとのこと。それが悔しくて、自分も絶対に行き、これまでのリベンジを果たしたくてたまらなかったということを聞かされた時には、彼に目標が有ってよかったと思った。
 前置きはさておき、昨日、彼らを鎌倉の大仏、長谷観音、そして、鶴岡八幡宮に案内した。従兄は、大仏の胎内に入り、阿弥陀如来坐像(1252年から10年前後の歳月をかけて造立されたとみられる)の鋳造技術にいたく感動したと言った。「写真でだけしか見たことがなかった大仏がこんなに迫力が有るとは! やはり本物を見る必要有り」と感想を述べた。
 私は90歳で感動する従兄を見て、その姿に感動した。

「タイ語入門」新規開講

もうすぐ4月。新学期はわくわくする。新たなる気持ちで勉強したい。
 泰日文化倶楽部では、4月5日より、「タイ語入門 木曜日11:00」を新規開講することにした。この時間帯は主婦が対象になる。だが、最近は、シフト制で働いている人達も多いから、男性でも通って来られることが判明。
 昨日、お申込みいただいた男性は、短期間にたくさん勉強して、将来的にはタイで働きたいとのこと。電話の向こうから熱意が感じ取れた。
 語学が出来ると楽しい。そして、生活に活気をもたらすこと、間違いなし。タイへ行くならやはりタイ語を勉強したほうがいいに決まっている。

中国人老師と4時間の談笑

昨日、2003年頃に開講していた中国語クラスの中国人老師と生徒三名、計四名が中華料理店の大きな円卓で4時間、談笑した。老師とは13年ぶりの再会であった。
 老師は日本人の御主人について上海へ5年間行っておられたのでその時の生活を、そして、故郷である北京の今昔、さらには、現在のお仕事を縷々として話して聞かせてくださった。
 私達生徒は、ああ、上海へ行きたい、北京へ行きたい、という気持ちになった。そして、中国語の学習もさることながら、中国に関する文化や歴史の勉強の必要性を反省。
 いずれにせよ、四名が4時間もよく喋ったものだ。喋ると脳も体も活性化される。みんな、目を輝かせながら家路についた。

吸殻拾いのおじいさん

最近、バス停近くで吸殻拾いをするおじいさんを見かけた。「すばらしいですね」と、私はおじいさんの行為を素直に褒めた。それに対して、おじいさんも素直に応じてくださった。
 「失礼ですが、何歳でいらっしゃいますか? いつ頃から吸殻を拾い始めたのですか?」と尋ねると、「84歳です。4年前から始めました。週に3~4日、やってます」と、はっきりとした声が返ってきた。
 彼は80歳になった時、自分に任務を課したわけだ。任務は何でもいいが、「道をきれいにしよう!」と自分に言い聞かせたのであろう。
 通りすがりの私が声をかけて、さらに、褒めてあげたのが非常に嬉しかったと見えて、次に会った時、私のことを覚えていてくださった。体格のいい彼。あと10年は街の美化に尽力できそうだ。

タイ語の求人

昨日、元生徒さんから電話が有った。「30歳までの方で、タイ語ができる人を紹介していただけませんか?」
 私は率直に答えた。「30歳までの方ですか? あまりいらっしゃらないような気がいたします。それに、たとえいたとしても、タイ語を学んでいる生徒さん達は自由が好き。マイペースですからね….」
 よくよく考えてみると、すでに人口減少が始まっているわけだから、これから先の労働バランスはますます難しくなる。現在はIT関連に行く人が多いが、仕事はほかにも有る。人が来ない職種もたくさん出てきそうだ。
 タイ語で仕事をするには相当のタイ語力が必要。大学でタイ語を専攻した方達が、もう一度、本気になってタイ語を勉強し直してほしい。就職となると、年齢制限が発生するので、何でも早ければ早いほどよい。

伊能忠敬(1745-1818)

先月、所用で郷里の丸亀に帰った折り、町歩きをしていると、明治時代の建物のところで足が止まった。かつて「本陣」が在った場所だ。土佐藩主である山内容堂や明治天皇の従者が利用したことが書かれていたが、伊能忠敬の名前も有った。
 伊能忠敬と言えば日本を測量し、『大日本沿海輿地全図』という地図の作成に携わったことであまりにも有名だ。しかし最近のとらえ方は、彼が50歳で隠居し、自分の好きなことを死ぬまでやったということで、大いに参考にすべしということだ。
 調べてみると、彼が四国を測量したのは、1808年から1809年に実施された「第六次測量」の時であった。丸亀滞在は1808年9月下旬から10月上旬。10月1日には瀬戸内海の塩飽諸島で日食を観測している。
 今年は没後200年の記念の年だ。1800年から1816年の17年間に彼が歩いた足跡は、点となり線となって、今でも追跡できる。

生徒さんの復学 大歓迎!

先週から、昔の生徒さんが泰日文化倶楽部に戻って来られた。3年ぶりの再会だ。「タイ語を基礎から学び直したい!」という意欲が伝わってきたので、私も熱烈授業をしたくなった。
 退会、もしくは、休学する方達にはそれぞれの事情がお有りであろうから、私としてはやむなくさよならするしかない。しかし、復学される場合は、大歓迎だ!
 3月は別れの季節である。転勤が決まって東京を離れる方達…..。地方でタイ語教室を探すのは難しい。しばらくは独学をするしかないであろう。しかし、勉強の持続こそが肝心。数年後、東京に戻って来た時には、また泰日文化倶楽部に戻って来てほしい。なつかしい級友が待っていますからね。そして、口やかましい吉川も待っていますから。

着物警察

数日前、ネットで「着物警察」というニュースを読んだ。70歳にして着物に関心を持ち始めた私としては、一体、どういうニュースなのか、内容を読むまで不思議で仕方がなかった。
 「着物警察」とは、着物が着くずれたり、帯がほどけそうになっている若い女の子を駅構内の洗面所で見かけると、着物にうるさい中高年のおば様達が、「ちょっと失礼」と言って、彼女達の着物や帯をなおし始めることが多くて、そのような表現になったとのこと。
 ほとんどの若い女の子は「ほっといてよ」という心境らしい。だが、日本の美しい和装姿を後世に残したいおば様達はそれがいやでいやで仕方がない。
 他人の欠点を注意するのは難しい。素直に聞き入れてくれる人は少ないからだ。しかしながら、<厳しい人>も必要だ。「発音を指摘しなくなったら、吉川先生ではありません」と言う生徒がいる。それを聞くと、渾身の熱意を込めて、これからも細かく発音矯正を続けよう。

「群青」という歌

昨日、大学時代の寮友が所属する「府中アカデミー合唱団」の第32回定期演奏会を聴きに行った。第1部は日本の抒情歌(早春賦、叱られて、みかんの花咲く丘、群青)、そして、第2部はミサ曲第6番変ホ長調D950(シューベルト作曲)というプログラムであった。
 私は『群青』という曲にうたれた。何故ならば、この曲は福島県南相馬市立小高中学校の卒業生(平成24年度)が書いた思いを、小田美樹先生が歌詞にまとめた曲であると聞いたからである。
 「ああ あの町で生まれて 君と出会い たくさんの思いを抱いて 一緒に時間を過ごしたね 今 旅立つ日 見える景色は違っても 遠い場所で 君も同じ空 きっと見上げてるはず <またね>と 手を振るけど 明日も会えるのかな 遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない あの日見た夕日 あの日見た花火 いつでも君がいたね あたりまえが 幸せと知った 自転車をこいで 君と行った海 鮮やかな記録が 目を閉じれば 群青に染まる (続く)」
 指揮者も福島県出身の方であった。

パックチー料理

 昨日、マンションを出ようとすると、住民の一人から声をかけられた。
 「吉川さんに聞きたいことがあります。テレビで見たのですが、タイ人は、日本人が最近もてはやしているパックチー料理が不思議でならず、違和感を覚えているとか。それは本当ですか?」
 「はい、パックチーは料理の上にふりかけるのに使われますから、日本の三つ葉と同じく、彩り、そして、香りづけのためが主たる目的です。ことわざに<パックチーをふりかける ผักชีโรยหน้า>というのが有りますが、その意味は、<見せかけ>ということであります」
 すると、彼はすかさず切り返してきた。「私は見せかけだけの人間ではありません。ぱらぱらとふりかけるのではなくて、皿いっぱい食べていますから、本物志向の男です」
 彼は欧米での生活が長いからパーティー慣れしている。そのため、マンション住民の集まりでも必ず軽妙なるジョークを飛ばす。